金メダルを無くしちゃったソウル五輪金メダリスト、小林孝至

金メダルを無くしちゃったソウル五輪金メダリスト、小林孝至

初出場のソウル五輪レスリングフリースタイル48㎏級で見事金メダルを獲得した小林孝至。五輪閉幕から3週間後、公衆電話に金メダルを入れたカバンを忘れて大騒ぎに…。そんな小林孝至の経歴やエピソード、現在の活動を紹介。


【ソウル五輪】レスリング金メダリスト小林孝至

1988年ソウル五輪の金メダリストで、帰国後のメダル紛失騒動でも有名になったレスリングの小林孝至。

1963年5月17日生まれ
茨城県稲敷郡牛久町(現:牛久市)出身。

身長150cm、体重48kg(現役当時)

元々はバスケットボール選手であったが、土浦日大高校時代にレスリング部監督小橋主典氏にスカウトされて転向。
高校3冠(高校選抜、インターハイ、国体)を2年連続で達成した。

恩師である小橋氏によると、小林の低い超高速タックルはバスケットボール経験が大きく寄与しており、 「相手選手のドリブルをスティールする技術は神業で、その運動神経の良さからスカウトした」 「レスリングをやるうえでの必要な要素、体力も負けん気も、バスケットボールの時代からすべて持っていた選手だった。」とのこと。

現在プロレスラーで、3度の五輪出場、8度の全日本選手権優勝の本田多聞とは高校、大学の同期である。

小林 孝至(こばやし たかし)

ロス五輪選考会で味わった挫折と屈辱

高校3冠を2年連続で達成し、大学1年で出場した82年アジア大会も優勝。
だが、国内では高校時代の先輩である入江隆の壁を越えられなかった。

そして、小林が日本大学在学中の1984年。
ロサンゼルスオリンピック選考会である全日本選手権決勝において、再び入江と対戦する。
試合終了時、わずかに小林がポイントで勝り接戦を制して代表の座をつかんだ。
と思われた直後、入江陣営の抗議によってポイントを計算し直され勝敗が覆ってしまう。
結果、14-15の僅差でロス五輪の出場機会を逃すこととなった。

小林は涙を流して抗議し、ショックで水戸の実家にも3カ月も戻らなかったという。

この時のことを小林は「絶対に勝ったと思ったし、レフェリーも私の手を上げていた。それが、ビデオで判定が変わった。今でも納得はしていませんね。私が狙っていたのはロス五輪だけ。目標を失って、すぐ次(ソウル五輪)に切り替えるなんてできなかった。」と語っている。

なお、小林を破ってロス五輪に出場した入江は銀メダルを獲得した。

小林は上の毛も、下の毛も剃って臨んでいた…。

実は、入江に負けた決勝時、小林は髪の毛も陰毛も剃っていたという。
これは4次予選の計量に遅刻したペナルティだった。

遅刻の理由は交通渋滞だったが本来は失格。
小林のそれまでの実績から日本レスリング協会は「温情」で最終予選出場を認めた。
その代わり当時日本レスリング界の「伝統」であった剃毛を1年間上下ともにやらされたのだった。

小林は「屈辱でしたね。その後の大会でも、私だけ別室で下半身のチェック。その度に悔しくて、情けなくて…。それでロスに出られていればいいけれど、出られなかったですから。」と語っている。

小林孝至は、宇宙人に近いといわれた異端児だった。

小林は、日本大学を卒業後、ユナイテッドスティール(後にユニマット⇒ジャパンビバレッジと商号変更)に入社した。

当時、小林のコーチをしていた富山英明(日大の先輩でロス五輪金メダリスト)は、「小林は宇宙人に近い地球人。考えてることも分からなかった。」と語っている。
小林は突然合宿所から姿を消して、数日後にフラッと戻ってくることが多かったという。

この失踪について小林は、「さぼっていたわけじゃない。厳しい練習を続けていたら体がもたない。自分の体は自分しか分かりませんから。私は自分のペースで練習していただけです。」と語っている。

また富山は「小林のレスリングの強さは僕なんかの比じゃない。力も強いし、体は柔軟、技も切れた。48キロの体で、100キロある日大同級生の本田多聞(後のプロレスラー)を背負って正座から立ち上がる。そんなことできるヤツはほかにはいないよ。」とも語っている。

