西川のりおがと田中は、西川きよしが自分たちのことを思っていてくれたことがうれしくて、再び花月に通うようになった。
花月の正月興行は、12月31日の大晦日が初日。
素人名人会を3日後に控えた西川のりおと田中は花月に行って、初日の出番を待つ西川のりおと横山やすしに挨拶。
そして西川きよしにカッターシャツを着せ、ズボンにベルトを通し、はきやすいようにズボンの前を持って渡し、靴と靴ベラを用意し、最後に後ろから上着を着せた。
「師匠、出番1本前です」
といわれると西川きよしは早めに舞台袖へ向かった。
横山やすしは、
「横山が8時45分に行くから、即飲めるように。
即やで」
「大晦日?
関係ない。
スタンバイOK」
「何が年末や。
帰って狭い家掃除するだけやろ」
と電話をしまくり、仕事後の段取りをしていた。
「デンデン」
と囃子が鳴って、落語家が舞台を降りたのがわかり、西川のりおは
「やすし師匠、出番です」
「ナンギやなあ。
小便でけへんかったがな。
もう満タンやねん」
西川のりおと田中は、袖から舞台を見学した
終わると舞台を降りてきた師匠におしぼりを渡し、楽屋に戻ると師匠の舞台衣装をハンガーにかけ、クツを片付け、私服を着せる準備。
「エラい年末やった、来年もよろしく」
横山やすしは足早に楽屋を出た。
「今年はありがとうございました。
来年もよろしくお願いします」
西川のりおと田中があいさつすると、西川きよしは
「こちらこそよろしく。
来年はいよいよ高校卒業やなあ」
と優しい言葉を残して去っていき、西川のりおは
(明日も新年のあいさつで花月に来んとアカンな)
その夜は寝つけないまま、元旦を迎え、田中と待ち合わせしているうめだ花月前へ向かい、西川きよしがやってくると
「明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。
今年もよろしくお願いします」
「今年もガンバロ」
正月興行の花月は、琴の音が流れ、門松や羽子板、タコ、獅子舞などが飾られていた。
楽屋に入ると明らかに酒臭く、西川きよしも先輩芸人にすすめられ、湯呑茶碗で日本酒を飲み干した。
すると横山やすしが入ってきて
「明けましておめでとうございます。
昨年は・・・・」
「長い長い。
アイサツはショートに」
すでにどこかで飲んでいるようで
「やすし君には酒すすめんといてな。
これ以上飲んだら舞台で暴れ出すか寝てまうかどっちかや」
「かなんやろ、この男。
じきブレーキかけんねん。
人がアクセル踏もうとしてんのに」
この日の舞台衣装は羽織袴だったので手伝いはできなかった。
漫才が終わり
「お疲れさまでした」
というと
西川きよしは
「オーッ、お疲れさん」
といってポチ袋を差し出し、ためらう西川のりおに
「お年玉や」
といい、目で
『もらっとけ』
と促した。
「ありがとうございます」
西川のりおは表彰状をもらうように深々と頭を下げて受け取った。
「俺はお年玉はやらん主義やねん。
その代わり大人になったら酒飲ましたる」
「君らも、今日は正月やし早よ帰ったり」
花月の帰り、西川のりおと田中は喫茶店へ。
コーヒーを頼んで、きよし師匠の前ではご法度のタバコを吸った。
「お年玉もらえるとは思わんかったな」
丁寧に
「きよし」
と書かれたポチ袋を開けると5千円も入っていた。
昭和45年当時、大卒の初任給が平均5~6万円。
西川のりおは、金額の大きさも、西川きよしの気持ちもたまらなくうれしく
(この金は貯金しよう)
と決めた。
「今もこの金は貯金通帳に残っている」
家に帰り、コタツでミカンを食べながらテレビを観ている母親に
「きよし師匠にお年玉もろてん」
といったが、
「そうか。
それはよかったな」
