1978年の12月にフジテレビ系で放送されたまま、未だに一切ソフト化されていない萩原健一主演のドラマ、『死人狩り』をご存じでしょうか?

フジテレビのドラマ『死人狩り』新聞広告
その主題歌であり、多くの人々の心に今も残るあの名曲、『雨に泣いている』で大ブレイクを果たしたのが、ミドルエッジ世代には忘れられないバンド、柳ジョージとレイニーウッドでした。

「雨に泣いている」シングル盤ジャケット
テレビで演奏する柳ジョージの渋すぎるその姿に、よし、自分もギターを始めよう!当時そう思われた方も多かったのではないでしょうか?
残念ながら、1981年末の武道館コンサートを最後に、惜しまれながらバンドは解散。
ボーカルの柳ジョージはその後ソロアーティストとして活躍するものの、2011年10月10日に糖尿病性腎不全で、惜しまれながらこの世を去ってしまいました。
しかし、現在でもレイニーウッドは元THE JAYWALKの中村耕一をボーカルに迎えて、精力的にライブ活動中です。

今回のライブ会場となった、町田の「まほろ座」
今回のインタビュー取材は、9月14、15日に町田の「まほろ座」で開催されたレイニーウッドwith中村耕一のライブ「last summer live」リハーサル中の、貴重な時間に話を伺った時のもの。

レイニーウッド with 中村耕一
当日お話を伺ったメンバーは、
上綱克彦:ボーカル・キーボード リーダー
石井清登:ボーカル・ギター
ミッキー・ヤマモト:ボーカル・ベース
鈴木明男:ボーカル・サックス・フルート
中村耕一:ボーカル・ギターという、ミドルエッジ世代にとっては、正に涙物の蒼々たる顔ぶれでした。
1981年の突然の解散から、2005年の一夜限りの再結成を経て、今もなお精力的にステージに立ち続ける彼らのライブへの想いや、当時のレアなエピソードなど、是非お楽しみ頂ければと思います。
レイニーウッドwith中村耕一インタビュー
場所・日時:町田「まほろ座」2018,9,15

――まず、昔と現在とで、ライブの観客の反応などに違いはありますか?
上綱
「いや、僕はそれは、感じないですね。大体、昔見てくれてた人たちが、スライドしてそのまま同じように年をとって、そして、今自分たちが見たり聞いたりするものが無くなったりしていている中で、またレイニーウッドが演ってくれてる!と喜んで来てくれて、そのまた子供の世代を連れて来てくれたりする。そこは凄いな、と思いますね」
――自分が昔聞いてた音楽を子供に伝える、それがまたCDとかじゃ無くて目の前で生で演奏してくれているのを見せる。そこは、大事ですね。
上綱
「ありがたいことだと思います」
――石井さんは、昔のライブと今のライブで、違う所、あるいは変わらない所などありますか?
石井
「違いっていうのは、まあ、我々の体力的な面とか色々とありますけれども、お客さんの面に関しては、全くっていいほど感じないですよね」
――お客さんも皆さんに負けずにパワフルなんですか?
石井
「そうです、お客さんの方がパワフルかも知れないですね」
――今、体力的な部分という話が出たんですが、ライブを続ける上で体力維持とか、昔よりも健康面に気をつけたりはしてますか?
石井
「気をつけてることは全く無いですね。」
――えっ、それはまた、意外な答えが。
石井
「(笑)うーん、まあ、それは長い間ずっとライブをやって来て、自然な流れが身に付いてるってのもあるだろうし、まあステージは同じですから、昔の方がむしろキツかったかも知れないですね」
――それも意外なんですが。
石井
「ステージの数自体も、昔とは違いますしね。」
上綱
「まあ、気をつけてることと言ったら、酒が飲めなくなったら終わりだなと(笑)」
石井
「私なんか全く飲めなかったのに、今は飲む様になりましたからね(笑)、皆さんのおかげで」
上綱
「酒の量は落ちてないよね、ぜんぜん」
石井
「落ちてない?うーん、飯の量も落ちてないね(笑)」
――鈴木さんはいかがですか、体調のためにお酒を飲まなくなったとか?
