猿岩石のヒッチハイク旅 アジア終了!ヨーロッパ突入!!ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア!!!

猿岩石のヒッチハイク旅 アジア終了!ヨーロッパ突入!!ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア!!!

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてゴールのイギリスまで。野宿、絶食当たり前。推定移動距離3万5000km。推定到達期間6ヵ月。「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。


1996年4月13日、若手お笑い芸人、猿岩石(有吉弘行と森脇和成)は、目隠しとヘッドフォンをつけられ、
「だまされて」
香港へ連れていかれた。
これが初海外という2人は、いきなり企画を聞かされ、ロンドンまで推定移動距離3万5000km、推定到達期間6ヵ月という「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅」がいきなりスタート。
ルールは

・旅のご予算は、10万円(番組から支給され、それ以外のお金は持っていけない)
・移動は徒歩かヒッチハイクのみ(お金を払って乗り物を利用するのは禁止)
・旅の道中、猿岩石の2人に1人のスタッフが同行し撮影するので3名で移動するが、スタッフは一切、手助けはしない。

2人は香港のタイムズスクエア前で、
「To LONDON」
と書いた紙を掲げ、そのまんま東に
「こんなモンで(車が)捕まるか」
とツッコまれながら、白いワンボックスカーをGET。
2人は押し込まれるように車に乗ったが、それはヒッチハイカーというより拉致される日本人観光客。
工事現場からの帰りというポールが運転する車は、香港島から海底トンネルを抜け、香港本土、つまりユーラシア大陸に突入。
しかしポールは
「ゴメン。
オフィスに行かなければならない」
といって、2人をタイムズスクエアからたった4㎞の地点で降ろした。

「ホテルは高い」
猿岩石は、海がみえる九龍公園を彷徨い、高さ数十cmの塀(段差)に囲まれた場所を発見。
寝袋など持っておらず、コンクリートの地面の上に寝転び、ジャケットを掛布団にして寝た。
この後、約半年間、基本的に野宿が続いたが、新しい場所に移動したら寝床の確保は最優先事項で、昼間のうちに野宿する場所を探すのは鉄則となり、
「野宿ポイント」
「野宿ポイント探し」
という言葉が用語化。
海外では公衆トイレが有料だったり、夜、閉まることもあり、
「野糞ポイント」
「野糞ポイント探し」
も同時に行われた。

2日目、ヒッチハイクを開始。
ロンドンまで行くためには、まず中国に入らなければならず、停まってくれた車にかけよって
「広州、広州、チャイナ」
と声をかけるが、乗せてくれる人はなかなかいない。
2時間後、ようやくGETした車に乗って約30㎞、国境にある中国出入国管理事務所に到着。
「いよいよ中国突入だ」
と思いきや、職員に
『Do You Have Chinese Visa(中国のビザはありますか)?』
といわれ、2人は初めて知った。
「国境を越えるためにはビザというやつが必要らしい」
そして乗せてきてもらった車でビザを申請する入境事務局がある九龍に逆戻りし、親切なドライバーにお礼をいってお別れ。
その足で入境事務局に行くも、日曜日のために休み。
仕方なくマクドナルドをテイクアウトして、九龍公園の小さな塀に囲まれた場所に戻って、野宿。

3日目、入境事務局にいって必要事項を書き込んでビザを申請。
費用は2人合わせて1650香港ドル(2万1500円)。
女性スタッフに
『発行できるのは18日になります』
といわれ、発行が3日後と知った2人は、九龍公園の同じ場所に戻って、野宿。
4日目、5日目と昼間はボーッと過ごし、夜は野宿。
6日目、入境事務局にいき、
『This is Chinese Visa』
と女性スタッフからビザが貼られたパスポートを受け取った。
意気揚々と
「To CHINA」
と書いた紙を掲げて4日ぶりにヒッチハイクを再開。
1時間後、中国の親せきの家に行くという車をGET。
九龍から2度目の国境へ行き、ビザを持って中国出入国管理事務所に入ると30分ほどで審査完了。
2ヵ国目、中国へ突入した。

