猿岩石のヒッチハイク旅   アジアの西端、トルコへ。日本アカデミー賞女優、室井滋参戦。

猿岩石のヒッチハイク旅 アジアの西端、トルコへ。日本アカデミー賞女優、室井滋参戦。

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてゴールの大英帝国、イギリスまで。野宿、絶食が当たり前の「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。


1996年4月13日、若手お笑い芸人、猿岩石は
「だまされて」
目隠しとヘッドフォンをつけられて香港へ連れていかれた。
初海外という2人は、いきなり企画を聞かされ、ロンドンまで推定移動距離3万5000km、推定到達期間6ヵ月というユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅をスタート。
ルールは

・旅のご予算は、10万円(番組から支給され、それ以外のお金は持っていけない)
・移動は徒歩かヒッチハイクのみ(お金を払って乗り物を利用するのは禁止)
・旅の道中、猿岩石の2人に1人のスタッフが同行し撮影するので3名で移動するが、スタッフは一切、手助けはしない。

2人は香港のタイムズスクエア前で、
「To LONDON」
と書いた紙を掲げ、そのまんま東に
「こんなモンで(車が)捕まるか」
とツッコまれながら、白いワンボックスカーをGET。
2人は押し込まれるように車に乗ったが、それはヒッチハイカーというより拉致される日本人観光客。
工事現場からの帰りというポールが運転する車は、香港島から海底トンネルを抜け、香港本土、つまりユーラシア大陸に突入。
しかしポールは
「ゴメン。
オフィスに行かなければならない」
といって、2人をタイムズスクエアからたった4㎞の地点で降ろした。

「ホテルは高い」
猿岩石は、海がみえる九龍公園を彷徨い、高さ数十cmの塀(段差)に囲まれた場所を発見。
寝袋など持っておらず、コンクリートの地面の上に寝転び、ジャケットを掛布団にして寝た。
この後、約半年間、基本的に野宿が続いたが、新しい場所に移動したら寝床の確保は最優先事項で、昼間のうちに野宿する場所を探すのは鉄則となり、
「野宿ポイント」
「野宿ポイント探し」
という言葉が用語化。
海外では公衆トイレが有料だったり、夜、閉まることもあり、
「野糞ポイント」
「野糞ポイント探し」
も同時に行われた。

2日目、ヒッチハイクを開始。
ロンドンまで行くためには、まず中国に入らなければならず、停まってくれた車にかけよって
「広州、広州、チャイナ」
と声をかけるが、乗せてくれる人はなかなかいない。
2時間後、ようやくGETした車に乗って約30㎞、国境にある中国出入国管理事務所に到着。
「いよいよ中国突入だ」
と思いきや、職員に
『Do You Have Chinese Visa(中国のビザはありますか)?』
といわれ、2人は初めて知った。
「国境を越えるためにはビザというやつが必要らしい」
そして乗せてきてもらった車でビザを申請する入境事務局がある九龍に逆戻りし、親切なドライバーにお礼をいってお別れ。
その足で入境事務局に行くも、日曜日のために休み。
仕方なくマクドナルドをテイクアウトして、九龍公園の小さな塀に囲まれた場所に戻って、野宿。

3日目、入境事務局にいって必要事項を書き込んでビザを申請。
費用は2人合わせて1650香港ドル(2万1500円)。
女性スタッフに
『発行できるのは18日になります』
といわれ、発行が3日後と知った2人は、九龍公園の同じ場所に戻って、野宿。
4日目、5日目と昼間はボーッと過ごし、夜は野宿。
6日目、入境事務局にいき、
『This is Chinese Visa』
と女性スタッフからビザが貼られたパスポートを受け取った。
意気揚々と
「To CHINA」
と書いた紙を掲げて4日ぶりにヒッチハイクを再開。
1時間後、中国の親せきの家に行くという車をGET。
九龍から2度目の国境へ行き、ビザを持って中国出入国管理事務所に入ると30分ほどで審査完了。
2ヵ国目、中国へ突入した。

7日目に中国に入国し、ベトナム国境手前にたどり着いたのが16日目。
この間の移動は、数台のトラックを乗り継いで、荷台で過ごした。
旅を通じて座席に乗せてもらえることも稀にあったが、圧倒的にトラックの荷台が多く、そこで数時間過ごすわけだが、最長記録は21時間。
最初は尻が痛くて仕方なかったが、自然と鍛えられてなんともなくなった。
この時点で、番組から渡された10万円は、

食費 24000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 2000円

と合計85500円を使い、残りは14500円になっていた。

21日目、ベトナムの首都、ハノイに到着。
さっそくラオス領事館にいって、
「アイ・ワン・トゥー・ビザ。
トゥー・ラオス」
とビザを申請し
『1人、36ドルです』
といわれ
「はい?」
と日本語で驚いた。
2人分のビザ代、7800円を支払い、残金は700円。
しかも
『今日は金曜日ですから、月曜日に取りに来てください』
とビザ発行は3日後といわれ、領事館を出た2人は歩きながら
「いよいよだな」
「どうしよう」
「水とるか、メシとるかだな」
「水だろう」
と相談。
結局、断食&野宿でビザの発行を待つことにして公園に移動。
1日中、身動きもせずジッと耐え、ひたすら寝て
「オバさんを襲うか、万引きするか」
といけないことも頭によぎらせながら断食&野宿3連泊。

こうして生まれてはじめて無一文と飲まず食わずを経験することになった2人だが、
「所詮はテレビの企画。
最悪、スタッフが助けてくれる」
と思っていた。
しかし同行スタッフが目の前で缶コーラをおいしそうに飲み、余りを捨てるのをみて覚悟を決めた。
旅の間、同行スタッフは、2人がどんなに貧乏になっても、飢餓状態になっても、バンバン肉や米を食べ、酒やジュースを飲み、余ると足で踏んで食べられないようにした。
そしてペットボトルの水を飲みながら、
『あんまり水(水道水)は飲むなよ』
とアドバイス。
有吉が
「じゃあ、くれよ、それっ」
というと
『ダメ。
買えよ、自分で』
「金ねぇんだよ!」

結局、水問題と下痢問題は、ロンドンまで続いた。
「水って結構大変だなって思って。
ヒッチハイクで海外に190日いたけど、100日以上下痢。
海外行って水飲んでないのに何で腹壊すんだよって思ったら、(現地の水で)食べ物サ洗うでしょ。
それだけで壊す。
その国の水が汚いとかじゃなくて、合わないんだよね、体に」
そして野宿が基本の2人は、自然と「野糞慣れ」もした。
出した後は、手で拭くことも多く、森脇は左手で拭いて右手で食べるようにしたが、有吉は、右手で拭いて右手で食べた。
ありとあらゆる場所でできるようになった2人だが、それでも森脇よりもお腹が弱い有吉は、よく下痢になって「寝てる間も起きてる間も」漏らすことがあった。
やがて「漏らし慣れ」までしてしまい、文字通り屁でもなくなったが、まったく食えないときもあったので
「ウンコが出るだけマシ」
と思っていた。

2人から
「悪魔の大王」
と恐れられた同行スタッフだが、ある意味、猿岩石よりもひっ迫していた。
もし襲わるなら、お金がない猿岩石より、ちゃんとした身なりをしてカメラを持っている自分。
ヒッチハイクで新しい車に乗る度に緊張し、走行中も、ちゃんと目的地に向かっているかなど常に警戒。
夜は、電気がとれる場所に泊まって充電し、その日撮った映像から、必要な部分を抜き出す編集作業。
編集した映像は、どこの町からでも送れるわけではなく、ある程度ためて大きな町から発送した。
それが日本に着くのには数日かかり、さらに編集されて放送されるのに数日かかった。
「進め!電波少年」の放送時間は、日曜 22時30分 ~22時55分。
毎週、25分の間に数本のVTRが放送され、「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」は、その中の1コーナーとして

5月24日、30日      
6月3日、6日、14日、24日、30日
7月3日、18日、19日、25日、31日
8月5日、7日、9日、15日、19日、22日、29日      
9月2日、10日、17日、25日  
10月1日、11日、18日  

