1996年4月13日、若手お笑い芸人、猿岩石、は目隠しとヘッドフォンをつけられ、
「だまされて」
つれていかれた香港でいきなり企画を聞かされ、そのままロンドンまで推定移動距離3万5000km、推定到達期間6ヵ月というユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅がスタートした。
ルールは
・旅のご予算は、10万円(番組から支給され、それ以外のお金は持っていけない)
・移動は徒歩かヒッチハイクのみ(お金を払って乗り物を利用するのは禁止)
・旅の道中、猿岩石の2人に1人のスタッフが同行し撮影するので3名で移動するが、スタッフは一切、手助けはしない。
2人は香港のタイムズスクエア前で、
「To LONDON」
と書いた紙を掲げ、そのまんま東に
「こんなモンで(車が)捕まるか」
と強めにツッコまれながら、白いワンボックスカーをGET。
2人は車に押し込まれるように乗ったが、それはヒッチハイカーというより拉致される日本人観光客だった。
工事現場からの帰りというポールが運転する車は、香港島から海底トンネルを抜け、香港本土、つまりユーラシア大陸に突入。
しかしポールは
「ゴメン。
オフィスに行かなければならない」
といって、2人をタイムズスクエアからたった4㎞の地点で降ろした。
2人は
「ホテルは高い」
と海がみえる九龍公園を彷徨い、高さ数十cmの塀(段差)に囲まれた場所を発見。
寝袋など持っておらず、コンクリートの地面の上でジャケットを掛布団にして寝た。
この後、約半年間、基本的に野宿が続いたが、寝床の確保は最優先事項で、昼間のうちに野宿する場所を探すのは鉄則となり、
「野宿ポイント」
「野宿ポイント探し」
という言葉が用語化。
海外では公衆トイレが有料だったり、夜、閉まることもあり、
「野糞ポイント」
「野糞ポイント探し」
も同時に行われた。
2日目、ヒッチハイク開始。
ロンドンまで行くためには、まず中国に入らなければならず、停まってくれた車にかけよって
「広州、広州、チャイナ」
と声をかけるが、乗せてくれる人はなかなかいない。
2時間後、ようやくGETした車に乗って約30㎞、国境にある中国出入国管理事務所に到着。
「いよいよ中国突入だ」
と思いきや職員に
『Do You Have Chinese Visa(中国のビザはありますか)?』
といわれ、2人は初めて
「国境を越えるためにはビザというやつが必要らしい」
と知った。
そして乗せてきてもらった車で、ビザを申請する入境事務局がある九龍に逆戻りし、親切なドライバーにお礼をいってお別れした。
その足で入境事務局に行くも、日曜日のためにお休み。
仕方なくマクドナルドをテイクアウトして、九龍公園の小さな塀に囲まれた場所に戻って、野宿。
3日目、入境事務局にいって必要事項を書き込んでビザを申請。
費用は2人合わせて1650香港ドル(2万1500円)だった。
女性スタッフに
『発行できるのは18日になります』
といわれ、発行が3日後と知った2人は、九龍公園の同じ場所に戻って、野宿。
4日目、5日目と昼間はボーッと過ごし、夜は野宿。
6日目、入境事務局にいき
『This is Chinese Visa』
と女性スタッフからビザが貼られたパスポートを受け取った。
2人は意気揚々と
「To CHINA」
と書いた紙を掲げて4日ぶりにヒッチハイクを再開し、1時間後、中国の親せきの家に行くという車をGET。
九龍から2度目の国境へ行き、ビザを持って中国出入国管理事務所に入ると30分ほどで審査完了。
2ヵ国目、中国へ突入した。
7日目に中国に入国し、ベトナム国境手前にたどり着いたのは16日目。
この間、街から街への移動は、すべてトラックの荷台。
旅を通じて座席に乗せてもらえることも稀にあったが、圧倒的にトラックの荷台が多く、そこで数時間過ごすわけだが、最長記録は21時間。
最初はお尻が痛くて仕方なかったが、自然と鍛えられてなんともなくなった。
また番組から渡された10万円は、
食費 24000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 2000円
