猿岩石のヒッチハイク旅 アジア終了!ヨーロッパ突入!!ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア!!!

猿岩石のヒッチハイク旅 アジア終了!ヨーロッパ突入!!ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア!!!

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてゴールのイギリスまで。野宿、絶食当たり前。推定移動距離3万5000km。推定到達期間6ヵ月。「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。


1996年4月13日、若手お笑い芸人、猿岩石(有吉弘行と森脇和成)は、目隠しとヘッドフォンをつけられ、
「だまされて」
香港へ連れていかれた。
これが初海外という2人は、いきなり企画を聞かされ、ロンドンまで推定移動距離3万5000km、推定到達期間6ヵ月という「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅」がいきなりスタート。
ルールは

・旅のご予算は、10万円(番組から支給され、それ以外のお金は持っていけない)
・移動は徒歩かヒッチハイクのみ(お金を払って乗り物を利用するのは禁止)
・旅の道中、猿岩石の2人に1人のスタッフが同行し撮影するので3名で移動するが、スタッフは一切、手助けはしない。

2人は香港のタイムズスクエア前で、
「To LONDON」
と書いた紙を掲げ、そのまんま東に
「こんなモンで(車が)捕まるか」
とツッコまれながら、白いワンボックスカーをGET。
2人は押し込まれるように車に乗ったが、それはヒッチハイカーというより拉致される日本人観光客。
工事現場からの帰りというポールが運転する車は、香港島から海底トンネルを抜け、香港本土、つまりユーラシア大陸に突入。
しかしポールは
「ゴメン。
オフィスに行かなければならない」
といって、2人をタイムズスクエアからたった4㎞の地点で降ろした。

「ホテルは高い」
猿岩石は、海がみえる九龍公園を彷徨い、高さ数十cmの塀(段差)に囲まれた場所を発見。
寝袋など持っておらず、コンクリートの地面の上に寝転び、ジャケットを掛布団にして寝た。
この後、約半年間、基本的に野宿が続いたが、新しい場所に移動したら寝床の確保は最優先事項で、昼間のうちに野宿する場所を探すのは鉄則となり、
「野宿ポイント」
「野宿ポイント探し」
という言葉が用語化。
海外では公衆トイレが有料だったり、夜、閉まることもあり、
「野糞ポイント」
「野糞ポイント探し」
も同時に行われた。

2日目、ヒッチハイクを開始。
ロンドンまで行くためには、まず中国に入らなければならず、停まってくれた車にかけよって
「広州、広州、チャイナ」
と声をかけるが、乗せてくれる人はなかなかいない。
2時間後、ようやくGETした車に乗って約30㎞、国境にある中国出入国管理事務所に到着。
「いよいよ中国突入だ」
と思いきや、職員に
『Do You Have Chinese Visa(中国のビザはありますか)?』
といわれ、2人は初めて知った。
「国境を越えるためにはビザというやつが必要らしい」
そして乗せてきてもらった車でビザを申請する入境事務局がある九龍に逆戻りし、親切なドライバーにお礼をいってお別れ。
その足で入境事務局に行くも、日曜日のために休み。
仕方なくマクドナルドをテイクアウトして、九龍公園の小さな塀に囲まれた場所に戻って、野宿。

3日目、入境事務局にいって必要事項を書き込んでビザを申請。
費用は2人合わせて1650香港ドル(2万1500円)。
女性スタッフに
『発行できるのは18日になります』
といわれ、発行が3日後と知った2人は、九龍公園の同じ場所に戻って、野宿。
4日目、5日目と昼間はボーッと過ごし、夜は野宿。
6日目、入境事務局にいき、
『This is Chinese Visa』
と女性スタッフからビザが貼られたパスポートを受け取った。
意気揚々と
「To CHINA」
と書いた紙を掲げて4日ぶりにヒッチハイクを再開。
1時間後、中国の親せきの家に行くという車をGET。
九龍から2度目の国境へ行き、ビザを持って中国出入国管理事務所に入ると30分ほどで審査完了。
2ヵ国目、中国へ突入した。

7日目に中国に入国し、ベトナム国境手前にたどり着いたのが16日目。
この間の移動は、数台のトラックを乗り継いで、荷台で過ごした。
旅を通じて座席に乗せてもらえることも稀にあったが、圧倒的にトラックの荷台が多く、そこで数時間過ごすわけだが、最長記録は21時間。
最初は尻が痛くて仕方なかったが、自然と鍛えられてなんともなくなった。
この時点で、番組から渡された10万円は、

食費 24000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 2000円

と合計85500円を使い、残りは14500円になっていた。

21日目、ベトナムの首都、ハノイに到着。
さっそくラオス領事館にいって、
「アイ・ワン・トゥー・ビザ。
トゥー・ラオス」
とビザを申請し
『1人、36ドルです』
といわれ
「はい?」
と日本語で驚いた。
2人分のビザ代、7800円を支払い、残金は700円。
しかも
『今日は金曜日ですから、月曜日に取りに来てください』
とビザ発行は3日後といわれ、領事館を出た2人は歩きながら
「いよいよだな」
「どうしよう」
「水とるか、メシとるかだな」
「水だろう」
と相談。
結局、断食&野宿でビザの発行を待つことにして公園に移動。
1日中、身動きもせずジッと耐え、ひたすら寝て
「オバさんを襲うか、万引きするか」
といけないことも頭によぎらせながら断食&野宿3連泊。