と26回、放送。
最初は3~4分だったが、人気が出てくると10分、15分と増えていき、看板コーナーとなって番組の視聴率アップに貢献した。

25日目、4ヵ国目、ラオス入国
29日目、5ヵ国目、タイ入国
41日目、6ヵ国目、ミャンマー入国
46日目、7ヵ国目、インド入国
64日目、手違いで8ヵ国目、ネパール入国
69日目、インドに再入国
80日目、首都、デリーに到着
89日目、9ヵ国目、パキスタン入国
98日目、10ヵ国目、イラン入国

イラン入国直後、検問にあって警察署へ連れていかれ、撮影映像はすべて消去され、以後も撮影は禁止。
それでも一行は、一時拘留された国境から、ザヒダン、 ケルマン、フタンと1500㎞移動し、首都のテヘランに到着。
森脇は、テヘランに到着した3日後の8月1日、砂漠を歩きながら22才の誕生日を迎えた。

撮影ができず、映像が届かないので、日本では消息不明状態。
安否が気遣われる中、室井滋は、ドラマ収録の休憩中、広島の森脇の実家に電話した。
約40日前、インドのカーペット工場で働いていた猿岩石と電話で会話し、
「初めまして、室井と申します」
「あっ、初めまして」
「すいません、どうも。
あのぉーなんか送りますぅ?」
これを聞いた電波少年スタッフが新企画「日本アカデミー賞女優、室井滋 猿岩石を探して大追跡!」を始動させたのである。
森脇の母、みどりが電話に出ると
「私、東京の室井滋と申します。
あの女優をやっておる者なんですけれども・・・」
「あのテレビで前、約束してくださった・・・」
「そうです。
テレビで約束致しましたんで・・・」
「あのお、守ってもらえるんです?」
「ええ、約束は守らなくてはいけないですから」
「本当に」
「それに当たりましてですね、普段食べてらしたものを伺いたいなと思ってお電話したんですけれども」
とお袋の味を聞く室井。
次に有吉の母、きみにも電話。
「ご心配でしょ?」
「はい、心配してます」
「どうなさってるんですか、毎日?」
「あーもうねえ、心配で、毎日やっぱり夜、気になったり、夜ご飯食べるとき、気になったり・・・」
「今日は、あのちょっと有吉くんのですね、好物を」
お袋の味リサーチの結果、結果、

森脇 は、 うどん入りお好み焼き、ソースは「おたふくソース」
有吉は、 チャーハン、ご飯は固めに炊く

が好きだということがわかった。

116日目、8月6日、イランで撮影ができなかった猿岩石一行は、一気に11ヵ国目、アジアとヨーロッパの境に位置するトルコ、しかもその首都、アンカラへ。
(放送時は明かされなかったが、猿岩石が帰国後、トルコの国境地域でクルド人武装勢力が活動していたため危険と判断し、テヘラン(イラン) - アンカラ(トルコ)間を飛行機に乗って移動したことが発表された)
正式国名、「トルコ共和国」
首都は、アンカラ(Ankara)
オスマントルコ時代に首都だったイスタンブール(Istanbul)も、依然として経済・文化・観光の中心で、バルカン半島で最大の人口を有している。
首都は、アンカラ(Ankara)
オスマントルコ時代に首都だったイスタンブール(Istanbul)も、依然として経済・文化・観光の中心で、バルカン半島で最大の人口を有している。
国土面積は、日本の2倍( 78万km²)
トルコの国旗は、赤地に白の三日月と五芒星を配した「新月旗」
日本の国旗は、白地に赤色の太陽を配した「日の丸」
トルコ国旗は「夜」、日本国旗は「朝」をイメージさせ、共に赤と白の2色のみ。
アジアの西端にあるトルコ、東端にある日本は、11000kmも離れているが友好国である。

最初のきっかけは、日本の皇族(小松宮彰仁親王)が、オスマン帝国の首都、イスタンブールの皇帝を表敬訪問したこと。
オスマン帝国は、これに応える形で使節団と乗組員、合計656名を全長76mの軍艦エルトゥールル号に乗せて送り出した。
11ヵ月かけて横浜に入港し、明治天皇に謁見した後、帰路に着いたが、和歌山県沖で台風に巻きこまれ、22時半頃に沈没。
数名の乗組員名が岸まで泳ぎ、ガケを登って灯台へ。
灯台守から報せを受けた大島村(現:串本町)の住民は、救助を開始。
生存者を、灯台、寺、学校に運び入れ、手当てした。
それから95年後、イラン・イラク戦争は5年を経て互いの都市を無差別攻撃し合う事態に発展。
イランは日本にとってサウジアラビアやアラブ首長国連邦に次ぐ原油輸入先で、500人以上の日本人が首都、テヘランに滞在していたが、イラク軍の空爆が開始。
イラクは、イラン領空全域を戦闘地域とし民間機を含めたすべての飛行機が攻撃対象となると宣言。
日本政府は、取り残された日本人を脱出させるためにイラン・イラク両国と折衝し、特別派遣機の安全の保障を依頼したが、イラクから明確な解答が得られず、結局、待機していたジャンボ機が離陸できなかった。
するとトルコのトルグト・オザル首相が、トルコ航空の飛行機を派遣し、取り残されていた215人の日本人を救出した。

トルコ料理は、フランス料理、中華料理と並ぶ世界3大料理。
「ドネル・ケバブ」は、ブロック肉を回転させて焼き、薄切りにして食べる。
肉の種類は、イスラム教では豚肉を食べてはいけないので、主に羊肉が使われるが、牛肉や鶏肉のケバブもある。
「シシ・ケバブ」の「シシ」は「串」という意味で、ケバブを串に刺したもので、味つけは日本の焼き鳥同様、塩コショウのみが王道。
「イスケンデル・ケバブ」は、パンの上に野菜とケバブを乗せ、ヨーグルト、バター、トマトソースなどをかけて食べるが、ヨーグルトはマスト。
また日本で「トルコアイス」と呼ばれる「ドンドゥルマ」は、トルコの山岳部で採れるサーレップというラン科の植物の球根を乾燥、粉末化したものを入れることで粘り気を出した「伸びるアイス」
サーレップは、標高1000~1500mの自然の中に育ち、人工栽培はされておらず非常に希少で、日本で販売される「トルコアイス」を謡った商品は、粘り気を出すために他の粘着剤を使ったものが多い。

国民のほとんどがイスラム教徒というトルコだが、歴史的に初期キリスト教の布教の地でもあり、自然が創り上げた岩層を彫り削り、岩くつ教会や住居をつくった「カッパドキア」、ノアの箱船が漂着したという「アララット山」、聖母マリアが晩年を過ごしたと伝わる修道院跡、東ローマ帝国時代、キリスト教の大聖堂として建築され、後世、イスラム教の尖塔が増築されてモスクとなった「アヤ・ソフィア」などキリスト教ゆかりの地も数多く残っている。
イスラムの国になってもキリスト教の遺産を保護しようとうするところにも寛容な国民性を感じることができる。
ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカ、すべてに近い位置にあるトルコは、他国の価値観や文化を受け入れている。
本来、イスラム教徒は食生活など日常から厳しい戒律があり、例えばムスリム女性は夫以外の男性に肌をみせないようにするためにスカーフで頭や顔を覆わなければならないが、トルコでは政教分離の精神に則って、大学や公の場でそれを着用することは禁止。
飲酒もイスラム教では禁じられているが比較的自由に売買されている。

アンカラに到着した猿岩石は、まず次なる国、ブルガリアのビザを申請するためにブルガリア大使館に向かい、
『1人、550万トルコリラ(7300円)です』
といわれ、無一文の2人は何もできずに撤退。
「50万!
どんな額だよ!」
(森脇)
「とんでもないよ」
(有吉)
その頃、日本では松本明子が3度目の救援物資を準備するために奔走していた。
狙ったのは、「ウェーブハンド」というスポンジ製の大きな手。
いわゆる応援グッズだが、木村拓哉が
「これっ、コンサートに持ってきて」
といったものの、後ろの人の迷惑になることがわかって発言撤回。
急遽、使用禁止になり、5万個の発注がキャンセルになったウェーブハンドの在庫があふれているという情報をキャッチした松本明子は、
「少しくらいならタダでもらえるかもしれない」
と直接、東京都中央区日本橋の(株)丸惣を訪ねていった。
2500万円といわれる損害を被った社長だったが
「150?
いいですよ」
と快諾。
松本明子は、150枚(定価1380円×150枚=207,000円相当)を無料でもらい、救援物資の確保に成功した。
そして「進め!電波少年」の収録中、猿岩石と電話でつながると
「救援物資、第3弾送っといたから・・・
どこに送ったらいいかわかんなかったんで、一応、トルコのイスタンブールに送ったから・・」
松本明子と電話で話をしていた森脇が、
「救援物資、トルコに送ったと・・・」
と教えると、有吉はうれしさのあまり電話ボックスの壁にすがりつき、
「やったー」
と蚊の鳴くような声でいった。

