ジェームズ・バルガー事件とは?
「ジェームズ・バルガー事件」とは1993年、イギリスで起こった幼児連れ去り殺人事件です。
被害者となったのは当時2歳のジェームズ・バルガー君でした。
衝撃!事件の経緯
事件は1993年2月12日、リバプールのショッピングセンターから始まります。
残忍な犯行内容
最初の現場はショッピングモールから2マイル(約3.2km)ほど歩き回り、時折殴る蹴るの行為をしていたとされています、その際に目撃した大人もいて声をかけるなどした様ですが、少年たちはジェームズ君は弟だと話していたということです。そして離れたひと気のない水路までくると犯行は行われました。
ジェームズ君を殺害した少年2人はジェームズ君の遺体を線路に運びます。
ここで事件発覚を恐れたのではないかと言われている事件の隠ぺい工作ともとれる行動を起こします。線路に横たえさせたジェームズ君の遺体の頭を周りのがれきで固定します。列車が遺体を跳ね、事故に見せかけようとしたのか、少年たちの思惑通り、その後、列車がジェームズ君の遺体を通り、誘拐事件の2日後にジェームズ君の上半身、下半身が裂かれた状態で発見されることとなります。
誘拐・殺人、犯行は10歳の少年によるものだった
| 名前 | 家庭環境 |
|---|---|
| Jon Venables(ジョン・ヴェナブルズ) | ・保守的な家庭・父親:非常に礼儀正しい・母親:専業主婦・両親が離婚・両親の家を行き来き・母親・鬱(自殺の危険性)、保護責任遺棄・2人の兄弟:重度の学習障害・明るく活発だが男子児童と殴り合いのけんか・イジメに遭っていた・クラスで孤立・壁に頭を打ち付ける癖 |
| Robert Thompson(ロバート・トンプソン) | ・7人兄弟末っ子・両親:アルコール依存症、薬物消費者・父親:DV,性的虐待、浮気、ロバート5歳の時蒸発・兄からDV・一時児童保護施的虐待ロバ設収容・一時里子に出される・自殺未遂・事件の1週間前に自宅全焼 |
ジョン・ヴェナブルズはよく”かんしゃく”を起こしていたようです。それは両親に向けられていました。両親はジョンの兄弟が重度の学習障害で特別支援学校にいたためジョンもその学校に送ることにします。ジョンのかんしゃくは両親だけではなく学校で自分自身を傷つける行為にも及んだことがあるということです。
ジョンは先生に向かって怒鳴ったり、同級生を定規で絞殺そうとしたりしたこともあったことで学校では問題児となり学校から追い出され、その後にロバート・トンプソンの居る学校に移ることとなりそこでクラスメイトになったことで2人は出会います。
それまで友達と呼べる相手がいなかった2人は仲良くなり、ジェームズ・バルガー君を連れ去ったショッピングセンターには学校をサボっては万引きするために行ったりしていたということです。
裁判
2人の少年の悲惨な家庭環境はけっしてジェイムズ君殺害の罪に情状酌量を認められるものではありません。1993年2月22日、2人の少年にそれぞれ少年刑を宣告され「有罪」となります。
2人は裁判で「無期懲役」判決が出て服役しますが、実際には8年後2001年に18歳で仮釈放されます。この時にイギリス政府は2001年に18歳で少年らを仮釈放する際、保護観察を義務づけることします。そして新たな氏名や社会保険番号、出生証明、パスポートなどが用意されています。
彼らが社会に出てスムーズに社会復帰出来る環境を与えるということですが、ジェームズ君の遺族や社会からの報復措置を防ぐという意味もあると言ことです。
ジェームズ・バルガー事件犯人のその後がヤバイ!
ジェームズ・バルガー事件の有罪となり服役した後、2001年に仮釈放になった2人の少年。そのうちのジョン・ヴェナブルズについて再び注目されたのは彼が2008年にコカイン所持と喧嘩で逮捕され、2010年と2017年に再三と言うべく逮捕されたときでした。
それは「児童ポルノ」に関しての罪でした。