船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。

船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。

中学卒業後、新日本プロレス入り。その後、UWF、藤原組を経て、自らの団体「ハイブリッドレスリング パンクラス」を立ち上げた。「秒殺」という言葉が流行り「肉体改造法」はヒットした。ヒクソン・グレーシー戦では落ちても(失神しても)ギブアップしなかった(あきらめなかった)。


ハイライト動画

中学を卒業後プロレスラーに

「人生が2度あるならお母さんのいうことをきいて高校を受験します
でも1度しかないからプロレスラーになります」

そういって船木は中学校を卒業後、新日本プロレスに入った

最年少デビュー(当時)

そして15歳11か月でデビューした

――15歳で入られてこの業界で無垢な新人という感じじゃないですか、 だからどっぷりつかられていたんじゃないかなって感じですね 正直、先月まで中学生じゃないですか それがいきなりそのまあ言い方悪いですが ものすごい人間とお金が集まっている世界にいきなりぽーんと入って 最初はもう練習だけですよね もうトレーニングだけで あの野毛の道場だけの生活で こっから先は世間といろいろこうなってきて今思えば教育には悪いなって思いますね まず普通の生活じゃないんで ほんとにあの10代、15、6から飲み屋とか連れていかれましたね ――古参のレスラーの方っていうのはまずそういう所に連れ歩いて行かれると聞きました そこでは色んな人と会われたんじゃないですか? 普通にスポンサーの飲み会とかにも連れてい行かれましたね ――いまはもう「リバプールの風」になったといわれる山田さんと一緒によくつるんでたっていう噂もよく聞くんですけれど 山田さんってやっぱり面白い先輩だったんでしょうか? 一年先輩で当時は一番怖い先輩でしたね やっぱり怖いんで、歯向かえないというか ――もうその時っていうのは入団されてから初代タイガーマスクの幻影みたいなものって当時の新日本プロレスにあったんでしょうか? もうタイガーマスクの臭いはもうなかったですね ちょうど猪木さんがIWGPやってた頃ですね ちょっと新日本が一瞬傾きそうになる年でした 猪木さんがIWGPを初めて獲って その試合に長州さんが乱入してきて それで蔵前が暴動を起こして その後にまずUWFが旗揚げして そして選手何人かいなくなって そっからまた半年後くらいからですね ジャパンプロレス、長州さんの団体が出来て また選手が何人か抜けて 真ん中がごっそり消えたんですよ もうほんとに自分たち若手とあと年配の選手と猪木さん、藤波さん、木村さん、坂口さんだけですね ――その時って嬉しい!って思うんですか それとも困ったなって思うんですか? 正直若手は よし!って感じでしたよね でも上の人たちは困ったなっていう で、凄く話し合ってるんですけど そんな中に一人夜中にいなくなっちゃった先輩がいたんですよ ――夜逃げみたいな? 夜逃げ…じゃないすけれども 夜中に移籍しちゃったっていう 合宿所からいなくなっちゃって次の日には新聞で団体に合流って出てましたね だからもう合宿所の玄関に星野勘太郎さんが布団ひいて寝てました 逃げないように ちょっとコンビニ行こうと出るじゃないですか玄関に そうすると「お前どこ行くんだ」 「ちょっとジュースを買いに」っつって 「そうか、逃げるなよ」って逃げれないですよね そんな感じでした その時は海外に行ってた先輩をどんどん呼び戻してましたね 武藤さんなんか、 もう逆に海外に飛ばされて3か月で戻されて すぐに新しいスターを補充しなければいけないっていう感じでした

http://proresu.jp/interview/2063/3

【船木誠勝インタビュー①】初代タイガーマスクへの憧れ、新日本プロレス、新生UWFを語る!(9.18リアルジャパン後楽園大会参戦) | プロレスTIME - Part 3