こうして生まれてはじめて無一文と飲まず食わずを経験することになった2人だが、
「所詮はテレビの企画。
最悪、スタッフが助けてくれる」
と思っていた。
しかし同行スタッフが目の前で缶コーラをおいしそうに飲み、余りを捨てるのをみて覚悟を決めた。
旅の間、同行スタッフは、2人がどんなに貧乏になっても、飢餓状態になっても、バンバン肉や米を食べ、酒やジュースを飲み、余ると足で踏んで食べられないようにした。
そしてペットボトルの水を飲みながら、
『あんまり水(水道水)は飲むなよ』
とアドバイス。
有吉が
「じゃあ、くれよ、それっ」
というと
『ダメ。
買えよ、自分で』
「金ねぇんだよ!」

結局、水問題と下痢問題は、ロンドンまで続いた。
「水って結構大変だなって思って。
ヒッチハイクで海外に190日いたけど、100日以上下痢。
海外行って水飲んでないのに何で腹壊すんだよって思ったら、(現地の水で)食べ物サ洗うでしょ。
それだけで壊す。
その国の水が汚いとかじゃなくて、合わないんだよね、体に」
そして野宿が基本の2人は、自然と「野糞慣れ」もした。
出した後は、手で拭くことも多く、森脇は左手で拭いて右手で食べるようにしたが、有吉は、右手で拭いて右手で食べた。
ありとあらゆる場所でできるようになった2人だが、それでも森脇よりもお腹が弱い有吉は、よく下痢になって「寝てる間も起きてる間も」漏らすことがあった。
やがて「漏らし慣れ」までしてしまい、文字通り屁でもなくなったが、まったく食えないときもあったので
「ウンコが出るだけマシ」
と思っていた。

2人から
「悪魔の大王」
と恐れられた同行スタッフだが、ある意味、猿岩石よりもひっ迫していた。
もし襲わるなら、お金がない猿岩石より、ちゃんとした身なりをしてカメラを持っている自分。
ヒッチハイクで新しい車に乗る度に緊張し、走行中も、ちゃんと目的地に向かっているかなど常に警戒。
夜は、電気がとれる場所に泊まって充電し、その日撮った映像から、必要な部分を抜き出す編集作業。
編集した映像は、どこの町からでも送れるわけではなく、ある程度ためて大きな町から発送した。
それが日本に着くのには数日かかり、さらに編集されて放送されるのに数日かかった。
「進め!電波少年」の放送時間は、日曜 22時30分 ~22時55分。
毎週、25分の間に数本のVTRが放送され、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は、その中の1コーナーとして

5月24日、30日      
6月3日、6日、14日、24日、30日
7月3日、18日、19日、25日、31日
8月5日、7日、9日、15日、19日、22日、29日      
9月2日、10日、17日、25日  
10月1日、11日、18日  

と26回、放送。
最初は3~4分だったが、人気が出てくると10分、15分と増えていき、看板コーナーとなって番組の視聴率アップに貢献した。

有吉弘行と森脇和成は、

25日目、4ヵ国目、ラオス入国
29日目、5ヵ国目、タイ入国
41日目、6ヵ国目、ミャンマー入国
46日目、7ヵ国目、インド入国
64日目、手違いで8ヵ国目、ネパール入国
69日目、インドに再入国
80日目、首都、デリーに到着
89日目、9ヵ国目、パキスタン入国
98日目、10ヵ国目、イラン入国
116日目、11ヵ国目、トルコ入国

そして122日目、8月12日、マルワラ海に面する街、ヤロバから船でイスタンブールを目指した。

イスタンブールは、トルコの西端に位置し、アジアとヨーロッパへの起点となっている最大の商業文化都市。
船に揺られて4時間、18時にイスタンブールに着岸した有吉弘行と森脇和成は、
「サンキュー」
と船長にお礼をいって別れ、野宿ポイントを探し、海沿いの公園で野宿。
翌日、124日目の朝、待ちに待った救援物資を受取りに行った。
さかのぼること6日前、トルコの首都、アンカラに到着した2人は、ブルガリアのビザをとるためにブルガリア大使館を訪ねたが、、
『1人、550万トルコリラ(7300円)です』
といわれ、無一文だったために撤退し、
「50万!
どんな額だよ!」
(森脇)
「とんでもないよ」
(有吉)
と驚いた。

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日本の松本明子は、2人に救援物資を送るために奔走。
狙ったのは「ウェーブハンド」というスポンジ製の大きな手。
いわゆる応援グッズだが、木村拓哉が
「これ、コンサートに持ってきて」
といったものの、後ろの人の迷惑になることがわかると発言撤回。
使用禁止になった「ウェーブハンド」は、5万個のキャンセルが出た。
その情報をキャッチした松本明子は、
「タダでもらえるかもしれない」
と東京都中央区日本橋の(株)丸惣を訪ねた。
2500万円ともいわれる損害を被った社長は、
「150?
いいですよ」
と快諾。
松本明子は、150枚(定価1380円×150枚=207,000円相当)を無料でもらい、救援物資を確保。
番組収録中に猿岩石と電話でつながると
「救援物資送っといたから・・・
どこに送ったらいいかわかんなかったんで、一応、トルコのイスタンブールに送ったから・・」
それを聞いた有吉弘行は、
「やったー」
と蚊の鳴くような声でいい、壁に顔をうずめた。