7日目に中国に入国し、ベトナム国境手前にたどり着いたのが16日目。
この間の移動は、数台のトラックを乗り継いで、荷台で過ごした。
旅を通じて座席に乗せてもらえることも稀にあったが、圧倒的にトラックの荷台が多く、そこで数時間過ごすわけだが、最長記録は21時間。
最初は尻が痛くて仕方なかったが、自然と鍛えられてなんともなくなった。
この時点で、番組から渡された10万円は、

食費 24000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 2000円

と合計85500円を使い、残りは14500円になっていた。

21日目、ベトナムの首都、ハノイに到着。
さっそくラオス領事館にいって、
「アイ・ワン・トゥー・ビザ。
トゥー・ラオス」
とビザを申請し
『1人、36ドルです』
といわれ
「はい?」
と日本語で驚いた。
2人分のビザ代、7800円を支払い、残金は700円。
しかも
『今日は金曜日ですから、月曜日に取りに来てください』
とビザ発行は3日後といわれ、領事館を出た2人は歩きながら
「いよいよだな」
「どうしよう」
「水とるか、メシとるかだな」
「水だろう」
と相談。
結局、断食&野宿でビザの発行を待つことにして公園に移動。
1日中、身動きもせずジッと耐え、ひたすら寝て
「オバさんを襲うか、万引きするか」
といけないことも頭によぎらせながら断食&野宿3連泊。

こうして生まれてはじめて無一文と飲まず食わずを経験することになった2人だが、
「所詮はテレビの企画。
最悪、スタッフが助けてくれる」
と思っていた。
しかし同行スタッフが目の前で缶コーラをおいしそうに飲み、余りを捨てるのをみて覚悟を決めた。
旅の間、同行スタッフは、2人がどんなに貧乏になっても、飢餓状態になっても、バンバン肉や米を食べ、酒やジュースを飲み、余ると足で踏んで食べられないようにした。
そしてペットボトルの水を飲みながら、
『あんまり水(水道水)は飲むなよ』
とアドバイス。
有吉が
「じゃあ、くれよ、それっ」
というと
『ダメ。
買えよ、自分で』
「金ねぇんだよ!」

結局、水問題と下痢問題は、ロンドンまで続いた。
「水って結構大変だなって思って。
ヒッチハイクで海外に190日いたけど、100日以上下痢。
海外行って水飲んでないのに何で腹壊すんだよって思ったら、(現地の水で)食べ物サ洗うでしょ。
それだけで壊す。
その国の水が汚いとかじゃなくて、合わないんだよね、体に」
そして野宿が基本の2人は、自然と「野糞慣れ」もした。
出した後は、手で拭くことも多く、森脇は左手で拭いて右手で食べるようにしたが、有吉は、右手で拭いて右手で食べた。
ありとあらゆる場所でできるようになった2人だが、それでも森脇よりもお腹が弱い有吉は、よく下痢になって「寝てる間も起きてる間も」漏らすことがあった。
やがて「漏らし慣れ」までしてしまい、文字通り屁でもなくなったが、まったく食えないときもあったので
「ウンコが出るだけマシ」
と思っていた。

2人から
「悪魔の大王」
と恐れられた同行スタッフだが、ある意味、猿岩石よりもひっ迫していた。
もし襲わるなら、お金がない猿岩石より、ちゃんとした身なりをしてカメラを持っている自分。
ヒッチハイクで新しい車に乗る度に緊張し、走行中も、ちゃんと目的地に向かっているかなど常に警戒。
夜は、電気がとれる場所に泊まって充電し、その日撮った映像から、必要な部分を抜き出す編集作業。
編集した映像は、どこの町からでも送れるわけではなく、ある程度ためて大きな町から発送した。
それが日本に着くのには数日かかり、さらに編集されて放送されるのに数日かかった。
「進め!電波少年」の放送時間は、日曜 22時30分 ~22時55分。
毎週、25分の間に数本のVTRが放送され、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は、その中の1コーナーとして

5月24日、30日      
6月3日、6日、14日、24日、30日
7月3日、18日、19日、25日、31日
8月5日、7日、9日、15日、19日、22日、29日      
9月2日、10日、17日、25日  
10月1日、11日、18日  