と振り返りもせずにいわれた。
翌日、花月にいって、西川きよしにお年玉のお礼をいうと
「お父さんとお母さんは、弟子入りするのになんといってはるんや」
西川のりおはバツが悪そうな顔で
「オトンとオカンは師匠のところに来てるの本気にしてません」
「正式に決まったら両方にお家にあいさつに行くから今はもうこれ以上いわんとき」
「ありがとうございます」
「君ら、明日ここから生で名人会やろ。
俺もできる限りみたいと思てたんやけど、ちょうどその時間、他局の生放送にいかなアカンねん。
お客さんはいっぱい入ってるけど雰囲気にのまれんようにしいや。
ヤンタンとは客層がちゃうから、同じネタでもゆっくりしゃべりや」
「はい、ありがとうございます」
1月3日、西川のりおは、金ボタンの黒いジャケットにグレーのスラックスを着て、花月へ。
お揃いの服を着た田中と合流し、中に入ると、売店のオバちゃんに
「ちょっとアンタら何やのん」
「名人会に出るんです」
「へえ、きよっさん知ってはるの?」
「ちゃんといってます」
そのやりとりを不思議そうな顔でみているテレビ局の担当者に
「出演者の皆さん、こちらへお集まりください」
といわれ、ロビーへ移動。
そこにベテラン漫才師がやってきて
「今日出るらしいな。
キー坊から聞いたで」
といわれた。
テレビ局の担当者は、西川のりおと田中が親しげに話す様子をみて、
「君ら、プロやないんやろな。
西川きよしさんのお弟子さんか?」
西川のりおと田中は
「プロでも弟子でもないんです。
いつも優しくしていただいているだけです」
「ファンやいうたら大事にして相手にしてくれてはるんです」
素人名人会の出場者は、幼稚園くらいの女の子の日舞や大学生の落語、70歳を過ぎた男性の民謡、OLの歌などの面々。
ほとんどの出場者に身内や友人がついていたが、西川のりおと田中は、運転手をしてくれていた友人を呼ばなかった。
西川きよしに注意され、
「浮かれている場合ではない」
と改心した結果、自然と声をかけなかったのである。
しかし
「名人会出るからみとってや」
と周囲の宣伝は盛大に行っていた。
収録が始まると、西川のりおの精神状態はナチュラルでノリノリだったヤンタンのときと違い、ドキドキ動機を感じるほど緊張。
田中も落ち着かずに同じところをグルグル歩き回っていた。
「次ですから来てください」
スタッフに促され、舞台袖へ。
西川のりおは
「いつも通りいこう。
大丈夫や」
といったが、その声は裏返り、全然大丈夫ではなかった。
「さあ、次は高校生で漫才。
それではお願いします」
司会者のコールの後、舞台中央へ走った。
「ドライブいこか」
「かわいい女の子が歩いてくるな」
いつものドライブネタだが、満員の客席から笑いがまったく起こらない。
誰1人笑っていない状況に焦り、早口になってどんどんネタを進めていき、
「もうエエわ」
という田中のセリフで漫才が終わったが、客席は
「シーン」
と張り詰めたような静けさだった。
司会者が出てきて
「友達同士なんでっか?」
審査員をしていた落語家は
「テンポが早いのと間がないのを取り違えて、お客さんがどこで笑ったらええかわからんようになってしまい、演っている自分らだけが何回も練習してはるんでわかってネタをやってるつもりが、お客さんは意味が解らんかったんちゃいまっか」
西川のりおは、恥ずかしくて背中を丸めながら袖へ引き上げた。
人前でネタをして初めてイヤな気分になった。
「君らプロかと疑っていた人間が、ザマアミロといわんばかりに口元に薄ら笑いを浮かべていた」
西川のりおは何時間も一言もしゃべらず、西川きよしが花月にくるのを待った。
18時過ぎ、やってくると
「お疲れ様でした」
「お疲れさん。
名人会どやった?