鈴木
「もう、酒控えて、体力に気をつけて。もうね、飲めなくなりましたよ、昔よりは」
――ちなみに昔はどの位?
鈴木
「昔は、一升空けたり二升空けたりとか。でも、今は日本酒なんかは翌日に残っちゃうから、焼酎に変えたりとか、もっと軽い酒に変えたりとか。まあ、体力面も落ちてるんで、僕はちょっと以前に大病したんで、野菜ジュースを毎日飲んだりとか、納豆を毎日食うようにしたりとか」
上綱
「ジムも行ってるんでしょ」
鈴木
「以前より10キロくらい痩せちゃったんで、ジム行って筋トレはしてる。まあ、体には気を使いつつ、酒で痛めつけてるのは、間違いないです(笑)」
――本当に皆さんパワフルですよね。
鈴木
「それはもう、ジョーちゃんが、酒、酒、酒って言ってたからでしょ。」
――やっぱりこう、ライブ終わってから打ち上げで皆で飲みに行く感じでしたか?
上綱
「終わる前から(笑)」
鈴木
「お腹壊しちゃうんですよ、お酒ばっかり飲むから」
――お腹冷えちゃいますからね(笑)
鈴木
「もう、本番前になると、皆、プルプルッ、プルプルッて言い出して。プルプルッの意味は、皆お腹壊してるんですよ。本番前になると皆緊張するから、トイレに行かないとって。その合図が、プルプルッ(笑)」
――それ、ライブ中にヤバくなったこととかありますか?
鈴木
「ドラム担当の四ツ田ヨシヒロが、本番中になって」
――えっ、ドラムは大変じゃないですか!
鈴木
「もう、ステージ壊して、一人でトイレに走りましたからね(笑)」
上綱
「忘れもしない、下関市民会館だったね(笑)」
――良く覚えていらっしゃいますね!でも、それライブ会場のお客さんにとっては、良い思い出じゃないですか。
鈴木
「キャパが1500位あるコンサートホールだったんで、まあ、ジョーちゃんも上手い具合にお客さんに一言・・・」
――さすがに、そういう時はちゃんとフォローをしてくれたと。
鈴木
「いや、出来てない、出来てない(笑)お客さんに暴露して」
――すっかりネタにしてたと。
ミッキー
「本人がスッキリした顔で戻ってきたら、スロープ状になってる客席の前の方から、波のようにザワザワザワッ、ドカーン!と、お客さんが皆爆笑しましたね、(笑)」
――いや、こういうエピソード聞けると嬉しいですね。では、ミッキーさんにお尋ねします。お酒の量なんですが、当時一番飲まれたのは、やはり柳ジョージさんなんですか?
ミッキー
「まあ、そうでしょうね。飲みましたね!」
上綱
「まあ、柳ジョージ、次に四ツ田、二人が双璧でしょうね。」
ミッキー
「皆で飲みに行くとね、順番に寝るんです。」
――え、寝ちゃうんですか?
ミッキー
「飲みながら、まず一人、ドラム(四ツ田)が寝るんです。次に、上綱が寝る、んで、石井が寝る。アキオちゃんは、あまり寝なかったな」
鈴木
「寝ないな。」
ミッキー
「そんで、僕がズーッと起きてて、見張りをしてるという(笑)」
――じゃ、ミッキーさんは、あまり飲まない方でしたか?
ミッキー
「いや、飲みますよ(笑)」
<中村耕一さんがレイニーウッドに参加されるまで>

左:中村耕一、右:鈴木明男
――ちょっとここで話題を変えて、中村さんが今回加入されたのが、ファンにとっては本当にベストの組み合わせと言いますか、非常に運命的なものを感じるんです。
こうしてレイニーウッドのボーカルとして参加される上で、相当プレッシャーみたいなものがあったと思うのですが?
中村
「いや、最初はプレッシャーは無かったですね。とにかく、レイニーウッドの中で一緒に歌えることが、凄い嬉しかったというか。THE JAYWALKに入る前、北海道で歌ってた時に、柳ジョージ&レイニーウッドを聞いて、そこからハマって」
――元々リスナーというか、ファンだったんですか?
