スイスの英雄
1995年、アンディ・フグであるスイスで第1回「K-1ファイトナイト」が行われ、アンディ・フグは、デニス・レーンと対戦した。
「K-1ファイトナイトの視聴率は50%を超えた。
アンディ・フグは、イロナの故郷であるルツェルンの湖畔に家を建てた。
プール、ジャグジー、サウナ、ゲームマシンが置かれた娯楽室がついた豪邸だった。
ルツェルンはイロナの故郷で、セイヤの寝室の壁にはイロナがエアーブラシで絵を描いた。
しかしアンディ・フグが、この家で暮らすのは、正月と「K-1ファイトナイト」が行われる6月の数週間だけだった。
スイスには正道会館の支部を8つ持っていたが、指導はマイケル・トンプソンに経理はイロナの母親に任せていた。
vs ヒクソン・グレイシー?
バーリ・トゥード・ジャパンオープンで、ヒクソン・グレイシーが優勝するのを観戦したアンディ・フグは、道場に帰ってから
「俺はヒクソンを倒す」
といい出した。
あくまで「最強」を目指し追求する思想は、極真空手に顕著だが、それは本来の武道や格闘技の姿勢でもある。
数日後には
「今はK-1があるから、ヒクソンとはしばらくは戦えない」
といったが、ヒクソン・グレイシー vs アンディ・フグのサムライ対決が実現すればと思うとゾクゾクしてしまう。
空手がK-1を制す
1996年9月1日、アンディ・フグは、スタン・ザ・マンを2RKO。
1996年10月18日、1年半ぶりに復帰した佐竹雅昭に判定勝ち。
そして迎えたK-1グランプリ96の決勝トーナメント。
アンディ・フグは、バンダー・マーブを1RKO。
さらに準決勝では、アーネスト・ホーストを延長2回で判定勝ちし決勝へ進んだ。
決勝の相手は、過去に2度、KO負けしているマイク・ベルナルドだった。
マイク・ベルナルドは、2回戦で20世紀最強のキックボクサー、ピーター・アーツを殴り倒していた。
1R、アンディ・フグは、マイク・ベルナルドに追い詰められたが、2R、ピーター・アーツ戦でダメージを蓄積させたマイク・ベルナルドの脚を蹴ってダウンを奪い雄たけびを上げた。
立ち上がったマイク・ベルナルドにフグトルネード(下段後ろ回し蹴り)で2度目のダウンを奪い、腕を突き上げ10カウントを数えた。
2年連続で1回戦負けしたK-1グランプリで、2連続KO負けしているベルナルドにリベンジし、空手家として初のK-1王者。
いろいろな意味で奇跡的な光景だった。
We Will Rock You 夢はあきらめるな
1996年、K-1グランプリで奇跡的な優勝を遂げたアンディ・フグは、拠点を大阪から東京に移し、スパーリングパートナーを雇ったり、台湾で太極拳を学んだりした。
そして戦い続けた。
「180㎝、97.7㎏、K-1グランプリ96王者、スイス、アンディー・フグ!」
リングアナがコールすると、伝説のロックバンド:Queenの「We will Rock You」が流れ、決意を固めたサムライがリングに向かった。
♪
We will we will rock you
お前達をあっと驚かせてやるぜ
We will we will rock you
お前達を揺さぶるぜ
♪
アンディ・フグのスピリッツは、多くの日本人に感動や夢を与えた。
K-1は、どうやったら多くの人に格闘技をみてもらえるか、いかに汗臭い、野蛮などというネガティブイメージを取り払い、多くの人に観てもらい、楽しんでもらえるか、戦略を練った。
そこに古い堅苦しいしきたりはなかった。
しかしそれだけでは単なる興行である。
K-1は、そこに武道性を強く盛り込もうとした。
武道こそ世界に通用する日本の精神文化だと考えてたからである。
そういう考えを1番実践したのは、皮肉にも青い目をした空手家だった。
アンディ・フグはいった。
「夢はあきらめるな」
フランシスコ・フィリョに2度目のKO負け
1997年7月20日、アンディ・フグは、フランシスコ・フィリョと対戦。
極真空手の道着にブラジルカラーのキックパンツのフランシスコ・フィリョ。
正道会館の道着にスイスのキックパンツのアンディ・フグ。
しかも極真空手世界大会での因縁。
いつも以上に緊張感を漂わせたアンディ・フグは、少し硬い動きで顔面パンチを見舞おうと間合いを詰めていった。
そしてフランシスコ・フィリョの放ったフックで沈んだ。
極真空手時代と同じ負け方だった。
その後、フランシスコ・フィリョは、KO勝利を続け「一撃」ブームを巻き起こした。
K-1グランプリ 3年連続ファイナリスト
1997年11月9日、K-1グランプリ97の1回戦で、アンディ・フグは、佐竹雅昭を左ハイキックで1RKO。
決勝でアーネスト・ホーストに判定で敗れた。
(2年連続ファイナリスト)
1998年6月6日、第4回「K-1ファイトナイト」で、アンディ・フグは、ピーター・アーツと対戦し判定勝ちした。
1998年12月13日、K-1グランプリ98、2回戦で、レイ・セフォーを2RTKO。
3回戦、サム・グレコとの空手家対決で判定勝ち。
決勝では、ピーター・アーツの左ハイキックで1RKO負けした。
(3年連続ファイナリスト)
Andy Hug vs Brave Boy
1999年3月、「探偵ナイトスクープ」において、
「徳田流格闘術を披露したい。
プロの格闘家と戦いたい。
本気を出せば勝てると思っている。」
という自己流で格闘技を身につけたという依頼者とアンディ・フグがスパーリング。
依頼者は本格的な格闘技の経験がないため、手も足も出ず、最後はボディに後ろ回し蹴りを受けうずくまってしまった。
スパーリング後、アンディは依頼者にいった。
「自己流で格闘技を行ない「自分は強い」という君を世間の人は笑うかもしれない。
しかし私は決して君のことを笑わない。
なぜなら私も少年の頃「空手の世界チャンピオンになる」といってみんなに笑われた。
しかし私はK-1のチャンピオンになった。
誰でもチャンピオンになれる可能性がある。
だから私は手を抜かず真剣に君のスパーリングパートナーを務めた。
私は君を笑わない。」
全盛のまま引退宣言
1999年6月5日、第4回「K-1ファイトナイト」で、アンディ・フグはステファン・レコと対戦し、勝利した後、リング上で突然いった。
「来年で現役は引退します。
サヨナラ・アンディをやる」
これは石井和義を含めて誰にも相談もなく行われた。
1999年8月22日、モーリス・スミスに判定勝ち。
1999年10月3日 、天田ヒロミを1RでKOした。