TM NETWORK
TM NETWORK → TMN → TM NETWORK

『TM NETWORK』の前身で『SPEEDWAY』というバンドがありましたが、在籍していた宇都宮隆さんと木根尚登さんの2名が小室哲哉さんに『TM NETWORK』の結成を打診し、それを小室哲哉さんが同意したため、『SPEEDWAY』は休眠化となり、そのまま自然消滅することになりました。
そして『TM NETWORK』としてデビューし、『TMN』にリニューアル。その後デビュー10周年にはプロジェクト終了ということで活動を一旦終了しました。
しかし、1999年には再び『TM NETWORK』で活動を再開。ファンには大変嬉しい再始動だったと思いますが、2018年に小室哲哉さんが引退をした為、活動を停止しました。
ご存じの方が多いと思いますが、『TM NETWORK』のTMは、公式には「タイムマシン (Time Machine) の略」になっていますが、結成当初は東京都多摩地域の「多摩」 (TaMa) から由来していました。

代表曲 「Get Wild」
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相原勇
小原靖子 → 相原勇 → YASUKO → 相原勇

1986年に『小原靖子』名義でアイドル歌手として歌手デビュー。デビュー曲は「ちょっとHENSHIN」という曲でした。
1989年にスタートしたTBS『平成名物TV』内の1コーナーである「三宅裕司のいかすバンド天国」の司会者に抜擢され、そのタイミングで『相原勇』と名前を変えています。
1998年に芸名を『YASUKO』に改名し芸能活動を再開するも、その後にまた『相原勇』に戻しています。
現在はハワイ在住だそうです。

THE ALFEE
ALFIE → アルフィー → Alfee →ALFEE→ THE ALFEE

デビュー前には『コンフィデンス』『シド』というバンド名の時期はあったものの、デビューした時は『ALFIE』というアイドルフォークソングバンドでした。
その後、レコード会社の脱退を経て、1979年に自作の曲で『Alfee』として再デビューします。
フォークがメインだった当初の音楽性にロックを取り入れ、シングル「別れの律動」からバンド名を『ALFEE』に変更。
1986年にリリースしたシングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから『THE ALFEE』に変更されています。
数回に渡りバンド名の表記が変更した理由は、特に無いそうです。
ただ、個人的には今の『THE ALFEE』はカッコイイなぁと思っています(^^)/

坂井泉水
蒲池幸子 → 坂井泉水

街頭でスカウトされた坂井泉水さんは、20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動していました。その時は蒲池幸子(かまちさちこ)の本名で活動をされていました。
歌手になることへの強い希望を持っていた坂井泉水さんは、B.B.クィーンズの音楽コーラス隊(B.B.クィーンズシスターズ、後のMi-Ke)のオーディションを受けるのですが、残念ながら落選してしまいます。
しかし、その時に才能を認められ、あのZARDが結成されることになります。『坂井泉水』として活動を始めたのは、このタイミングでした。
40歳で亡くなられた坂井泉水さんですが、多くの作品を世に残しました。
大変素晴らしい功績だったと思います。

ラッツ&スター
シャネルズ(CHANELS) → シャネルズ(SHANELS) → ラッツ&スター

シャネルズは1975年には結成されていました。
バンド名はアメリカのオールディーズバンド「シャ・ナ・ナ(Sha na na)」とドゥーワップグループ「ザ・チャンネルズ(The Channels)」からインスピレーションを受けて付けたそうです。
1982年に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」に変更。スペルを改めた理由として「CHANELS」だと海外ではチャネルズと読まれてしまうためといわれています。尚、これ以降、シャネルズ時代の音源などが発売された時の表記は、「CHANELS」から「SHANELS」に全て変更されています。
1983年にシャネルズとしての活動を終了させ、ラッツ&スターに改名しています。
バンド名を変更した理由については明確な話しは無く、諸説ある様です。
ただし、バンド名の由来については説明があり、「RATS & STAR」は「ドブネズミ達と星」を意味し、逆から読んでも「RATS & STAR」となる様になっています。これは下町育ちのドブネズミ達がドゥーワップを歌うことにより、RATSがひっくり返りSTARになったという意味が込められています。

ayumi hamasaki
浜崎くるみ →浜﨑あゆみ → 浜崎あゆみ → ayumi hamasaki

小学生の頃にスカウトされ『浜崎くるみ』の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場する様になります。
1993年に女優としてデビュー。翌年には『浜﨑あゆみ』と改名し活動することになります。よく見て頂くと判るのですが、「崎」と「﨑」が違いますね。
1998年に『浜崎あゆみ』として歌手デビュー。その後は破竹の勢いでしたよね(^^)/
よくよく調べてみると、現在の表記は『ayumi hamasaki』で統一されており、『浜崎あゆみ』の表記は旧芸名の様です。
知らなかったです・・・