そしてアンカラ から直線距離で350km離れたイスタンブール に到着した2人は、
「デッケェ!」
と驚きながら救援物資の入った箱を受け取り、3日間、街頭でウェーブハンドを販売。
150枚を売り切ったが、ビザ代には少し足りない。
するとお客さんが、レストランのアルバイトを紹介してくれた。
制服に着替え、最初の仕事は、開店前の店内の掃除で、有吉は窓拭き、森脇はモップがけを担当。
夜、店が始まると、最初は食器の後かたづけを行い、慣れてくると料理を運んだりする仕事もさせてもらえるようになった。
「日本人?」
客に聞かれ
「ハイ」
と答えると胸ポケットにチップを入れてもらった。
「いくらだよ?」
(森脇)
「ヤッター」
(有吉)
バックヤードで中身を確認して歓喜。
まかないつきで美味しいご飯をタダで食べさせてもらった上、チップでジュースを買った。
救援物資を売ったお金とアルバイト代を合わせて1,500万トルコリラ(21500円)となった。

128日目、イスタンブール滞在4日目、8月18日、ブルガリア大使館に行き、1100トルコリラ(14600円)を支払い、1時間後、見事、ビザ取得。
早速、
「BULGARISTAN」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク開始。
成功すればアジア最後のヒッチハイクとなるが大苦戦。
3時間後にやっと1台の小型トラックをGET。
トラックは4時間走って国境に到着。
車を停めた運転手は、荷台の2人にいった。
「TURKEY is Finish.
(トルコはここで終わりだよ)」
トルコ人の運転手にとっては母国の端。
そして2人にとってはアジアとヨーロッパの境目。
「サンキュー」
運転手と両手で握手をしながら頭を下げた。
そして国境ゲートへ向かい、手続きを終えた後、歩いてヨーロッパ大陸に突入した。

ブルガリアといえばヨーグルト。
(そして大相撲の琴欧州!)
ブルガリアの気候、風土がヨーグルト菌に適して自然とできたという。
牛乳からつくられるのが一般的だが、羊乳や両方を混ぜてつくられるヨーグルトもあり、そのまま食べたり、ドレッシングとしてサラダにかけたり、野菜やナッツを入れた冷製スープ「タラトル」やパイ生地にチーズや野菜と一緒に入れて焼く「パニツァ」にしたり、食べ方は多種多様。
毎日、ヨーグルトを食べ、年間消費量30kg(日本人は5、6kg)というブルガリアは長寿が多い。
国土面積は、日本の1/3(11.1㎞²)
北はルーマニアとの国境をなすドナウ川、南はギリシャとトルコ、、東部は黒海、西はセルビアとマケドニア。
首都は、ソフィア。

128日目、12ヵ国目、ブルガリア入国。
旅はついにヨーロッパに突入。
「来たね!」
2人は喜んだが、夢だったヨーロッパは、暑くて苦しかったアジアよりも、ある意味、厳しかった。
まずヒッチハイクをしても車がまったく停まってくれない。
結局、この日は車が捕まらず、2人は、人の冷たさを感じながら、ベンチでヨーロッパ初野宿。
すると次に空気の冷たさが襲ってきた。
「寒いなあ。
今日1日メシも食ってねえし、明日も食えねえし、ピンチだな」
(森脇)
しかし翌日、1台の乗用車のヒッチハイクに成功。
国境から6時間、400㎞走って、一気に首都、ソフィアへ。
「ありがとうございました」
(森脇)
「サンキューベリマッチ」
(有吉)
頭を下げながら運転手と握手した後、国立劇場の入り口で野宿。
朝起きると気温は15℃。
「寒ぅーっ!」
森脇がベンチの上で凍えていると、片手にパンツを持った有吉が戻ってきた。
「ヨーロッパはノグソポイントがないよぉ。
漏らしちゃった」
「靴下は?」
「靴下で拭いた」
そして次なる国、ルーマニアのビザを申請するためにルーマニア大使館へ。
料金は2人で3000レバ(1500円)
所持金は2800レバ。
「またか・・・」
と思ったが、大使館員が200レバまけてくれた。

