野球に燃え、荒れた学生時代
畑山隆則は
青森県青森市古館に生まれた
小学校で
1~3年、学級委員長に立候補し落ちる一方
運動神経抜群で
プロ野球の選手になると誓っていた
5年生の頃から
漫画「BE-BOP-HIGHSCHOOL(ビー・バップ・ハイスクール)」に影響され
「よっしゃ
ケンカしにいくべ!」
といって他校にいき
わざと肩をぶつけて
「なにぶつかってんだ
コノヤロウ」
とケンカを売った
6年生で
エロ本とタバコを覚えた
短ラン、ボンタン
中学に入っても
ワル友達と集団をつくり問題を起こした
家で親とモメると
家の窓ガラスを全部割ったり
2階から家具を投げ出したりした
一方
野球ではエースで4番
野球の名門「青森山田高校」に野球特待生として入学した
しかし上下関係に馴染めず
わずか1ヶ月で野球部を退部してしまった
ボクシングとの遭遇
グレグ・リチャードソン vs 辰吉丈一郎
そんなとき
テレビで
辰吉丈一郎が
グレグ・リチャードソンを10RTKOで破り
WBC世界バンタム級チャンピオンになる試合をみた
畑山は
ボクシング雑誌を買い始め
ボクシング番組は欠かさずチェック
「お金も必要だ」
とガソリンスタンドでアルバイトを始めた
そして東京の ボクシングジムと働くところを探し
高校にも家にも何もいわず
家出、失踪同然で青森駅から東京へ向かった
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上京
東京駅に到着後
まずヨネクラジムにいった
そしてその翌日は仕事場にいった
部屋つき食事つきの新聞配達だった
アパートはキッチンつきの4畳半
フロはなく
トイレは共同だった
朝3時起床
池袋の街を自転車に乗って新聞を配った
朝刊が300部
夕刊は280部くらいだった
1ヶ月は仕事だけして
仕事に慣れてからジムに通い出した
13時
ジムに新聞配達の自転車でいき練習をした
練習後
仕事場に戻って夕刊を配り
それが終わると公園でシャドーボクシングをした
「世界チャンピオン製造機、柳和龍(ユファンリョン)トレーナー」
ボクシング雑誌に気になる広告が出ていた
京浜川崎ジムの広告だった
気になったので川崎に行ったみた
ジムは小さかったが
街は気に入った
近くに流れる多摩川の河川敷を走ってみた
「このジムに決めた!」
池袋に戻り
川崎で住み込みで働けるところを探した
柳和龍
柳和龍 &畑山隆則
京浜川崎ジムで
練習を始めて2週間くらい
柳和龍トレーナーが声をかけてきた
柳和龍は
韓国ジュニアライト級初代チャンピオンで
韓国と日本で試合を重ね
後の世界王者ロイヤル小林にKO負けを喫し引退した
「お前、今日スパーリングやれ」
リングに上がるのは初めてだった
スパーリング後、
また柳トレーナーに呼ばれた
「ちょっと上、事務所に来い」
事務所に行くと聞かれた
「おまえいくつだ?」
「17歳です」
「何のためにボクシングやってんの?」
「ボクは世界チャンピオンになるたえに青森から出てきたんです」
「じゃあお前、俺と一緒にやるか?
