スポ根漫画「サインはV」VS「アタックNo.1」どこが違ってどっちが好き?ドラマ版キャストの現在も!

スポ根漫画「サインはV」VS「アタックNo.1」どこが違ってどっちが好き?ドラマ版キャストの現在も!

1964年の東京オリンピックで女子バレーが活躍。「東洋の魔女」と呼ばれ日本にバレーボールブームを巻き起こしました。「東洋の魔女」の事はよく覚えていなくても、2大バレーボール漫画(スポ根漫画)として「サインはV」と「アタックNo.1」が心の片隅に残っていませんか。ほぼ発表が同時期だった「サインはV」と「アタックNo.1」どちらが好きでしたか?そしてドラマ版で凄い魔球を披露していたキャストの現在についても気になっています。


「サインはV」と「アタックNo.1」が発表された時代背景

1953年11月27日 大日本紡績株式会社(後にユニチカ)貝塚工場に日紡代表女子バレーボールチームが編成され、昭和30年代に活躍した女子バレーボール日本代表チームとなります。

1961年の欧州遠征で24連勝した際に、「東洋の台風」「東洋のまほうつかい」と世界的に日本代表の強さが広く認知されました。
1962年の世界選手権では「東洋の魔女」として恐れられていた日本代表に注目が集まり、「回転レシーブ」や「変化球サーブ」を繰り出し優勝するとニュースで大きく取り上げられ、「東洋の魔女」は社会的現象となります。

世界選手権後、 女子バレーボールがオリンピックの正式種目に入ることが決定すると、既に引退を表明していた監督と選手の元に「是非東京オリンピックまで続けて欲しい」との日本バレーボール協会幹部や一般ファンの声が高まり、選手達はオリンピックまで続けることを決意。

そして迎えた1964年「東京五輪」
ソ連との全勝同士の対決で見事ソ連を破り「優勝」金メダルを獲得しました。

この女子バレーの金メダル獲得によって日本ではバレーボールブームが起こり、後に「サインはV」や「アタックNo.1」などの作品が生まれました。

先に手がけたのは

「週刊マーガレット」(集英社)の「アタックNo1」

「サインはV!」は「アタックNo.1」への対抗馬が欲しい!という「少女フレンド」(講談社)編集部の要請があり企画された作品だという事です。




元から「集英社」VS「講談社」という図式だったんですね!(笑)

「サインはV」を解説

原作:神保史郎
劇画:望月あきら

1968年から講談社「週刊少女フレンド」にて連載

お気づきでしょうか?
「サインはV」「サインはV!」
原作である漫画作品のタイトルは「サインはV!」と表記されていて、その他の作品では「!」を省略して「サインはV」となっています。

「サインはV!」あらすじ

朝丘ユミ(主人公)は、かつてバレーボールの社会人選手だった姉・美代が練習中に亡くなるという過去を持っていた。その為、天才的なバレーボールの才能を持ちながらバレーボールを憎み離れようとしていた。
だが、「立木武蔵」のコーチ・牧圭介にスカウトされ、再びバレーボールと向き合おうと決意する。

「立木武蔵」では、親友やライバル達と厳しい練習に耐えライバルチームとしのぎを削っていたのだが、主力メンバーの脱退などでチームは分裂の危機に面す。
そんな中チームに加わったのが、「ジュン・サンダース」

ユミとジュンは特訓を重ね「X攻撃」を編み出すのだが・・・

「サインはV!」おもな登場人物

朝丘 ユミ:初登場時は荒川区の城山中学校3年生でバレーボール部員だった。

牧 圭介:立木製作所が新設するバレーボールチーム「立木武蔵」のコーチ。

ジュン・サンダース :神奈川県の養護施設サンダースホーム出身。のちに病に倒れる。

椿 麻理 :ユミと同期入団で、同じアタッカーのユミに対して猛烈なライバル心を持っている。

小山 チイ子 :ユミと同期入団で親友。東北出身のため東北なまりがある。

松原 かおり:「立木武蔵」のキャプテンで、ユミ達の先輩社員。

大本 竜子 :ライバルチーム「ヤシカ」の選手で「殺人スパイカー」として恐れられている。

高山:「立木武蔵」の監督。コーチの牧圭介が注目されることが面白くない。

朝丘 美代:ユミの姉。既に亡くなっているが、回想シーンで登場する。

朝丘 志津:美代とユミの母。叱咤激励しユミを陰ながら支えている。

「サインはV!」必殺技

稲妻落とし

ユミが後ろを向いて右手をクルクル回し勢いをつけて左手にもったボールを空中高く打つと、浮き上がったボールは相手のコートに落ちて来る時に稲妻のようにジクザグに動きながら落ちて来るといった魔球サーブ。

