史上最大の日本タイトルマッチ vs コウジ有沢
次の試合の相手は
コウジ有沢選手だった
18戦全勝12連続KO
強敵だった
「自分の部屋に試合用のポスターを貼った
そこにはオレとコウジ選手がいる
ボクサーになってから俺は試合前
闘う相手を憎むことにしている
憎むたって「親の敵討ち」とかではない
時代劇じゃないんだから
もう単純に相手を憎む
相手の試合のビデオみたりポスターみたりして
コンナロー、ブッ倒してやるっという感じ
練習で調子がイマイチなときとか
朝起きてロードワークがキツいなって感じたら
俺は対戦相手の顔をみる
そうするとイヤでもメラメラとくるモンがある」
9R、
畑山は強烈なボディでダメージを与え左右で追撃
TKOで勝った
2度目の世界挑戦、崔龍洙との再戦
2度目の世界挑戦が決まった
崔龍洙との再戦だ
今度こそ失敗は許されなかった
これまでイケイケのこわいもの知らずだった畑山が
周囲のどんな声に耳を傾けた
「どんなちっちゃなことでも聞く
1mmでも0.1mmでも上に行きたい」
「ハタケ ここだ ここでやらなくちゃいままでのことがゼロになるよ」
試合は
一進一退
最終の12Rの前
「ハタケ
ここだ
ここでやらなくちゃ
いままでのことがゼロになるよ」
セコンドの片岡鶴太郎がいった
(そうだいまだ
いまやらなくていつやるんだ)
畑山は命がけで挑んだ
(意識を飛ばすな
倒れるな
打って打って打ちまくる)
前回同様
試合は判定にもつれた
「勝者、畑山~」
23歳の畑山隆則は
WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンになった
明らかな失速、初敗北
初防衛戦の
ソウル・デュランとはドロー
2度目の防衛戦では
ラクバ・シンに
5R、ダウンを喰らって
立ち上がったところ連打され
TKO負け
畑山は初めて負けた
1度目の引退
その夜、
自動販売機で買ってタバコを吸った
翌日
記者会見の前に柳トレーナーのところにいきタバコを吸った
「タバコ止めぇ~
ハタケ止めぇ~」
「いいっスよ
俺、もうボクシング辞めっスから」
17歳で出会った師匠との24歳での別れだった
引退後
1、2ヶ月は遊びまくった
そしてジムで若手の指導を始めた
また芸能活動も開始した
カムバック戦が世界戦
2000年元旦
畑山はボクシングを再開した
1人でトレーニングし
1人で走り
1人で自分を追い込んでいった
今度は1階級上げてライト級に挑むことにした
4月
アメリカにいった
午前中
LAボクシングジムで練習
練習後、ホテルに帰り昼寝
夕方
ドジャースタジアム近くでロードワーク
ホテルの周りでダッシュしてから部屋に戻る
風呂に入り
食事をして
あとは洗濯をしたりした
アメリカについて10日くらいして
日本から電話がかかってきた
「ハタケ
お前のカムバック戦の相手が決まったぞ」
「誰っスか」
「セラノだ」
ヒルベルト・セラノ
WBA世界ライト級チャンピオン
いきなり世界戦だった
日本へ帰ったとき
カムバック戦まで残り30日だった
不安が膨らみ
気持ちが落ちそうになるときもあったが
「ウダウダ考えてもしょうがねえ
完全燃焼したる」
開き直って
減量とコンディショニングを成功させた
「次は坂本選手とやります」
1年ぶりのリングで
計5度のダウンを奪った末、8RKOで勝ち
WBA世界ライト級チャンピオンとなり2階級制覇を果たした
そしてそのリング上で畑山はいった
「次は坂本選手とやります」
vs坂本博之
坂本博之は
孤児院出身という生い立ちと
「平成のKOキング」と呼ばれるそのパンチ力で
カリスマ的な人気を誇っていた
かつてライト級の坂本と
J・ライト級だった畑山はスパーリングをしたことがあるが
そのとき畑山は坂本のパンチ力に驚いた
1R
いきなりド突き合いからはじまった
2R以降
スピードで優る畑山が
馬力で迫る坂本をコントロールし始めた
真っ正直から接近戦を挑む坂本は
畑山のステップワークと小さなパンチに苦しんだ
しかし決して前進はやめななかった
10R
畑山が放った一撃で坂本はTKO負けするが
耳から血が出しながら決して退かない坂本に畑山は驚き
その重いボディブローで試合後「コーラ色の血尿」が出したという
2度目の引退
その後
2度目の防衛戦は
リック吉村相手に辛うじて防衛
3度目の防衛戦で
ジュリアン・ロルシー相手に判定で敗れた
坂本戦で燃え尽きたのか
この2戦は明らかにモチベーションが低下していた
そして畑山はそのまま引退した
現在
畑山は
中退した青森山田高校へ通信制課程で再入学、卒業
青森大学へ進学した
元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で
「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」に開き
タレントや解説者としても活躍中である