兄弟子『千代の富士』に鍛えられた「努力の人」第61代横綱『北勝海』(現 相撲協会理事長)

兄弟子『千代の富士』に鍛えられた「努力の人」第61代横綱『北勝海』(現 相撲協会理事長)

「稽古熱心さでは100人に1人の素材」と言われた第61代横綱『北勝海』。ライバル・大乃国との激戦、兄弟子・千代の富士との優勝決定戦など名勝負やその功績・人柄について紹介。現在は相撲協会の理事長として活躍中だが、その道は前途多難のようである。


千代の富士と史上初の同部屋横綱同士の優勝決定戦

取組後、北勝海・千代の富士は二人共「もう二度と対戦したくない」と語っている。
九重親方(北の富士)もかつて「一度は千代の富士対北勝海の決定戦を見てみたい」と語っていたが、二人の決定戦の終了後は「師匠としてもまともに見ていられなかった。もう(決定戦は)やらなくていい」とコメントしている。
これが両者にとって最初で最後の優勝決定戦となった。

なお、北勝海は兄弟子・千代の富士の優勝、または優勝争いで何度も援護射撃をしている。
1987年7月場所は優勝と綱獲りがかかっていた大乃国を千秋楽に下し、千代の富士に21回目の優勝をプレゼントした。
1987年11月場所14日目には、千代の富士と共に全勝だった横綱双羽黒を下した。翌日、千代の富士は双羽黒を下し22回目の優勝を決めた。

また、千代の富士が休場した場所で、弟弟子の北勝海が優勝するというケースも過去に5回もあった。
(1986年3月、1987年9月、1989年5月、1990年9月、1991年3月)

平成2年三月場所、異例の優勝決定巴戦を制す

巴戦の場合は、1力士が2連勝すると優勝が決まるが、2連勝しない場合は延々対戦が続く。
最初の北勝海対小錦戦は小錦が勝利。
小錦が次の霧島戦に勝てば小錦が優勝だったが、霧島が勝って小錦の優勝ならず。
今度は霧島が次の北勝海戦に勝てば霧島の幕内初優勝だったが、北勝海が勝ってまだ対戦は続く。
そして次の小錦戦は北勝海が下手投げで下して2連勝、ようやく北勝海の優勝が決まった。
なんと三つ巴の対戦が四つも続くという大熱戦だった。

度重なる怪我から引退へ

北勝海の持病である腰痛の影響は大きく、平成2年5月場所以降は優勝した場所以外は10勝前後で終わる事が多く、雲行きが怪しくなった。
マイナス190度の冷凍室に入る等さまざまな治療やリハビリを試しつつ、横綱としての懸命の土俵が続いていた。

1991年(平成3年)3月場所は、14日目に大乃国と優勝争いトップの12勝1敗同士の対決で、北勝海が寄り倒してひとり1敗を保持したものの、この一番で左膝を土俵の俵に打って負傷してしまう。
この場所千秋楽結びの一番は横綱同士の北勝海対旭富士戦で、その結び前の一番は横綱大乃国対大関霧島戦だった。
14日目時点で霧島は4勝10敗と負け越し、12勝2敗の大乃国が有利と見られ、千秋楽本割で大乃国が勝ち北勝海が負けると両者13勝2敗同士の優勝決定戦となっていた。
ところが大乃国は過去幕内での霧島戦が6勝7敗の苦手とし、さらに久々の優勝のプレッシャーもあったのか、不調の霧島に大相撲の末まさかの敗戦で12勝3敗となり、この時点で13勝1敗だった北勝海の8回目の幕内優勝が決まったのである。
その後、北勝海は結びの一番で、痛めた左膝を庇いながら旭富士に呆気なく押し出されて完敗。
大阪府立体育会館の観客や関係者達も大きくどよめいた一番だったが、これが北勝海の最後の優勝となった。
左足を引き摺りながら花道を歩いた後、記者陣とのインタビューでは「大阪のお客さんに失礼しました。最後は良い相撲を取りたかったのに」としきりに苦笑いしていた。

北勝海はこの膝のケガをきっかけに、休場が多くなっていった。当時は4横綱が番付に名を連ねていたが、千代の富士の引退を皮切りに、大乃国、旭富士と相次いで土俵を去り、ついに北勝海のみの一人横綱となった。

横綱の責任感から北勝海はぎりぎりまで復活を目指したが、度重なるケガは回復しないため、平成4年5月場所直前に番付に名を残しながら、28歳10か月の若さで現役引退を表明した。
横綱在位数は29場所(番付上は30場所)だった。

引退相撲では当時異例とも言える最後の取組が行われ、その対戦相手は同じ「花のサンパチ組」の寺尾であった。
北勝海が最後の場所となった1992年3月場所、3日目の対戦が寺尾と決まっていたが、北勝海は不戦敗となり5月場所前に引退したため、彼自身寺尾と対戦出来なかったことが心残りだったという。
そして彼は、引退相撲で寺尾と最後の対戦をしたいと申し出ると、寺尾は快く承諾。
そしてその取組では、寺尾が北勝海を寄り切って勝利したが、勝負が決まった瞬間寺尾は北勝海に「お疲れ様」と労いの言葉を贈った。

誰もが認める努力で横綱まで上り詰めた男、北勝海。

頭から当たって突き押しで相撲を取るため、引退直前には額の生え際の毛は擦り切れかけていた。

師匠の九重(北の富士)は北勝海のことを「素質ではその辺の力士と変わらないが、稽古熱心さでは100人に1人の素材」と評し、「千代の富士が大横綱になったことよりも、北勝海が横綱に昇進した事が一番の驚きだった」とも語っている。

兄弟子・千代の富士は「北勝海は同部屋ながらも自身にとって非常に良いライバルだった。もしも稽古熱心な北勝海がいなかったら、自分の力士寿命はもっと短かったかもしれない」と語っている。

解説を務めたサンデースポーツでは「八角親方の金言苦言」というコーナーを持ち、実演を交えた解説を行ない、近年の力士のぶつかり稽古の不足に警鐘を鳴らしており、「(胸を出してもらえるのだから)ありがたくぶつかれ」、「(きつい稽古も)毎日やってると普通になってくる。普通になるまでやらなくちゃいけない」などと発言している。

引退後は親方、そして相撲協会理事長へ

1993年に年寄・八角を襲名し間もなく八角部屋の師匠となった。
九重部屋からの独立という見方をされるが、建物や部屋付き親方は北の富士が師匠を務めていた頃の九重部屋からそのまま受け継いでいる(千代の富士は九重部屋継承後に部屋を新築した)。

そして海鵬、北勝力、隠岐の海などの関取9人を出している。
日本相撲協会の理事を務めるなど千代の富士を凌ぐ順調な出世街道を歩み、2015年12月には第13代理事長に就任した。

2015年12月18日、就任の記者会見で抱負を語る八角新理事長
「一所懸命。一つの所を命を懸けて守る」との言葉がいかにも北勝海らしい。

日本相撲協会理事長に就任

現役時代から真面目さと人柄でファンのみならず相撲関係者からも慕われる八角新理事長。
より魅力ある相撲界を目指し頑張って下さい!

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