怪力に関するエピソードは多く、テレビ出演時に現役時代の腹筋回数を聞かれて「回数はわからないが大体4時間」と答えている。

入江を破り、ソウル五輪の切符を獲得。

小さな体に似合わない怪力と破壊力抜群のタックルで期待されたが、その後もなかなか入江の壁を越えられなかった。

そして、1987年の全日本選手権でついに入江を破る。
さらに翌年のソウル五輪代表の争い、「負けたらレスリングをやめる」という覚悟で臨んだ小林は大接戦の末に2勝1敗と入江に勝ち越し、悲願の五輪出場を達成した。

ソウル五輪代表を争って闘う入江隆(赤)と小林孝至(青)

1988年、ソウル五輪レスリングフリースタイル48kg級で金メダルを獲得!

小林は、「『金メダルを確実に取れる選手』と、人に紹介されたりすると、頭にきました。誰がそんなこと分かる。お前がやってみろってね」と当時のプレッシャーについて述べている。

プレッシャーに打ち勝つべく、練習を重ねた小林はソウルオリンピックで順調に勝利を重ねる。

1回戦:相手の負傷棄権
2回戦:フォール
3回戦:フォール
4回戦:テクニカル・フォール
順位決定戦:判定勝ち

そして、決勝ではブルガリアのイワン・ツォノフと対戦。
身長で10cmも高いツォノフ(ブルガリア)をポイントで圧倒し、さらに残り10秒で組み伏せる。
会場から「9、8、7…」とカウントダウン。
小林は、終了のブザーと同時に、「ワー」と叫んで右手を突き上げ、ガッツポーズ。
大差の判定で最軽量の48kg級で日本初の金メダルを獲得した。

小林は「自分の技を大舞台で演じられることが気持ちよかった。」と語っている。

小林は会場に両親を招いており、「ソウル五輪に自分の名前を刻めた事が一番の親孝行」と語っている。

52㎏級の佐藤満とともに、現時点で日本男子レスリングの「最後」の金メダリストである。

表彰式で手を振る小林孝至

帰国後になんと金メダルを紛失してしまう…。

ソウルオリンピックで、日本が獲得できた金メダルは、同じくレスリングの佐藤満、水泳・背泳の鈴木大地、柔道の斉藤仁だけで、合計してもわずか4つ。
そのため、帰国後の歓迎ぶりは、尋常ではなかった。

金メダル獲得から、ちょうど1ヶ月後の1988年10月29日。
多忙な日々が続いていたときに事件は起きた。

スケジュールの合間をぬって、実家へ帰る時間を作った小林ははやる気持ちを抑え、上野駅に到着。
ここで、合宿所から着替えを届けくれる後輩と待ち合わせをしていた。

実家への最終電車の時刻が迫ってくる中、なかなか到着しない後輩にしびれを切らした小林は合宿所に何度も確認の電話をかけ、ホームと公衆電話を行き来した。
そして何度か往復した時、ふと公衆電話を見て小林は愕然とした…。
なんと!金メダルの入ったバッグが消えてしまっていた。

小林は警察に紛失届を出し、後ろ髪を引かれる思いで、電車に乗り込んだ。
情けなさと申し訳なさで、実家に到着しても家族に金メダルを紛失したことを告げられずいた。
翌日、小林は意を決して、金メダル紛失をマスコミに公表し、助けを求めた。

このニュースは瞬く間に日本中を駆け巡り大騒動となった。
金メダル紛失から2日後。
茨城の母校で講演会を行っていた小林のもとに、「メダルが見つかった!」という知らせが入る。
小林は講演会の途中ですぐさま東京へ向かった。

金メダルの入ったバッグは、東京都江戸川区内の路上で見つかり、中身は何も盗まれていなかった。
かくして、小林の金メダル紛失事件は2日で解決した。

「自分の体の一部が無くなったようで困ってましたが、やっと埋めることができました。」とコメントした。

金メダルが見つかり喜びを語る小林孝至

今でもこの事件のことを聞かれることが多いが、「(金メダルは)取らなくちゃ、失くせないですから」と胸を張っている。

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