ソウルオリンピック以前のベン・ジョンソン
1984年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、カール・ルイス(アメリカ)が優勝した100mと、4×100mリレーで銅メダルを獲得した。
この時点では目立った存在ではなかったが翌1985年から急激に成績を上げ始める。
ベン・ジョンソン(Ben Johnson)
1985年にはスイスのヴェルトクラッセチューリッヒ男子100mでカール・ルイスに初めて競り勝ち、1987年の世界選手権男子100mでルイスを破って9秒83の世界新記録(当時)を樹立。
アメリカ陸上界のスーパースター、ルイスのライバルとして広く認知されるようになった。
イタリアのスポーツ用品メーカーmディアドラがスポンサーになり、日本においても当時の共同石油(現ENEOS)のCMに出演するほどの人気であった。
終始イーブンペースで走る追い上げ型のカール・ルイスに対し、ベン・ジョンソンは低い姿勢で序盤から最高速を出す「ロケットスタート」を得意としていた。
他の選手と比べ、スタート直前は両手を大きく横に開き、低い姿勢からのスタートをし、スターティングブロックは他の選手に比べ左右のずれがほとんど無く、両足でほぼ同時に踏み出す方式を取っていた。
これらはいずれも人並み外れた上半身の筋肉があってこそなせる業であり、このスタート方式を採用しているトップ選手は非常に希少である。
1988年ソウルオリンピック男子陸上100m決勝で優勝。
それまでのベン・ジョンソンのカール・ルイスとの通算対戦成績は6勝9敗。
だが、直近3年間では勝ち越していた。
迎えた1988年ソウルオリンピックの100m決勝。
スタートから飛び出したべン・ジョンソンは一気に走り抜け、宿敵カール・ルイスを破り、9秒79の驚異的な世界新記録(当時)を樹立して優勝した。
【画像】圧倒的なスピードで優勝
【画像】ゴール時のNo1ポーズ
【画像】表彰台で握手するベン・ジョンソンとカール・ルイス
ドーピングテストで筋肉増強剤が検出され、金メダルと世界新記録を剥奪される
カール・ルイスを破り、世界新記録で金メダル。
オリンピックの報道は、ベン・ジョンソンの活躍一色に染まり、世界一足の速い男の称号を確固たるものにしたかにみえた。
だが栄光は一瞬だった。
競技後のドーピング検査で筋肉増強剤の陽性反応が出て、金メダルと9秒79の世界新記録はあっさりと剥奪されたのだった。
金メダルは2位のカール・ルイスが繰り上げで承継した。
カール・ルイスはそれまでも100m決勝時においても、ベン・ジョンソンが禁止薬物を使用していることを確信していたと語っている。
【画像】ベン・ジョンソンの筋肉
ドーピング発覚後のベン・ジョンソンは、カナダ国内の自宅へ直行。
後日の記者会見で宣誓書を読み上げ、「薬物を故意に使用したことはありません」、「家族、友人、祖国に恥をかかせるようなことしません」と述べた。
ベン・ジョンソンから検出された、スタノゾロールは筋肉増強剤ステロイドの一種。
同じくドーピング検査で陽性になったカナダの女子陸上選手アンジェラ・イサジェンコの証言によると、ジョンソンに投与されたスタノゾロールは動物用の商品(ウィンストロールV)であったという。
国際陸上競技連盟(IAAF)は2年間の競技者資格停止処分を決め、国際オリンピック委員会(IOC)は第2種ブラックリストに登録。
同時にスポンサーのディアドラをはじめ、共同石油のCMも打ち切られた。
剥奪されたベン・ジョンソンの記録は、2002年にティム・モンゴメリ(アメリカ)が9秒78を出すまで幻の記録と呼ばれ、ギネスブックは「薬物の助けを得たにせよ、人類が到達した最速記録」と但し書き付きで彼の記録を掲載していた。
(ティム・モンゴメリも、2005年にスポーツ仲裁裁判所に薬物使用を認定され、引退している。)
1980年代の100m走において9秒7の大台に乗った人類はベン・ジョンソンただ一人。
その後、人類が再び9秒7の大台に乗ったのは1999年のモーリス・グリーンである。
後にドーピングを認めたベン・ジョンソン
ベン・ジョンソンがドーピングに手を出したのは、1985年に女子400mで東ドイツのマリタ・コッホが出した圧倒的な世界記録がきっかけであった。
同じ大会に出場し、その瞬間を目撃していたベン・ジョンソンと、コーチのチャーリー・フランシスはドーピングを確信。
自らもドーピングをおこなうことを決意したという。
マリタ・コッホ(Marita Koch)