2人は松本明子が送ってくれた救援物資で金を稼いでビザ代にすることにした。
しかし届くのは1週間後。
首都、アンカラは、トルコのほぼ中央。
イスタンブールは西端付近にあり、直線距離で370km。
有吉が、
「届くまでゆっくり名所を回ろう」
と提案すると、
「海!」
(有吉)
「海!?」
(森脇)
と2人の意見は一致。
トルコの国土の南側に地中海、西側はエーゲ海があり、とりあえず南の地中海を目指してヒッチハイクすることを決めた。

117日目、8月7日、2人は、
「Beautiful Sea」
と書いた紙を持ってヒッチハイク開始。
1時間後に停まってくれたトラックの荷台で揺られて6時間、海がみえてきた。
アンカラから南西に400km、地中海に面した街、アンタルヤだった。
海際の道でトラックから降ろしてもらうと、早速ビーチへ。
「うわあ、これはいいなあ」
「こんな海、初めてだった。
透き通っててずっと向こうまでみえるようだった」
あまりの美しさに感動した2人は、パンツ1丁で澄みわたる海に入り、10日ぶりの入浴。
「気持ちイイッ!」
そして
「巨乳率80%」
というビーチで波にのまれたフリして
「サササって」
痴漢した。

そして無一文の猿岩石は、岩場に移動。
海に潜って獲物を探し、フジツボとカニを数匹ずつGET。
有吉が
「やったーカニだー」
とはしゃいでいるとき、森脇は風向きなどを考えてカマをつくり、燃料となる新聞紙や木を拾い集め、火をおこした。
鉄板の代わりに空き缶を切って、その上でフジツボを焼くことにした。
有吉は、焼き上がったフジツボを食べた。
「食ってるよ、オイ」
騒ぐ地元の子供は無視し、アワビかサザエか疑うようなおいしさに目をむいて
「おいしい!」
カニも
「うわあ、うめえ」
と叫んだ。
結局、2人はフジツボとカニを完食。
久々の豪華シーフード料理の味には大満足だったが、量は足らず、腹が満たされることはなかった。

夜はビーチ備えつけのパラソルつきデッキチェアベンチで眠った。
「ココ、最高でしょ!
今までのに塾ポイントの中で。
波の音聞きながら・・・・」
そういう森脇は朝起きると、お尻を押さえながら海の家のドアをガチャガチャやっている有吉を発見。
面白いので寝たフリをしてみていると、朝なのでドアは開いておらず、有吉は違う海の家に移動し、またドアをガチャガチャ。
やがて汗をかきながら戻ってきた有吉は、突然服を脱ぎ出し、陸上選手のように走り、水泳選手のように飛び込んで平泳ぎ。
少し泳いで停止し、体勢に入った。
放出後、自分の周りに浮いてくることを防ぐために右手でちぎって投げ、
「ウンコって水に沈む」
ということを知った。
その後、シュノーケルをつけて海の石を拾っている人が近づいてきたので海から上がって、何食わぬ顔で日光浴。
「『キレイだ』とかやってるんです。
もう少しで僕のも」

同日、日本では室井滋がトルコに向けて出発しようとしていた。
空港に向かう前、大きな荷物を持って現れた室井に、スタッフが、
『何が入ってるんですか?』
と質問すると
「米入っちゃってるからね」
中身をチェックすると、

調理器具一式
新潟産コシヒカリ
うどん
小麦粉
おたふくソース


など合計20kgが入っていた。
スタッフが2人の家族から送られてきた段ボール、2箱を渡すと、室井は
「開けていいの?」
と聞いてから中身をチェック。
有吉家の段ボールには

・柿の種とビーフジャーキー(「食べるもののないとき、かみしめる」というメモつき)
・お守り(「これはお母さんの大切なお守りなのでリュックの中に入れておいてください」という手紙つき)

などが、森脇家の段ボールには

・妹からの手作りのぬいぐるみ人形(「お兄ちゃんへ 病気しないように」というメモつき)

などが入っていて、室井はそれらを
「ああ、もうなんか泣けてきちゃう」
と涙をチョチョぎらせながら収納し、バッグはさらに巨大になった。

次に番組スタッフは
『マネージャー同行はなしです』
と告げた。
室井は、荷物を持っている女性マネージャーにキツめに
「アンタもついてくるんでしょ?」
『いや、マネージャーの方は・・・』
「あのバッグ、アレ・・・
行かないの?
なんで黙ってんのよ」
女性マネージャーは、苦笑いするだけだった。
さらにスタッフは、
『お金はお持ちですか、今日?』
「お金は、3、4万持ってきたけど・・・
回収ですか、コレ?」
『じゃ、ちょっと出していただければ・・・』
室井がパスポートと一緒にクリアケースに入れていたお金を取り出すと、スタッフはそれを受け取り、
『これは日本に置いておくということで』
「うそぉーどうしてぇー。
本当に置いてくの?」

『旅費はすべてこちらの方ですべて!
あちらのほうに・・』
スタッフは、そういって室井を「旅費決定ダーツゲーム」コーナーに案内。
ルールは

・投げるのは1投のみ
・500円~100万円までダーツが当たった場所の金額が旅費となる

円形の的の中は、5千円、1万円、3万円、5万円、10万円、100万円と円グラフのように分かれていて金額が大きいほど面積は小さく100万円のゾーンは数%ほどの大きさ。
そして円形の的の外では、大きな500円、800円のゾーンが待っていた。
室井がダーツを持つと円形の的はルーレットのように回転。
放ったダーツは、見事、円の中に刺さり、室井は拍手。
「刺さった、刺さった!
何万?」
回転を止まると
「ダメだ、5千円だ !」
といってしゃがみこんだ。
旅費が5千円に決定。
渡されたのし袋を開封すると折った紙を入れて厚みを持たせてあった。
「何だコレ、上げ底じゃん。
最低」
室井はブーたれたが、この紙が後で役に立つことになる。

続いてスタッフは、猿岩石追跡アイテムとして

・トルコの地図
・メッセージボード(猿岩石の顔写真とトルコ語で「この人を知りませんか?この人を探してます」というメッセージ入り)
・電波少年のホームページアドレス「 http://www.ntv.co.jp」と接続方法を書いたメモ(これによって猿岩石の最新情報がわかる)

を渡した。
後は自分の力のみだったが、室井滋は、置いてあった巨大な荷物を担いで、ヨロけてコケた。
そして猿岩石がイランからトルコの首都に入ったとの情報を受け、アンカラへ向けて旅立った。


日本から直行便はなく、室井がトルコのアンカラ国際空港に着いたとき、時間はすでに22時。
すぐに空港で、のし袋から5千円を取り出して両替。
すると出てきたのは、385万トルコリラ。
巨大な数字に驚き、両替してくれた人に
「コーヒー1杯いくら?」
と質問。
その人はカウンターから出てきて、室井が持つお札の中から1枚を抜いて、
『コーヒー』
といった。
さらに
『バス』
といって抜きとったのは50万トルコリラのお札。
「50万でバスに乗るのぉ~」
あきれながら室井がアンカラ市内へ行くバスの乗り方を聞くと、この時間はタクシーしかないという。
「タクシー?
どの(いくら)くらいかなあ」
料金の心配をしながらタクシー乗り場に歩いていくと、客引きが群がってきた。
室井は寄ってきた男たちに
「すごく安いホテル知ってる?
ドーユーノゥ、チープホテル?
ベリーべりーチープ」
「すごくもう、ぜんぜんお金ない。
アイ ハブ ノーマネー」