中村
「そう。で、コピーして歌ってたりしたんです。そういうことも僕の中にあって、で、同じ事務所に入れることになった、というのがきっかけですけど。当初凄い嬉しくて、でも上京して来て一年足らずで、レイニーウッドいなくなっちゃって(笑)、あれ?っていう」
――うわ、それは残念ですね。
中村
「で、今回30年振りに皆さんに会って、本当に嬉しかったですね」
――では、柳ジョージさんと比べられるプレッシャーよりも、皆さんとやれる嬉しさの方が大きかったわけですね。
中村
「最初はね、やる前は。実際にやってみて、そういうプレッシャーがだんだん。やっぱりお客さんが求めてるものとか、空気を感じるし、実際、あのー、言葉で言われたり(笑)」
――今はコメント欄で直接書き込んだりできますしね
中村
「いやいや、あのね、お客さんからこうね、色々言われたりとか。当初はしましたんで、段々とプレッシャーというかね。責任は重いなーっていうのはありました。」
――やり始めてから逆に重圧を感じるようになったと
中村
「初っ端の頃は本当にもう、ただただ嬉しいっていう」
――やはりお客さんも昔のレイニーウッドを体験しているから、それだけ中村さんへの期待は大きかったということでしょうか?
中村
「まあ、どこで自分で吹っ切ったのかは、ちょっと記憶に無いんですけど、ある時パッともう割り切っちゃったんですよね。どうあがいたって、僕は柳ジョージにはなれないし、柳ジョージでは無いし。僕に柳ジョージを求めてもらっても、それは所詮無理な話ですから。僕の中で昔憧れてた気持ちと同じ気持ちで、柳ジョージっていうボーカリストをリスペクトして、自分なりに歌えばいい。そのリスペクトの気持ちさえあれば、いいだろうっていう風に、上手くどこかで吹っ切ったっていうところがあったんですね。」
――無理に似せようとか、そういう所で勝負するのを止めて楽になったということですね。
中村
「北海道の頃はね、無理に似せてました(笑)とにかく、柳ジョージになりたかった。」
――YouTubeなどで、中村さんが歌っている「雨に泣いている」の映像が見れるんですが、外見は確かに違うんですが、やっぱり乗り移ってる感じがするんですよ。これだったら、やっぱりライブを生で見たい!と思うだろうなって感じました。
中村
「いや、何度も言ってるんですけど、僕、こうやってレイニーウッドの皆さんと一緒にやらせてもらって、昔ファンでいた時よりも、今の方が曲を聞いてるんですよ(笑)。それで、聞けば聞くほど、やっぱりこう柳ジョージっていう人が、もの凄い遠い存在になってしまって。もう少し昔は、柳ジョージになれるかも?っていう、バカな夢があったんですけど(笑)。もう、ああいうボーカリストはいないでしょうし、段々聞けば聞くほど離れていくっていというか、遠い存在になっていくことに気づいてますよね」
――上綱さんにお尋ねしたいんですけど、中村さんに参加して貰おうと思ったきっかけとか、理由はどんなものだったのでしょうか?
上綱
「頭の中では、まあ、出来たらいいなというのは、漠然と思ってはいたんですけど、我々の作詞をよくやってくれた増田俊郎と一緒にライブをやったりして、彼の方から"いや、来年は是非、中村耕一とレイニーウッドで、一緒の姿が見たい、ねえ、皆さん!"みたいに観客に言ってくれて。段々とそれでそういう声が上がってきて、それでミッキーが横浜のパラダイスカフェに忘れ物を取りに行った時に遭遇して、そこでちょっとそういう話になって、これは何か一緒にやろうという」
ミッキー
「アキオちゃんが、よくぞ忘れ物してくれたっていう(笑)」
鈴木
「そう、フルートスタンドをね(笑)ミッキーに、悪いけど取りに行ってくれないか?って言ったら、そこに耕一ちゃんがいたっていう」
――いや、運命ですね!
