筒美京平とは

2003年に紫綬褒章を受章されている筒美京平さんは、幼少期から音楽が身近にあり、大学在学時にはジャズに打ち込んでいたそうです。
大学卒業後は洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳さんに勧められ、あのすぎやまこういちさんに師事し作編曲を学びました。
その後作曲家として数多くのヒット作を残します。
1971年、1972年、1973年、1975年、1976年、1981年、1982年、1983年、1985年、1987年と10回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を記録し、作曲作品が、1960・1970・1980・1990・2000年代と、5年代連続でチャート1位を獲得しました。凄いですよね。
ちなみに、ペンネームは鼓(つづみ)が平らに響くという意味から「鼓響平」を考えていたそうですが、文字を左右対称にするために「筒美京平」としたとか。
今回はそんな筒美京平さんの名作中の名作である、シングルの売上TOP10を振り返ってみたいと思います。
TOP10 ブルージーンズメモリー/近藤真彦
「ブルージーンズメモリー」は1981年6月にリリースされた近藤真彦さんの3枚目のシングルです。
近藤真彦さんも出演した映画『ブルージーンズメモリー』の主題歌となりました。

作詞が松本隆さん、編曲が馬飼野康二さんであったこのシングルは、近藤真彦さんの初期の代表曲と言えるのではないでしょうか?
もともと歌詞の中には「好きだよ。好きだよ。好きだよー!」というフレーズがあったのですが、それは恥ずかしくて歌えないと近藤真彦さんからの発言があり、「さよならなんて、言えないよ。バカヤロー!!!」に差し替えられました。
映画の『ブルージーンズメモリー』を観た方いらっしゃいますか?
この当時はたのきんトリオだったんですよねぇ 懐かしいです。
TOP9 やめないで,PURE/KinKi Kids
「やめないで,PURE」は1999年2月にリリースされたKinKi Kidsの6枚目のシングルです。
堂本剛さん主演のドラマ『君といた未来のために 〜I'll be back〜』の主題歌となりました。

この曲は作詞が伊達歩さんで、編曲がWACKY KAKIさんでした。
伊達歩さんとは2016年に紫綬褒章を受章した作家の伊集院静さんのことです。また編曲のWACKY KAKIさんは来生たかおさん、近藤真彦さん、久保田利伸さん、CHEMISTRY、小柳ゆきさん、平井堅さん、などにも携わってきた柿崎洋一郎さんのことでした。
作詞・作曲・編曲を担当された方々を見るだけで、ジャニーズがKinKi Kidsにどれだけ力を入れていたかよく判りますよね。また、楽曲を聴いてみても流石にしっかりした作り込みがされていると感じます。アイドルの音楽というよりはアーティスト寄りの音楽になっている様に感じました。
TOP8 人魚/NOKKO
「人魚」は1994年3月にリリースされたNOKKOの5枚目のシングルです。
タイアップはフジテレビ系ドラマ『時をかける少女』の主題歌でした。

この曲はNOKKO自身が作詞をしており、その詩が穏やかで優しいメロディーに包まれて我々に届く様な素晴らしい作品でした。編曲は鄭東和(テイトウワ)さん、清水信之さんでした。
この曲を聴いた時には、流石に筒美京平さんは凄いなぁ・・・ちょっと日本人離れした楽曲だなぁと思いました。
また、名曲だけあって、安室奈美恵さん、BONNIE PINK、柴咲コウさん、JUJUなどもカバーしています。
尚、筒美京平さんの作曲とは関係ありませんが、このシングルのカップリング曲であった「CRYING ON MONDAY」は、『ウゴウゴルーガ』でオープニングテーマになりました。
TOP7 ギンギラギンにさりげなく/近藤真彦
「ギンギラギンにさりげなく」は1981年9月にリリースされた近藤真彦さんの4枚目のシングルです。
ハウス食品「ククレカレー」以外でも根強いタイアップのあった曲でしたね。

作詞:伊達歩(伊集院静)さん、編曲:馬飼野康二さんと、この当時の筒美京平さんとのコラボではお馴染みの方々で作り上げられたこの曲は、誰もが一度聴いただけで覚えてしまう素晴らしいサビだったと思います。
プロ野球球団千葉ロッテマリーンズの応援団がこの曲を選手別応援歌として使用していました。また、2015年の紅白歌合戦では白組のトリで歌われましたね。
CMだけではなくゲームにも使われたこの曲は、世代を超えた名曲であると同時に、この時代を彩った名作でもありました。
TOP6 木綿のハンカチーフ/太田裕美
「木綿のハンカチーフ」は1975年12月にリリースされた太田裕美さんの4枚目のシングルです。

大ヒットとなったこの曲は、史上最大のヒット曲「およげたいやきくん」が発売されたため、オリコンで1位を取ることはなかったのですが、数多くのアーティストにカバーされる名曲中の名曲なんですよね。
作詞が松本隆さん、編曲が筒美京平さんと萩田光雄さんになっていますが、作詞に関しては発表当時にトラブルがありました。
なんでも構成と歌詞がボブ・ディランの1964年の楽曲「スペイン革のブーツ」に酷似しているとのことであり、松本隆さんはかなり責められたそうです。
ただ、詩も曲も名作であることには間違いありません。後世に残る名曲だと思います。
TOP5 ロマンス/岩崎宏美
「ロマンス」は1975年7月にリリースされた岩崎宏美さんの2枚目のシングルです。

