エキゾティクスとは
沢田研二&エキゾティクス
エキゾティクスって誰?
という方でもジュリーこと沢田研二さんは知っていらっしゃるでしょう?
そのジュリーの80年代初頭からバックで演奏していたのが、エキゾティクス(Exotics)です。
まだ、思い出せない‥‥。
という方は、ぜひともこの記事を読んで思い出してみてください。
当時もジュリーとともにかっこよかった姿はもちろん、解散後の各人の活動もここで振り返ってみたいと思います。
エキゾティクス、沢田研二とともに
沢田研二「晴れのちBLUE BOY」ジャケット
「ストリッパー」(この記事のサムネイル画像)やこの「晴れのちBLUE BOY」のシングル・ジャケットでも、彼らの姿をしっかり見ることができます。
ジュリーは彼らをバックバンドではなく、自身もバンドの一員とみなしていたようです。
「渚のラブレター」の次の曲「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」も大ヒットしましたね。
この辺りから、エキゾティクスの注目度もぐいぐい上がっていきました。
公認ではないですが、非公認の「エキゾティクス・ファンクラブ」までありました。
かくいう私もしっかり会員になっておりました。
この曲の時だったと記憶しておりますが、確か歌番組「ザ・ベストテン」で、視聴者さんからのはがきで「エキゾティクス」をもっと知りたい、というリクエストがありました。
そしてエキゾティクス全員がそれぞれ紹介された‥‥という場面を、筆者である私は見たことがあります。
それは、私も「知りたい!」と思っていたので、ものすごく喜んだことも思い出されます。
「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」もヒットしました。
歌に合わせて「ハッ! ハッ! ハッ!」と叫んだ方もいっらしゃるでしょう。
この曲は、エキゾティクスのキーボード担当西平彰さんの作曲です。
この曲は、作詞・作曲は井上陽水さん、そして編曲したのは、エキゾティクスのベーシストでありリーダー、吉田建さんです。
エキゾティクスのメンバー
では、メンバー紹介をします。
ここでメンバー紹介とともに、エキゾティクス以降(以前)の彼らの軌跡をまとめてみます。
元々、スタジオあるいはライヴ・ミュージシャンだった彼ら、エキゾティクス解散後も、それぞれの活動の方が知られているかもしれません。
「へえ、彼は元ジュリーのバックバンドだったの?」
という声も聞こえてきそうです。
吉田建(ベース)
吉田建(ベース) エキゾティクス時代
1970年代に坂本龍一やりりぃ、ナイアガラ・トライアングルなどのライヴ、スタジオ・アルバム・メンバーとして参加していた実績の持ち主であり、エキゾティクスに加入時は、既にベテランでした。