初代タイガーマスクだった佐山聡は、1983年に人気絶頂のまま新日本プロレスを脱退。
その後、前田日明のUWFに参戦した。
やがてUWFでも、周囲とかみ合わず脱退。
さらなる理想と強さを追求するための格闘技集団「修斗」をつくった。
が、その強さと人気は比例せず、1989年にプロ化された後も選手は客が全然入っていない会場で戦い続けた。
1993年11月28日にアメリカでUFCが行われて以降、世界的な総合格闘技、なんでもありブームが到来し、やっと修斗は認知された。
そして1999年5月29日、横浜文化会館で行われた修斗の公式戦が行われ、その中でウェルター級のタイトルマッチとして佐藤ルミナ(修斗)と宇野薫(和術慧舟会)が対戦した。
佐藤ルミナは、高校卒業後、浪人中に、それまで格闘技の経験はなかったが修斗を始めた。
日体大に入るとレスリング部に入った。
全日本アマチュア修斗選手権で準優勝した後、1994年11月にプロデビュー。
1996年7月7日、6勝0敗で迎えた「VALETUDO JAPAN`96」でのジョン・ルイス戦で引き分け。
しかしその内容は完全に負けていた。
佐藤ルミナは、ビビッて動けなくなってしまった自分を恥じた。
その後はどんな相手に対してもリング上で動きを止めることがなくなった。
真剣勝負を挑み、なにがなんでも1本勝ちを狙うアグレッシブファイトで4連続一本勝ち。
「修斗のカリスマ」と呼ばれた。
そして「VALETUDO JAPAN`97」で、ジョン・ルイスに腕挫十字固を極めて勝った。
この宇野薫との試合の数ヶ月前にも、1R、開始6秒で、チャールズ・テイラーに飛びつき腕十字を極めて勝っていた。
佐藤留美奈という名の由来は、ラテン語の「月」を意味する「ルナ(Luna)」と「狼」を意味する「ルピナス(Lupinus)」の2つの単語を合わせて父親が命名した。
そのため「月狼」というニックネームがつけられた。
数々のファッション誌にモデルとして登場。
スノーボード、サーフィン、エアガンの収集、フリークライミング、野菜の栽培など趣味も多彩。
藤原紀香とのお泊まりデートをフライデーされたこともあった。
こうして佐藤ルミナは
「ダサイ」
「古臭い」
「男臭い」
という従来の格闘技のイメージを払拭し、格闘技界をリードして来た。
そして佐藤ルミナは、初めて修斗ウェルター級(-70kg)王座決定戦に挑み、宇野薫のスリーパーホールドでタップし一本負けを喫し、王座獲得に失敗した。
その翌日(1999年5月30日)、仙台で行われた大道塾の北斗旗体力別大会で加藤清尚が1回戦で敗退した。
加藤清尚は、163cm70kgの体で1991年の北斗旗無差別大会で優勝
1994年、アメリカやタイに渡ってムエタイやキックボクシングを開始。
WMTF北アメリカジュニアウェルター級王座、UKF世界スーパーライト級王座、WMTF世界ジュニアウェルター級王座を獲得。
1996年7月20日深夜、アメリカで自転車に乗っていてトラックと正面衝突。
左足頚骨粉砕骨折。
「全治3年」
「もう格闘技は不可能」
と診断された。
しかし加藤清尚はあきらめずにリハビリを開始。
1999年5月30日の大道塾の北斗旗体力別大会で復帰し1回戦で敗退した。
スリップ気味に転び「ダウン」と判断されての判定負け。
疲れもダメージもまったくなかった。
佐藤ルミナと加藤清尚が敗北に、その現実の厳しさに板垣恵介の心は捻られそうになった。
「切ない。
そして尊いよ」
1999年10月、中井祐樹が、本場ブラジルで行われたブラジル柔術選手権(ブラジレイロ) の黒帯ペナ級で3位となった。
1994年11月7日、修斗ウェルター(-70kg)チャンピオンになり、1995年4月20日、バーリトゥードジャパンオープン1995に参戦。
1回戦でジェラルド・ゴルドーと対戦し、4Rにヒールホールドで1本勝ちするも、この試合中にサミング(目に指を入れる、反則)を受け、右目を失明。
(本人は殴られて目が腫れてふさがりみえないと思っていたが、後日、判明)
2回戦、クレイグ・ピットマンを腕ひしぎ十字固めで1本勝ち。
決勝戦でヒクソン・グレイシーと対戦し、1R、スリーパーホールドで1本負けを喫した。
右目の失明により、距離感がなくなり打撃系格闘技は難しくなり、ブラジリアン柔術に専念した。
板垣恵介は、中井祐樹の気高さに心臓が締めつけられた。
そして42歳にして、強さ、最強への想いを、ますます深く、まるで底なし沼のように強めていった。
男なら、一瞬でもいい、範馬勇次郎になりたい。
範馬勇次郎は、板垣恵介の理想だった。
そして格闘技や武道を志す人間に、範馬勇次郎のような存在を見せつけてほしいという願望もある。
「俺だって最強になりたかった。
すべてを己の腕力で通してしまう、そういう体験をしてみたかった。
男として生まれたなら自我が誕生すると同時にそんな傲慢な欲求も生まれるんだ。
それがいろんな壁に出会い、次から次へのあきらめ、振り落とされてしまう。
傲慢なまま、その欲求を貫き通してしまった人間が、範馬勇次郎なんだ。
コンプレックスを持ったことがない、自分が世界最強ということを当たり前に考えている。
ヒトではない。
モノでもない。
強い、という圧倒的存在だ」
男とて生まれたなら、一瞬でもいい。
範馬勇次郎になりたい。