そしてやむなく乗ったタクシーでアンカラ市内の安いホテル街があるウルス地区へ。
それらしき場所に着くと
「ここ?
ヒア?
早く、早くメーター切ってちょうだい。
メーター切ってちょうだい!」
カットメーター、プリーズ!」
とドライバーを急かせた。
それでもタクシー代で2,000円を使い、残りは3,000円。
「すごくいかがわしそうだな」
といいつつ怪しげなホテル街をとにかく安いホテルを探して歩いた。
「ハーイ、エクスキューズ・ミー。
ワンナイト・ハウマッチ」
といって入った1軒目のホテルでは、1泊70万トルコリラ(900円)といわれ
(安い!)
と思ったが
「また後で、レイター。
ジャスト・モーメント、ちょっと待ってて」
といって出て、もっと安いホテル探し。
3軒目で
「もうちょっとチープ」
と交渉の末、40万トルコリラ(520円)にしてもらった。
それを支払うと所持金は2500円になり、部屋まで荷物を運んでくれた若いホテル従業員に
「ボク、お金ないからさ、ボク、ガムあげるよ」
といってチップとしてガムを1枚あげた。
部屋に荷物を置くとホテル周辺を捜索。
猿岩石の顔写真とトルコ語のメッセージ入りボードを首に下げて
「知らない?」
「知ってます?」
と聞いて回ったが収穫はゼロ。
「こりゃ大変だよね、捜すのね。
まいったなー」
とミッションの大変さを痛感。
「あ~疲れた。
明日に備えようと」
といって寝た。

118日目、8月8日、地中海で一晩を過ごした猿岩石は
「ついでにエーゲ海も・・・」
と目的地をエーゲ海に面したリゾート地、ボドルムに設定。
「BODRUM」
と書いた紙を掲げ、ヒッチハイク開始すると2時間後、小型のジープが停まってくれた。
「ノー・マネー、OK?
ヒッチハイク」
『お金なんかいらないよ』
気のいい運転手は、そういってドアを開けてくれた。
「気持ちいいなあ、これ」
2人はホロをかぶった後部座席に座って、窓から入ってくる風を感じながら、5時間後、ボドルムに到着。
エーゲ海でも有数のリゾート地に到着したとき、すでにあたりは夕暮れ。
海の近くで降ろしてもらった2人は、お礼をいった後、空手着を脱いで寝床探しを開始し、結局、堤防で野宿。

一方、追跡2日目の室井は、アンカラ市内の猿岩石が野宿していそうな公園「CEMRE PARKL」を捜索することにした。
さわやかな朝、腹を空かして歩いていると目に入ってきたのはパン屋。
「うまそー。
コレ、うまそう。」
といって20万トルコリラでクロワッサンを購入。
さらにカバンからタバコ1箱取り出し、ジュースを指さし
「あのさあ。
ジャパニーズ、タバコ。
チェンジ、チェンジ」
と交渉し、物々交換に成功。
40円+タバコを支払い、道端で立ったまま、トルコで初めての食事をとった。
そして
「ドー・ユー・ノゥ?」
と歩きながら情報収集するも手がかりなし。
途中、警官に出会い、CEMRE PARKLにいく道を聞いた。
警官が
『チョウザ、チョウザ(すごく遠い)』
というで、室井は
「これに乗せていって欲しいんだけど・・」
とパトカーに乗せてくれと頼んだ。
『タクシーに乗りな』
「ノーマネー」
『ここを真っ直ぐいって、右に曲がって、そのままいって』
パトカー乗車を拒否し、改めて道順を説明する警官に、室井は『ありがとう』というタイミングで
「ケチ!」
と日本語でいって去った。

ホテルから8km、2時間歩いて公園に到着すると、早速、聞き込み&捜索を開始。
「ドー・ユー・ノゥ?」
しかし手がかりは得られず
「いないよなー」
公園からの帰り道、
「だけどさあ、インターネットでさー、
アンカラに来てるかどうか、ちょっと捜した方がいいんじゃないかな、まずは。
インターネットの店、インターネットカフェとかあるのかな?」
とインターネットができるパソコンショップや日本企業などを探すことに。
「Is there パソコンショップ Here?」
通りすがりのいかにも知っていそうな人に聞いて回ったが、なかなか情報は得られない。
そこで交番へいった。
『ショッピングセンターだったらあるよね。
タクシーでいけるよ』
「ノー、ノー」
『歩いて?」
「イエス」
『歩いては行けない。
すごく遠い』

12km、4時間歩いて、ヘトヘトになりながらショッピングセンターに到着。
そしてやっとパソコンショップを発見。
室井は、
「ハロー。
ルッキング・フォア・マイフレンド。
プリーズ・インターネット・サービス」
といって
「友達を捜してるんですが、インターネットサービスをみせて下さい」
と伝えようとし、女性店員もキチンと応対してくれるが伝わらない。
するとたまたま居合わせた女性客が
『May I Help You?』
といってくれた。
「ドー・ユー・ハブ・インターネットサービス?」
『Are you Japanese?』
「イエス、イエス」
室井がいうと女性客は
『それでは日本語で』
と日本語でしゃべった。
室井は大喜びで
「ありがとう。
地獄に仏。
知ってます?
ジゴクにホトケ」
女性客がインターネットの接続ができないか聞くと、女性店員は、
『ここでは無理です』
すると女性客は、店の電話を借りてホテルにいる夫に電話。
『日本の女の人が困ってるんだけど、そっちに連れてっていい?』
ご主人の返事はOK。
『ホテルで待ってます』
「あっいいんですか?」
『はい』
「ホテルに行って?」
『はい』
「一緒に行ってもいいんですか?」
『はい』
「ありがとう、すいませんね。
申し訳ないです。
イヤ、うれしい。
なんていい人なんだろう。
よかったー。
この人に会えなかったら」
そういって口を押さえる室井は涙目だった。

女性客の夫は日本人。
くさび形文字の研究者で、学会のためトルコのホテルに滞在していた。
そのホテルに移動後、その優しいご主人とご対面した室井は、猿岩石追跡アイテムの1つ、電波少年のホームページアドレス「 http://www.ntv.co.jp」と接続方法を書いてあるたメモを渡した
「これでどこにいるのかを知りたいんですけども・・」
『はい、ちょっと待ってください』
ご主人は自分のノートパソコンで準備を始めた。
すると横から奥さんが
『何か飲みますか?』
「いいんですか?」
幸せすぎて涙と笑いが止まらない室井。
「うれしい。
何でもいいです。
お水でも何でも」
そして冷蔵庫からダイエットコーラを出されると
「いいんですか、コーラなんて!」
と350ml缶を半分ほど一気飲み。
「うぁーッ、おいしい」
するとインターネットの接続が完了。
猿岩石の近況をチェックすると
「2人の現在いる場所・・・
トルコ。
アンカラからアンタルヤへ移動中だって。
アンカラにいないよ!」

「あと2000円くらいしかないのに・・・」
嘆く室井に、親切なご夫婦は、長距離トラックに乗ることをアドバイス。
そしてメモに
「アンタルヤに行きたい」
「お金がない」
とトルコ語で書いてくれた。
室井はトラックターミナルへ向かい
「アンタルヤに行きたいんだけど。
お願い」
といってメモを見せた。
そして男性の先導で連れていってもらったのはバス乗り場
「バスじゃなくてさあ、車に乗せてもらいたいんだよ、オジチャン」
アンタルヤ行きのバスの料金は2,000円もするために当然却下。
「サンキュー、サンキュー」
といって案内してくれた男性と別れた室井は、メゲずにトラックを当たっていく。
そして2人の男が乗るトラックで
『この娘、お金ないんだって』
『かわいそうだから乗せてやるか』
『ちょっとくらい、お金出せよ』
といわれ、タバコを出したが、ついでにお札も1枚持っていかれてしまった。
そしてトラックの荷台には先客がいた。
「何だ、これと一緒かよ」
と笑う室井は、3匹のヤギと一緒にアンカラを出発した。