この敵に背を向けて手を大げさすぎるくらいに回して打つサーブは当時の流行でした。(笑)
実際は、ジグザクに落ちるわけないのですが・・。

魔のX攻撃

アタッカー2人が空中で交差して、スパイクをどちらが打つかわからないようにする攻撃方法。

ジュン・サンダースが骨肉腫で亡くなった後「立木武蔵」のX攻撃は封印された。
が、ライバルチーム「ニチボー」の椿麻理らもこのX攻撃を行っていて、その攻撃に対応し破ったのはユミ。

ドラマ版「サインはV」

漫画版では所属チーム名が「立木武蔵」となっていますが、ドラマ版では「立木大和」に変更。また、ライバルチームも「ニチボー」から「レインボー」に、「ヤシカ」が「ミカサ」に変更されています。これは、漫画版が実在するチーム名を使用していたため変更されたという事です。

最高視聴率39.3%、平均視聴率32.3%をマークした人気ドラマで、1973年には「坂口良子版」として続編が全24話放送されました。

実は続きがあった!

「ユミ、アタイはもうバレーが出来ないんだ…」不治の病「骨肉腫」に倒れたジュン・サンダース。
その死を乗り越えて活躍する「全日本チーム」・・・ドラマはここで最終回を迎えています。

コミックスも確かその場面で完結しているのですが、少女フレンドの連載では続きがありました。
牧コーチが「立木武蔵」とは別のチームを育てるというストーリーになっているのですが、なぜカットされたのでしょうね。

ドラマ版で病に倒れたとき、「ジュンを生きさせて欲しい」との声が多かったジュン・サンダースが亡くなり人気が下がった為ではないかとされています。

ドラマ版の最終回で放送されたストーリーで燃え尽きた感がありますね。その後の展開が面白くなかった為、漫画の方はヒット作のわりに地味なエンドになりました。

朝丘ユミ(岡田可愛)とジュン・サンダース(范文雀)の現在が気になる!

「サインはV」の出演をキッカケに女優として人気を得たお二人ですが、現在はどうされているのでしょうか。

岡田可愛



1981年頃に一般男性(美容師さんとの噂)と結婚されお子様が生まれたのを機に女優業を休止。

1989年 アパレルブランド「KAWAI OKADA」設立。

現在は、QVC(24時間テレビショッピングを放送する専門チャンネル)などで婦人用アパレルや豆乳おからクッキーなどを販売されています。

俳優の”岡田亮輔”さんが息子さんです。

「KAWAI OKADA(カワイオカダ)」 【QVCジャパン】 テレビショッピング・通販

范文雀



「サインはV」に続きスチュワーデスを描いたドラマ「アテンションプリーズ」に出演  人気絶頂の1973年  俳優”寺尾聰”さんとの結婚を機に一時芸能界を引退されていましたが、翌1974年には離婚され芸能界に復帰。



復帰後は、エキゾチックな容姿と演技力で数々の作品に出演されていました。

1998年頃  腋のリンパ節から「悪性リンパ腫」と診断され、半年間に及ぶ入院治療をされた後、、2002年11月5日 入院中だった東京都内の病院で死去されました。54歳という若さでした。