X JAPAN
X → X JAPAN

幼稚園の頃からの幼馴染だったYOSHIKIとToshiは、小学6年の時にDYNAMITE(ダイナマイト)、中学校に進学後NOISE(ノイズ)というバンドを結成していました。
そして高校2年生の時に始めたのが『X』でした。この『X』結成当初は、長い名前が流行っていた為、あえて『X』の一文字にしたそうです。また、後付けですが、『X』には無限大の可能性があり、ジャンルに囚われない個性豊かなバンドの意味が付け加えられました。
アメリカ進出時に、現地には既に『X』というバンドがありました。その為、ベースのHEATHが加入する際に『X JAPAN』とバンド名を変更する発表がされました。
初期メンバーであるhideもTAIJIもこの世の去りましたが、これからも活動を続けて欲しいですね。

天童よしみ
吉田よしみ → 天童よしみ

天童よしみさんは7歳でのど自慢番組に初出演し、その後も多くの大会で優勝しました。
1970年には吉田よしみ名義で「大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将」というシングルでデビュー。
1972年に『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝き、『天童よしみ』としてキャニオンレコードからプロデビューを果たします。
この芸名の苗字は、「天」から授かった「童(わら)」に由来するものであり、レギュラー審査員のルポライター竹中労さんが名付けたものでした。
ずば抜けた歌唱力をお持ちの天童よしみさん。
これからもその素晴らしい歌声を聴かせ続けてくださいね(^^)/

五木ひろし
松山まさる → 一条英一 → 三谷謙 → 五木ひろし

本名が松山数夫である五木ひろしさんは、コロムビアから「新宿駅から/信濃路の果て」でデビュー。この時の芸名が『松山まさる』でした。
1967年に『一条英一』に改名して、ポリドール・レーベルから「俺を泣かせる夜の雨/流れ星」で再デビューをします。この時、ヒット曲に恵まれることはありませんでした。
事務所の倒産に伴い、生活も苦しくなっていた中、1969年に『三谷謙』で再デビュー。しかし、この時もヒット曲を生み出すことが出来ませんでした。
1970年にオーディション番組で10週連続で勝ち抜き、グランドチャンピオンとなったことをきっかけに、1971年に『五木ひろし』という名で最後の再デビューすることになります。ちなみに、苗字の「五木」は山口洋子さんが五木寛之さんから頂戴したそうです。また、「いいツキをひろおう」という意味も入っているそうです。
そして代表曲である「よこはま・たそがれ」が大ヒットとなり、今の五木ひろしさんへと繋がっていきました。
苦労に苦労を重ねて、ようやくスターダムに登り詰めた五木ひろしさんは素晴らしいですね(^^)/

松任谷由実
荒井由実 → 松任谷由実

松任谷由実さんは、1972年に『荒井由実』の名でデビューし、1976年に松任谷正隆さんと結婚し『松任谷由実』へ改名されました。
一度は専業主婦でやっていこうと考え、引退をするつもりでいた松任谷由実さんですが、やはり音楽への情熱が残っており、『松任谷由実』の名義で活動をしていくことになります。
ちなみに、『ユーミン』の愛称は、多数の企業ブランディングを手掛けるシー・ユー・チェンさんが名付けました。当時流行していたムーミンと、中国語で「有名」を意味する言葉をかけたそうです。
松任谷由実さんは呉田軽穂(くれだ かるほ)というペンネームを使用する場合もありますね(^^)/

【改名して成功したバンド・ミュージシャン特集 第2弾】はいかがだったでしょうか?
有名な方が多かったので、皆さんご存じの情報が多かったかもしれませんが、私は知らないこともあったので、調べていて楽しかったです(^^)/
有名になった方には、皆さん歴史がありますねぇ 人に歴史ありとはこのことですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました~!