
DASH村のはじまり

皆さんご存知 DASH村相談役の三瓶明雄さん(故)
明雄さんはどんな人だったのか
昭和25年以降にDASH村周辺に住みはじめた明雄さん。
一家一丸となって、20年かけて土地を開拓しました。
その当時は畑や家もなく、夜はランプの灯りだけで生活していたとか。
とても温厚な明雄さんだが、いい加減な仕事をとても嫌っていたそうだ。
その口癖は「まだまだ」
「満足したら、それ以上向上しない」と考えていた明雄さんは、たとえどんなにいい仕事ができたとしても、「まだまだ」と言うようにしていたとか。

意外な一面も…
なんでもこなしてしまう明雄さんにも、唯一苦手なものがあった。
それは「自転車」である。
しかし、周囲からそのことを指摘された明雄さんは自転車を克服すべく、
自宅前の庭で猛特訓し…なんと1日で乗りこなせるようになったとか。
TOKIOともまるで親子のような関係だった
TOKIOのメンバーらに対し、明雄さんはこう語る。
「最初はみんな小さな虫を怖がっていたほどだったけど、一生懸命勉強して、今ではとても頼もしい存在になったね。息子に教えている感じだよ。」
TOKIOのメンバーらは、明雄さんを名前で呼んだり、コンサートへ招待したりと、、まるで父のように慕っていたという。
対する明雄さんも、TOKIOのポスターを部屋に飾るなど、その活躍ぶりを見守っていた。
亡くなった際には、歌も贈られた
2014年、6月6日、明雄さんは急性骨髄性白血病のため、84歳で亡くなった。
明雄さんの友人曰く、DASH村に出演するようになった直後に、明雄さんは奥さんを亡くしたという。
大切な人を失い、子供たちも独立していたため、孤独になってしまい、すっかり憔悴してしまった。
しかし、DASH村に携わっていたおかげで
、「大変な時期だったけど、村に新しい生きる目的を見つけられた」
「一生懸命な彼らに教えるのが、すごく楽しい」
とうれしそうに話していたという。
明雄さんは今でも…
明雄さんが伝えてくれたものは、
TOKIOのメンバーだけではなく、視聴者の心にも残り続けています。