「アタックNo.1」を解説

作者:浦野千賀子

1968年1月から1970年12月まで集英社「週刊マーガレット」にて連載

「アタックNo.1」あらすじ

病気療養のために東京から静岡県の「富士見学園」へ転校してきた主人公・鮎原こずえは、不良グループを率いてバレーボール部に挑戦し勝利する。

「富士見学園」バレーボール部のキャプテンに迎えられたこずえが、バレーボールを通して成長していく姿を描く。

「アタックNo.1」おもな登場人物

鮎原 こずえ:腸が弱くリンパ腺が腫れる病気の療養の為 「富士見学園」へ転校してきたが、東京では名門「明法学園」のバレー部に在籍していた。

早川 みどり:資産家のお嬢様。こずえに対してキャプテンの座を巡りライバル心を持っていたが後に親友となる。

一ノ瀬 努:鮎原こずえの遠縁の親戚。高校1年生の時に電車事故で亡くなる。

松長 竜二 :一ノ瀬 努の双子の兄(3歳の時に生き別れている)

本郷俊介:「富士見学園」バレー部コーチ兼富士見学園英語教師。

湯島 二郎 :こずえが入院中に知り合った富士見大学2年生。こずえと恋愛関係に発展する。

大沼みゆき:「富士見高校」バレー部のキャプテン。

猪野熊 大吾 :全日本ジュニアの監督。

シュレーニナ:ソ連ジュニアチームのキャプテンで、 こずえの中高時代最大のライバル。

「アタックNo.1」必殺技

竜巻おとし

バランスを崩しながら打ったスパイクが、相手コートにあり得ない軌道を描いて突き刺さった。
言うなれば偶然の奇跡で出来た必殺技で、ボールの軌道が「竜巻」の様だったことから名付けられた。

後に、ジャンプしない方が安定することがわかり主にサーブの技として使われた。

電光スパイク

早川みどりとの連携技。
みどりがアタックするとみせかけて、サイドや後ろから飛び上がったこずえが放つ強烈なスパイク。
最終的に3人での「電光スパイク」にまで進化するのですが、スピードが速い分レシーブされると簡単にボールが上がり破られてしまいます。

他にも・・・



鮎原こずえ&早川みどり&大沼みゆきのダブルアタック

鮎原こずえ&大沼みゆきの変化球スパイク(回転スパイク)

主に早川みどりの必殺技木の葉おとし



ライバルチームの・・・

殺人スパイク(ボルチンスカヤ)

十字トス(シェレーニナ)

三位一体(八木沢三姉妹)

アニメ版「アタックNo.1」

アニメ版では、原作で目立たなかったキャラが活躍。

最高視聴率27.1%(1971年1月10日放送)をマークし主題歌のレコードは70万枚を売り上げました。
主題歌の中のフレーズ「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」が流行しました。


日本での放送が終了すると、日本国外でも放映されイタリアのトップ選手「フランチェスカ・ピッチニーニ」がバレーボールを始めるきっかけになったそうです。
又、フジテレビがバレーボール中継に力を入れるキッカケにもなっています。

2年近くかけて104話も放送されていたんですね。

アニメ版は、総集編として映画版が1970年から1971年の「東宝チャンピオンまつり」で上映されています。

第1作:「アタックNo.1」(1970年3月21日公開)
第2作:「アタックNo.1 涙の回転レシーブ」(1970年8月1日公開)
第3作:「アタックNo.1 涙の世界選手権」(1970年12月19日公開)
第4作:「アタックNo.1 涙の不死鳥」(1971年3月17日公開)

テレビ版「アタックNo.1」

「アタックNo.1」は、アニメ版が「サインはV」のドラマ版とほぼ同時期に放送され、2005年にドラマ化されました。

最高視聴率は初回の15.7%でアニメ版のような数字は出せませんでしたが、テレビを取り巻く時代の流れがありますし、ちょっと「今さら感」もあったのかなとも思います。

でも、”上戸彩”さん可愛かったですよね!
エンディングテーマ「夢のチカラ」を歌われていました。

バレーボールの人気を支えた「サインはV」と「アタックNo1」

「サインはV」「アタックNo1」共にリアルタイムで観ておられない方も多いかもしれませんね。なんせ1960年~70年代ですから(笑)

日本でバレーボールが人気になり始め、バレーボール人気を後押しした元祖スポ根漫画 今では考えられない古くさいスポ根が妙に懐かしく感じられます。

最後までおつき合い頂き、ありがとうございました。

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