ガツンといかれたか」
西川きよしに観ていたかのようにいわれ、西川きよしと田中は顔を見合わせた。
そして自分たちと同じ舞台に上がったやすしきよしは、同じ客を大爆笑させた。
「さあボート仲間の新年会や」
横山やすしはサッサと楽屋を出ていった。
「どうやってん」
座布団に座った西川きよしに聞かれ
「まったくダメでした」
「いうた通りになったやろ。
金払ったお客さんのところで、そんなかんたんにウケへんよ。
プロのもんでも前座のときはウケへんねんから。
アガったやろ?
雰囲気の飲まれて早口になってしまって、なにいうてるか客がわからんかったんやろ。
素人と玄人はそこが根本的に違うんや。
まあ素人でいろいろ出たりするんは今日で卒業や。
いよいよこの世界に入る心の準備をしとかなアカンで。
君らが想像したり思てる世界とは違うから。
それだけはくれぐれもいうとくで」
西川のりおが家に帰ると家族がコタツに入ってテレビを観ていて
「ただいま」
というと
「お帰り」
と返してくれたが誰もこちらをみない。
しばらくして母親が
「あんまり大きいこといわんほうがエエで。
お前がテレビ出るいうから、あっちこっちに電話したのにエラいカッコ悪いわ」
というと父親が
「アホ、テレビ出れただけでも大したもんや」
正月が終わって3学期が始まると、学年末テストが西川のりおの頭痛の種となった。
1年生、2年生と多くの科目で追試を受けて、
「絶対に点数は足りていないが、おそらくオマケかお情け」
でかろうじて進級してきた。
進路指導の面接で
「これからどうするつもりや」
と聞かれ
「僕大学はやめときますわ」
と答え
「誰がいつ大学いくの勧めた。
それより卒業できるかどうか心配したほうがエエぞ」
「はい」
「もし卒業できたらどうすんねん」
「家の運送屋、手伝います」
「それがエエ。
そのためにも学年末テストは死ぬ気でがんばらんと」
高校に行っていない西川きよしにも
「なんかチラッと聞いたけど、成績悪いモンばっかり集めて、もう1回試験受けなアカンのがあるらしいな。
まさか君ら、そんなんはないやろ。
そんなん受けなアカンかったら弟子はいらんで」
と笑いながらいわれ、西川のりおは
「もう捕まる寸前の犯人のようにハラハラを越えた状態だった」
そして西川のりおは思った。
「やるべきことは1つ。
カンニングしかない」
今さら勉強しても点数が取れないのは明白だった。
左右斜め前の席の2人がクラスでトップクラスの成績を誇っていたのが幸いだった。
学年末テストの1週間前、2人に
「俺、実は弟子入りすんねん。
そやけど追試ウケるんやったらアカンいわれてるねん。
テストのとき、答案チラッとみせてくれへんか。
お前には他にも工業製図書いてもろたりしてホンマ世話になったけど、コレが最後の頼みや。
俺もできる限り試験勉強はする。
なあ助けて。
お願いや」
「しゃあないな。
バレへんようにやってくれよ。
バレたら全科目0点になった上、停学やからな」
西川のりおが家で試験勉強を始めると母親に
「時季外れの台風来るんちがうか」
「なんか悪いことでもしたんか」
と本気で心配された。
試験の日、答案用紙が配られたとき、成績トップクラスとアイコンタクト。
西川のりおの席は、教壇からみて右から3番目の列の前から4番目。
まず自分で解るところを埋めた後、
「ハア~」
と息を吐いて合図を送った。
成績トップクラスは答案用紙をみえるようにズラしてくれ、西川のりおは監視している教師に注意しながら、少しずつ書き写していった。
試験が終わり、担任教師から恒例の追試組の発表があったが、そこに西川のりおの名前がなく、みんなに
「え~」
と驚かれた。
特にアホ5人衆は
「先生なんか間違ってませんか?」
「北村、なんかやったやろ」
と口々に叫んだが、
「俺はがんばってん」
と言い切った。
その後、