と26回、放送。
最初は3~4分だったが、人気が出てくると10分、15分と増えていき、看板コーナーとなって番組の視聴率アップに貢献した。

有吉弘行と森脇和成は、

25日目、4ヵ国目、ラオス入国
29日目、5ヵ国目、タイ入国
41日目、6ヵ国目、ミャンマー入国
46日目、7ヵ国目、インド入国
64日目、手違いで8ヵ国目、ネパール入国
69日目、インドに再入国
80日目、首都、デリーに到着
89日目、9ヵ国目、パキスタン入国
98日目、10ヵ国目、イラン入国
116日目、11ヵ国目、トルコ入国

そして122日目、8月12日、マルワラ海に面する街、ヤロバから船でイスタンブールを目指した。

イスタンブールは、トルコの西端に位置し、アジアとヨーロッパへの起点となっている最大の商業文化都市。
船に揺られて4時間、18時にイスタンブールに着岸した有吉弘行と森脇和成は、
「サンキュー」
と船長にお礼をいって別れ、野宿ポイントを探し、海沿いの公園で野宿。
翌日、124日目の朝、待ちに待った救援物資を受取りに行った。
さかのぼること6日前、トルコの首都、アンカラに到着した2人は、ブルガリアのビザをとるためにブルガリア大使館を訪ねたが、、
『1人、550万トルコリラ(7300円)です』
といわれ、無一文だったために撤退し、
「50万!
どんな額だよ!」
(森脇)
「とんでもないよ」
(有吉)
と驚いた。

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日本の松本明子は、2人に救援物資を送るために奔走。
狙ったのは「ウェーブハンド」というスポンジ製の大きな手。
いわゆる応援グッズだが、木村拓哉が
「これ、コンサートに持ってきて」
といったものの、後ろの人の迷惑になることがわかると発言撤回。
使用禁止になった「ウェーブハンド」は、5万個のキャンセルが出た。
その情報をキャッチした松本明子は、
「タダでもらえるかもしれない」
と東京都中央区日本橋の(株)丸惣を訪ねた。
2500万円ともいわれる損害を被った社長は、
「150?
いいですよ」
と快諾。
松本明子は、150枚(定価1380円×150枚=207,000円相当)を無料でもらい、救援物資を確保。
番組収録中に猿岩石と電話でつながると
「救援物資送っといたから・・・
どこに送ったらいいかわかんなかったんで、一応、トルコのイスタンブールに送ったから・・」
それを聞いた有吉弘行は、
「やったー」
と蚊の鳴くような声でいい、壁に顔をうずめた。

そしてアンカラ から直線距離で350km離れたイスタンブール に到着した2人は、
「デッケェ!」
と驚きながら救援物資の入った箱を受け取り、3日間、街頭でウェーブハンドを販売。
150枚を売り切ったが、ビザ代には少し足りない。
するとお客さんが、レストランのアルバイトを紹介してくれた。
制服に着替え、最初の仕事は、開店前の店内の掃除で、有吉は窓拭き、森脇はモップがけを担当。
夜、店が始まると、最初は食器の後かたづけを行い、慣れてくると料理を運んだりする仕事もさせてもらえるようになった。
「日本人?」
客に聞かれ
「ハイ」
と答えると胸ポケットにチップを入れてもらった。
「いくらだよ?」
(森脇)
「ヤッター」
(有吉)
バックヤードで中身を確認して歓喜。
まかないつきで美味しいご飯をタダで食べさせてもらった上、チップでジュースを買った。
救援物資を売ったお金とアルバイト代を合わせて1,500万トルコリラ(21500円)となった。

128日目、イスタンブール滞在4日目、8月18日、ブルガリア大使館に行き、1100トルコリラ(14600円)を支払い、1時間後、見事、ビザ取得。
早速、
「BULGARISTAN」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク開始。
成功すればアジア最後のヒッチハイクとなるが大苦戦。
3時間後にやっと1台の小型トラックをGET。
トラックは4時間走って国境に到着。
車を停めた運転手は、荷台の2人にいった。
「TURKEY is Finish.
(トルコはここで終わりだよ)」
トルコ人の運転手にとっては母国の端。
そして2人にとってはアジアとヨーロッパの境目。
「サンキュー」
運転手と両手で握手をしながら頭を下げた。
そして国境ゲートへ向かい、手続きを終えた後、歩いてヨーロッパ大陸に突入した。