俺と一緒にやったら
俺が必ず世界チャンピオンにしてやるから」
今度の仕事は土建業だった
7時に現場に出発
17時まで働き
それからジムにいった
「それじゃダメ」
「違う、違う」
柳トレーナーはずっと基本練習ばかりさせた
「もういいや
先生、教えてくれなくてもいいッス」
そういって何日も口もきかないこともあった
畑山と柳トレーナーはケンカと仲直りを繰り返して練習を重ねた
プロテスト
後楽園ホール
京浜川崎ジムに来て2ヵ月後、プロテストを受けた
後楽園ホールでスパーリングテストとペーパーテストを行われた
このとき畑山は思った
「ホールってテレビでみるよりちっちゃいなあ・・・」
全日本新人王決定戦
全日本新人王決定戦は
プロボクシングの新人ボクサーの日本一を決めるトーナメントである
東日本・西日本・中日本・西日本の各地区・各階級の代表決定トーナメントを勝ち抜き
さらに東日本地区以外の3地区の新人王は「西軍代表」を決定するトーナメントを勝ち抜き
そして東日本新人王(東軍代表)と西軍代表が全日本新人王決定戦で対戦する
「畑山、
新人王戦、申し込んじゃったから・・・」
ジムのマネージャーが
勝手に東日本新人王トーナメントに畑山の出場を申し込んでいた
「やられた
これで無敗で引退するという夢は消えた」
まだボクシングを始めて
1年も経っていない
右ストレートとワンツーを教わったばかりだった
J・ライト(現スーパーフェザー)級のトーナメントには
49人がエントリーし
ノーシードの畑山は6回勝たないと優勝できなかった
新人王トーナメントは
1ヶ月1試合だから6ヶ月勝ち続けないといけない
少しでも有利になるよう
土建業を辞め
住み込みのパチンコ屋の仕事に変えた
1回戦(デビュー戦)と2回戦は1RKOした
3回戦は
インターハイ準優勝の経歴を持つ選手だった
1R、2Rとポイントを奪われ
3Rにはダウンした
残りは最終の4Rだけだった
「行かなきゃ負けるよ
勝負かけい!」
柳トレーナーが叫んだ
畑山は逆転TKO勝ちした
4戦目は判定勝ち
5戦目もダウンを奪っての判定勝ち
この試合後から柳トレーナーとの練習にロードワークが加わった
「もっと速くっ!」
多摩川の河川敷を走る畑山を自転車に乗った柳トレーナーが追いかけた
6戦目(決勝戦)は
1RでKO勝ちした
西日本の新人王との全日本新人王を賭けての戦いも
3RKO勝ち
「日本J・ライト級10位 畑山隆則」
ランキング表に名前が載った
日本チャンピオンは鈴木敏和選手だった
ちなみに1つ上の階級(ライト級)の日本チャンピオンは坂本博之選手だった
畑山は
日々、パチンコ屋の仕事と
プロボクサーとして練習をしながら
2、3ヶ月に1度試合を行い勝ち続けた
9戦目
堀口昌彰、
「拳聖」といわれたピストン堀口の孫を4RにTKO
デビュー以来9連勝
日本ランキングは3位まで上がった
この頃の日本のボクシング界は
辰吉丈一郎に勝った薬師寺保栄が王座を失い引退し
辰吉もダニエル・サラゴサに敗け
畑山は彼らの後継者として注目され始めた
また後に結婚する彼女と同棲生活をスタートした
10戦目を控え
韓国でのキャンプを終え
日本に帰ってきた翌日の練習で
鋭い柳トレーナーがいった
「お前、女の子いるだろ?」
畑山は否定したが
結局バレてしまい柳トレーナーは激怒した
「女の子は絶対ダメ!!
お前に世界は無理!!」
しかし畑山は黙って練習を続けた
「もし弱くなったら自分の責任、彼女のせいではない」
「いつか先生に彼女を認めてもらう」
やがて柳トレーナーも合流した
目標は「世界チャンピオン」だった
後に「横浜光ジム」に移籍するときも
2人は一緒だった
1度目の世界挑戦 vs 崔龍洙
畑山は
WBA世界J・ライト級チャンピオン、崔龍洙(チェヨンス)への挑戦した
入場曲は
氷室京介の「Reborn」
世界チャンピオンになって生まれ変わるという思いだった
11R終了後
コーナーに戻ったとき
畑山陣営は
ポイントではリードしていると思っていた
残りは最終の12Rのみ
畑山はふと思った
「リングに立っていれば勝ちかな」
12R
崔龍洙の攻撃から畑山は逃れようとした
試合は判定となり
116-114
114-116
114-114
と3人のジャッジによりドロー
チャンピオンは防衛成功
挑戦者、畑山は世界チャンピオンになれなかった
畑山は悔やんだ
「最終ラウンド
守りりに入らず
最後まで挑み続け攻め続けていれば・・・」