トミー青山が1980年に右膝を負傷し、手術を行うも回復せず8月には引退してしまいます。負けっぷりの気持ち良いクイーン・エンジェルスでしたが残念ながら短命となってしまいました。
クラッシュギャルズ
80年代に入ると新たなタッグユニットが女子プロレス人気に火を付けます。その名はご存じクラッシュギャルズ。結成は1984年8月で、ビューティ・ペア以来の大ブームを巻き起こしています。
クラッシュギャルズはアイドルレスラーの完成形ともいわれ、試合会場は連日女性ファンで溢れ返りました。
レコードデビューは1984年の「炎の聖書」。聖書と書いて「バイブル」です。
炎の聖書
作詞は森雪之丞で、作曲が後藤次利。カップリングの「熱風撫子」も、作詞が松井五郎で作曲が馬飼野康二という分かる人には分かる超豪華な布陣。
結果「炎の聖書」は大ヒットし、女子プロレスは大ブームとなったのですからそれだけの価値があったという訳です。
後に二人とも復帰することにはなるのですが、1989年に長与千種が、1990年にライオネス飛鳥がそれぞれ引退し、クラッシュギャルズは解散してしまいます。
ビューティペアの時もそうですし、クラッシュギャルズの場合もそうなのですが女子プロレス・ブームは女性ファンが作り出しています。
では男性の女子プロレスファンは何をしていたのかと言うと、ちゃんと美人レスラーを応援していました。次に紹介する“女子プロレスラー史上最高の美女”との呼び声の高いキューティ鈴木です。
キューティ鈴木
その容姿の美しさから、テレビ番組、映画、CM、グラビアなどなど多くのメディアから引っ張りだこだったキューティー鈴木。“女子プロレスラー史上最高の美女”という言葉に偽りなしでしょう。因みに、リングネームの名付け親はAKB48などでお馴染みの秋元康です。
で、そのキューティー鈴木、リングデビューは1986年。ブレイクするのは1989年で、デビュー曲「泣かないで」も1989年7月に発売されています。
そのデビュー曲を含むアルバム「キューティー・スペシャル」は1991年4月25日の発売なのですが、もうジャケ買い必至の逸品となっとります。
キューティー・スペシャル
可愛いだけの事はあって、写真集は現在までに女子プロレスラー最多の14冊も出ています。勢い余ってヘアヌードまで出してくれたのは嬉しい限りですよ。
で、肝心のプロレスの方はどうだったかというと、弱かった。次第に強くなっていったもののデビュー当初のキューティー鈴木は弱かった。そこんとこがまた男性心理的に良かったというわけです。
他に可愛いくて弱い女子プロレスラーと言えば、1978年のデビュー戦以来、驚異の87連敗と言う記録を打ち立てたミミ萩原がいます。私は大好きです。もともと歌手ですから歌の方も素晴らしく、彼女のシングル「スタンド・アップ」は是非一度聞いて頂きたい。
ただ「スタンド・アップ」もそうですが、女子プロレスラーのレコードは近年急騰しており、尚且つYouTubeなどでもなかなか聞けないのが残念です。
デビル雅美
プロレスには悪役がつきものです。女子プロレスも同様で、そう言ってるそばからダンプ松本やブル中野といった強面が脳裏に浮かび、うなされそうになります。おそらく今夜、私は悪夢を見ます。
で、彼女たちもレコードを出しているのですが、そんな中、もっとも歌の上手いのはデビル雅美ではないでしょうか。いえ、デビル雅美は歴代の全女子プロレスラーの中でも歌の上手さは断トツですよ。
デビル・命の限り
1枚目の「燃えつきるまで」も2枚目の「デビル・命の限り」も楽曲、ジャケット共に良し!いえ、それ以降の曲も良くって、演歌からロックまで見事に歌いこなしています。プロレス技同様に、引き出しの多いレスラーというわけです。
中でも是非とも聞いて頂きたいのが「サイレント・グッバイ」。これがまた意外なほどに聞かせるんですよ。
デビル雅美は、シングルを5枚、アルバムを1枚残しています。1985年に唯一発売されたアルバム「Rain of Tears」はプロデュースをマーク・ゴールデンバーグが手掛けていることからも想像できる通りシティ・ポップ!しかも名盤だ!マーク・ゴールデンバーグと言えば、サントリーのCMや、リンダ・ロンシュタット、オリビア・ニュートン・ジョン等を手掛けたことでも知られていますね。
他にも歌の上手い女子プロレスラー、名曲、迷曲が多々あります。どれもアイドル歌謡として味わい深いものばかりです。しかし、女子プロレス界のベストボーカル、ベストアルバムを挙げるとすれば、それはやはりデビル雅美そして「Rain of Tears」で決まりでしょう。是非一度聴いてみてください。