「サービスしてもらっちゃった」
得した2人は、早速、
「ROMANIA」
と書いた紙を掲げ、ルーマニアとの国境を目指してヒッチハイクを開始。
しかし4時間たっても車が停まってくれない。
「停まんないなあ」
(有吉)
「パキスタンとかの方が楽だよ」
(森脇)
これまでのアジアの国々は、アジアは暑くて苦しかった。
整備が整っていない危ない道や、露骨に金をせびられることもあったが、食事をオゴってくれたり、泊めてくれたり、服を買ってもらったり、優しい人も多かった。
それに比べヨーロッパは気温と共に人の冷たさを感じた。
7時間たっても車が捕まらないために場所を移動し、再びヒッチハイクしていると1人の男性が声をかけてきた。
『国境まではバスで行ったほうがいいよ』
しかし有料交通機関の利用はルール違反。
「ノー。
オンリー・ヒッチハイク」
事情を理解した男性は、知り合いのバス会社の人に頼んでくれるという。
2人は近くのバスターミナルに案内され、バス会社の人を紹介された。
バス会社の人は、親切にも空席がないか調べるために事務所へ消えた。
待つこと30分。
バス会社の人が帰ってきて
『国境へ行くバスは、あいにく今日は満席でした。
でも明日、17時にもう1度来てください』
「サンキューベリマッチ」
「やった」

2人は、国立劇場に戻り、所持金ゼロのため、空腹のまま野宿。
翌日、食べるものもすることもなく公園に座ってただボーっと過ごし、16時半になると
「行くか」
「行こうか」
と立ち上がった。
「あの人、いないのかなあ」
(有吉)
「あっ、手あげてる!」
(森脇)
バスターミナルに行くとバス会社の人が待っていて手を挙げてくれた。
喜んで近づいていくとフライドポテトを持っていた。
「いいもん食ってる。
めちゃくちゃうまそうだ」
『食べますか?』
「いいの?!」
速攻で手を伸ばし、目を閉じながら食べた。
「やった」
「ウメぇ」
ポテトで喜んだものの、この日も国境行きのバスは満席。

しかしバス会社の人は、その50km手前のビヤーラまで行くバスの席を確保してくれていた。
こうしてバスのヒッチハイクに初成功。
タダでテレビ付き、クーラー付きのデラックスで豪華な長距離バスに乗りこみ、バス会社の人にタダでコーラまでもらって2人は大興奮。
ところが瓶に入ったコーラは栓が開いていなかった。
「どうやって開けるんだろ」
森脇がいうと、有吉は瓶をくわえて歯で開けた。
「お前、スゲェーなあ」
「ノドが渇いてれば何でもできる」
「ゴメン、俺のもやって」
こちらも難なくオープン。
おかしくて笑いの止まらない有吉に森脇は、
「静かに、シィーッ!」
と注意。
旅が始まって以来の最高の乗り物は、5時間走って、ソフィアから東北東に250km、ビヤーラに到着した。

131日目、8月21日、バスを降りて、ビヤーラに到着した2人は、近くの公園で野宿。
翌朝、森脇が
「PYCE」
と掲げてヒッチハイク開始。
目指すは国境の町、ルセ。
そして無一文で腹ペコだったので、
「Someting Job?
(なにか仕事をください)」
と書いた紙を有吉が掲げた。
なかなか車は停まってくれず、4時間後、やっと1台の乗用車が自分たちを取りすぎた後、ゆっくり路肩に停車。
それを首を回して目で追っていた2人は猛ダッシュ。
「ノー・マネー、OK」
助手席の女性に
『OK』
といわれると
「ちょっと・・・」
といってダッシュで荷物を取りにいった。

乗せてくれたのは国境手前の村で農家を営むお父さんとその娘さん。
猿岩石の2人は2日間働かせてもらえることになった。
家に着くとお母さんから歓迎を受け、早速、張り切ってアルバイト開始。
カートを引きながら30分歩いて畑に移動。
カラカラに乾いたヒマワリの花をもいで、シートの上で種を叩き落として集めるという作業。
さらにスイカやウリも収穫し、それらをカートに乗せたり背負ったりして
「ハァーッ」
(森脇)
「ヒェーッ」
(有吉)
と息を上げながらあぜ道を戻って、17時、この日の仕事が終了。
重労働で汗だらけの顔を水道で洗った後、屋外のテーブルで一家と一緒に食事をごちそうになった。
3日ぶりにまともな栄養補給をした後は、10日ぶりに室内で就寝。
翌日は家畜舎の清掃、牛の乳しぼり。
タンクの中で発酵させたプラムをバケツに移して運搬し、蒸留機に3時間入れるとプラム酒が完成。
初めての乳しぼりや酒造りは、仕事というより社会科見学。
こうして2日目も忙しく過ごした。

3日目の朝、出発。
アルバイト代、1000レバと
『途中で食べて』
と野菜をいただき、さらに国境の街、ルセまで車で送ってもらった。
「ヒッチハイク、1回得!」
国境ゲートを徒歩で通過し、そのままヨーロッパで2番目に長い大河、ドナウ川にかかる橋を歩いて渡った。
橋の中央が国境線で
「僕ブルガリア」
「僕ルーマニア」
といいながら、それをまたいで握手し
「キャイ~ンみたいだ」
といって笑った。