藤波さんはかならず亀になって「攻めてこい!」って言うですけど、何をやっても崩せなかったですね

――船木さんが総合格闘技への意識が高まっていったのは何がきっかけだったんですか? それはですね、新日入門当初にさかのぼります 道場でみんながセメントの練習をやっていたんですよ ――セメントの練習ですか? 関節技の極めあいですね それが延々と繰り広げられていたんです 毎日11時から13時まで2時間のあいだ、かならず行なわれていたんですよ ――それは全員参加なんですか? 基本的には藤原(喜明)さんが中心となって、若手に教えていたんですけど 藤波(辰爾)さんや上のレスラーの方々もやってましたね たまに猪木さんも参加したり まあ若手に教えるというか、一方的に関節技をかけて逃げ方をおぼえる感じですね ――当時のスパーリングはどんなやり方だったんですか? ヨーイドンで若手が亀の姿勢になるんです もしくは上の人間が亀になって若手に攻めさせるんですよ 藤波さんはかならず亀になって「攻めてこい!」って言うですけど、何をやっても崩せなかったですね 藤原さんも最初は亀の姿勢なんですけど、途中で相手をひっくり返して上になって、いろんな関節を極めてくるんです そのセメントの練習を初めて見たときに驚いたんですよ それはいままでテレビで見ていたプロレスにはなかった光景なので ――本当にガチガチの攻防だったんですね。 だから本当にビックリしました テレビで見ていたグラウンドの攻防って動きがあるものでしたから 受け身は大技を受けるために、プロレスラーとして必要な技術だとわかって練習したんですよ ただ、セメントに関しては「これは何に使うんだろう……?」と それくらい実際のリング上とはかけ離れていましたし それに痛いし、苦しいし ――意味もわからないままやられ放題で でも「コレを覚えないとプロレスラーになれないのか」と思いましたね。 ロレスラーになるための必修科目だと思ったんです 先輩レスラーもみんなやってたわけですから ――プロレスラーとして身につけるべきものという認識だけはあったんですね それはつまり「強さ」ですよね 自分が入門したのは15歳だったじゃないですか 格闘技経験はまったくないわけですし、中学校で柔道さえもやってなかったですから ――そんな状態で新日本の猛者たちとセメントの練習 あとになって全日本プロレスの渕(正信)さんとお話をしたときにわかったんですけど 新日本と全日本では指導方針が極端に違ったんですよ 全日本は受け身重視です 渕さんが言うのは、練習で毎回受け身を1000本取らされていたみたいですね ――全日本は受け身、新日本はスパーリング はい 新日本はスクワットや腕立てを1時間やったあとに延々とスパーリング それで最後に受け身を10本やって終わりです ――10本と1000本じゃだいぶ違いますね 全日本は逆にスパーリングはやってなかったと? してなかったみたいですね 必要だとも思わなかったみたいで 昔の全日本って馬場さんの考えのもと純粋なアメリカンプロレスをやっていたじゃないですか レスラーはアメリカ修行に行って、アメリカンスタイルをおぼえて帰ってくる 一方で新日本の場合は日本での下積みが長いですから そこでも猪木さんと馬場さんの方針は違いました おそらく猪木さんはあえてその違いを作ったんじゃないですかね ――それがいわゆるストロングスタイルですね セメントの強さはカール・ゴッチさんの時代からプロレスラーには求められていたそうなんですけど でもその強さだけではチャンピオンにはなれないし、 かといって強さがないとバカにされます プロレスラーはやっぱり闘いを見せてるわけじゃないですか 闘いを知らない人間が闘いをできのるかってことなんですよね ――当時の新日本ではセメントが強い人間は一目置かれていたわけですか? はい 藤原さんなんか上の人間はへんに触らなかったですね ――強さがないとナメられてしまって上のポジションで使ってもらえなそうですね 無理ですね 強くないとバカにされる世界ですから だから自分も強くならないといけないって思いました

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar597913

【総合格闘技が生まれた時代】船木誠勝「俺は真剣勝負がやりたかったわけじゃないんです」:Dropkick:『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) - ニコニコチャンネル:スポーツ

