酒井法子  私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。

酒井法子 私を「あたピ」「あたくピ」「わたピ」「わたくピ」などというのりピー語でアイドル界を席巻。そしてドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としてもブレイク。

松田聖子に憧れ、中学卒業前にオーディションを受けて福岡県から上京。16歳でレコードデビューし、のりピー語で大ブレイク。ドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としても本格的デビュー。


部活を頑張りすぎてまったく勉強をしなかった酒井法子は、

ソフトボール推薦で高校に行く
中学生になって初めて美容室を経験し、素敵だと思った美容師の専門学校に行く

という2つの進路を考えていた。
そんなとき「レモン」というファッション雑誌を読んでいると「 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」の記事を発見。
資生堂のシャンプーのイメージガールのオーディションで、優勝すればサンミュージックに所属し、ビクターからレコードデビューすると書かれてあった。
「サンミュージックといえば松田聖子が所属する事務所だ!」
地元福岡で九州地区予選があり、酒井法子は友人を誘って2人で応募。
応募自体、初めての経験で、学校の休み時間に屋上に向かう階段で制服姿で写真を撮り合って、履歴書を添えて送った。
このことは友人と2人だけの秘密にし、親にも内緒にした。
書類選考を通過し地区予選への出場案内が送られてきたのは酒井法子だけだった。
オーディション当日、学校が終わった後、家で着替えて出ていくとき、お母さんに見つかり、
「どこ行くの?」
と聞かれ、すべて打ち明けると
「夕飯までに帰っといで」

酒井法子は、家から自転車で10分ほど走って九州朝日放送へ。
オーディション会場は、ピアノが置かれた小ホールで、舞台の上に数十人の女子が集まった。
審査員から
「君はいままで何度くらいオーディションを受けてるの?」
と聞かれ
「初めてです」
と答えると
「ウソいわなくていいんだよ。
調べればすぐにわかるんだから」
酒井法子は、なぜ疑われるかわからなかった。
質問が終わると、そのまま舞台で歌の審査が始まった。
酒井法子は、カラオケテープを買って練習してきた志村香の「曇り、のち晴れ」を歌った。
人前で歌うのは生まれて初めてで、とても恥ずかしく緊張し、うまく歌えず、他にプロのようにうまい人が何人もいたため、
(これはダメだな)
とあきらめていたが、全国大会進出が決定。
保護者の承諾が必要ということで、ビクターの幹部と放送局のスタッフと一緒に自宅へ帰り、
「歌は最下位だけど光るものがあった」
と説明を受けたお母さんは、
「東京に行く口実ができた」
と喜んだ。
こうして酒井法子は、九州地区代表となったものの
「歌がひどい」
が審査員一致の見解で、放送局に紹介された歌の先生の所に通って練習した。

1985年10月26日、東京都中野区にある中野サンプラザでオーディションの全国大会が開かれ、北海道から九州まで各地区の代表が12人集まり、その模様は、テレビ中継されたが、幸か不幸か福岡では放送されなかった。
司会進行は、コント赤信号と桑田靖子。
ピンクのドレスとレースの手袋をつけた酒井法子は、前イメージガールの早見優を間近でみて
「なんてかわいいひとなんだ」
としばらく見惚れてしまった。
質疑応答、水着、歌、特技と審査があって、「曇り、のち晴れ」は、ビクターの審査員から
「相当練習してきたでしょう」
といわれた。
特技は菊池桃子のモノマネをする予定だったが、他の女の子が先にやることがわかり、「落語」に変更。
埼玉の家で聞いた落語テープを思い出し、座布団を敷き、羽織を着て座り「寿限無」の
「母ちゃん、痛い痛い」
というセリフを
「母ちゃん、痛か痛か」
に換えた。
しかし全国応募総数54,129名、「 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」のグランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子が選ばれ、酒井法子は落選。
夜、オーディションをずっとみていたお母さんと焼き肉を食べ、翌日、一緒に原宿竹下通りにいって、飛行機の時間ギリギリまで遊んだ。
福岡に戻るとソフトボール推薦を受けられる時期は過ぎてしまったため、普通受験に向けて勉強をしなくてはならなかった。

オーディションから1週間後、東京から電話がかかってきた。
サンミュージックの相沢秀禎社長の長男でプロモート事業部長の正久は、
「『BOMB!』の編集長と相談して、今までなかった新しい賞を特別につくって、君にあげることになったよ」
といわれ、酒井法子は「BOMB!賞」を受賞した。
「彼女の才能を試してみたい」
と思い、急遽、賞をつくった相沢正久事業部長は、その後も
「頑張ってみる気あるの?」
「普段は何やってるの?」
などと何度も電話し、最終的に
「何も約束できないし、仕事も何も決まっていないけど、それでも東京に出てくる気はあるかい?」
とスカウト。
誘われた酒井法子は、すぐに
「はいっ」
といい、すぐに受話器をお母さんに渡した。
その後、電話と郵便で手続きが進められた。
パパは、東京から送られてきた書類をみて
「事務所との契約は10年間もある。
いま14歳だから24歳まで辞められない。
これだけ長く拘束されるのは大変だぞ。
辞めたくなっても辞められんぞ。
それでもええのか」
「最高じゃん。
長く雇ってもらえるなんて、むしろありがたい。
絶対やりたい」