ブルガリアといえばヨーグルト。
(そして大相撲の琴欧州!)
ブルガリアの気候、風土がヨーグルト菌に適して自然とできたという。
牛乳からつくられるのが一般的だが、羊乳や両方を混ぜてつくられるヨーグルトもあり、そのまま食べたり、ドレッシングとしてサラダにかけたり、野菜やナッツを入れた冷製スープ「タラトル」やパイ生地にチーズや野菜と一緒に入れて焼く「パニツァ」にしたり、食べ方は多種多様。
毎日、ヨーグルトを食べ、年間消費量30kg(日本人は5、6kg)というブルガリアは長寿が多い。
国土面積は、日本の1/3(11.1㎞²)
北はルーマニアとの国境をなすドナウ川、南はギリシャとトルコ、、東部は黒海、西はセルビアとマケドニア。
首都は、ソフィア。

128日目、12ヵ国目、ブルガリア入国。
旅はついにヨーロッパに突入。
「来たね!」
2人は喜んだが、夢だったヨーロッパは、暑くて苦しかったアジアよりも、ある意味、厳しかった。
まずヒッチハイクをしても車がまったく停まってくれない。
結局、この日は車が捕まらず、2人は、人の冷たさを感じながら、ベンチでヨーロッパ初野宿。
すると次に空気の冷たさが襲ってきた。
「寒いなあ。
今日1日メシも食ってねえし、明日も食えねえし、ピンチだな」
(森脇)
しかし翌日、1台の乗用車のヒッチハイクに成功。
国境から6時間、400㎞走って、一気に首都、ソフィアへ。
「ありがとうございました」
(森脇)
「サンキューベリマッチ」
(有吉)
頭を下げながら運転手と握手した後、国立劇場の入り口で野宿。
朝起きると気温は15℃。
「寒ぅーっ!」
森脇がベンチの上で凍えていると、片手にパンツを持った有吉が戻ってきた。
「ヨーロッパはノグソポイントがないよぉ。
漏らしちゃった」
「靴下は?」
「靴下で拭いた」
そして次なる国、ルーマニアのビザを申請するためにルーマニア大使館へ。
料金は2人で3000レバ(1500円)
所持金は2800レバ。
「またか・・・」
と思ったが、大使館員が200レバまけてくれた。

「サービスしてもらっちゃった」
得した2人は、早速、
「ROMANIA」
と書いた紙を掲げ、ルーマニアとの国境を目指してヒッチハイクを開始。
しかし4時間たっても車が停まってくれない。
「停まんないなあ」
(有吉)
「パキスタンとかの方が楽だよ」
(森脇)
これまでのアジアの国々は、アジアは暑くて苦しかった。
整備が整っていない危ない道や、露骨に金をせびられることもあったが、食事をオゴってくれたり、泊めてくれたり、服を買ってもらったり、優しい人も多かった。
それに比べヨーロッパは気温と共に人の冷たさを感じた。
7時間たっても車が捕まらないために場所を移動し、再びヒッチハイクしていると1人の男性が声をかけてきた。
『国境まではバスで行ったほうがいいよ』
しかし有料交通機関の利用はルール違反。
「ノー。
オンリー・ヒッチハイク」
事情を理解した男性は、知り合いのバス会社の人に頼んでくれるという。
2人は近くのバスターミナルに案内され、バス会社の人を紹介された。
バス会社の人は、親切にも空席がないか調べるために事務所へ消えた。
待つこと30分。
バス会社の人が帰ってきて
『国境へ行くバスは、あいにく今日は満席でした。
でも明日、17時にもう1度来てください』
「サンキューベリマッチ」
「やった」