こうして134日目、8月24日、4kmほど歩いて、13ヵ国目、ルーマニアに入国。
ルーマニアといえば「ドラキュラ」
ドラキュラのモデルとなったヴラド3世の居城「ブラン城」や埋葬されている墓は観光スポットとなっている。
ヴラド2世(ヴラド3世の父親)は、ハンガリーと十字架を守り、その敵と戦うためにハンガリー王ジギスムントとその妃、バルバラ・ツェリスカが創設したドラゴン騎士団の21名が団員の1人。
ルーマニア南部、ワラキアを治め、オスマン帝国の進出を防ぐために戦っていたヴラド3世は、「ドラクル(竜公)」と呼ばれた。
「ドラキュラ(Dracula)」は、竜公の子という意味である。
オスマン帝国との戦いに敗れたヴラド2世は、次男のヴラド3世と三男を人質として差し出した。
父親と兄が暗殺され、又従兄弟がワラキア公となると、ヴラド3世は、オスマン帝国の助けを借りて又従兄弟を排除し、ワラキアの大貴族を粛清。
又従兄弟の息子が侵攻してくると返り討ちにして捕え、自身の死刑宣言文を読ませた上、墓穴を掘らせた後に斬首。
金を払うことで結んでいたオスマン帝国との同盟関係は、金額を引き上げられたことで拒否。
説得するために送られてきたオスマン帝国の使者を、生きたまま串刺し刑。
攻めてきたオスマン帝国の大軍には、ゲリラ戦で抵抗。
首都の城を囲んだオスマン帝国軍に夜襲をかけ、2万人を殺害し串刺し。
串刺しになった兵士の林をみて敵将は撤退を決めた。
ヴラド3世の居城、ブラン城には、執務室や地下牢、拷問器具が展示され、「ドラキュラ城」と呼ばれている。

ルーマニアには、恐るべき統治者が多い。
1989年までルーマニアを支配した独裁者、チャウシェスク大統領は、秘密警察による大規模で冷酷な監視と抑圧で報道機関も統制し、国民を従わせた。
労働力(人口)を増やすために女性の避妊と中絶を禁止。
子供がいない若い男女には課税、5人以上産んだ女性は援助を、10人以上産めば勲章を授けた。
対外債務が増大すると農作物や工業製品の輸出量を増やすよう指示し、国内は配給制となり、水、食料、油、電気、医薬品などが慢性的に不足し、国民の生活水準はみるみる低下。
一方、首都、ブカレストでは、「国民の館」の建設が昼夜を問わず工事が進められた。
地上10階、地下4階、部屋数3000以上、延床面積は60万m²。
政府系建築物としてアメリカのペンタゴン、タイの国会議事堂に次ぐ世界3位の大きさ。
内装は、金箔で覆われた壁や一面大理石の床、彫刻飾り、50以上の純クリスタルのシャンデリアなど豪華絢爛で建築費用は1500億円以上といわれている。
牧師の立ち退き命令に対する抗議運動をきっかけに、国民の暴動、革命運動に発展。
軍や治安部隊による鎮圧、発砲による死傷者を出しながらも国民の運動は全国に拡大。
結局、チャウシェスクはヘリコプターで逃亡したが、捕えられ、銃殺刑に処せられた。


「金換えようぜ」
とまずはアルバイト代をルーマニアのお金に換金しようとした。
トルコに持っていけば約35万トルコリラにはなるほどの額だったので
「いくらになるのかな」
と楽しみだったが
『ブルガリアのお金は換金できません』
といわれてしまった。
「えっ、じゃあ、どうすんの?」
森脇は、2日分のバイト代が紙切れになったと思ったが、有吉は
「またブルガリアに行ったとき使えるわ」
と前向き発言。

翌日、アルバイト代が換金できず、無一文の2人は、国境から1台のトラックのヒッチハイクに成功。
荷台に乗せてもらうとスイカでいっぱいで、国境から50㎞移動し、首都、ブカレストに着くと、お礼に、それを降ろす手伝いをした。
すると運転手は、別れ際に1個プレゼントしてくれた。
野宿ポイントを探し、公園の銅像の台座に腰を下ろし、ブルガリアの農家でもらった野菜で夕食。
「うまい」
明日も残りの野菜で食いつなぐつもりだったが、翌朝、起きてみると野菜もスイカもすべて盗まれていた。
「抱えて寝りゃよかったよ」
(有吉)
「絶対大丈夫だと思ってた」
(森脇)
無一文の上に食べるものもなくなったが、気を取り直してハンガリー大使館へ。
カメラを持った同行スタッフは、大使館は撮影禁止といわれ、外で待っていると、2人は15分後に出てきて、
「80ドルです」
と報告。
次なる国、ハンガリーのビザ料金は、なんと2人で160ドル(17600円)
「最高じゃねーか、今までで?」
(森脇)
これまでのビザの最高額、パキスタンからイランへの3,500ルピー(12000円)を更新。
2人は灰になった。

