プリンス
天才の名を欲しいままにしたプリンス。残念ながら2016年4月21日に57歳と言う若さで亡くなってしまうのですが、彼が残した楽曲、与えた影響は計り知れないものがあります。
デビューから亡くなるまで常に革新的な作品を作り続けたプリンス。どの時代にも名作と言われる作品を残していますが、最も華やかだったのはマイケル・ジャクソンやマドンナ達とヒットチャートを賑わせていた80年代ではないでしょうか。と言うことで、80年代前半のプリンス振り返ります!
因みに、プリンスとマイケル、そしてマドンナは同い年なんですよ。なんか、スゴイですね。
Controversy
プリンスの80年代は4枚目のアルバム「戦慄の貴公子」で幕を開けます。既に「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」などのヒット曲を放っていたとはいえ、前作がデモ音源そのままだったことでサウンドとしてはチープ感は否めず、大きなヒットには至っていませんでした。プリンスとしては起死回生の一撃が欲しかった。で、これです。
戦慄の貴公子
「Controversy」は、訳すと論争ということになりますかね。が、邦題は「戦慄の貴公子」ときたもんだ。いや、むしろピッタリ。邦題の方が良い。で、アルバムタイトルと同名の曲がこれまた素晴らしいのです。
他にもプリンス初期の名曲と言われる「ドゥ・ミー・ベイビー」も収録されていますし、1981年にリリースされた「戦慄の貴公子」は充実したアルバムとなり商業的にもまずまずの結果を出しています。
1999
ギター、ドラムス、ベースはもとより、30種類ほどの楽器を使いこなしたというプリンス。アルバムはほぼ1人で制作してしているわけですが、ライブとなるとそうはいきません。1982年頃からバックバンドをザ・レヴォリューションと名付け、プリンス・アンド・ザ・レヴォリューションとして活動を始めます。
この年に出たアルバムが5枚目となる「1999」です。
1999
レコードでは2枚組の大作でしたが、全米で400万枚を売り上げています!このアルバムからは 「リトル・レッド・コルベット」(全米2位)、1999(全米12位)、「ディリリアス」(全米8位)がシングルカットされ、何れもヒットしています。
もう、全曲シングルカット出来そうな完成度の高いPOPな楽曲揃いのアルバムです。ただ、このアルバムによってアメリカでは大ブレイクしたプリンスですが、日本ではまだ一般的には知られていませんでした。
Purple Rain
この時期のプリンスは日本では、なんと言いますか、ヘンタイ?いえ、キワモノですか?そんな扱いをされていたように思います。セクシャルな感じが当時はなかなか馴染めなかったんですね。それを超えて支持されるようになったのが1984年にリリースされた6枚目のアルバム「パープル・レイン」です。
パープル・レイン
本作からプリンス・アンド・ザ・レヴォリューション名義となっており、1人では出来なかったバンドならではの音の厚み、深みが出ています。それもあってでしょう。「ビートに抱かれて」(全米1位)、「レッツ・ゴー・クレイジー」(全米1位)、 「パープル・レイン」(全米2位)、「ダイ・フォー・ユー」(全米8位)、「テイク・ミー・ウィズ・U」(全米25位)と、5曲もシングルカットされヒットしています。
中でも「ビートに抱かれて」は、全米年間チャートでも1位となっている程です。