「怪人ブーマー」として来日!外国人初の3冠王を獲ったブーマー・ウェルズ!!

ブーマーの獲得タイトルと主な表彰と成績
首位打者:2回 (1984年、1989年)
本塁打王:1回 (1984年)
打点王:4回 (1984年、1987年、1989年、1992年)
最多勝利打点:1回 (1984年)
最多安打(当時連盟表彰なし):4回 (1984年 - 1986年、1989年) ※1994年より表彰
表彰
MVP:1回 (1984年)
ベストナイン:4回 (一塁手:1984年、1986年、1987年、1989年)
ゴールデングラブ賞:2回 (一塁手:1986年、1987年)
オールスターゲームMVP:2回 (1984年 第2戦、1988年 第1戦)
三冠王:1回(1984年)
シーズン満塁本塁打:4本(1987年、パ・リーグタイ記録)
シーズン勝利打点:21(1984年、パ・リーグ記録)
他にも、パ・リーグ記録は、通算打率や、5試合連続本塁打を2回記録していたり、数々の表彰と成績を残しています。
ブーマー・ウェルズのプレースタイルとは?

最高のアベレージヒッター
ブーマーのプレースタイルは、恵まれた体から想像すると、パワーヒッターのイメージが強いが、決してそうではなく、優れた選球眼と、柔らかく器用なバットコントロールで培う安打製造機の方が本質なスタイルです。
在籍10年で、通算打率.317はあの落合博光を超える成績で、右打者としては最高の成績を残すほどです。
ブーマー本人も、自分はアベレージヒッターと認めており、更に、日本のプロ野球に順応する能力、コーチの話をよく聞き入れることから、この成績を残すことが出来たのではないでしょうか。
守備もゴールデングラブ賞を2回も受賞するほど、素晴らしく、盟友、松永浩美とノック練習を受けるほど、練習熱心で、守備も上手な選手です。
ブーマーの生い立ちから、プロに入るまで
ブーマーは、アメリカ合衆国のアラバマ州に生まれ、恵まれた体から、飛びぬけた身体能力を持つ男性だった。
オールバニア州立大学では、フットボールの選手を目指して、1975年にはNFLドラフト16巡でニューヨーク・ジェッツに指名されるまでなりましたが、花開かず、NFL選手になれませんでした。
しかし、アマチュアのFA選手として、MLB傘下と契約を結び、1981年にトロント・ブルージェイズに入団。1年でわずか32試合しか出場せず、ミネソタ・ツインズに移籍、そこでも、わずか15試合の出場と花開かず、1983年に、日本プロ野球界に、怪人ブーマーが来日する運びになりました。
日本プロ野球に入り、猛特訓で日本の野球に溶け込んだ。

日本野球に慣れた末は・・・。

阪急ブレーブス全盛時のブーマー
1年目の公式戦では、全くといっていいほど、活躍できなかったブーマーは、打率こそ、.307と3割を超える成績を打ち出せたが、本塁打17本。場外ホームランなどは、0本の期待に応えれない成績で終わった。
しかし、日本の野球に慣れた2年目は、オフのトレーニングもしっかりと積み、打率.355、本塁打37本、打点においては130打点と、素晴らしい記録!外国人初の三冠王と、更にその年のMVPまで獲得し、大躍進を遂げました!
そして、名実と共に、ブーマーブームが巻き起こるのです。
怪人ブーマー!怪力ブーマー!の名を欲しいままに、37歳まで阪急ブレーブス、オリックスで活躍し、打点王に輝くこと、3度の強打者ぶりを発揮しました。

阪急ブレーブスが大好きな、ブーマーは阪急一筋でやってきたが、土井監督との食い違いで最後の1年、10年目はダイエーホークスでバットを振り回すこととなり、その最後の年も97打点で打点王に輝く、チャンスに強い所を見せながら、プロ生活を終えました。
0年間で、7年は3割以上。そのうち、.350以上を2回、40本塁打以上を3回、打点に置いては、100打点以上を5回も記録することとなる。
プロ引退後はアメリカと、日本の橋渡しとなる。
引退後は、外国人助っ人の専属コーチとなったり、野球代理人となり、アメリカとの太いパイプ役に徹している。日本ハムで大暴れした、ナイジェル・ウィルソンは、ブーマーが上田利治のために、日本ハムに送り込んだのだった。
2012年には、始球式を務め、ファンの前に、あの大きな体を見せてくれて、懐かしの阪急ブレーブスのユニホームを見ることとなった。
怪人ブーマーの真実
あの阪急の名投手、山田久志に言わせると、ブーマーは、常にタイトルを争う成績を叩き出していたが、彼ほど、チームのことを第一にする選手はいなかった。記録をねらって打てばもっと、すごい記録が出ていたであろうが、チャンスにホームランではなく、ライト方向へのヒットでつなげる野球。チームのために打てる選手だったと語る。
サインを書く際には、決して断ることはなく、自らのサインの下に、カタカナでブーマーと署名し、ファンサービスも長けた人物である。
なぜ、怪人と言われるかというと、ブーマーの癖で、ベンチで奇声を上げることが多かった。それに加え、あの巨漢とパワーぶりから、怪人ブーマーと呼ばれ、称されることとなる。
誰が何と言おうと、ブーマー・ウェルズが最強の助っ人外国人だ!!
今までの選手で、誰が一番?とかよくある話題ですよね。そんな中に、やはりブーマーの名は出てくるのです。
こんなおちゃめな姿も見せてくれていましたよ。
ブーマー・ウェルズという打者を振り返って
ブーマーは、決して裕福ではなく、マイナー時代もハンバーガーばかり食べて、空腹を凌いでいました。ハングリー精神が高く、阪急時代も、1日2000円のお金でやってきたそうです。
そんな、強い精神力から、あの大記録。大打者へと成長したのかもしれませんね。
そして、みんなから愛されるブームを起こしたのかもしれません。
ファミスタでも、ブーマーは最強でした。