4月29日のロッテ戦は、相手チームのエース、村田兆治との投げ合いになります。しかし、江夏は、有藤、江島のホームランなどで、8回4失点。またしても味方打線は村田の前に沈黙し、江夏は完投敗北。逆に、村田には完封勝利を献上する結果に終わりました。
江夏豊 南海ホークス 復刻ユニフォーム
1976年5月20日 日本ハムファイターズ
5月20日の日本ハム戦。5回3失点でしたが、味方はわずか1得点。江夏が先発すると打線が打てず、負けが続きます。これで、2勝5敗。これまでにない大幅な黒星先行です。
1976年6月15日 太平洋クラブライオンズ
6月15日の太平洋クラブ戦。相手投手は、奇しくも後に全球団勝利を記録する古賀正明です。しかし、江夏は早々に打ち込まれ、4回で降板。一方の古賀は、8回まで無失点に抑える好投で完投勝利を挙げます。
これで、パ・リーグの全敵チームから敗北を記録。翌1977年は抑えに転向し、4勝2敗19セーブの成績でパ・リーグの最優秀救援投手に輝きます。しかし、野村監督の退任とともに、江夏もトレードを懇願し、1978年から広島東洋カープに移籍しました。
南海時代の江夏豊
1979年6月9日 阪神タイガース
残るチームは、自身が所属した阪神と南海。わずか2チームとは言え、抑えに転向したため、勝利も敗北も記録が難しい状況です。
初年の1978年から、5勝4敗12セーブと活躍。そして、翌1979年にその日が訪れます。6月9日の阪神戦。この年、広島は優勝を果たしますが、チームが苦手としていたのが巨人と阪神で、両チームとも負け越しています。この日は、同点の7回から登板しますが、8回に失点して敗北。奇しくも、阪神のリリーフ投手は江本孟紀で、逆に江本は勝利投手となっています。
広島は、近鉄との日本シリーズにも勝利。球団創設初の日本一を果たします。あの江夏の21球があったのもこの年です。
1981年4月5日 南海ホークス
1981年、大沢啓二監督からのラブコールで日本ハムファイターズに移籍。そして、その日はすぐに訪れます。
4月5日の南海との開幕戦。日本ハムが5対3でリードしていた、7回から登板します。しかし、江夏はまさかの大乱調で、門田からホームランを浴びるなど5失点。移籍早々、派手な負け投手となります。
この年、江夏の活躍が奏功し、日本ハムは優勝。江夏も、3勝6敗25セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得し、史上初、セ・パ両リーグでMVPに選出されました。
全球団勝利まであと1チーム
因みに、セ・パ全球団勝利は、あと1チームで達成でした。その残る1チームとは、阪神タイガース。抑えに転向したため、勝利が記録しにくかったことが大きな要因でしょう。各球団初勝利の記録は、次の通りです。
1967年4月29日 広島カープ
1967年5月11日 中日ドラゴンズ
1967年5月16日 サンケイアトムズ
1967年5月28日 大洋ホエールズ
1967年5月31日 読売ジャイアンツ
1976年4月7日 近鉄バファローズ
1976年5月5日 ロッテオリオンズ
1976年6月4日 太平洋クラブライオンズ
1976年6月27日 日本ハムファイターズ
1981年5月5日 阪急ブレーブス
1981年9月5日 南海ホークス