赤井さんは情に厚いそうで、クラスメートが他校の生徒にボコられると「よっしゃ行ったる!」と返しに行き、クラスメートがやられた以上にボコボコにしてあげるそうです。
伝説⑤
赤井電車はヤンキーには恐れられていたそうですが、お年寄りや体の不自由な方からは、人気車両だったとか・・・
自身もお年寄りや体の不自由な方には席を譲ってあげていて、健康そうな奴が座っていると、どかして座らせてあげていたのだとか。
赤井さんは優しさが他の人より過剰なんです。
伝説⑥
赤井英和のつながり - エルペディア【Wikipedia】
今ではボクシングがきっかけで更生するっていう話しはよくありますが、赤井さんから始まったのではないでしょうか、
喧嘩に明け暮れていた赤井さんですがヤンキー生活にピリオドを打ったのは高校二年生のときでした。
国体で無名の赤井さんが有名選手に勝ったそうです。
当時の雑誌には「無名の赤井が勝つ!」という記事が出てそれを見た赤井さんは俄然やる気が出たそうです。
三年生でライトウェルター級でインターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権を優勝。
伝説⑦
赤井英和vs武藤己治 ボクシング パンフ 浪花のロッキー
プロ4戦目の全日本新人王決定戦では尾崎富士雄に3RKO勝ちしジュニアウェルター級全日本新人王を獲得。
その後も攻撃型ボクサーとして当時の日本記録であるデビュー以来12試合連続ノックアウト勝ちという快挙を成し遂げ、その試合スタイルから「浪速のロッキー」という愛称で親しまれました。
試合後のユニークなインタビューのコメントも人気を呼び、当時関西出身の世界王者渡辺二郎さんよりも赤井さんの人気と知名度は高かったそうです。
伝説⑧
大和田 正春
驚異の生命力!!
赤井さんは1985年2月5日に開かれた大和田正春さんとの試合に臨む。
しかしこの試合、強打に打たれ過ぎ、KO負けの後、意識不明に陥る。
急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断され、大阪市内の富永病院で開頭手術が行われた。
搬送時生存率20%、手術後生存率50%と言われるほどの深刻な状態でしたが無事生還をすることになりました。
伝説⑨
自分の脳みそを触った男。
後のバラエティ番組で語られていましたが、入院され意識が戻った時、開頭中なのに何気なしに自分の頭を触ったら、タオルで包まれた自分の脳を触ったそうです。
ブヨブヨの感触で触ると強烈な吐き気がするとか・・・
多分、後にも先にも、自分で自分の脳みそを触る人はいないと思います。
伝説⑩
どついたるねん
ボクシングを引退され俳優の道に進み俳優業でも素晴らしい実績を残されています。
1989年 第35回キネマ旬報賞・新人男優賞(『どついたるねん』)
1989年 第44回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞(『どついたるねん』)
1989年 第14回報知映画賞・新人賞(『どついたるねん』)
1995年 第18回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞(『119』)
2001年 第24回日本アカデミー賞・優秀助演男優賞(『十五才 学校IV』)
2015年 2015 55th ACC CM FESTIVAL・クラフト賞 フィルム部門 演技賞 (健康コーポレーション「ライザップ」のCMの演技に対して)