上綱
「今の話で、歌の部分ですよね。柳ジョージとの比較というか、それは別に全く望んでなかったですよ。柳ジョージの代役では無くて、放っておいてもオーディエンスの受けるイメージというか、詳しく聞いている人もいれば、何となく聞いている人もいるけど、たぶん50%以上の人は、そういうスタイルのボーカリストとして、同じカテゴリーで見てると思います。」
――確かに、僕ももうピッタリ、と思いましたから。
上綱
「やっぱり、ソックリだねっていう人もいれば、いやいや、やっぱり歌い方が違うよ、みたいな人もいる。それはもう、まあ、計算通りというか(笑)、やりたい様にやれば、程よくなるっていうのは分かってましたから。」
――そこまで計算されてたんですね。
上綱
「計算というか、まあ、当然そうなるだろうなという。」
――中村さんの中で一度消化して、そこから新しいレイニーウッドの歌声が生まれることになれば、という感じですか?
中村
「どこかでやっぱり、追い求めてますけどね。まだ(笑)」
――でも、追い求めてる限りは、ずっと成長し続けるわけですからね。
中村
「聞いてて、例えば細かい所ですけど、歌い方とかね、こういう風に歌える様になりたいとか、そういうの一杯ありますよね。でもまあ、稀有な人ですよ、あの人は」
――実際、YouTubeのコメント欄にも、「やっぱり、この歌声だ」みたいな絶賛評が並んでますね。
中村
「いや、そういうの怖くて見れないんですよ(笑)」
――それ、分かります!気になっちゃいますものね。
中村
「いや、もう本当に気がちっちゃいんで(笑)」
<ライブに対する想いとは?>

――メンバーの皆さんにお聞きしたいんですけど、解散から再び現在の様にライブ活動される上で、中村さんの様にプレッシャーみたいなものはありましたか?
上綱
「それは、無いですね。リハーサルで細かい調整をしなければいけないという作業はあっても、精神的なプレッシャーは無いです。」
ミッキー
「この人は曲順決めるから、それが一番プレッシャーですよ(笑)」
――石井さんはいかがですか、プレッシャーとかは?
石井
「プレッシャーとかは、特には無いですね。やっぱり継続してることだし、自然な姿に近いものがあるので」
――鈴木さんは、どうでしょうか、不安みたいなものは?
鈴木
「不安は、あるでしょうね。だいたいが、昔のまんまやってるんで、これでいいんだと。もうこれだけ時代がどんどん変わっていって、リスナーも音楽スタイルがどんどん変わってるわけじゃないですか。今の二十歳の子なんか、聞いてる音楽がぜんぜん違うわけじゃないですか。その子らに70年代の音楽を、そのまま押し通そうとしている。それに対して、ついて来れないお客さんは、もう仕方がないというか、その辺の音楽の流れ、それをどうとらえて演奏していくか?というところで悩む、不安、プレッシャーっていうのは、あると思いますね」
――そうですね、逆に皆さん継続して活動されてきているから、時代によってそれを変える必要って、無いような気がします。
鈴木
「それは、色々なとらえ方があると思いますけど、変えちゃうと今度は昔からのファンが、あ、変わっちゃった・・・、とか。何か、昔っからの同じイントロが欲しいとか、そういうのがあって、やっと昔と同じ気持ちで涙が流せると。だけど、他のバンドだとアレンジを変えて、何か違うバージョンの過去の曲を新たにリメイクして、また新しい世代に合わせていくっていうスタイルでやってる古いバンドもあるし、まあ、色んなバンドのスタイルがあるんでね。レイニーウッドは、古いスタイルにこだわってそのままでやっているという、そういうところでお客さんが、聴いてくれているのかな?というところの不安みたいなものはあるでしょうね」
――ミッキーさんは、その辺の不安とかプレッシャーはありますか?
ミッキー
「いや、別にプレッシャーってのは無いですけど、あるとすれば、やっぱり、"いつも同じ曲だよね"って言われるのが、やっぱりイヤだし、だからなるべくお客さんと話をして、リクエストもらったり。新しいファンの人を掘り起こすっていう作業も大事だと思うんですけど、寝てるファンを起こす方が早いんで」
――うわ、それは名言ですね!