アンカラから南西に400km、アンタルヤまで揺れる荷台の上で長旅が始まった。
室井は、荷台前方にいるヤギに対し、真ん中に荷物を置いてバリケードをつくり、最後部に座った。
そしてまず帽子と頭の間にタオルを挟んで、日焼け対策。
するとヤギがオシッコしだし
「あっ、オシッコだ。
ガマンしてー」
と頼んだが止めてくれなかった。
トラックに揺られ少し落ち着いてきた室井は、ハーモニカを取り出して、「上を向いて歩こう」を吹き出した。
すると雲行きが怪しくなり、大粒の雨とヒョウが降ってきて、とても上を向けない状態に。
「アイタタタタ」
室井はビニールのカッパをかぶったが
「サブー」
「イテー」
を連発。
あまりの寒さに羊も鼻水をタラしていた。
とにかく耐えていると、やがて天候は回復。
室井はカッパをかぶったまま荷物を枕にして寝た。
アンカラを出て4時間、日が傾き始めた頃、車がスローダウン。
「どうした?」
寝ていた室井が起き上がると車は道路の端で停車していた。
「エンストか?」
心配しているとなんとか発進。
しかし明らかにエンジン音がおかしい。
「ダメダメ、黒煙はいてる。
おかしい。
ダメダメ、ストップ」
室井は運転席に呼びかけたが、運転手はアクセルを踏み続け、数十m、低速走行した後、ついにエンジンが動かなくなった。
「ああ、どうしてこうなるかな」
男たちは運転席から降りて修理を試みたが直らず、室井と同行スタッフに
『アンタたち、他の車探してくれないか?』
『悪いな、許してくれ』
といった。

室井は、荷物を降ろし、ここまで乗せてもらったお礼を告げ、新たなヒッチハイクの準備。
5千円と一緒にのし袋に入っていた紙を取り出し
「上げ底で紙が入ってたんだよ。
ほら、こんなデッカい紙。
やったじゃん。
これに書けばいい」
といって口紅でメッセージを書いていると、1台の車が停まり、男性が降りてきた。
『こんにちは。
どうしたの?』
地面で書いていた室井は男性を見上げながら
「アンタルヤ!」
といってメモを渡した。
『アンタルヤ?』
「イエス」
『この通りを向こうへ行くんだよ』
「あっちでしょ」
わかっていることを教えてくれる男性に室井は
「ちょっとみせて」
といってメモを取り返し、下を向いて作業を再開。
日本語で
「おっちゃん、乗せてくれないんだったら話しかけんなよ」
と毒づいた。
男性は
『手伝ってあげるよ』
といって室井から紙と口紅をとって、自分の車のボンネットでメッセージを書いた。
そして書き終わると
『チャイ』
「チャイ?」
『ティー』
とお茶に誘ってくれた。
「いいの?
どうしてそんなに優しいの」
室井は車に乗った。

男性は運転しながら
『もう日が沈んで危ないから泊まった方がいいよ』
といって、ある家の前に停車。
出てきた男性に
『この娘が困ってるんだ。
この人たちを泊めてあげてくれないか』
頼まれた男性は
『じゃあ、ちょっとついてきて』
といった。
男性が運転する車に先導され、トルコ語がまったくわからず、わけがわからない室井は
「どういうことなのかな?」
車はアンタルヤの手前150kmの村、アフィヨンに到着。
『ここで降りて』
といわれ、外をみると外で数人の男が握手している。
不安を覚えながらも室井は
「ハロー」
と笑顔で降車。
男たちに案内されて
「どうなってんのかなあ。
わかんない」
と泣きそうな顔でついていった。

そして一軒の家に到着。
「ここに泊めてもらえるのかな」
といいながら入っていくと庭で
『いらっしゃい』
と、この家のお母さんに出迎えられて握手。
口紅でメッセージを書いてくれた男性は、室井から大きな荷物を取って
『さあ、あの部屋へ』
といった。
室井は通された部屋でカッパを脱いだ。
どうやら泊めてもらえる様子。
「すみません、本当に」
と正座して頭を下げる室井をお母さんはハグをして両頬にキス。
「はずかしい、はずかしい」
テレる室井に手を握りながら
『友達、友達』
といった。
室井は、夕食まで村を散歩。
子供たちが集まってきたのでハーモニカで「上を向いて歩こう」を披露。
自分で笑ってしまうほど何度も音を外したが、子供たちは盛り上がってくれた。
「なんかテレちゃうな」
日が暮れると美味しい夕食をごちそうになった上、お母さんから女性が頭を覆う布「ヒジャブ」をプレゼントされ、室井は感謝しきりだった。
「こんな親切なの、すごいね」

119日目、8月9日、猿岩石はボドルムの堤防で起床したが、無一文なので食べ物も飲み物も買えない。
そこで船の清掃など1日だけのアルバイトを探すことにした。
「サムシング・ジョブ」
「アイ・ワント・トゥ・ワーク」
「ジョブ!」
停泊中の船の人に笑顔で話しかけていき、断られ続けた。
9隻目、
「ワン・ディ・ワーク」
『1日だけ?』
「イエス、アイ・ホープ・メイク・マネー」
『お金が欲しいんだ』
「イエス」
『いいよ』
船長らしく人物は船に乗るように促した。
その船は、海水浴客を乗せて食事付きクルージングを行う観光船。
2人は厨房の手伝いを命じられ
「残りモンが食える」
とほくそ笑んだ。
午前10時、優雅な客たちを乗せ、船が出港。
厨房ではランチづくりが開始し、2人はシェフの指示に従って調理補助を行った。
船は30分ほどで目的地到着。
離島の近くに停泊した船から、ある客はエメラルドグリーンの海に飛び込み、あり客は甲板ベンチで日光浴。
2人は、それを横目にみながら
「いいな、リゾートで来てる人は」
(有吉)
「俺達、仕事」
(森脇)
12時、食堂は満員になって、厨房から完成したランチがドンドン搬出。
すべての料理を出し終えると、シェフにまかないをつくってもらい、久々にまともな食事。
その後、戻ってきた食器を洗った。
17時、帰港。
すると船はすぐにナイトクルージングの準備に入り、厨房の2人もディナーの準備に追われた。
ナイトクルージングの客は、美しい夜景を楽しんだ後、22時に帰港。
2人は厨房の清掃をして、24時に1日の仕事が完了。
1人、100万トルコリラ(1300円)の日当をもらい、Iヵ月ぶりに無一文でなくなった2人は、そのまま船の甲板で泊まらせてもらった。

一方、追跡3日目の室井は、お母さんと家族に別れを告げ、昨日、村に案内してくれた男性にアンタルヤまで乗せていってもらうことになった。
後部座席の窓をハンカチで覆って日焼け対策を施してから眠った室井は、アフィヨンから150km、アンタルヤに到着すると
「サンキューサンキュー。
気をつけて帰ってね。
ンッ」
と笑顔で男性の頬にお礼のキス。
そして自分も頬にキスをされ
「ヒゲ、痛かったね」
そしてアンタルヤでメッセージボードを首にぶら下げて
「知らない、これ」
と聞き込み開始。
途中で男性に
『英語話せますか?
この通りを100m行くと日本人とトルコ人の家族が住んでるよ』
といわれ、 
「私、お金ないの」
といったが強引な男性についていくことに。
着いたのは日本語観光相談所「MiHRi」
案内係をしていた日本人女性に
『マリーナの方は行かれました?
あの辺りに行くとたくさん人がいるので多分、目撃者がいると思います」
といわれ、2km歩いてマリーナの捜索を開始。

しかしそこはトルコでも指折りのリゾート地。
遙か彼方までビーチが続き、1人で捜すにはあまりに広い。
「どうしようかな」
「困ったなあ」
「あー、お腹減ったなー」
「苦しいー」
といいながら3時間捜索した後、吸い込まれるようにレストランへ。
そしてここまでの我慢の反動か、
ピラフ、スパゲティ、クラブスープ、サラダ、
「時価だから怖い」
と思いつつシュリンプ、ピザ、ビールとバンバン注文。
まずはビールを喉に流し込み、、
「ぅあーッ」
と幸せを味わう。
料理も
「おいしい! 」
と完食し、食後のコーヒーを追加注文。
夢中で飲み食いした結果、お会計は、200万トルコリラ。
「どうしてそんなに高いの?
あっエビ(シュリンプ)だよ!
あーショックだ」
残金は600円。
落ち込んで店を出てからも、
「食べなきゃよかった、あんなにいっぱい」
と後悔しながら、木陰で昼寝。
目が覚めると決心した。
「やっぱ働かなきゃダメだ、これ」

