まだ当時は新鋭のプロレスラーだった武藤敬司に何故に白羽の矢が立ったのかと言えば、原作のイメージにある大男の役者がオーディションで決まらなかったのだそうです。そこで、大男と言えばプロレス、相米慎二監督はスタッフと共に新日本プロレスを観戦しに行きそこで武藤敬司を観止めたそうです。オファーを受けた武藤敬司はビックリしたでしょうねぇ。
で、相米慎二監督と言えば「台風クラブ」。内外で高い評価を得た作品ですが、「光る女」はその「台風クラブ」が東京国際映画祭で勝ち取った報奨金で制作を始めています。
1987年は「永遠の1/2」と「光る女」の2本を制作したディレクターズ・カンパニーですが、翌年は、和製スプラッターホラーの先駆けといわれる池田敏春監督の「死霊の罠」、高橋伴明監督「DOOR」、長崎俊一監督「妖女の時代」のなんかちょっと怖いぞ路線の3作品を作り上げました。
スウィートホーム
時代がホラーを求めていたのでしょうね。1989年も引き続きなんかちょっと怖いぞ路線の黒沢清監督「スウィートホーム」と井筒和幸・黒沢清・高橋伴明監督による「危ない話」の2本をディレクターズ・カンパニーは製作しました。
「危ない話」はディレクターズ・カンパニー所属の3人の監督が、オムニバス形式で三者三様に描いた悪夢のような話。
で、取り上げるべきはやはり「スウィートホーム」でしょうね。何と言っても日本ホラー映画の金字塔・最高峰との呼び声が高い作品ですからね。
スウィートホーム
この映画、製作総指揮は伊丹十三なんですよ。伊丹の映画だったら私が出ないわけにはいかないじゃないの!?と言わんばかりに主演は宮本信子です。
まぁ、それはどうでもよろしい。それよりも「スウィートホーム」は黒沢 清監督のメジャー初作品なんです。いきなり才能を示しまくったというわけですね。
が、黒沢 清監督は金銭的トラブルなどから伊丹プロダクションと訴訟問題をおこしてしまい、「スウィートホーム」はDVD化されず絶版となってしまっています。この名作が観れないなんて、非常にもったいない話です。
1990年、相米慎二監督「東京上空いらっしゃいませ」、平山秀幸監督「マリアの胃袋」。
1991年、君塚匠監督「喪の仕事」、島田紳助監督「風、スローダウン」。
そして1992年に井筒和幸監督「東方見聞録」を制作した後、石井隆監督の「死んでもいい」を制作中にディレクターズ・カンパニーは倒産してしまします。
代表を務めた長谷川和彦監督以外の参加メンバーは全員作品を作ることが出来たわけですが、肝心の長谷川和彦監督作品を観ることが出来なかったのは残念でなりません!