猿岩石は、ヨーロッパに入って寒さと人の冷たさを感じていたが、続いて襲ってきたのは物価高だった。
大金160ドルを稼ぐため、
「Someting Job」
「We want job」
という紙を掲げてブカレストを街を歩き仕事探し。
なにか良さそうな店を見つけると笑顔でつくって
「ハハハ、グッドモーニング」
といって入っていき、
「仕事をさせてください」
「なんでもします」
とアピール。
しかし1軒目は
『君たちにしてもらう仕事はない』
2軒目は
『No』
の一言で断られた。
3軒目に入ったカフェで2人に対応した男性店員は
『仕事したいの?
ウーン・・・・マネージャー』
といいながら2人に待っっているようにジェスチャーで示し、店の奥へ入っていった。
待っている間、2人の目は、お客さんに出すためにお皿の上に盛り付けられた数本の巨大なソーセージとマスタードソースにクギづけ。
「うまそー」
「もしかしてここで働ければ、アレが食えるかもしれない」
と口の中に唾液を溢れさせた。
するとマネージャーらしき男性が登場。
2人は姿勢を正して愛想笑いをしたが、いきなり
「何ですか、あなたたちは?
迷惑です。
出て行ってください」
と冷たく追い払われてしまった。
「優しい人もいたのにな」
「嫌な奴もいるなあ」
店員さんとマネージャーの差に憤りや悲しみを感じながらも
「まあ、そういうなよ」
「そうだな」
クサらず、メゲず、その後も何軒もの店を訪ね、1日中仕事を探し求めたが、結局、自分たちを雇ってくれるところは1軒も見つけることはできなかった。
夕方、野宿した公園に舞い戻った2人は、疲れ果てて寝た。
翌日も仕事を求めてブカレスト市内の店を歩き回ったが、仕事を与えてくれる店はサッパリなく、夕方、絶望感に打ちひしがれながら、また公園へ。
「あー足が」
(森脇)
2日間、飲まず食わずで何十kmも歩き回った2人の疲労と空腹は極限に達し、目は虚ろ。
「オバさんを襲うか、万引きするか」
(有吉)
「体を売るしかない」
(森脇)
といけないことも考えながら、公園で野宿3連泊。

ブカレスト4日目の朝、
「もう回れないだろう」
「回れない。
もうないもんな、店が・・・」
すでにブカレスト中を回った2人は、もはやなす術ナシ。
どうしたらいいのかわからず途方に暮れ、時間だけが過ぎていき、やがて限界を迎えた。
「これなあ・・・
もう、なあ・・・
それしかないよな?」
(有吉)
「とうとうやるしかないな」
(森脇)
「いままで・・・な?
自分かばうわけじゃないけど頑張ってきたよ。
ついに・・・」
限界を迎えた有吉が、重大な決断をしようとした、そのとき、森脇が何かを発見した。
「日本人じゃん。
犬にこっちおいでつったもん、今」
公園で日本人を発見した2人は接近。
「すいません。
日本人の方ですか?」
『はい』
「すいません、あのぉ・・・・お金貸してください」

いきなりいわれて驚く女性に、2人は事情を説明し、旅が始まって以来、初めての借金を願い出た。
女性は話を聞いて爆笑。
『じゃあ、いま、お金降ろさないといけないから、ちょっと来てもらえます?』
カード取りに・・・」
となんと借金をOKした。
「あっ、はい、いきます」
猿岩石はそういって寝床のベンチをおいてあった荷物を取りにいった。
女性は日本からの留学生だった。
猿岩石は犬と女性ついていき、ホームステイ先の家へ。
女性は家に入ると犬は中に置いて、キャッシュカードを持って出てきた。
そして銀行にいき、お金を下ろしてくれた。
まず
『160ドル』
といって頭を下げる猿岩石にお金を渡した後、
『あと、これはお餞別と思って返さなくていいです。
なんか食べてください』
といってさらに10ドルを渡した。
「ありがとうございます」
猿岩石はお礼をいい、お金を返すために住所を教えてもらった。
『頑張って』
と手を振りながら去っていく女性に森脇はつぶやいた。
「マドンナだ」
そして有吉が
「これっ、ヨーロッパで返そうぜ。
できたら・・・」
というと
「なっ」
と合意。
2人は、餞別を含め、170ドルを少しでも早く返そうと誓った。
「がんばろう」
気持ちも新たに早速、再度、ハンガリー大使館へいき、待望のビザを取得。
そして余ったお金でブルガリアの農家でもらった野菜を食べて以来、3日ぶりの食事。
ハンバーガーを買って
「いただきます」
「あー」
と一口、かぶりつき
「ハアー♡」
と幸せをかみしめ、その後もまるでカニを食べているように黙々と食べた。

翌日、
「PITESTI」
と書いた紙を掲げ、ヒッチハイク開始。
目的地、ピテシティは、首都ブカレストの北西120㎞、ルーマニアで12番目に人口が多い都市。
2人は道の端で乗せてくれアピールをし続けたが、7時間で1台も停まってくれなかった。
「あ~」
(森脇)
「あー、づがれた」
(有吉)
といいながら、この日も元の公園に戻ってベンチに腰を下ろして、5連泊。
翌朝、
「今日こそは」
とヒッチハイク再開し、4時間後、ようやく1台の乗用車が停まってくれたが
『5ドルで行ってあげるよ』
といわれたので
「じゃあ、NO、ソーリー」
まさか今日も空振りか?
悪夢が蘇ってきたが、すぐに中型トラックが停車。
慌ててかけ寄って
「ウイ・アー・ノー・マネー。
ヒッチハイク」
『ノー・プロブレム』
「ノープロブレム?
OK?」
運転手がうなずくと、
「やったー」
と大声で叫びながら荷物を取りに走り、またすぐに戻って荷台に飛び乗り、狂喜乱舞。
「やったあ」
(有吉)
「うれしい。
やっぱ、この瞬間が一番うれしい」
(森脇)