「俺もホッとしたわ」
というトップクラスと肩を組んで校内食堂へ行き、キツネうどんとコロッケ定食をオゴった。
アホ5人衆とは、それからほとんど付き合っていない。
2月、師匠が出演しているなんば花月にいき
「今日からつかせていただきます。
卒業式だけ休ませてほしいのですが」
「もちろん卒業式は出たらエエ。
最後のケジメやからな。
もう前と違うて、しっかりやらなアカンからな。
おいおい楽屋や仕事場で君ら紹介していくから、まあガンバレ。
最初はとりあえず弟子見習いやかなら。
ほんで様子みて正式な弟子にする。
実際、弟子になってしばらくしたら、俺が注意したり怒ることが多なるで。
想像してたんと違うと、きっと思うときがくるから。
ほんで俺のこと大嫌いになるわ。
まあそこからがホンマの修業や」
西川きよしは、これまででイチバン熱く語った。
舞台に上がる少し前に衣装を着せ、降りたらおしぼりを渡し、衣装を片付ける。
この繰り返しは基本だったが、きよし師匠に靴を履かせるタイミングが遅れ、
「お前、クツ出すのん、いっつもリズム悪いな」
と目をむきながら怒られ、凹んでいるとやすし師匠に
「展開読みや。
ボートと一緒や」
とアドバイスをもらった。
「いくらなんでもクツはくのとボートレースは違うやろ。
なんでも例えたらエエちゅうもんちゃうで」
きよし師匠がいうと、楽屋にいた芸人が
「舞台に上がる前から、そんな絶妙な呼吸で漫才やれたらかなんな」
とチャカすと
「みてみい。
お前のためにいらんツッコミ入れられたやろ」
と怒られた西川のりおは
(マジかシャレかわからん。
クソー)
やすしきよしは、テレビ局に行くことが多く、先にタクシーを待たせておくなどやるべきことはたくさんあったが、最初はついていくだけで必死だった。
「当時、やすしきよしは朝日放送の番組でレギュラー司会をやっていたが、緊張しすぎて記憶がない」
西川きよしは自分が紹介するより先に
「この子ら、なに?」
と相手に聞かれると
「お前ら、キチッと自己紹介せんかい」
とすごい剣幕で怒った。
Gパンにセーター姿の西川のりおが
「あいさつが遅れて申し訳ございませんでした。
きよし師匠の弟子になりました、北村と申します」
というと
「自己紹介するときは師匠つけたらアカン。
呼び捨てでエエ」
と注意し
「君ら楽屋ではとりあえず1番下やねんから誰にでも頭下げとき」
まるで俺に恥をかかすなよといわんばかりの指示され、西川のりおは会う人すべてに大きな声でハッキリ
「おはようございます。
この度、西川きよしの弟子になりました北村と申します。
よろしくお願いします」
出前を持って来た店員にまでアイサツし
「毎度おおきに」
と返された
西川きよしの出前は、いつも同じメニュー。
「俺はキツネうどんと中飯。
君らもそれでエエか」
とパンツ一丁で座布団に座る西川きよしからをいわれ、
「はい、いただかせてもらいます」
と答え、お茶子さんがいる場所にいって公衆電話で
「なんば花月の楽屋ですが、キツネうどん3つと中飯1つ、大飯2つお願いします」
と注文。
15分くらいして届くと、師匠にお茶を入れた後、自分たちは楽屋の端の下駄箱で食べた。
朝から晩まで超多忙な師匠について、夜家に戻ると着替えもせずにバタンキュー。
朝は始発の電車に乗り、JR、地下鉄と乗り継ぎ、1時間10分かけて師匠の住む大阪、住吉の公団住宅までいった。
そんな生活が、ほぼ毎日続き、まともに睡眠がとれることはなく、常に
「眠い」
「寝たい」
と思っていたが、師匠と一緒になると緊張感が優って仕事をこなした。
眠気と疲れを気合で抑えて乗り切っていたが、ストレスがたまるとどうしても情緒不安定になってしまい、そんなときは
「すいません。
トイレに行かせてもらっていいですか」
といって脱けて、ロビーの端でタバコを吸った。
しかしあるとき新喜劇の女優にみつかり、
