「赤ヘルの精密機械」と呼ばれ、沢村賞も2度獲得する名投手北別府学

北別府 学(きたべっぷ まなぶ)
北別府学の獲得タイトル・主な記録と表彰
最多勝:2回 (1982年、1986年)
最優秀防御率:1回 (1986年)
最高勝率:3回 (1985年、1986年、1991年) ※当時連盟表彰なし
MVP:1回 (1986年)
沢村賞:2回 (1982年、1986年)
最優秀投手:2回 (1982年、1986年)
ベストナイン:2回 (1982年、1986年)
ゴールデングラブ賞:1回 (1986年)
月間MVP:3回 (1982年5月、1986年9月、1992年4月)
野球殿堂入り(競技者表彰:2012年)
200勝:1992年7月16日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、先発登板で8回1失点 ※史上22人目
北別府学のプレースタイルはこれだ!

球界を代表する【精密機械】
1980年代の広島東洋カープは、山根、小林誠、大野、川口など堂々たるメンバーがいることから投手王国と呼ばれていた。その投手王国の主軸を担う北別府は、直球こそ、MAXで144km/h程度しか届かず、滅多には投げることはなかった。しかし、変化球が、スライダー、カーブ、シュート、スライダーと4種類あり、特にスライダーを内と外と、使い分ける投球術が素晴らしく上手かった。
あの名打者、ブーマー・ウェルズを完全に抑えれるのも針の穴を通すコンロトールがあったからだと思います。
コントロールの素晴らしさを語るに、ホームベースに置いた3個の空き缶を、わずか3球ですべて倒したり、引退後の広島コーチ時代にも、現役投手ですら、なかなか成し遂げれなかった筋肉番付という番組のストラックアウトに挑戦し、すべてパネルを倒すパーフェクトを成し遂げるほどのコントロールに絶対的な自信を持った選手だった。
北別府学の生い立ちからプロ入りまでのはなし・・・。
北別府学 - Wikipedia
広島東洋カープに入団し、プロに入ってから引退まで。
1年目の新人から、1軍で投げ、初勝利も1年目からあげる。2年目には、先発ローテ入り、3年目には、初の二けた勝利と、めきめきと力を付ける出世街道を走った選手である。
1988年まで、11年連続二けた勝利を達成し、そのうち、1982年には20勝を達成し、沢村賞も獲っている。
精密機械と言われる制球力はプロになってから身につけたもので、周りにいる投手のスピードに圧倒され、スピードでは叶わない。ならば、コントロールを磨こうと努力した賜物らしい。
1992年には、200勝投手を達成し、広島カープで初めての1億円プレイヤーになるまでの選手になったが、その後は、徐々に成績も残せず、1994年にセ・リーグで一番の本塁打を浴びる金田正一の記録を上回る380を記録したこの年に、現役を退いた。
引退後の精密機械は今、どうしてる?
北別府学 - Wikipedia

往年の対決!!掛布VS北別府
タレント活動に、解説と多忙な日々を過ごす北別府学!
2013年には、野球殿堂入りを果たし、テレビとラジオで、レギュラー番組を2本持つ人気ぶり、現役時代の寡黙なイメージから一転し、私生活や日常のことを語る北別府のタレント振りは人気が高いです。
ブログに関しても、現役選手の中に混じって20位以内に入るほど人気ぶりを博している。
現在は、あのホリプロに所属し、活動しています。
人気のブログはこんな感じで盛り上がっています。炎上した事件もアリ!
北別府学オフィシャルブログ Powered by Ameba
実は、こっちのブログも人気なんですよ。
北別府学の裏ブログ
こんなに北別府はみんなの話題の人です!人柄を伺えます。
カープを愛する。広島を愛する北別府ならではの著書。
カープを代表する名投手。北別府学は広島を愛し、広島に愛される人間です。
精密なコントロールも、才能や、センスで手に入れたものではないでしょう。努力の賜物以外になにものでもありません。
引退した今でも、これだけ人気なのは、北別府という人柄の素晴らしさでしょう。
そんな、北別府学の活躍をこれからも応援致します。