140日目、8月30日、トラックは首都ブカレストを後にし、国道を10時間、480㎞を走り続け、ピテシティをはるかに越え、ルーマニア第2の都市、クルージュまで連れていってくれた。
『さようなら』
「サンキュー、気をつけて」
「ありがとう、バイバイ」
運転手と別れたとき、すでに夜。
暗い中、すぐに野宿ポイント探しを開始。
しばらく歩くとガソリンスタンドがあり、その壁を使ってつくられた倉庫のような小屋を発見。
「おっ、ここ寝れるな」
「ちょっと聞いてみる?」
有吉はガソリンスタンドの店員に近づき
「エクスキューズ・ミー。
あー、あそこで、」
といいながら小屋を指さし
「あの、あそこで、ちょっと寝てもいいかな」
と両手を合わせてホッペの横にもっていき、体を横に傾けて「お眠」のジェスチャー。
『ンッ?』
店員はうなりながら、手をホッペの横にもっていき、有吉からみて鏡にうつったように体を横に傾け、それから手で「どうぞ」のジェスチャー。
「サンキュー」
「助かった」
2人は、屋根つきで野宿できることが決まって喜んだ。
しかし気温は10℃。
小屋といってもガソリンスタンドの大きな壁に小さな屋根と側壁をつけただけで、正面はフルオープン。
全身を外気にさらされ
「ウ~サブゥ」
「あ~寒い」
寒さで震えていると、さっきの店員が近づいてきて、再びお眠のジェスチャーをしながら
『うちに泊まる?』
それを聞いて森脇は
「ダァ、ダァ、ダァ」
(「はい」は、ルーマニア語で「da」という)
店員の家に連れていってもらうと、ご両親にも暖かく迎え入れられ、温かいスープをごちそうになった。
「あー、おいしい!」
「あー、温ったまるわ」
2人は、人の心と食べ物、さらにブルガリアの農家で入って以来、12日ぶりのお風呂でも温まった。

翌日、141日目、8月31日、ガソリンスタンドの店員の車で約3時間、クルージョから150km、国境の街、オラデアに到着。
店員に
『この通りなら(ハンガリーの)ブダペストへ行く車がたくさん通りますよ』
と教わった2人はて、ヒッチハイク開始。
するとわずか30分でワンボックスカーが停まってくれた。
「ノーマネー、OK?」
運転手は空を指さして
『金なんかもらったら神様に叱られるよ』
明るい運転手は、ブタペストに帰る途中のハンガリー人。
30分で国境に到着すると、車に乗ったまま国境ゲートを車に乗ったまま通過し、14ヵ国目、ハンガリーに入国。
さらに国境から4時間走って首都、ブタペストに到着。
「いい人、つかまえたね。
またコーヒーおごってもらっちゃったよ」
(森脇)
「(ビザ代)160ドルの国 ハンガリー」
(有吉)

ハンガリーの面積は93000m²で日本の1/4。
「ヨーロッパの真珠」といわれ、訪れた人を魅了する国。
首都、ブタペストは、パリにも勝るとも劣らない街並みが広がり、夜はドナウ川を古いヨーロッパの街並みのほのかな明かりで照らし「ヨーロッパの夜景」と呼ばれる。
日本同様、温泉大国で、国内に80の源泉がある
ヘーヴィーズ湖は、最大水深38m、47000m²という規格外の大きさの天然の泳げる温泉湖。
常に地下から温水が湧き出ているので30時間ほどですべての水が入れ替わり、夏場は33度、冬場でも26度を下回らない。
ブタペストのセーチェーニ温泉は、ヨーロッパ最大規模を誇り、広い敷地内にいくつもの風呂があり、半身浴をしながらチェスをチェスをしながら入れたり、流れる温泉があったり、アミューズメント施設のような雰囲気。
ヨーロッパではかなり物価が安いことも旅行者にはうれしいポイント。
世界3大珍味の1つ、フォアグラが100g、200円程度で購入できる。
ワインの名産国としても有名だが、特に「トカイワイン」は、ブドウの果皮をカビに感染させることで糖度を上げる貴腐ワインで独特の甘さととろみが特徴。
中でも「トカイ・アスー」は世界3大貴腐ワインの1つ。
フォアグラをバターで焼いてトカイワインを飲めばサイコーである。

野宿する場所を探して歩いていると以前、ブルガリアからルーマニアに入ったときに渡ったドナウ川に遭遇。
その時と同じように橋を渡ると公園を発見した。
そこにあるベンチをみて、2人は
「あー、これはいいわ」
「これはベスト3に入るんじゃないか」
と高評価。
ちなみに野宿に最適なベンチとは