ミッキー
「結局、今レイニーウッドで動き始めた当初は、ライブも本当に30人入るのが精一杯だったの。それを、周りのスタッフのメール作戦から始まって、どんどん増やしていって。耕一さんが歌ってくれるようになって、一気にダーッと増えてきて、まあ、相乗効果だと思うんですよね。で、その時に、今まで寝てたお客さんが何十年振りかでライブに来て、いや良かった!って言って満足して帰ってくれるのは、本当にありがたいよね。ま、寝てるお客さんを起こす方が、僕は早いよね、と思ってるんですけどね(笑)」
――本当にその通りですね。久々に見に行って昔と変わらず凄い!と思ったら、絶対に他の人を誘って見に行くと思うんですよ。それが数珠つなぎになって、観客が増えていったんでしょうね。
ミッキー
「そこをお客さんも分かってて、新しく来た人にはやっぱり、ウェルカムな雰囲気にして、一緒にやろう!とか言って、ペンライトを買って新しいお客さんに渡してくれたりするんですよ。で、楽しかった、て言って皆帰りますからね」
――当時ライブに行けなかった人にも、是非体験して頂きたいですね。
次に、ミドルエッジ世代にとっては、やはり1978年に放送されたドラマ『死人狩り』の主題歌の「雨に泣いている」が一番印象に残っているんですが、当時はまだLPレコードとか自分で買えなかったんで、テレビの歌番組でシングル曲を聞いて、あ、カッコイイ!と思ってたんですよ。
上綱
「僕らはやっぱりプライオリティに思ってたのは、あくまでもアルバムアーティストってことで、アルバムの中からシングルカットの曲をどれにしようかっていう。だから気持ちとしてはアルバム収録曲の中で、どういう色を付けられるかなっていう考え方ではありましたね」
――『死人狩り』の話題が出たので、一つどうしてもお聞きしたいことがありまして。
「雨に泣いている」を、ドラマ主題歌として使う時に、英語の歌詞を日本語の歌詞に変えているんですが、これが主演の萩原健一さんの意向によるものだった、というのは本当なんでしょうか?
上綱
「それはもう、その通りです。英語じゃやっぱり主題歌に出来ないから、日本語でもう一回入れ直してやったら、主題歌でいけるからと」
――その変更に対して、やはりレイニーウッドとしては抵抗とかありましたか?
上綱
「そりゃね、やっぱりレイニーウッドというより、ジョーちゃんが一番ね。"日本語で歌うと、もうフォークなんだよ。ロックは英語じゃなきゃ"と。そこがプロデューサーも一番困ってたところで(笑)。なだめすかしては、日本語も1~2曲入れようと。それから、日本語のアルバムを作ることが比較的楽になりましたね」
――やはり、英語の歌詞への想いというのは、特別なものがあったのでしょうか?
上綱
「「雨に泣いている」も、最初にリリースしたタイトルの"Weeping in the rain"がもうアルバムタイトルでしたから。でも、やっぱり英語では入れられなかったんですね。まあ、テレビの主題歌は、大きなチャンスでしたから、やはり柳ジョージ個人のこだわりが大きかったんですね。当然、ボーカリストがそうであれば、我々はその意向に付いていくわけですから。昔は、例えば日比谷の野音とか、横浜の野音って言ったら、いかにもロック然としたミュージシャンが出演しているわけで、その中でやっぱり日本語でやるのはちょっとカッコ悪いみたいのが風潮的にはあったんですよ、70年代には。」
――その辺は、やはり自身の音楽のルーツが洋楽にあるからでしょうか?
上綱
「我々のそれぞれが、バンドなどの色々な経験をしていく中で、やはりその入り口では、中学校の頃とかのグループサウンズの曲をやったりとかしてますから。そこから始まって、色々と分かってくると、グループサウンズよりはやっぱりローリング・ストーンズの方がカッコいいじゃないかと。そうなると当然洋楽化してきますよね」
――過去の名曲だけでなく、今後のライブで新曲発表の予定などはありますか?