日本語観光相談所「MiHRi」に戻って、日本人女性にトルコ語で仕事探しのメッセージを書いてもらった。
そして室井が思いついた仕事は「トルコ風呂」だった。
かつて日本で「トルコ風呂」といえば、風俗業や風俗店を指していた。
正式名称「個室付特殊浴場」といい、本当はやってはいけないサービスを提供してくれる風俗店の俗称だったが、トルコ人から抗議を受けて「ソープランド」に改称し、石けん業界から抗議はなかったようで現在に至る。
しかし本来、トルコ風呂とは、トルコを含む中東やアジア諸国に広く見られる伝統的な公衆浴場のこと。
美的な外観と計算された熱効率、給排水の構造は、建築学の視点から高く評価されている。
基本的な構造は、半地下に建てられて窓はない。
入り口に番台があって、中に脱衣所と浴室があり、客は、腰布、サンダルだけで浴室に向かう。
浴室は、蒸し風呂で、汗を出しながら、あかすりやマッサージなどのサービスを受けることができる。
通常、男性客に対しては男性、女性客に対しては女性がサービスを行い、そのマッサージは手荒だが快適。
入浴を終えた客は、洗面台で体を流し、人によっては脱衣所で体を休めながら飲食やおしゃべりを楽しんだ後、入浴料とチップを支払って店に出る。

「ハロー。
エクスキューズ・ミー」
店先で室井がいうと
『ハロー』
と男性の大きな声が返ってきた。
「プリーズ、リード(読んで)」
室井は出てきた男性に書いてもらったメッセージを提示。
『男しか働けないんだ。
女はダメ』
男性専用トルコ風呂店のようで拒否されたが粘った。
マッサージするジェスチャーをしながら
「べリーうまい、すごく上手」
腕に力こぶをつくって
「力ある」
とアピール。
15分後、
『わかった』
といわれると、うれしさのあまり男性に抱きついて肩をたたいた。
男性は、この店の「親方」だった。
親方に連れられ更衣室へ移動。
黄色いヘアバンド、黄色いTシャツ、白い半パンという仕事着に着替えると、パンツ一丁になった親方と共に生まれて初めてトルコ風呂に入った。
中は蒸気だらけで
「オー」
『ハマム(トルコ風呂)』
「オー」
『オー』
親方と仲良くいい合った後、さらに奥の狭い部屋に入っていった。
そこにはベッドがあり、局部にタオルを置いただけの男性が寝ていた。
ここで仕事を覚えるためのレッスンがスタート。
狭い部屋の中、室井はパンツ一丁の親方の指示を受けながら、ほぼ全裸の男をマッサージ。
それは全身の韓国式アカスリのようなマッサージと洗体作業で思った以上の重労働だった。
にもかかわらず、なぜか順番待ちができて、入ってくる客を汗だくになりながら
「気持ちいい?
ナイス?」
と懸命にマッサージ。

7人洗った後、ようやく休憩となり、室井は店の外のベンチに座り、
「空いてたんだよ、最初。
ドンドン増えちゃって・・」
と不思議がった。
そこに親方が冷水のを持ってやってきて、コップについでもらい
「サンキュ、サンキュ」
といって飲んだ後、仕事再開。
マッサージ中、客のタオルがズレて性器が丸出しとなっても洗い続け、両手を合わせて客の体をパンパン叩いたり、濡れた布の袋に空気を入れて膨らませてこすったり、新技もどんどんマスター。
2回目の休憩に入り、外のベンチに座って涼んでいると、親方は大きなタオルでバサバサと扇いでくれた。
「そんなにしてくれなくたっていいんだよ」
それより手伝ってよ。
どうして私だけにすんだよ」
室井はうっとうしそうにいったが、異常な忙しさと親方の異常な優しさには理由があった。
親方は店の入り口に
「日本人女性によるマッサージサービス中」
と張り紙をしていたのである。
トルコ語で書かれた張り紙をみて、新たに客が入店するのをみて、室井は、
「5人入ってった。
また1人で洗うんでしょ」
と泣き笑い。
そして親方に
「トゥギャザー、トゥギャザー。
おっちゃん、サボるんだもん。
カモン、カモン」
と救援を頼んだがかなわず、結局、汗と泡にまみれながら5時間、22人の男を洗ってようやく終了。

「はー疲れた。
もしかしたら頭の血管切れてるかもしれない」
といってスタッフルームでたたずんでいると
『Hey』
と親方が夕食を持って登場。
「優しいじゃん!
ここで食べんの?」
『Yeah』
「サンキュー、優しいじゃん、パパ」
最初の一口を親方に食べさせてもらい、室井は
「おいしい!」
とグッドサイン。
食事の後、
『これは給料だ』
と100万トルコリラを渡され
「嬉しい」
と喜んでいると、さらに、
『お客さんがこんなに置いてった。
チップ!』
といって90万トルコリラを渡された。
「チップだよ。
濡れてるもん金が・・・
ありがとうサンキュー」
給料とチップ合わせて190万トルコリラをGETした室井は、毛布と枕を親方に用意してもらい、スタッフルームのベンチでお泊まりした。

120日目、8月10日、船に泊まらせてもらった猿岩石は、朝、船員に別れを告げて道路に移動。
「ISTANBUL(IS (イスタンブール)」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク開始。
2時間後、赤いミニバスが停車。
運転手は
『ベルガマ(に行く)』
といった。
ボドルムにツアー客送った後、ベルガマに帰るところだという。
ベルガマはイスタンブールより、かなり手前だが2人は乗せてもらうことにした。
「サンキュー」
広々とした車内に乗り込んで改めてお礼をいうと、運転手は前をみたまま、腕を上げて親指を立てた。
5時間後、ボドルムから300㎞離れたベルガマに到着。
バスを降り、お礼をいって運転手と別れると、今夜の野宿ポイント探し。
「いいね、これ」
なかなかいい公園を発見し、腰を下ろすと、目の前にはレストランがあった。
お金を持っている2人は、たまらず入店。。
「うわあ、ハンバーグだ!」
有吉はそういった後、店員に向かって
「あの、ワン、ビア」
と追加注文。
森脇はすかさず
「なんでビール頼むんだよ」
とツッコんだ。
お会計は90万トルコリラ(1200円)。
残金は110万トルコリラ(1400円)となり、レストランの前の公園に戻って野宿。

一方、追跡4日目の室井は、トルコ風呂屋を出て、アンタルヤの広大なビーチで捜索再開。
メッセージボードを首にぶら下げて歩き回って
「この人たち知らない?」
と聞き込みをしているとビーチの店員に
『ビーチの放送を使えばいいよ。
こっちに来て』
といわれ、放送ステーションへつれていってもらった。
そしてまず男性スタッフがトルコ語で
『サル ガン セキ。         
2人の日本人を捜しています。
御存知の方はご連絡ください』
サル ガン セキ。
2人の日本人を捜しています。
御存知の方はご連絡ください』
とスピーカーで呼びかけ。
続いて室井が
「あのー、日本から来た室井滋です。
猿岩石の2人、今捜してます。
あのー、もしここにいたら、ここなんか、あのー、迷子の人が、あのー、来るところみたいで、ここに来て下さい。
猿岩石の2人、猿岩石の2人、よろしくお願いします。
サンキュー」
と恐らくアンタルヤビーチで初の日本語をスピーカーで響かせた。


放送後の反応を待ち、1時間後、
『見た人がいました』
猿岩石の目撃者が現れたという情報が入り、急行。
『3人だったよ。
リュックサックを背負って、1人はこんなビデオを持って。
3、4日前、あの岩場にいたよ』
目撃したという男性は数日前にみたというが、それでも室井は2人がいたという岩場へ向かった。
「この人たちをみませんでした?」
とそこにいた子供たちに聞き込み。
『あの岩場にいたよ』
『カニを食べていたよ』
『フジツボも食べてた』
『2日前ここにいたけど、今はいないよ』
という情報と岩場につくったカマの跡を発見。
「ここで何か食べてたんだ。
ショックだなー。
どこ行ったかなー。
この人達捜してるんだけど」
しかし子供たちは、そこから先は知らなかった。

