大信田礼子
あぁ、大信田礼子。抜群のスタイルで色気を絵に描いたようなイイ女。そう、それが大信田礼子。1967年に映画「青春太郎lに出演し、歌手としても1970年に「女の学校」でデビューしています。なんと言うかこの曲、タイトルがいかにもな感じ。このタイトルからも推察できるように、22歳とは思えない色気です。特に太もも、当時の男性諸君はこれにやられました。そう、大信田礼子は太ももだ!!

大信田礼子
女優としても歌手としても順調にキャリアを積み上げていった大信田礼子ですが、熟女となっても太ももの魅力は健在!

大信田礼子
その魅力を決定づけたのは東映映画「ずべ公番長」シリーズ全4作でしょう。そりゃぁ、もう、大信田礼子の魅力バクハツですわ。では、その「ずべ公番長」シリーズ、順にご紹介しましょう。
第1弾 ずべ公番長・夢は夜ひらく
シリーズの第1作「ずべ公番長・夢は夜ひらく」が公開されたのは1970年9月です。一足早く大信田礼子は「不良番長・一攫千金」、「不良番長・出たとこ勝負」の不良番長シリーズに出演していて、これが好評ということで「ずべ公番長」シリーズの主演を勝ち取りました。大信田礼子、22歳かぁ。。。太ももが目に焼き付いて離れません!

ずべ公番長 夢は夜ひらく
サブタイトルの「夢は夜ひらく」は、藤圭子の大シングルからのものですね。タイアップというか、便乗というのか、おかげで映画は注目を集めました。藤圭子は宇多田ヒカルのお母さんですね。今や娘の方が有名になっていますが、若い頃の藤圭子はキレイですよぉ。
この予告編にも藤圭子がチラリと出てきますが、宇多田ヒカルより美人だと思いますけどね。
さて、この「ずべ公番長」シリーズ、監督は山口和彦です。山口和彦といえば、他に梶芽衣子の「銀蝶シリーズ」、志穂美悦子の「女必殺拳シリーズ」や千葉真一の「けんか空手シリーズ」といったシリーズものの映画で知られています。でも、まぁ、一般的にはテレビ・ドラマ「スクール☆ウォーズ」が印象深いですかね。
第2弾 ずべ公番長・東京流れ者
シリーズ第2弾「ずべ公番長・東京流れ者」は1970年12月に公開されました。1970年は「ずべ公番長」シリーズの2本意外に、大信田礼子は「不良番長・一攫千金」(4月公開)、「盛り場流し唄・新宿の女」(5月公開)、「不良番長・出たとこ勝負」(8月公開)、「経験」(10月公開)、「不良番長・口から出まかせ」(12月公開)と実に5本の映画に出てるんです。勢いがあったということですね。その勢いに乗った「ずべ公番長・東京流れ者」ですから、悪かろうはずがありません。

ずべ公番長 東京流れ者
大信田礼子扮する“ハマぐれおリカ”が全国を練り歩き大暴れするというのがこのシリーズ。第2弾も大信田礼子、橘ますみ、賀川雪絵のずべ公トリオのお色気がたまらんわけです。お色気はたまらんのですが、アクションが思いのほか激しいというのもこのシリーズの特徴ですね。
渡哲也と松原智恵子で1966年に「東京流れ者」という映画が公開されていますが、言うまでもなく全く別物です。が、面白いのはテーマ曲の「東京流れ者」。これは同じです。只この曲、渡哲也の他にも竹越ひろ子、渡哲也盤などが歌っているのですが歌詞がみんな違うんですよね。「ずべ公番長 東京流れ者」で歌っているのは藤圭子ですが、これまた歌詞が違います。因みに、作曲者は不詳となっています。
第3弾 ずべ公番長・はまぐれ数え唄
第3弾は1971年3月に公開された「ずべ公番長 はまぐれ数え唄」です。「はまぐれ」というのは大信田礼子扮する主人公が横浜の生まれなんです。まぁ、「はま」ですね。でもって、ぐれたんですねぇ。それで「はまぐれ」というわけです。で、今回もバイクで暴走するわ、マシンガンはぶっ放すわとやりたい放題です。

ずべ公番長 はまぐれ数え唄
ミニスカから伸びている大信田礼子の足。でもって太もも。これなくして「ずべ公番長」はないわけですが、今回も期待通りですよォ。
「ずべ公番長」シリーズは基本的には大信田礼子を観る映画ではあるのですが、左とん平、金子信雄、伴淳三郎といったとぼけた味のある脇役の存在感には捨てがたい魅力があります。映画ファンであれば、むしろこちらの方が楽しめるんじゃないかと思いますねぇ。
第4弾 ずべ公番長・ざんげの値打もない
「ずべ公番長 はまぐれ数え唄」の翌月に公開されたシリーズ第4弾にして最終作「ずべ公番長 ざんげの値打ちもない」。
「ざんげの値打ちもない」とは1970年10月に発売された北原ミレイのデビュー曲です。もちろんテーマ曲でもあり、映画には北原ミレイ本人も出演しています。

ずべ公番長 ざんげの値打ちもない
レコードはヒットしましたからタイアップとしては上手くいったということですね。ただ、シリーズ最終作というのは多少寂しい思いがします。それでも、映画の中の大信田礼子は元気です。今作も魅力いっぱいで輝いています!
まさに人気絶頂。70年代前半の大信田礼子は、映画だけではなく、「プレイガール」をはじめ多くのテレビドラマにも出演していますし、1973年には歌手としても「同棲時代」を大ヒットさせています。もう一度言います。70年代前半の大信田礼子は、まさに人気絶頂。
だったのですが、大ヒットしたものの「同棲時代」がいけなかった。「同棲時代」で作曲を担当した都倉俊一と1974年に結婚し、以降は引退状態となってしまったんです。残念。美しく、もっとも輝いていた時期に大信田礼子が観られなくなるなんて。都倉俊一のヤツ、許さん!