上綱
「まあ、今その流れがありますけどね」
――当時、色々歌番組とか出られていて、一番強烈な思い出というのはありますか?
上綱
「強烈な思い出というか、一番良く出たのが"夜のヒットスタジオ"か、"ミュージックフェア"で、フジテレビのドラマきっかけでブレイクしたので、大体フジテレビ系が多かったですね。これも事務所の意向で、なるだけテレビには出たくないんだけど、フジテレビの要望には応えなければいけないという。もっとマイナーな頃には、NHKの"レッゴーヤング"で、ジャニーズ系とか若手の中で、全く異質の存在で出てましたね(笑)。なんかこう、決められた振り付けで軽く踊らされたり(笑)。NHKのスタッフが見かねて、ああ、ここはいいです、とか(笑)」
――えっ、知らなかったです。逆にそれは貴重な!
上綱
「あと、あれが恥ずかしかったですね。夜のヒットスタジオのオープニングで、リレー形式で歌っていくやつ」
――あれ、楽しみだったんですよ。そう言えば、夜のヒットスタジオで実際に雨を降らせた時がありましたね。
ミッキー
「あれが、滑るんですよ。あと、スモークとかドライアイスとか。」
――あと、変わった演出では、漁師さんが出てくるとか。
上綱
「あれは、"酔って候"の時で、一回だけ別枠のお試しで出演した時に、まあ、演出を考えてくれたんでしょうね。土佐のクジラなんだけど、千葉の漁師だったという(笑)」

リハーサル中のレイニーウッドwith中村耕一
――リハーサル中のお忙しい中、ありがとうございました。それでは最後にメンバーお一人ずつ、今後のライブに対しての意気込みなど、お聞かせ頂ければと思います。
上綱
「まあ、やり続けるだけですね。この年で何か、スマッシュヒットをどうのこうのなんて、狙うのも何かね。そりゃ、売れた方がいいんですけど、そんな青臭いことは言えない(笑)」
ミッキー
「もう、一日でも長く、ボケたりしないで(笑)、健康で演奏が出来ればいいなと思いますけど」
中村
「ミッキーさんと同じです(笑)。もうね、皆似たようなもんじゃないの?」
ミッキー
「アキオちゃんなんか、健康に気を付けてるもんな」
鈴木
「気を付けてるよ本当に。皆、トシなんでね。まあ長くね、出来ればいいかな、と思います」
上綱
「石井なんか、一番気を付けてないよな」
石井
「まあ、そうだね。これから長くってのもあるけど、色んな所へ行きたいですね。やっぱり、都市部に限られちゃうんで、もっと色々な土地で出来るといいな、と思います。大変ですけどね」
上綱
「基本、旅人間なんでね。もし、地方の方で呼びたい方がいらっしゃったら、喜んで行きますので」
インタビュー取材を終えて
インタビューの後で少しリハーサルを見学させて頂いたのですが、繰り返し演奏を重ねながら、細部にこだわって仕上げていくその作業工程には、メンバー各人が今まで重ねてきた歴史の中で、こうして再び巡り合えた喜びに溢れている様に思えました。
今回の町田「まほろ座」でのライブも、両日ともチケット完売の大盛況で終えられたとのこと。
お近くの会場でライブがあれば、是非一度は足を運んで下さい!当時の思い出とともに新しいレイニーウッドを楽しんでください。

貴重な当時のポスターにそれぞれサインをして頂きました
レイニーウッドの今後のライブ予定
2018/11/10(土) 六本木バードランド(ディナー、ドリンク付)
2018/11/16(金) 関内ホール(滝ともはるデビュー40周年記念コンサート出演)
2018/12/8 (土) 馬車道パラダイスカフェ(詳細未定)
2018/12/9 (日) 石巻グランドホテル (ディナーショー)
2018/12/28(金) 神戸モズライトカフェ
2018/12/29(土) 三豊市文化会館 マリンウェーブ マーガレットホール
2018/12/30(日) 広島 Live Cafe Jive
ライブ情報に関しては、下記の公式サイトやSNSで詳細がアップされますので、ご確認頂ければ幸いです。
RAINYWOOD OFFICIAL SITE
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