2人は、国立劇場に戻り、所持金ゼロのため、空腹のまま野宿。
翌日、食べるものもすることもなく公園に座ってただボーっと過ごし、16時半になると
「行くか」
「行こうか」
と立ち上がった。
「あの人、いないのかなあ」
(有吉)
「あっ、手あげてる!」
(森脇)
バスターミナルに行くとバス会社の人が待っていて手を挙げてくれた。
喜んで近づいていくとフライドポテトを持っていた。
「いいもん食ってる。
めちゃくちゃうまそうだ」
『食べますか?』
「いいの?!」
速攻で手を伸ばし、目を閉じながら食べた。
「やった」
「ウメぇ」
ポテトで喜んだものの、この日も国境行きのバスは満席。

しかしバス会社の人は、その50km手前のビヤーラまで行くバスの席を確保してくれていた。
こうしてバスのヒッチハイクに初成功。
タダでテレビ付き、クーラー付きのデラックスで豪華な長距離バスに乗りこみ、バス会社の人にタダでコーラまでもらって2人は大興奮。
ところが瓶に入ったコーラは栓が開いていなかった。
「どうやって開けるんだろ」
森脇がいうと、有吉は瓶をくわえて歯で開けた。
「お前、スゲェーなあ」
「ノドが渇いてれば何でもできる」
「ゴメン、俺のもやって」
こちらも難なくオープン。
おかしくて笑いの止まらない有吉に森脇は、
「静かに、シィーッ!」
と注意。
旅が始まって以来の最高の乗り物は、5時間走って、ソフィアから東北東に250km、ビヤーラに到着した。

131日目、8月21日、バスを降りて、ビヤーラに到着した2人は、近くの公園で野宿。
翌朝、森脇が
「PYCE」
と掲げてヒッチハイク開始。
目指すは国境の町、ルセ。
そして無一文で腹ペコだったので、
「Someting Job?
(なにか仕事をください)」
と書いた紙を有吉が掲げた。
なかなか車は停まってくれず、4時間後、やっと1台の乗用車が自分たちを取りすぎた後、ゆっくり路肩に停車。
それを首を回して目で追っていた2人は猛ダッシュ。
「ノー・マネー、OK」
助手席の女性に
『OK』
といわれると
「ちょっと・・・」
といってダッシュで荷物を取りにいった。

乗せてくれたのは国境手前の村で農家を営むお父さんとその娘さん。
猿岩石の2人は2日間働かせてもらえることになった。
家に着くとお母さんから歓迎を受け、早速、張り切ってアルバイト開始。
カートを引きながら30分歩いて畑に移動。
カラカラに乾いたヒマワリの花をもいで、シートの上で種を叩き落として集めるという作業。
さらにスイカやウリも収穫し、それらをカートに乗せたり背負ったりして
「ハァーッ」
(森脇)
「ヒェーッ」
(有吉)
と息を上げながらあぜ道を戻って、17時、この日の仕事が終了。
重労働で汗だらけの顔を水道で洗った後、屋外のテーブルで一家と一緒に食事をごちそうになった。
3日ぶりにまともな栄養補給をした後は、10日ぶりに室内で就寝。
翌日は家畜舎の清掃、牛の乳しぼり。
タンクの中で発酵させたプラムをバケツに移して運搬し、蒸留機に3時間入れるとプラム酒が完成。
初めての乳しぼりや酒造りは、仕事というより社会科見学。
こうして2日目も忙しく過ごした。

3日目の朝、出発。
アルバイト代、1000レバと
『途中で食べて』
と野菜をいただき、さらに国境の街、ルセまで車で送ってもらった。
「ヒッチハイク、1回得!」
国境ゲートを徒歩で通過し、そのままヨーロッパで2番目に長い大河、ドナウ川にかかる橋を歩いて渡った。
橋の中央が国境線で
「僕ブルガリア」
「僕ルーマニア」
といいながら、それをまたいで握手し
「キャイ~ンみたいだ」
といって笑った。