・横幅がある
・長さがある
・腰掛け部分が平ら
・腰掛けと背もたれとの間にすきまがあって、寝たときに腕が入る

しかし夜になって雨が降り出したため、ベスト3に入るベンチをあきらめ、雨をしのげる場所を探した。
そして地下道を発見。
「わあー、いかにもで怖いなあ」
有吉は危険な気配を感じたが、雨風がしのげるため、ここで寝ることに。
しかし不安でなかなか寝つけない。
「あー、眠れないなー」
(森脇)
すると
『おい、誰かいるぞ』
という声がして男が2人が近づいてきた。
「ヤベェーッ」
(有吉)
「ワルそうだな」
(森脇)
この一見、怖そうな2人組は、実は優しい地元の人間。
『ここは危険ですよ』
『彼らをここで放っておく訳にはいかないよ』
といって猿岩石を安全な場所で寝かせるために移動。
そして連れていかれたのは船。
男性たちは船会社の社員で、船は知り合いのもので、そのオーナーにかけあって船室に泊めてもらえるようにしてくれた。

翌朝、昨夜の男の1人が来てくれたので、有吉は
「あのー、Thid Ship、Good Sleep」
とお礼をいい、甘えついでに
「でも仕事ないです」
と告白。
男は会社に電話して相談し
『OK』
そのまま2人は会社の人事担当と引き合わされ
『仕事は明日の朝から』
といわれた。
さらに人事担当者は、別の船に確保した部屋に2人を連れていき、
『明日の7時ね』
といって去っていった。
2人はキレイで大きな船室、ベンチの5倍は幅があるベッド、そして素早くスキのない仕事っぷりに
「すごいな」
と感動した。
翌朝7時、人事担当者が迎えに来てくれ、ついていくとドナウ川の観光船。
船はお客さんを乗せて7時半に出航。
エストラゴンという観光地へ向かう船の中で、2人の仕事はビュッフェで食器洗い。
13時、目的地、エストラゴン大聖堂があるエストラゴンに到着。
高さ100m、直径53.5m、ハンガリー最大のドームを持つエストラゴン大聖堂は、ハンガリーカトリックの総本山。
聖母マリアの昇天」は、13.5m×6mで1枚のキャンバス地に描かれた祭壇画としては世界最大といわれている。
客が降りると船は従業員の食事の時間。
「うん、うまい」
昼食が終わると客席、通路、甲板、トイレまで3時間にわたって船内を清掃。
17時、再び客を乗せてエストラゴンから出航。
21時、ブダペストに帰航。
客が降りた後、掃除と後片付け。
22時、仕事終了し、寝床である船室に戻った。
そんな日々が6日間が続いた。

7日目の朝、いつものように出勤しようとすると人事担当者がやって来ていった。
『グッドニュースがあります。
君たちは無料でビエナ(ウィーン)に行けます』
事情を知った人事担当者が会社と交渉し、2人をオーストリア行きの船にタダで乗れるように手配してくれたのである。
『今日ですよ』
「トゥデイ?」
その船は2時間後に出航するという。
まず会社にいってアルバイト代、2人で12000フォリントを受け取った。
そして船着き場に移動。
「サンキュー」
『元気で』
人事担当者にお礼をいってから船に乗船。
出入国の手続きはあったが、オーストリアはビザが必要ないため、アルバイト代をまるまる抱えたまま意気揚々、乗船。
ブタペストを出航した高速艇は70km/hでドナウ川をぐグングン上っていったいった。
タダ乗りで席がない2人は、6時間、甲板で寒風にさらされ続けながら300kmを移動。
途中で雨にも遭ったが、日本人観光客に紙袋をもらい、開けてみるとリンゴとワインが入っているといううれしいハプニングもあった。

こうして149日目、9月8日、15ヵ国目となるオーストリアの首都、ウィーンに到着。
オーストリアといえば、アーノルド・シュワルツェネッガーの出身国。
北にドイツとチェコ、西にリヒテンシュタインとスイス、南にイタリアとスロベニア、東にハンガリーとスロバキアと隣接し、某国と名前は似ているがカンガルーはいない。
首都は音楽と芸術の都、ウィーン。
1278年にスイスの貴族、ハプスブルク家がウィーンに移ってきたことで発展。
ハプスブルク家は650年間、オーストリアを治め続けたが、ウィーンは貴族文化の影響を受けて独自の文化を形成。
ステンドグラス、木彫りの聖母子像、祭壇、礼拝堂、いたるところに芸術的で精巧な細工が施されたゴシップ様式の大聖堂「シュテファン大聖堂」には地元の信者が朝から祈りを捧げる。
この聖堂がある「ウィーン歴史地区」は世界遺産。
ウィーン国立歌劇場は、スカラ座、メトロポリタン歌劇場と並ぶ世界3大オペラ座で、年間300日以上、オペラやバレエが上演されている。
かつてベートーベンやモーツァルトも暮らした街の人口は186万人。
「リング」と呼ばれる環状の大通りに囲まれた旧市街を中心に中世の面影を残す美しい街並みが広がる。
地下鉄や路面電車、バスなど交通インフラも整備され、2019年には過去7年連続1位だったメルボルンを抜いて「世界で最も住みたい都市ランキング」で1位になった。
猿岩石は、そんなウィーンで、まず野宿ポイントを探し、ドナウ川のほとりの公園で寝ることを決めた。

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