「アッ、あんたらキー坊とこのお弟子さんやね」
といわれ、笑顔でゴマかし何もないことを祈ったが、すぐに西川きよしに
「チョット来い」
と呼び出され、
「1日の用事が終わって、お疲れさんいうてから、どっかわからんとこで吸え」
と完全禁煙は免れたが仕事中は吸えなくなってしまった。
なんば花月で1回目の舞台が終わり、衣装から楽屋着のパジャマに着替えた西川きよしは
「楽屋にずっとおらんでエエから、他人(ひと)の舞台を観て勉強し。
客席の1番後ろで空いてる席あったら座らせてもろてもエエから」
といって新喜劇の楽屋へ。
西川きよしは、元々、新喜劇出身なので、よく昔の仲間とおしゃべりしにいっていた。
新喜劇で全く売れていなかった西川きよしは、看板女優、ヘレンが熱を出したとき、休養させるためといって自分の家に連れて帰り、そのまま返さず、会社に
「身の程を知れ」
ヘレンの家族に
「略奪された」
と罵られ、そして大反対されながら結婚。
その後、横山やすしに見出され、漫才に転向した。
「ありがとうございます」
頭を下げて客席の1番後ろに座った西川のりおは、舞台を観て勉強していたが、いつの間にか寝てしまった。
すごく気持ちよく寝ていたが、いきなり
「ゴツン」
と頭を殴られ、振り返るとこれまでみたことのないような表情をした西川きよしがいて、これまで聞いたことのないような声で
「お前らナメてんのか。
もう舞台終わったんや。
そんなに寝たかったら弟子やめて家でゆっくり寝え」
そしてロビーに引っ張り出された。
西川のりおは、師匠の2回目の舞台も気づかずに寝ていたという事の重大さに気づき、
「すいませんでした」
「すいませんでした」
と何度も謝り倒し、西川きよしに唇をかみしめながら許してもらった後、
「師匠は普通のときは君らと呼ぶが、怒るとお前らに変わる」
と学んだ。
その後も眠気にせいでボーっとしていると
「人の邪魔になるような立ち方するな」
などといわれ、しょっちゅう西川きよしに怒られた。
あまりに怒られているので
「今日1日で俺の知ってるだけで100回チョイ手前くらいキー坊怒らせとるな。
チョット数が多すぎるよ。
ミスをもっとスモールにしなさい。
要領よく、いろんな用事をインプットすること」
と横山やすしにアドバイスされたり、他の芸人も笑わせようと
「今日こそ100回怒らせて新記録つくらな」
といってくれたが、西川のりおにそれを面白く受け止める余裕はなかった。
しかし楽屋で月亭可朝に
「エラいドスの利いた声やな。
声だけやったらヤクザでいけるな。
ほんで殴られんねん。
どないする?
逃げなしゃあないがな。
なんでなんもしてないのに逃亡者にならなアカンねん」
といわれ、それに笑福亭仁鶴が
「リチャード・キンブルも身に覚えのない妻殺しで無実やのに逃げてんねん。
だから君も逃亡者になり」
と軽くいうと長い間笑ってなかった西川のりおは、決壊したダムのように笑った。
ある日、西川きよしに
「君らの両親にご挨拶行かなアカンのやけど、急やけど今日の夜はどうや」
といわれ、西川のりおは、すぐに家に電話。
「オカン、今日、夜、師匠が挨拶に行きたいいうてはるねん」
「師匠て、なんの師匠やねん」
「ホンマにきよし師匠について世話になってんねん」
「ハイハイ、わかったわかった。
来たら来たのときのことや」
自分の話を適当に聞いて信用しない母親に、西川のりおの心は不安でいっぱいになったが、先のことは想像しないようにした。
花月の2回目の舞台が終わり、着替えを手伝っていると、西川きよしはチャックを上げながら
「家に俺が行くて電話してくれたか?」
「ハイッ」
傍らの横山やすしは
「家庭訪問いうやっちゃなあ。
会社でいうたら保証人面接や。
緊張するやろ」
とご機嫌な様子でいった。
「エラい機嫌エエなあ」
俺は今から弟子の家行くいうのに。