デビュー曲の「二重唱 (デュエット)」がTOP20入りするヒットとなったことから、再び作詞・作曲を阿久悠さんと筒美京平さんが担当することになり、先に曲を書き、そこに歌詞を付けるという曲先(きょくせん)で制作され、この曲が完成しました。
楽曲の内容としては、リズムの構造やクラビネット、ストリングスのフレーズなどで当時流行していたディスコサウンドを取り入れながら、全体としては歌謡曲的な側面を残すことに成功しています。岩崎宏美さんはこの曲で日本レコード大賞など数々の音楽賞で新人賞を獲得しました。
筒美京平さんの凄いところは、各年代に流行しているサウンドを自分が培ってきた音作りに融合出来るところにあると思うんですよね。この曲はその代表的な楽曲になるのかもしれません。
TOP4 また逢う日まで/尾崎紀世彦
「また逢う日まで」は1971年3月にリリースされた尾崎紀世彦さんの2枚目のシングルです。

誕生するまでに紆余曲折のあったこの曲は、結果的には第13回日本レコード大賞・大賞と第2回日本歌謡大賞・大賞をダブル受賞する快挙となりました。
オリコンシングルチャートで1位を獲得し、100万枚以上の売上を記録したこの曲の作詞は阿久悠さんであり、流石と言わざるを得ないと思いました。
私は世代的にズレてはいますが、これだけの名曲となると散々聴いてきました。自分が大人になってからカラオケで歌う様になるとは思っていませんでしたが、歌っていてこんなに気持ちの良い曲はなかなかないなぁと感じています。勿論歌いこなせていないので自己満足なのですが(笑)
尾崎紀世彦さんにとっても筒美京平さんにとっても代表曲ですよね!
TOP3 ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ
「ブルー・ライト・ヨコハマ」は1968年12月にリリースされたいしだあゆみさんの26枚目のシングルです。

筒美京平さんにとって自身が手掛けた楽曲で初のオリコン週間1位を獲得した出世曲となったのがこの「ブルー・ライト・ヨコハマ」でした。また、筒美京平さんはこの曲で第11回日本レコード大賞・作曲賞を受賞しています。ここから破竹の勢いで日本の音楽シーンをリードしていくことになるんですね。
また、作詞者である橋本淳さんは横浜市中区山手にある「港の見える丘公園」から見える横浜と川崎の工業地帯の夜景、そして自身がかつてブルー・コメッツと共に降り立ったフランス・カンヌの夜景の美しさをイメージして作詞したと語っています。
歌ったいしだあゆみさんにとってもこの曲が「歌手いしだあゆみ」のイメージを定着させたものであり、『第20回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。累計売上は150万枚を超える売り上げを記録したといわれています。
横浜のご当地ソングとして根強い人気がありますね。
TOP2 スニーカーぶる〜す/近藤真彦
「スニーカーぶる〜す」は1980年12月にリリースされた近藤真彦さんのデビューシングルです。
東宝映画『たのきんスーパーヒットシリーズ第1弾・青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』の主題歌として使用されました。

数々のヒット曲を残している近藤真彦さんですが、この曲が自身最大のヒット曲、かつミリオンセラーであり、更にジャニーズ事務所としては、史上初のミリオンセールスとなった記念すべきシングルでした。
近藤真彦さんは1979年にTBS系テレビドラマ『3年B組金八先生』で俳優デビューを果たしていますが、この曲で歌手デビューも果たし、当時の人気は相当なものだったとか。
また記録的なことで補足をすると、オリコン史上初の「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」でもありました。
作詞は松本隆さん、編曲は馬飼野康二さんであり、役者が揃っていたと思います。
TOP1 魅せられて/ジュディ・オング
「魅せられて」は1979年2月にリリースされたジュディ・オングさんの26枚目のシングルです。

作詞の阿木燿子さんとタッグを組んで製作されたこの曲は、筒美京平さんの数々のヒット曲の中でTOP1となりました。
第21回日本レコード大賞・大賞、作曲賞(中山晋平賞)、第12回日本作詩大賞・大賞、第8回FNS歌謡祭・最優秀歌唱賞、第8回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞など、数々の賞に輝いた名曲です。
ジュディ・オングさんはこの曲を発表する前から歌手として活動はしていましたが、それまではむしろ外国人タレントとしての活動が主だった様で、この曲を歌ってから一気に歌手としての立場が確立されたと言われています。
また、この曲で印象的なのが歌唱時の衣装ですよね。
両手を広げると裾から手首まで袖が扇状に広がる白のドレスを着用しており、そこにバックから光を当てる演出が素晴らしかったです。当時大反響となり、この演出が定番となりました。
圧巻のTOP1であり、納得の名曲でしたね!
筒美京平の手掛けたシングル売上TOP10を聴き直してみて
筒美京平さんの手掛けたシングル売上TOP10を聴き直してみていかがだったでしょうか?
どの曲も一度は耳にしたことのある名曲ばかりでしたよね!
それにしても驚いたのが、TOP10の中に3曲も近藤真彦さんの楽曲が入っていました。近藤真彦さんは筒美京平さんの破竹の勢いに欠かせない存在だったんですねぇ
また、男性の曲と女性の曲がバランス良くランクインされており、しかも2000年近くまで各年代でヒット曲を残しているのは驚異的なことだと思います。
これだけ素晴らしい楽曲を世に残してくれた筒美京平さんですが、今でもまだ現役の方なので、これからも私達に名曲を残して欲しいですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。