あの頃の自分は「強さ、強さ、強さ!」しか求めてなかったですね

――たとえば道場破りに遭遇したことはあったんですか? 道場には来なかったですね ただ地方巡業のときに何人か入門希望者が来たんですよ それで自分が2回やりましたね ――やったというのは? セメントです ――えっ、入門希望者と!? はい 山本小鉄さんから許しが出るんですよ 「気を使わなくておもいきりやっていいぞ!」って ――要はプロの厳しさを教えるというか…… それって何歳くらいのことですか? 17歳の頃ですね ――17歳の船木少年は、その小鉄さんの言葉をどう受け止めたんですか? 「いつも練習してる成果をやっと試せるな!」と うれしかったですね ――恐怖感はなかったんですか? 恐怖感なんてないですしホント楽しかったですよ あとドイツ遠征してるときにも同じようなことがあって オットー・ワンツというプロモーターのところに「プロレスラーになりたい」という柔道家がやって来たんですよ ワンツからすると日本人レスラーはみんなセメントができるという認識だったんでしょうね 「フナキ! 明日の朝、ちょっと来てくれ」と頼まれて スティーブ・ライトとミレ・ツルノの3人が駆り出されたんですよ ――名うてのレスラーたちと! あれは19歳の頃ですね そのときも「また試せるチャンスが来たな!」という感じでうれしかったですね ――ちなみにどんなルールで闘ったんですか? 打撃なしです 立った状態から組み合って、投げて転がして関節を極めて 「バリバリッ」って音が鳴るまでやりました 捻挫くらいはしたと思いますね ――17歳の少年がやることじゃないですよね でもそういう機会でもないと自分の力を試せないんですよ 道場で先輩とやるとどうしてもやられっ放しで 入門が1年違うだけでだいぶ力は違ってきますから ――それに同期入門とはいえ武藤(敬司)さんはだいぶ歳上でしたし柔道有段者でしたね 武藤さんは最初から強かったですよ 藤原さんとそんなに変わらないくらいの強さで ――新弟子の頃から!  入門したばかりなのに藤原さんに簡単には極められませんでしたから そうなると先輩レスラーも武藤さんに一目置くんですよね 「……アイツは強いぞ」と だから武藤さんがうらやましくて仕方なかったですね いちおう同期ですから「いいなあ。最初から強くて」って ――ハハハハハハハハハ! それに武藤さんは半年くらいでデビューして、その半年後には海外修行に出されてますから 自分と同じ新弟子だったんですけど、別格の存在でした エリートですよね ――船木さんはそうやって強さに傾倒していったんですね あの頃の自分は「強さ、強さ、強さ!」しか求めてなかったですね 強くなれば上に行けると

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打撃の必要性を感じていたんですよ

――船木さんが堀辺正史先生の骨法に熱心に通われていたのも強さのためですか? 骨法はですね 後楽園ホールの試合前に藤原さんとスパーリングをしていたんですけど 首投げをやらてて首を捻挫したんですよ そのまま試合を欠場したら、猪木さんが「いい整体の先生を知っている」と紹介してくれたんです ――それが堀辺先生だったんですか。 はい それで首を治すために2週間近く東中野の骨法に通っていたんですけど 「武術もやってるから見学をしていきませんか?」と誘われたんです そうしたらフルコンタクトで激しくやっていて あのときは第一次UWFが解散して新日本と業務提携してたじゃないですか 自分はUWFの若手だった安生(洋二)さんや中野(龍雄)さんとよく試合をやっていて 打撃の必要性を感じていたんですよ 立って殴る蹴る技術をおぼえたかったんですね ――ライガーさんも一緒に通ってましたよね? 船木 ライガーさんを誘ったのは俺なんです ひとりで行くのはつまらなかったので ――あ、巻き添えだったんですか 原付バイクに乗って毎日通いました まず新日本の道場で3時間練習 昼ごはんを食べたら15時には東中野に出発して それで骨法で16時から18時まで2時間やって食事休憩 19時から22時までまた骨法で練習 1日8時間もやってましたけど まだ18〜19歳の頃ですから 一晩寝れば体力は回復して 年齢的にはまだ高校生ですよ 高校の部活と一緒ですよ ――その頃の骨法には廣戸(聡一)さんと最上(晴朗)さんという指導員がいらしたんですよね? あ、そうです あのふたりが本当に強かったんですよ ――初期骨法はそのふたりが本当に凄かったという話を皆さんおっしゃるんですね それこそ道場破りじゃないですけど骨法に腕自慢が来ると最上さんが相手をするんですね 先生に「やれ」と命令されて ――船木さんはその現場にいらしたんですか? はい 最上さんはまったく容赦なく相手をボコボコにして ――うわあ、ホントに喧嘩芸だったんですね! さらに凄いのはボコボコにされた道場破りが翌日には骨法に入会してるんですよね ――倒した相手が仲間になるって漫画の世界ですよ そんなのが何人かいましたよ 腕に自信がある人間が何もできずに負けちゃうわけですから逆に尊敬しちゃうんでしょうね 自分もあのふたりがいたから骨法に通うことを決めたんですよね 見学したときにあのふたりがバシバシやりあってるのを見て「これを凄い!」と ――船木さんが海外修行に行ってるあいだにそのふたりは骨法をやめられて それで俺も通うのをやめたんですよ ――そうなんですか あのふたりがいなくなるとレベルがぜんぜん違ったんですよね

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UWF

船木は
新日本プロレスをやめて
前田日明の第2次UWFに参戦した

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