ハハーン、女と待ち合わせしとんな」
「かなんな。
俺はただ家庭訪問いうただけやのにコレや。
お口、チャック、チャック」
横山やすしは笑顔で楽屋から出ていった。
「そしたら行こか」
西川きよしは、弟子を愛車、ブルーバードSSSに乗せ、
「道いうてくれよ」
といって街に繰り出した。
「どの辺やねん」
「大阪城の近くなんです。
京橋と天満橋の間にある片町っていうところです」
「大体わかるわ。
近くなったら、もう1回細かい場所教えてくれ」
こうして西川のりおは、いつもなら私鉄と地下鉄を乗り継いでいた帰り道を、スポーツカーで一気に移動。
「この辺か?」
「はい、そこを曲がった左側の、看板に自転車て書いてある店です」
車は家の20~30m手前まで来ていたが
「手ぶらでは失礼やから手土産でも買うわ」
と近くの果物屋に停車。
「すいません。
ちょっと詰め合わせつくってもらえますか?」
「いくらくらいの詰め合わせにしましょう」
「5千円くらいでお願いします」
「北村さんとこの息子さんやね」
と話しかけてきた店主は、「嫌いな人ベスト10」で何週間も1位になった人物。
今までにみたことのないつくり笑いに西川のりおも
「はい、そうです」
とこのオッサンに使ったことのない敬語で返した。
店主の息子が詰め合わせをつくっていたが、途中、西川きよしと気づき、父親に耳打ち。
「北村さんところでなんかあるんですか」
聞く店主に西川きよしは
「はい、ちょっとご挨拶に」
と答えた。
そして再び車に乗って、ついに家の到着。
「ここか、北村の家は」
「はい」
「かなり古いなあ」
西川きよしはしばらく建物を眺め
「ごめんください。
こんばんは。
失礼します」
と何回もいいながら店の奥に進んでいった。
西川のりおが、
「ここです」
といってガラス戸を引くと父親、母親、長男、次男がコタツに足を突っ込んで振り返りもしないでテレビを観ていた。
「ちょっと、師匠が来はってんけど」
無反応だったので、再度
「師匠が来てくれてはんねん」
すると父親が
「オッ、のりお、なんや」
「師匠来てんねん」
息子の後ろに立つ人間に気づいた父親は
「あっ、お宅、きよっさん。
きよっさんでっか。
おい、お前、きよっさんや」
肩をゆすられた母親は
「ええ?きよっさん?
ああ、ホンマや。
のりお、どないしたんや急に。
来るんやったいうてくれんと」
家族全員がコタツから出て立ち上がった。
「どうぞ、入ってください」
といわれ、西川きよしは恐縮しながらミカンの皮や新聞が乗ったコタツへ。
「のりおもチャンと来はるいうて連絡してくれたらエエのに。
もうこの子は」
「ずうっと前からいうとったやないか」
「コラッ親にそんな偉そうな言葉づかいをするな」
「なんか今日は、きよっさんが家に来るいうてましたんやけど、またこの子は自分が芸能界入りたいもんやから、チョット相手してくれはっただけを大げさにいうてるんかと思て、信用してまへんでしたんや。
夢つぶすのもかわいそうやと思いまして、しばらくながめてて、あきらめてから相談に乗っても遅うないやろと思てましてん。
ホンマの話、弟子にしてもろたなんて、してもらえるわけないいうて家で誰も信用してまへんでした」
「お父さん、お母さんが想像してはるよりキツいんは確かです。
ほんで売れるいう保証はどこにもないです。
それでもよかったら息子さんはお預かりします」
西川きよしがいうと父親は
「偉いお世話になりまして色々ご迷惑をおかけしていると思いますが、何とぞひとつよろしくお願いします」
母親も
「お願いします」
2人の兄は顔を引きつらせながら愛想笑いしていた。
「そんな、もう、頭下げんといてください。
上げてください」
西川きよしはそういってから西川のりおに向かって
「家族の気持ち裏切らんようにな」
そして
「田中君のお家にもご挨拶行かんとアカンので、そろそろ失礼いたします」