酒井法子は、鹿児島への修学旅行で、学校指定のブラウスと異なるシャツを着ていって怒られて着替えさせられ、西郷隆盛の銅像の前で撮った記念写真はジャージ姿で収まった。
そしてサンミュージックと契約を結んで1ヵ月も経たないうちに最初の仕事(テレビドラマ出演)が決まり、中学卒業を待たずに12月8日に上京。
高校卒業までは社長宅に下宿させるのが事務所の方針だったが、3つの下宿部屋が埋まっていたため、社長宅から徒歩で3分のアパートの2DKの部屋で社長宅のお手伝いさんと2人で暮らすことになった。
アパートには勉強机が置かれた自分の部屋があり、食事は社長宅にいって6人掛けのテーブルに社長夫婦や先輩タレントと並んで座り、お手伝いさんがつくった大皿のおかず、ご飯、みそ汁を食べた。
夕食後はお風呂に入り、お手伝いさんはまだ仕事があるため、1人で賑やかな社長宅を出てトボトボとアパートへ。
1人きりの部屋でホームシックで泣いたこともあった。
朝起きると、社長宅にいき、シャワーを浴び、食事をしてからバスに乗って中学校に通った。


最初の仕事は、渡辺徹&明石家さんま主演の人情コメディーテレビドラマ「春風一番!」
梅宮辰夫、菅井きん、松原智恵子、大場久美子、松本伊代、大西結花らとも共演して感動。
渡辺徹に
「下手でもいいからおなかの底から声を出して」
と教えてもらった人生初のセリフは
「トイレ、トイレ」
芝居経験ゼロの酒井法子は、何度もやり直しとダメ出しをもらい、何度も逃げ出したい気持ちになった。
「春風一番!」は、1985年年末から収録に参加し、1986年1月11日~3月29日まで全12話放送されたが、学校に通いながらの撮影に現場でうたた寝をしてしまい、叩き起こされて怒られたこともあった。

春になると先輩タレントが高校を卒業し、酒井法子は、社長宅の6畳の部屋に引っ越し。
そして堀越高校に入学し、通勤ラッシュを満員電車を初体験。
背の低い酒井法子は人と人の間に挟まれて知らない人の背中をみながら息をして、
「東京で生きるのは大変だ」
と思った。
堀越高校芸能コースは、仕事と勉強の両立を目指し、仕事があるときは早退や欠席を認める一方、教師が放課後、居残り授業を行うこともあった。
テストは普通に行われるため、酒井法子は徹夜で勉強したこともあった。
ちなみに堀越学園高等部芸能コースの同級生には、西村知美、工藤夕貴、渡辺美奈代、斉藤満喜子などがいた。

サンミュージックの事務所は、5階が1軍のアイドルやタレント、4階は2軍となっていた。
4階所属の酒井法子は、5階を目指し、学校が終わった後、週数回、サンミュージックの事務所で、芝居、歌、踊りのレッスンを受け、家に帰ると縄跳びをして、腹筋と背筋の筋力トレーニング。
そして風呂では何曲かメドレーを歌った。
「アイドルという夢が叶いかけている。
そう思うだけで気持ちがいっぱいになった。
どうしたらデビューさせてもらえるか、どうしたらもっと魅力的になれるか、そのことばかり必死に考えていた」
サンミュージックはデビューに向けて準備を進め、酒井法子は芸名を持つことに憧れていたが、
「親が付けた名前が1番強い」
ということで本名でいくことが決定。
中学のソフトボール時代、
「うれピー」
「たのピー」
など
「ピー」
をつけて話すことが流行り、それからもずっと話していたため、ニックネームは
「のりピー」
になった。

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地味な本名を名乗ることも、のりピーというニックネームも、ずっと憧れていたアイドル、松田聖子のイメージと
「かけ離れている」
と思った酒井法子だったが、さらにそういった正統派のアイドルが歌や容姿など直球で勝負するのに対し、変化球を投げることを求められた。
アイドルの王道とは違う変化球を1つ1つ投げ込んでいくことで存在感を出すというのがサンミュージックの戦略で、酒井法子は斬新で突拍子のないアイデアを実践していった。
一方、福岡の両親は、山梨県の母親の実家の近くに引っ越し。
父親は、酒井法子の仕事に影響を与えないよう、昔の稼業から引退し、母親の親戚の商売を手伝った。

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1986年11月、映像ソフト「YUPPIE」が発売。
エイリアンハンターが怪獣をやっつけるという特撮ものだったが、何か異色で前例のない方法で酒井法子の売り出しが模索していてサンミュージックは、世界初のVHD(日本ビクターが開発したレコード盤形状のビデオディスク規格)で発売。
1987年2月5日、歌詞に「ピー」「ピー」を多用した
「男のコになりたい」
でレコードデビュー。
9日後、16歳の誕生日に後楽園ホールでファンの集いを開催。
普段、ボクシングやプロレスが行われる会場で、スタッフに騎馬戦のように担がれて入場。
「ファンなんて多くいないだろうと思っていたのに、会場がいっぱいになるほど人があふれていて、親衛隊のような人たちにも初めて会った」
という酒井法子は、白いミニドレス姿でリングに上がり、デビュー曲を歌った。
「デビュー前にインタビューしたとき、一目見て『この子は売れるな』と直感しましたよ。
アイドルファンは自分に向けられた笑顔がつくり笑いかどうか感覚的にわかってしまうものですが、彼女の笑顔は本物なんです。
だから酒井さんのファンは異常なまでに熱心で、他のアイドルのファンとは全然違っていた。
すごく明るいのに、一瞬どこかに影が見えるのも独特の魅力で、そこには生い立ちも関係しているのだと思います」
(アイドル評論家、中森明夫)

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