YMO登場とその背景

YMO登場とその背景

言わずと知れたモンスターテクノユニットYellow Magic Orchestra YMOが誕生した時代背景などについてまとめていきます


1981年はYMOにとって大きな転換期となる。
3月に前衛的ともいえるアルバム『BGM』を発表。
当時、開発されたばかりであったデジタルのMTR(マルチトラックレコーダー)を駆使したこのアルバムは非常に実験的なアルバムであり、それまでのポップ指向のスタイルから一転、暗く重いヨーロッパ志向、ニューウェイヴ色の強いエレクトリックミュージックを展開した。
歌詞もそれまでのクリス・モスデルによる散文詩から、メンバー自身による作詞(英訳詞はピーター・バラカンとの共同作業)が行われるようになった。
同アルバム収録の「CUE」はこれ以降のYMOの音楽性を示した曲であると坂本龍一は語っており、また「U・T」が後に英国の『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』誌から「ハードコア・テクノの元祖」と称されるなど、YMO自身のみならず世界にも影響を与えたアルバムである。

YMOは「世界に通用する(した)ジャパニーズ・バンド」と位置づけられることが多いが、当のメンバー達はむしろ、「世界に出かかってやめちゃったバンド」と考えているようである(※1993年「再生」時の高橋の発言[要出典]より)。
YMOと活動時期を同じくした人気バンド・ゴダイゴのミッキー吉野もまた、「YMOの欧米進出と言っても実態は日本国内向けのパブリシティ狙い。海外でのレコード売上ならうちのほうが上」と後に発言している

また、同1981年11月には、『BGM』とはまた趣向の異なる実験的アルバム『テクノデリック』を発表。当時としては最先端のサンプリング・マシーンを駆使し、金属音や人間の声などをサンプリングし、加工して使われたサウンドが、その後の世界中のミュージシャンに多大な影響を与えることになった。

メンバー間では、1981年末でYMOの活動にピリオドを打つという考えがあったようである。しかしながら、(当時所属のレコード会社)アルファレコードの意向によるビジネス面での要求から、解散はひとまず先延ばしにされた。

1982年~ソロ活動〜再始動〜散開

1982年はYMOとしての実質的な音楽活動は行われなかった。各メンバーはソロ活動と同時に、歌謡界への曲提供に力を入れることとなる。細野ははっぴいえんど時代での盟友松本隆と共に松田聖子への楽曲提供を行い、また高橋と共に「¥EN」(YEN) レーベルを設立、ソロアルバム『フィルハーモニー』を発表する。 坂本は郷ひろみや前川清などの楽曲プロデュース、また、忌野清志郎と共にシングル「い・け・な・いルージュマジック」をリリース、そして、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の撮影に俳優(ヨノイ大尉役)として参加、また、自身としては初となる映画音楽を手がけることになる。 高橋は「高橋幸宏TOUR1982」を6月から行う。YMOとしては「ミュージックフェア」や「オレたちひょうきん族」に出演したり、当時ブームだった漫才番組の「THE MANZAI」に「トリオ・ザ・テクノ」の名で出演し、“元YMOの”と前置きしつつ、漫才を披露している。(※細野は“林家三平””大河内傳次郎”、坂本は“忌野清志郎”“矢沢永吉”、高橋は“小野田寛郎”“草刈正雄”などのものまねを披露し、ラストは坂本が高橋、高橋が細野、細野が坂本のものまねをして終えた)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9

イエロー・マジック・オーケストラ - Wikipedia

旧YMOとしての最後のライブツアー(散開ライブツアー)である「1983 YMOジャパン・ツアー」が11月23日から札幌、道立産業共進会場よりスタート。全国6会場で行われる。
ツアー最終日となる12月22日は日本武道館にて、世界コミュニケーション年(WCY)記念、国連大学協力によるチャリティー・コンサート(観客は全て無料招待)だった。
アルバム『サーヴィス』はツアー中の12月14日に発売。
また、12月12日-13日の日本武道館公演を収録した2枚組アルバム『アフター・サーヴィス』は、翌年の1984年2月21日に発売。
同年4月5日、昨年の12月12日、13日の日本武道館の公演を素材として制作された映画『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』のプロモーション試写会を新宿シアターアプルにて行い、メンバー3人も姿を見せプロモーション活動を行った。
旧YMOとしてはこれが最後の仕事となった。
このあと、1993年4月1日まで、メンバー3人が揃ってメディアに姿を見せることはなかった。

YMO再生

散開からおよそ10年。再結成を望むファンの声に応えた形で1993年2月、YMO「再生」(再結成)が発表され、4月1日にはメンバー3人揃っての記者会見において、新しいアルバムの発表と東京ドームでのコンサートの実施が公表された。
この時4月1日(エイプリルフール)という事もあり、冗談じゃないのかという声も多く聞かれたが5月26日、アルバム『テクノドン』を発表。この時やっとほっと胸をなでおろしたものである。

そして6月10、11日には、東京ドームにて公演が行われた。このライヴでは『テクノドン』からの曲を中心に構成された。
8月25日、東京ドームでの公演を収録したCD『テクノドン・ライヴ』が発売。
以降、解散などのアナウンスもないまま、YMOは再び活動を停止する。

2001年1月23日、NHK-BS2で放送された細野晴臣デビュー30周年記念特番「細野晴臣 イエローマジックショー」にて3人が共演。3人が老人に扮して褞袍を着て演奏するというユーモラスな趣向で、同期なし、シンセサイザー、エレキベース、生ドラムのみの簡素な「ライディーン」を演奏した。この時の3人は「どてらYMO」と呼ばれる。

1993年の「再生」以降、3人は長い間、もう一度YMOとして音楽活動をすることに対し、一貫して否定的な姿勢を取ってきた。HASとして活動する際も、それはあくまでYMOとは別のものであるとしてきた。
しかしながら、2007年2月3日、キリンラガービールのテレビCM企画において、ついに「YMO」名義が復活する。CMには3人が揃って出演し、さらに、CMのために「ライディーン」を新たなアレンジで録音した「RYDEEN 79/07」が使用された。

2008年6月15日、28年ぶりとなるロンドン公演がロイヤル・フェスティバル・ホールで行われた。また、同週の6月19日にはスペインのヒホン市の Laboral Ciudad de la Culturaでも公演した。

2011年7月31日には「フジロック・フェスティバル」に、8月7日には4回目になる「WORLD HAPPINESS 2011」に参加をし、1993年以来の新曲「Fire Bird」が発表された(HASYMO名義も含めると新曲としては2年ぶり)。
また、8月5日には、初のスタジオライブをNHK放送センター101スタジオにて収録。
そこでは「どてらYMO」ならぬ「ゆかた姿YMO」の出立ちも披露され、ライブの模様は11月4日にNHK総合にて放送された。

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