といって外に停めてあったブルーバードSSSに乗って去っていった。
「ホンマやったやろ」
西川のりおがいうと母親は
「そうやったなあ」
翌日、田中に
「どやった?」
聞くと
「スムーズにいった」
と自慢げに答えた。
師匠と同じ大阪の北の方にある公団住宅に住む田中は、両親だけでなく西川きよしとの関係もスムーズだった。
西川のりおは、気のせいか、自分より師匠と話が合い、師匠も田中には自分より好意的に接しているように思え、ムカッとすることも多かった。
ある日、
「チョットここで2時間くらい待っといて」
といわれ、西川きよしが車を降りたのが23時で
「オッ、待ったか?」
といって帰ってきたのは、朝の6時。
運転席に座ると、そのまま入り時間には早すぎる仕事現場に向かった。
「負けた。
あそこでツモってくるとはな」
麻雀を知らない西川のりおは
「あ、はい」
しかいえないが、田中は
「その手はセコいですね」
「お前もそう思うか」
西川きよしが嬉しそういうのをみて、ジェラシーを感じた。
「田中ときよし師匠だけがわかる会話も多かった」
西川きよしに
「ちょっとやすし君のとこ、読んでくれ」
といわれ漫才の台本を読むと
「そんなたどたどしい読み方しかでけへんのかいな」
と怒られ、田中に交代したが、その読み方は自分とあまり変わらないように思うのに注意されない。
それでいて洗車をさせられる回数は田中より多い西川のりおは、心の中でうなった。
横山やすしとは師弟ではないが、付き人がいないので自然と用事をすることは多く、西川のりおは
(なんでそんなんする必要あるねん)
と思いながら、ガードルで前を押さえてモッコリをなしくしたやすしの着替えを手伝っていた。
ある日、楽屋でパンツ一丁の横山やすしが
「北村君、出前いうてくれるか」
「はい」
「俺、にゅう麺にするけど、北村君に田中君もなんか注文したら」
「はい。
そしたらキツネうどんいただきます」
そして出前が来ると横山やすしは
「サンキュー、そこ置いといて」
といって立ち上がり、お金を渡すとにゅう麺をズルズルじゃなくシュルシュルと普段の行動とま逆に上品な食べ方をした。
「君、運転免許証持ってるんやろ」
「はい」
横山やすしは、ニヤッと眼鏡の奥で目じりを上げ
「君に運転してもらいたいときがあるねん。
そのときは頼むで。
キー坊にはちゃんというとくし」
「はい」
西川のりおは、母親の経営する運送業を手伝えるように高校卒業後すぐに免許を取得していた。
そのとき西川きよしが新喜劇の楽屋から帰ってきたので
「やすし師匠にキツネうどんごちそうになりました」
と報告。
「そうか。
どうせやったらカツ丼か天丼オゴッてもろたらよかったのに。
礼いうのは一緒やからな」
と目をむいていった。
数日後、なんば花月の楽屋で1回目の出番を終えた横山やすしが
「キー坊、北村君を車の運転で借りてもエエか」
「ここの親から預かってんねん。
無茶させんといてや」
大きく目をむいた西川きよしからOKが出て
「北村君、ほんだら今日から頼むで」
西川のりおは
(やけにうれしそうやな)
と思った。
横山やすしは、舞台衣装の緑のスーツを着たまま、足早に吉本モータープールへ。
西川のりおは、その歩く速さに必死についていった。
「この車やねん」
横山やすしが得意げに示したのは、日産ブルーバードSSS。
西川きよしと同型だが、より車高が低いクーぺタイプで1800cc最速といわれる車だった。
「ほんだら頼むで」
「はい」
行動が遅いことを嫌う横山やすしに気を遣いながら、素早く運転席に乗り込み、キーを回した。
そしてエンジンを軽く吹かすと助手席の横山やすしは
「俺はな、ガソリン減るのは気にせんから、思い切り吹かしたらエエねん」
いわれるままアクセルを踏み込んだ。
「俺が道いうから、その通り行ったらエエねん」