長谷川和彦を知ってますか?「いや、知らん」と即答される感がありますが、まぁ、確かにね。一般的に映画は好きでも製作スタッフにはあまり興味がない人って多いですもんね。しかも携わった作品が少ないとなれば、映画ファンであっても長谷川和彦を知る機会は限られる。結果、無名のような扱いを受けてしまうことになるかと思います。
しかし、長谷川和彦を知っていて損はない!彼が関わった作品は数こそ少ないながら、どれもこれもバツグンの面白さなんですよ。
濡れた荒野を走れ
シナリオライターとして注目されたのは、1973年の日活ロマンポルノ「濡れた荒野を走れ」です。ちょっと解説を覗いてみましょう!
どうです?面白そうでしょう?まぁ、日活ロマンポルノってことでエロシーンを期待した方には残念かもしれませんが、普通に映画として見ると文句なしに面白いです。
続いて1974年に公開された「青春の蹉跌」がこれまた素晴らしかった。素晴らしかったのですが、当時の日本映画はどん底だ。萩原健一主演ということもあり注目されたのですが、どんなに素晴らしい映画であってもなかなか大ヒットしなかったのです。
時代は映画からテレビに移ってましたからね。で、長谷川和彦もテレビの仕事を手掛けます。それが大いに話題となったんですよ。
悪魔のようなあいつ
日本の映画界に大きな影響を与えた長谷川和彦。その長谷川和彦が一般的に知られるようになったのはテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」です。いや、そうではないか。「悪魔のようなあいつ」は、お茶の間でも知られるようになった長谷川和彦の作品というべきですね。知られたのは作品で、長谷川和彦の名はまだこの時点では一般的には浸透してなかったように思います。
では、どの時点で長谷川和彦の名が浸透したのかといえば、今でも一般的には浸透していないような気がしないでもありません。。。しかしそれでも長谷川和彦が日本の映画界に与えた影響はデカイのです!この作品はその始まりといってよいでしょう。
まぁ、長谷川和彦を知っていようといまいと話題となっただけあって「悪魔のようなあいつ」はとにかく面白いです。

悪魔のようなあいつ
そもそもプロデューサーだの監督だのシナリオライターだのといった製作スタッフって一般的に名前はほんと知られていないわけですから長谷川和彦の名を知らなくても、そりゃ普通ってもんでしょう。問題なしです。問題はありませんが、知っておいて損はしない存在であることは確かです。
で、この「悪魔のようなあいつ」ですが、主演が沢田研二で、劇中で歌われる「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしました。それだけでも話題性は十分ですが、沢田研二以外に、若山富三郎、藤竜也、荒木一郎、安田道代に篠ヒロコといった一癖も二癖もある実力者が脇を固め、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの久世光彦が監督を務めていますからね。間違いなく一級の作品というわけです。
ところで「悪魔のようなあいつ」で長谷川和彦は何をしているのかと言えば、彼はこの作品でも脚本を担当しています。「濡れた荒野を走れ」も「青春の蹉跌」も脚本担当です。
では、長谷川和彦は脚本家なのか?と言われると否定も肯定もしにくいのですよ、実は。
長谷川和彦は監督。それも映画監督!で、いいと思うのですが、いかんせん監督作品は僅かに2作品。シナリオライターとしての仕事の方が多いときてるところが否定も肯定もできない理由です。
それなのになぜ映画監督なのか?と言われれば、その2作品があまりにも素晴らしいからなんですよね。
青春の殺人者
待望の監督デビューは1976年。作品は中上健次原作の「蛇淫」を脚色した「青春の殺人者」。主演は若き水谷豊。ヒロインには原田美枝子だ。
それまでにも監督の話はいくつかあったようですが、ようやくチャンスが巡ってきたわけですね。長谷川和彦は30歳。新鋭映画監督の誕生です。

青春の殺人者
当時は長谷川和彦が映画を撮るということが話題とまるほど注目されていました。業界や映画ファンの期待が大きかった「青春の殺人者」は裏切ることなく各方面から、高い評価を受けキネマ旬報ベスト・ワンに選出されています。因みに新人監督の第1回作品がベスト・ワンになるのは異例のことだったそうですよ。
注目を集め評価も高かった「青春の殺人者」ですが、製作費は僅か3500万円。1976年のこととはいえ、厳しい。しかも長谷川和彦はそのうちの1500万円は自腹を切ったといいます。封切上映は日本中で4館だけだったそうですから仕方のない事なのでしょうけど…
当然のように長谷川和彦はノーギャラ、ついでに水谷豊もノーギャラだったのだそうです。水谷豊はテレビドラマ「傷だらけの天使」で一躍人気者となっていた時期ですよ。これってやっぱり役者魂!というやつなのでしょうね。水谷豊もこの作品に情熱を注いでいたということでしょう。他の出演者、スタッフも含め、この情熱が「青春の殺人者」を面白くしていることは間違いありません。
太陽を盗んだ男
公開当初から評価の高かったで「青春の殺人者」ではありますが、一般的には徐々に評価されていったように思います。それはひとつに配給がATGだからですね。良質な作品を生み出しているATGとはいえ、やはり規模が小さい。仕方のないこととはいえ、なかなか浸透しないです。
その点、監督2作目となる「太陽を盗んだ男」は豪華です。なんせ東宝ですからね、沢田研二と菅原文太のダブル主演ときたもんだ。
上映館も全国157館。さすが東宝です。
そしてさすが東宝なのが製作費。実に3億7000万円。「青春の殺人者」とは雲泥の差ですね。最終的には3億9千万円だったそうですが、それでもスタート時から1億7000万円足りないと言われていたそうですよ。

太陽を盗んだ男
太陽を盗んだ男の作品情報・あらすじ・キャスト - ぴあ映画
1979年度キネマ旬報 日本映画ベスト・テン第2位。同読者選出日本映画では第1位。
1979年度毎日映画コンクール監督賞。
1979年度報知映画賞 作品賞、主演男優賞(沢田研二)。
映画芸術誌ベストテン第3位。
第1回ヨコハマ映画祭 作品賞、監督賞。
第3回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞(菅原文太)とまぁ、様々な賞を獲得し、「青春の殺人者」同様高い評価を獲得しました。
が、鳴り物入りで封切られたものの、なんと制作会社は再起不能なのではないかと言われるほどに興行的には成功しませんでした。
それでも公開後口づてに評判が広まり、今日では更に評価を高めている作品です。
近年でも2009年度キネマ旬報 オールタイムベスト映画遺産200(日本映画篇)で第7位。しかも2018年のキネマ旬報<1970年代日本映画ベスト・テン>では堂々の第1位に輝いています。
更には2020年、英国映画協会選出による1925~2019年の優れた日本映画95本にも選ばれました。
立て続けに優れた作品を作り上げたにも関わらず「太陽を盗んだ男」以降、長谷川和彦は映画をまったく撮っていません。理由は諸説あるようですが残念としか言いようがありませんね。
その代わりと言ってはなんですが、映画製作や後進の育成など裏方として映画業界を支えてくれています。
映画関係者のみならず、多くの文化人などからリスペクトされている長谷川和彦。なんとかまた映画を撮ってもらいたい!というのは、ファンの高望みなんでしょうかねぇ。