こうして134日目、8月24日、4kmほど歩いて、13ヵ国目、ルーマニアに入国。
ルーマニアといえば「ドラキュラ」
ドラキュラのモデルとなったヴラド3世の居城「ブラン城」や埋葬されている墓は観光スポットとなっている。
ヴラド2世(ヴラド3世の父親)は、ハンガリーと十字架を守り、その敵と戦うためにハンガリー王ジギスムントとその妃、バルバラ・ツェリスカが創設したドラゴン騎士団の21名が団員の1人。
ルーマニア南部、ワラキアを治め、オスマン帝国の進出を防ぐために戦っていたヴラド3世は、「ドラクル(竜公)」と呼ばれた。
「ドラキュラ(Dracula)」は、竜公の子という意味である。
オスマン帝国との戦いに敗れたヴラド2世は、次男のヴラド3世と三男を人質として差し出した。
父親と兄が暗殺され、又従兄弟がワラキア公となると、ヴラド3世は、オスマン帝国の助けを借りて又従兄弟を排除し、ワラキアの大貴族を粛清。
又従兄弟の息子が侵攻してくると返り討ちにして捕え、自身の死刑宣言文を読ませた上、墓穴を掘らせた後に斬首。
金を払うことで結んでいたオスマン帝国との同盟関係は、金額を引き上げられたことで拒否。
説得するために送られてきたオスマン帝国の使者を、生きたまま串刺し刑。
攻めてきたオスマン帝国の大軍には、ゲリラ戦で抵抗。
首都の城を囲んだオスマン帝国軍に夜襲をかけ、2万人を殺害し串刺し。
串刺しになった兵士の林をみて敵将は撤退を決めた。
ヴラド3世の居城、ブラン城には、執務室や地下牢、拷問器具が展示され、「ドラキュラ城」と呼ばれている。

ルーマニアには、恐るべき統治者が多い。
1989年までルーマニアを支配した独裁者、チャウシェスク大統領は、秘密警察による大規模で冷酷な監視と抑圧で報道機関も統制し、国民を従わせた。
労働力(人口)を増やすために女性の避妊と中絶を禁止。
子供がいない若い男女には課税、5人以上産んだ女性は援助を、10人以上産めば勲章を授けた。
対外債務が増大すると農作物や工業製品の輸出量を増やすよう指示し、国内は配給制となり、水、食料、油、電気、医薬品などが慢性的に不足し、国民の生活水準はみるみる低下。
一方、首都、ブカレストでは、「国民の館」の建設が昼夜を問わず工事が進められた。
地上10階、地下4階、部屋数3000以上、延床面積は60万m²。
政府系建築物としてアメリカのペンタゴン、タイの国会議事堂に次ぐ世界3位の大きさ。
内装は、金箔で覆われた壁や一面大理石の床、彫刻飾り、50以上の純クリスタルのシャンデリアなど豪華絢爛で建築費用は1500億円以上といわれている。
牧師の立ち退き命令に対する抗議運動をきっかけに、国民の暴動、革命運動に発展。
軍や治安部隊による鎮圧、発砲による死傷者を出しながらも国民の運動は全国に拡大。
結局、チャウシェスクはヘリコプターで逃亡したが、捕えられ、銃殺刑に処せられた。


「金換えようぜ」
とまずはアルバイト代をルーマニアのお金に換金しようとした。
トルコに持っていけば約35万トルコリラにはなるほどの額だったので
「いくらになるのかな」
と楽しみだったが
『ブルガリアのお金は換金できません』
といわれてしまった。
「えっ、じゃあ、どうすんの?」
森脇は、2日分のバイト代が紙切れになったと思ったが、有吉は
「またブルガリアに行ったとき使えるわ」
と前向き発言。

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昭和の大横綱「千代の富士」の肉体がスーツから甦る。NY発OVERCOATが挑む究極のパターンメイキング

昭和の大横綱「千代の富士」の肉体がスーツから甦る。NY発OVERCOATが挑む究極のパターンメイキング

ニューヨーク発のブランド「OVERCOAT」が、昭和の名横綱・千代の富士との異色のコラボレーションを発表。生前愛用したテーラードスーツから身体寸法を逆算し、伝説の肉体をパターン(型紙)として再現。特別展示や限定アイテムの販売を行うポップアップイベントを、2026年3月より東京・ニューヨークで順次開催します。