ナンシー・ケリガン襲撃事件とは?

1992年のアルベールビル五輪で4位となった、フュギュアスケート女子シングルアメリカ代表のトーニャ・ハーディングは、前年1991年の全米選手権でトリプルアクセルを成功させて優勝しています。
当時女子でトリプルアクセルを成功させたのは、日本の伊藤みどりに次ぐ二人目で、同年の世界選手権では2位に入りました。
でも4位に終わってしまったアルベールビル五輪では、前年まで成功していたトリプルアクセルがオリジナルプログラム、フリー共に失敗しています。
このアルベールビル五輪では、日本の伊藤みどりもフリーでトリプルアクセルで転倒、でも後半に見事成功させて銀メダルを獲得しました。
女子でトリプルアクセルを成功させる難しさがひしひしと伝わってきますよね。


トーニャ・ハーディング

ナンシー・ケリガン
翌1992年ー1993年のシリーズは絶不調となってしまったトーニャ・ハーディングは、全米選手権で4位となり、1993年の世界選手権には出場すらかないませんでした。
そして迎えたオリンピックイヤーの1994年1月6日に、事件は起こります。
ナンシー・ケリガンはリレハンメル五輪の選考会となる、全米選手権の会場から練習を終えて帰る途中に、何者かに膝を殴打されてケガしてしまい、全米選手権を欠場に追い込まれてしまいました。
そして襲撃事件の犯人として逮捕されたのが、トーニャ・ハーディングの元夫だったのです。
元夫のジェフ・ギルーリーは、司法取引を受け入れトーニャ・ハーディングに不利な証言をしました。
全米スケート協会とアメリカオリンピック委員会は、トーニャ・ハーディングを追放しようとしましたが、法的措置を仄めかしながらなんとかリレハンメル五輪に出場しています。
結局リレハンメル五輪ではナンシー・ケリガンは銀メダルを獲得し、トーニャ・ハーディングは演技途中で泣き出し、靴紐の不具合を審判に訴え演技のやり直しの権利を得ました。
最後に登場したトーニャ・ハーディングはトリプルアクセルは1回転半になったものの、トリプルルッツを成功させるなどして、演技後は笑顔も見せています。
でも結果は8位に終わってしまいました。
リレハンメル五輪後の1994年3月16日に、トーニャ・ハーディングはナンシー・ケリガン襲撃事件の罪を認める事で、懲役刑を回避し執行猶予付きの判決が下っています。

ナンシー・ケリガン
ナンシー・ケリガン - Wikipedia
トーニャ・ハーディングの生い立ち

トーニャ・ハーディングの生い立ちは、アイ・トーニャ~史上最大のスキャンダル~という2017年制作の映画の中で描かれています。
母親のラヴォナは娘の才能を伸ばそうと思ってスケートを始めさせた訳ではありませんでしたが、トーニャ・ハーディングが才能を発揮すると、金の生る木として利用しようとします。
トイレを我慢させて漏らすまで練習を続けさせたり、ブラシで叩いたり、友達と話す事を禁じたり…胸の痛くなるような、虐待を受けていました。
こんな母親に育てられさえしなければ、人生が転落することもなかったのではないかと思うと残念でなりません。
トーニャ・ハーディングのその後
その後のトーニャ・ハーディングは日本とも縁があります。
1994年には全日本女子プロレスが獲得を宣言したり、バラエティ番組にも出演していました。
またテレビ朝日系列の「ニュースステーション」でもインタビューを受けていますが、活躍とまではいかず、話題の人止まりになっています。
トーニャ・ハーディングの元夫がプライベート動画を流出させたり、同棲している恋人に暴力をふるって逮捕されるなど、スキャンダルばかりが目立ってしまいました。
プライベート動画はここには載せられませんので、URLを貼っておきます。↓
https://jp.xhamster.com/celebrities/tonya-harding

トーニャ・ハーディング
賞レースの台風の目『I, Tonya/アイ、トーニャ』で再び注目! ナンシー・ケリガン襲撃事件の真相11
一部のハーディングとケリガンがある番組内で再会し、ハーディングの謝罪をケリガンが受け入れた事で和解したと一部で報じられていますが、ケリガン自身は謝罪を受けていないと2017年のインタビューで語っています。
被害者のケリガン自身が謝罪を受けていないと言っているので、事件はまだ完全には終わっていないという事でしょう。
その後2003年にはプロボクシングに転向しますが、3勝3敗の戦績で翌2004年には、持病の喘息のため短い競技生活を終えたのでした。
一番最近の情報では、2018年に再婚した夫と子供の3人で大工仕事などをして暮らしています。
母親に虐待され、ケリガンを襲撃し、プライベート動画を流出させるような元夫に苦しめられてきたトーニャ・ハーディングにとって、平凡でも今の生活が一番平穏で幸せなのかもしれません。
まとめ
今回はリレハンメル五輪で大きな話題となった、フュギュアスケート女子シングルアメリカ代表のトーニャ・ハーディングの生い立ちや、ナンシー・ケリガン襲撃事件の概要、そしてその後についてご紹介しました。
事件でスケート界を追放されたのは残念でしたが、ジャンプの天才のトーニャ・ハーディングのスケーティングは今観ても秀逸ですね!