室井は、猿岩石はもう街を出てしまったと考え、聞き込み場所を国道沿いに移した。
「エクスキューズ・ミー」
「ドー・ユー・ノゥー?」
聞いて回っていると、露店でビーチ用品を売っているお兄ちゃんが
『ボドルム!ボドルム!』
といった。
「ボードロンって何よ?」
『ボドルムに行ったよ』
「知ってるの?」
『3人いて1人カメラ持ってた。
この通りを向こうへ行ったよ』
「どこ?どこ?」
『自動車!
自動車!』
「とにかくボートラムってとこに向かったんだ」
室井はへたり込んだ。
そして再度、日本語観光相談所「MiHRi」へ戻って、ボドルム行きのヒッチハイク用のメッセージを書いてもらった。
さらに書いてくれた案内係の日本女性から
「ボドルムに日本人でペンションやってる方がいるから、もしアレだったら訪ねてみてください。
エミコさんて方なんで、ペンションの名前はエミコペンション」
と頼れる情報もGET。
そしてヒッチハイクスタート。
1台のトラックが停まってくれたので、あわててかけよると
『この車はボドルムへは行かない』
といわれ、手ではありがとうとジェスチャーしつつ、日本語で運転手に
「行かないんだったら停まんなよ」
と毒づいた。

気を取り直して再開すると、50分後、トラックが自分のほうに向かって路肩に入って来たので、荷物を持ってよけた。
「なんだよ。
こうやって入ってこなくてもいいじゃんかよー」
再び日本語で毒づきながら運転席へ向かった。
すると右側の助手席に子供がいるだけ。
「あっ、父ちゃんどっかいっちゃった」
室井がいった次の瞬間、左側の運転席から下りて回ってきたドライバーが、
『ボドルム?』
「ボドルム、ボドルム」
するとドライバーは荷台を開けてくれた。
「オー、 サンキュー、サンキュー!
うれしい。
オー、イスつき、イスつき」
トラックは引っ越しを終えてボドルムへ帰るところで荷台にはソファーとクッションがあった。
走り出してしばらくすると雨が落ちてきたが、旅でたくましくなった室井は
「ちょっと待てばすぐやむよ」
とヘッチャラ。
しかし空腹は別。
「腹へったなー」
といいながら寝ていたが、トラックが市場にさしかかると飛び起き、
「マーケットだぁー」
と叫んだ。
むなしく通過するトラックの上で
「あーうまそうだー」
「あーいいニオイ。
あー焼いてるよ。
トウモロコシ焼いてる。
トウモロコシ食おうよ。
トウモロコシ食わねぇ?」
と恨めしそうにいい、最後に
「腹へったー」
といって力尽きた。

空腹に耐えながら6時間、エーゲ海に面した街 、ボドルムに到着。
時間は深夜0時を回っていたが、街はにぎやかで、
「ドー・ユー・ノウ、エミコペンション?」
と聞きながら日本人のペンションを探す。
「エミコペンション あった!」
そしてオーナーのエミコさんに荷物を置かせてもらい、今度は猿岩石を探して深夜の街へ。
繁華街は若者であふれていたが、なかなか手がかりを得られない。
しかし
『マリーナでみたよ』
という男性を出会うと室井は思わずダッシュ。
しかしマリーナはどこかわからない。
「マリーナ、オーバー・ゼア?」
と人に聞きながら、なんとかマリーナに到着。
猿岩石を探して歩いていると
『Hey』
と首から下げたメッセージボードをみた男性に呼び止められた。
『昨日この辺にいたよ』
「マイフレンド、いた?」
『ここに来たよ。
昨日来た、昨日。
このボートに』
「昨日?」
2人は、船で働いていたらしい。
「長くいたの?」
『一晩ボートで寝て、朝になって出て行ったよ』
「行っちゃったかー」
室井は、肩を落としてエミコペンションに戻った。

121日目、8月11日、ベルガマの猿岩石は、
「ISTANBUL(IS (イスタンブール)」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク開始。
1時間後、小型トラックが停まってくれた。
「ウイ・アー・ノ・マネー、OK?」
というと運転手は、乗ってこいとジェスチャー。
2人が車の行き先を確認するとイスタンブールの手前にあるヤロバに行くという。
ベルガマの市場でスイカを運んだ帰りで、荷台にはスイカが数個転がっていた。
「このスイカ、もしかしたら・・・」
淡い期待を抱きながら荷台に揺られて3時間後、運転手に
『食事休憩をとるか?』
と聞かれ
「Yes」
と答え、レストランへ。
しかし運転手は席に座らず、ドウゾ、スワッテというジェスチャー。
「あっ、この人、お金がないんだ」
と気づいた2人は、ドウゾドウゾと席に座ってもらい、食事が運ばれてくるとドウゾドウゾと勧めた。
こうしてこの旅で初めて、オゴられるのではなくオゴり、会計は110万トルコリラ(1400円)で、残金0。
無一文になったが
「オゴると気持ちいいね」
と笑い、余ったパンを紙で包んでテイクアウトし
「救援物資があるから何とかなる」
ベルガマを出て6時間、トラックは300㎞走って、マルワラ海に面する街、ヤロバに到着した。
『この湾の向こう岸がイスタンブールだ』
別れ際、運転手に教えてもらい、お礼をいった後、本日の野宿ポイント探し。
近くの公園のベンチで寝ることにしたが
「ムチャクチャ寒いね」
と遊具の中に移動。
翌朝、少し寝坊して起きると自分たちが寝ている遊具で子供たちが遊んでいた。
港に移動し、イスタンブールに行き、かつタダで乗せてくれる船を探したが、断られ続けた。
マルワラ湾の向こうには、救援物資が届くイスタンブールがみえていた。

一方、追跡5日目の室井は、エミコペンションを出て、追跡を再開。
エミコさんによると、国境を目指す人は、ヤロバからフェリーでイスタンブールへ行く可能性が高いという。
そこで室井は、ヒッチハイクで一気にヤロバに先回りすることにした。
宿泊代を払い、残金30円となり、書いてもらったメッセージボードを手にヒッチハイク開始。
まず歩いて交通量の多い道路に移動。
「どっちかな」
ヤロバがどっちかわからないので、道路のどっち側に立てばいいかもわからない。
道路脇の店で朝食をとっている男性たちのところに行って、
「ヤロバ、あっち?こっち?」
教えてもらったついで、
「1個ちょーだい、いい?」
とブドウを一房もらい
「やったー。
いってみるもんだー」
といって1日ぶりの食事。
道に戻ると、メッセージを掲げ、ヒッチハイクを開始。
ヤロバは、かなり遠方なため、停まってくれる車はなかなか現れなかった
1時間後、1台の車が停まって、ドライバーの男性が降りてきて話しかけてきた。
『英語話せますか?
私、新聞記者ですが、面白いので写真を1枚撮らせて下さい』
「お金くんないかな~少し」
室井はそういいながらも笑顔でポーズ。
撮影が終わるとメモを持った記者から取材を受けた。
『年齢は?』
「うーん・・・20歳」
「仕事は?
学生?」
「はい、学生です」
室井は元気よくウソをついたが、実はこの男性、トルコ最大の新聞社、GAZE TE EGEの記者で、翌日、カラー写真つきで掲載されてしまった。

3時間後、1台のワンボックスカーがが軽くクラクションを鳴らして通り過ぎた後、スローダウンして停車。
「ンッ」
あわててかけよると逃げるように発車。
思わせぶりな態度に室井は
「なんだよ、もう。
やだな、もう」
と泣きそうな声でいった。
次に普通車が停まってくれたが、後ろのトラックにクラクションを鳴らされるといってしまった。
こうしてやっと乗せてくれる車が現れたときは、大喜び。
「トラックじゃない 嬉しい
エアコンついてる。
エアコンだよー」
エアコンつきのステーションワゴンで10時間走って一気にヤロバへ。
到着したとき、すでに深夜0時を過ぎていて、降車すると
「ハァー寒い」
しかしこれで猿岩石を先回りできたはず。