と合計85500円を使っており、残りは14500円になっていた。
21日目、ベトナムの首都、ハノイに到着。
さっそくラオス領事館にいって
「アイ・ワン・トゥー・ビザ。
トゥー・ラオス」
とビザを申請すると
『1人、36ドルです』
といわれ
「はい?」
と日本語で驚いた。
旅の予算10万円から、
食費 29000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 3000円
と合計91500円を使い、残金は8500円あったが、2人分のラオスのビザ代、7800円を払うと700円になってしまった。
しかも
『今日は金曜日ですから、月曜日に取りに来てください』
とビザ発行は3日後といわれてしまい、領事館を出た2人は歩きながら
「いよいよだな」
「どうしよう」
「水とるか、メシとるかだな」
「水だろう」
と相談。
結局、断食&野宿でビザの発行を待つことにして公園に移動。
1日中、身動きもせずジッと耐え、ひたすら寝て
「オバさんを襲うか、万引きするか」
といけないことも頭によぎらせながら断食&野宿3連泊。
こうして2人はベトナムではじめて無一文を経験したわけだが、それまで心のどこかで、
「所詮はテレビの企画」
「最悪、スタッフが助けてくれる」
と思っていた。
しかし同行スタッフが、無一文で飲まず食わずの自分たちの目の前で、缶コーラをおいしそうに飲んで、余りを捨てるのをみて覚悟を決めた。
旅の間、同行スタッフは、2人がどんなに貧乏になって飢餓状態になっても、バンバン肉や米を食べ、酒を飲み、余ると足で踏んで食べられないようにし、ペットボトルの水を飲みながら、
『あんまり水(水道水)は飲むなよ』
とアドバイス。
「じゃあ、くれよ、それっ」
有吉がいうと
『ダメ。
買えよ、自分で』
「金ねぇんだよ!」
結局、2人は香港からロンドンまで水問題と下痢問題に苦しみ続けた。
「水って結構大変だなって思って。
ヒッチハイクで海外に190日いたけど、100日以上下痢。
海外行って水飲んでないのに何でお腹を壊すんだよっていったら、(現地の水で)サラダを洗っているでしょ。
それだけで壊す。
その国の水が汚いとかじゃなくて、合わないんだよね、体に」
そして野宿が基本の2人は、自然と「野糞慣れ」もした。
出した後は、手で拭くことも多く、森脇は左手で拭いて右手で食べるようにしたが、有吉は、右手で拭いて右手で食べていた。
ありとあらゆる場所でできるようになった2人だが、それでも森脇よりもお腹が弱い有吉は、よく下痢になり「寝てる間も起きてる間も」漏らすことがあった。
やがて「漏らし慣れ」までしてしまい、文字通り屁でもなくなったが、まったく食えないときもあったので
「ウンコが出るだけマシ」
と思っていた。
2人から
「悪魔の大王」
と恐れられた同行スタッフだったが、ある意味、猿岩石よりもひっ迫していた。
もし襲わるなら、お金がない猿岩石より、ちゃんとした身なりをしてカメラを持っている自分。
だからヒッチハイクで新しい車に乗る度に緊張し、走行中も、ちゃんと目的地に向かっているかなど常に警戒した。
夜は、電気がとれる場所に泊まって充電。
そしてその日撮った数時間の映像から、必要な部分を抜き出す編集作業。
編集したテープは、どこの町からでも送れるわけではないので、ある程度ためて、大きな町から発送。
日本に着くのには数日かかり、さらにそこから編集して収録して放送されるとき、 7~10日間くらいのタイムラグがあった
「進め!電波少年」の放送時間は、日曜 22時30分 ~22時55分。
毎週、25分の間に数本のVTRが放送され、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は、その中の1コーナーとして
5月24日、30日
6月3日、6日、14日、24日、30日
7月3日、18日、19日、25日、31日
8月5日、7日、9日、15日、19日、22日、29日
9月2日、10日、17日、25日
10月1日、11日、18日
と26回、放送された。
最初の頃は、3~4分だったが、人気が出てくると10分、15分と増えていって看板コーナーとなり、番組の視聴率アップに貢献した。