徒歩で閉まっているフェリー乗り場に移動し、明日の便の時間を確認。
イスタンブール行きのフェリーの始発は、朝6:30。
現在2:00。
始発までの間、メッセージボードを下げて猿岩石の情報を収集。
「いないかな」
疲れた体で、公園で野宿していないか、歩き回って
「おーい、猿岩石」
「猿岩石」
と何度も呼びかけたが返事はなかった。
公園からマルマラ湾とその向こう側にあるイスタンブールの夜景がみえた。
「まだ来てないのかなー。
それとももうイスタンブールに行っちゃったのかなー。
わかんないなあ」
心の中に不安と迷いが生じたが、最終的に猿岩石が来ると信じ、夜通しフェリー乗り場で待つことを決めた。
フェリー乗り場の入り口の前の地面に体育座りして、膝の前にメッセージボードを置き、行き交う人々の好奇の目にさらされながら夜は更けていった。

1日目、アンカラのホテル
2日目、アフィヨン村のお母さんの家
3日目、トルコ風呂のスタッフルーム
4日目、エミコペンション

と何とか屋根と壁のある場所で寝てきた室井だったが、追跡5日目にして初の野宿を経験することになった。

追跡6日目、野宿までして張り込んだ室井だったが、2人は来ないまま、始発のフェリーが出発。
その後、疲れて道路に倒れ込んで眠り、目が覚めると男性がなにかいいたげそうにこちらをみていた。
やがて近づいてきて、何もいわずに室井に何かを渡し、うなずき、去っていった。
苦笑いするしかない室井は、そのまま猿岩石を待った。
数時間後、立ち上がった室井は、近くにあったゴミ捨て場からイスを持ってきて、長期戦の構え。
近寄ってきた女性に
『女の子なのにかわいそうに』
といわれても
(それよりオバチャン、パンでもくれりゃいいのに)
と思いながら無言で待った。
そして男性が現れ、
『見たよ』
といった。
ついてきてとジェスチャーする男性に室井は荷物も置いたまま、
『忘れ物、忘れ物』
という通りがかりの人を無視して後をついていった。
そして連れて来られたのはフェリーの観光案内所。
『この人達ボドルムから来たらしいよ』
と男性がいうと、案内所の女性は
『ボドルムからわざわざ友達を探しに来たの?
見つかるといいわねぇ』
といっただけで何の手がかりも得られなかった。
「なんだよ、もう。
おせっかいなんだからあ。
どうしていろんなこといってくんだよおー。
見てないんだったら来んなよ、本当にもう」
キレながら戻った室井は、椅子に座るとイラ立ちを抑えるために「メリーさんの羊」をハーモニカを吹き始めた。

「あー、お腹空いたよー」
「会いたいよ、もう」
「行っちゃったのかな」
ブツブツいいながら座り続け、日が高くなると日差しを避けるために近くの壁、近くの木陰へと避難しつつ、なおも待った。
疲れで居眠りしてしまい、起きて地べたで座っていると4人の少年が遠巻きに立っていて、やがて意を決した1人が話しかけてきた。
『見たよ、あっちで』
「えっ?!」
室井は懸命に立ち上がり、少年に連れられて海の方へ向かう。
するとイスタンブールに行く船をヒッチハイクしようとしている猿岩石がいた。
「あー、いたー!!
猿岩石ー」
思わず叫んだ室井は、2人に走り寄ると地面に泣き崩れた。
そして少年たちに
「ありがとう」
とお礼をいい、猿岩石とハグ。
「サンキュー、ありがとう」
再度、お礼をいいながら少年たちもハグ。
「約束守ってくれたんですね」
と驚く猿岩石。
「お母さんたちからいろいろ預かってきたの」
「そうなんですか」
「そうなのよ。
約束破ったらさ、アンタん家のお母さんに・・・」
といって森脇の肩を叩く室井。
「ハハハハ」
笑いあった3人は、とりあえず芝生の木陰に移動した。

ついに日本から持ってきた物資を渡すときが来た。
まず森脇には、広島護国神社のお守り。
有吉には、弟からのアントニオ猪木の写真。
「アッタマに来るよ」
有吉は笑いながらいった。
ちなみに、この弟、 隆浩は、有吉が帰国後、広島の番組で広島から東京までヒッチハイクした。
室井は、続いて母親からの手紙を渡した。

「少し遅くなったけど、お誕生日おめでとう。
プレゼントのない誕生日は今まで1度もなかったので、少し寂しい気がします。
でもすごい体験がプレゼントされて、苦しいけれど弘行にとって忘れることのできない22才の年になりそうね。
オリンピックも100回記念の年ですごく盛り上がっていたけど、有吉家では弘行のヒッチハイクの旅がオリンピックなので、まだまだ続きます。
ロンドンへ金メダル目指してがんばってね。
人間は食べることと寝ることが大切だけど、寝ることはお金が無くてもできることだから時間があれば寝るように。
病気とケガには注意して、元気で2人で仲良く、1日でも早くロンドンへゴールできるよう祈っています。
それからお母さんのお願い聞いてくれますか?
髪の色は金・銀、どれでもいいけれど、もみあげとヒゲはそって欲しいわ。

お母さん」
(有吉の母親きみさんからの手紙)
 
「お母さん達は、想像もつかない本当に大変なチャレンジ。
でも和成なら必ずロンドンまでゴールインするでしょう。
つらいときは、広島時代を思い出してがんばれ。
9才の時の不明熱、髄膜炎、40日の入院生活。
中学時代は勉強よりも野球クラブ、県大会に行きましたね。
お父さん、お母さん、みゆき、友人、誰も何もしてあげられないけど、毎日、応援を送っています。
これからも厳しく、つらい旅が続くでしょうが、体に十分気をつけて、がんばってください。

お母さんより」
(森脇の母親みどりさんからの手紙)

手紙の朗読を泣きながら聞いた室井はしみじみと
「あきらめないでよかった」
そして涙を拭いて
「OK、じゃあ、ご飯にしよう」
といって疲れ切っているはずなのに走り出し、近くの店からガスコンロを2つを借りてきた。
「なんか食べた今日?」
「何にも食べてないです」
「一緒だね」
そこで室井が取り出したのは、
「おたふくソースだ!」
(森脇)
「梅干しも食べる?」
「あー」
(有吉)
室井は、お母さんに代わって料理を何皿もつくった。
そして広島風お好み焼きに、旅の最中に誕生日を迎えた2人のためにロウソクを立て、ハーモニカで「ハッピーバースデートゥーユー」を演奏。
それを正座で聴く猿岩石が、火を吹き消すと宴が開始。
チャーハンを食べて
「あーおいしい」
(有吉)
「うまい」
(森脇)
室井も食べて、満足。
「私が喜んでどうするのよね」

猿岩石は、すべての料理を残さず食べ切った後、森脇の妹みゆきの手作りの人形、友人達が2人に書いた寄せ書きのノートなど室井が預かってきた大切な品々をリュックに詰め、いよいよ出発。
「よし、じゃあ行こう。
どうする、船で行く?」
という室井に
「はい」
そして港に移動し、ヒッチハイク開始。
船に人がいると
「イスタンブール」
と声をかけ続けた。
しかし返ってくるのは
『ダメ』
『ブンカプールしか行かないよ』
と否定的なものばかりで船はなかなか見つからない。
すると室井が船に乗り込んで、何もいわずに男性に何かを握らせた。
そして
「いい、いい、大丈夫、大丈夫」
といいながら船を降り、猿岩石に乗るよう、肩を押した。
みると男性も笑顔で手招きしている。
「ありがとうございました」
港を離れていく船の中で頭を下げる猿岩石に、文字通り助け舟を出した室井は
「頑張ってね」
といって手を振った。
室井滋の6日間の旅は、すべて2人の笑顔をみるためのものだった。

トルコでの総移動距離、約2,300km。
徒歩での移動距離、約70km
アルバイト収入、180万トルコリラ
体を洗った男性の数、22人

室井の助けによって出港した猿岩石は、2時間後、ついにイスタンブールが見えてきて、4時間後、18時に着岸。
「サンキュー」
船長にお礼をいって別れると野宿ポイントを探し、海沿いの公園で野宿した。
「室井さんからいっぱい服をいただいたんですよ。
服も汚いから、私の服全部あげるからつって・・・
でもそれを着てたら、(同行スタッフに)つながりがわかんなくなるから服没収っていわれて・・・・」
(有吉)
「でも靴下とか見えない部分のは、そのままもらってたよね」
(森脇)
「靴下なんて限界でしたから・・・
ロウソクみたいに固めたみたいに、アカで・・・」
(有吉)
「脱いでも足の形のままで・・・」
(森脇)

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