【1960年代~】テレビ草創期からの懐かしい外国人タレント!!

【1960年代~】テレビ草創期からの懐かしい外国人タレント!!

今、テレビでクイズ番組やバラエティー番組などを見ていると、必ずと言って良いほど外国人タレントが出演している。中には外国人タレントが出演陣の殆どを占めていることも珍しくなくなってきている。世はまさにグローバル化の時代を突き進んでいるのであろうか??。 ところで私達の世代でも何人かの外国人タレントがテレビや映画の中で活躍していたので、淡い記憶を辿って見ようと思う。一応この記事には、ハーフ・タレントは含まないものとする。


テレビ草創期に加え、海外へのあこがれも加わった!!

テレビ放送がスタートした1953(昭和28)年当時は、まだ一般人が自由に海外旅行に出かけるという考えなんぞ頭の片隅にもなかったのだ。それだけに外国人の存在も現在では当たり前かもしれないが、めったに見ない時代だった。そんなころにテレビに出て、なおかつ流れるような日本語を話す外国人は、海外へのあこがれも加わり、人気を集めていったのだと思う。

言葉と容姿のギャップがありすぎた外国人タレント!!!

イーデス・ハンソン(Edith Hanson, 1939年8月28日 - )は、女性タレント、エッセイスト。オフィス・トゥー・ワン所属。アメリカ人。
本名	イーデス・ハンソン(Edith Hanson)
生誕	1939年8月28日 インド北部のマスーリ生まれ、9歳まで育つ
職業	歌手、俳優、タレント
活動期間	1960年 -

典型的な白人の容姿にも拘らず、毒舌でかなり流暢な”大阪弁”を使い、舌鋒鋭い論評などで、テレビ・ラジオ・雑誌対談などで人気を博す。丁度、現代の上沼恵美子と同じような感じだった。

イーデス・ハンソン(Edith Hanson)

彼女はその後、1986年から1999年まで13年間にわたり、世界的な人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」の日本支部長を務め、支部長を退任した後も特別顧問として精力的な活動を続けている。一方で、1987年からは念願であった「田舎暮らし」を、2004年に世界遺産登録された「熊野古道」の通う和歌山県中辺路(なかへち)町(現・田辺市中辺路町)で開始している。
2004年から2014年まで「特定非営利活動(NPO)法人エファジャパン(Efa Japan)」理事長として、ベトナム・ラオス・カンボジアの3ヶ国で「アジア子どもの家」を展開し、子供達への教育支援活動を実施。現在も顧問としての活動を続けている。

しかし、2006年秋のNHK朝の連続テレビ小説『芋たこなんきん』で突如復帰し、以降も度々女優としての活動を再開している。
また、来日当初の女優活動として有名な物に映画『アルプスの若大将』での若大将の友人を頼って来日し、若大将の家にホームステイしたフランスのリセエンヌ役がある。
近頃は大阪府にある近畿大学(近大)が2010年春に新設した「総合社会学部」の客員教授に就任している。

べらんめえ調の達者な日本語で歯に衣着せぬ辛口トークを展開!!

ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 - 1982年12月29日)は、日本のタレント、俳優、コメンテーターである。出生名はハンナン・サファ(Hannan Safa)。1971年に日本国籍を取得し、六条 祐道に改名。1975年に結婚し湯浅姓となる。

ロイ・ジェームス(Roy James)

1929年3月9日、東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。(在日じゃんか、まぁいいか!!)
出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆる白系ロシア人である。
旧制区立小学校、旧制郁文館工業学校(現在の郁文館グローバル高等学校)を経て1954年、明治大学商学部商学科を卒業した。
1955年に成瀬巳喜男監督の『浮雲』に米兵役で出演したのを皮切りに、映画俳優や放送タレントとして活躍、べらんめえ調の達者な日本語を軽妙にこなし、数々のテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ辛口トークを展開した。また、CMでも大いに活躍した。

1982年の春頃、体調不良を理由に芸能活動を休業、病気治療に専念する。しかし喉頭がんと肺炎により、同年末の12月29日に53歳の若さで死去した。

得意なファッション分野から日本を底上に貢献した外国人タレント!!

フランソワーズ・モレシャン(Françoise Moréchand、1936年3月29日 - ) はフランスのライフスタイルアドバイザー、エッセイスト。ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザー。元シャネル美容部長。
フランス・パリ生まれ。ソルボンヌ大学、東洋語学院を経て、1958年に初来日。NHKテレビ「楽しいフランス語」講師などを務める。64年に帰国、74年にシャネルの美容部長として再来日。ライフスタイル・プロデューサー、ファッション・エッセイスト。衣食住、芸術の幅広い分野からのトータルなライフスタイル提案を行なう。共立女子大学客員教授、日本ユネスコ協会連盟スペシャル・アドバイザー、外地在留フランス人評議会北アジア代表などを務める。長年の日仏文化交流などの功績を認められ、2004年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章した。

おしゃれに奇跡はありません―フランソワーズ・モレシャンのエレガントな人生案内

1959(昭和34)年、教育テレビ(現在のEテレ)がスタートしてまもなく英語とフランス語の語学講座が始まり、「フランス語初級講座」の講師として登場したのがフランソワーズ・モレシャンだった。パリジェンヌらしい小粋でおしゃれな雰囲気に特に若い女性たちの注目の的になった。彼女のファッションや髪型も話題となることが多かった。おフランスからの”カオリ”ざ~ますよ!!

1974年に娘のアガタ・モレシャンを連れて来日した時に、現在の夫であるフランス映画・音楽評論家の永瀧達治と出会い、再婚したので、自然の流れで日本に残ることになったそうだ。ですが、それが何と永瀧達治はモレシャンの10歳年下!!!だそうだ。羨ましい!!。
2012年に東京を離れ金沢に移住していて、その時に一応引退という形をとっているが、現在も
「私の金沢」というエッセイを執筆している。才能のある人は、生涯現役なのでしょうか??私にもその才能をちょっとでもおすそ分け願いたいのだが・・・。

海外旅行が自由化され’60年代後半は外国人歌手が活躍しだす!!

’60年代後半には、海外旅行も自由化され、日本で活躍する外国人タレントも増えて行ったが、その活躍方面も多様化して、先方として活躍がめざましかったのが、外国人歌手たちであった。”ヒデとロザンナ”のロザンナや欧陽菲菲、アグネス・チャンといった面々である。
”ヒデとロザンナ”のロザンナは、本名をロザンナ・ザンボン【Rosanna Zambon,加藤 絽山奈(かとう ろざんな)】と言い、1950年7月3日生まれ、イタリア・ヴェネト州スキオ出身の歌手、テレビタレントである。
なお、2017年3月30日付で日本に帰化した。

ヒデとロザンナ ゴールデン☆ベスト

1967年、日本のナイトクラブでバンド演奏をしていた叔父の勧めで、音楽学院を卒業と同時にグループ歌手として17歳で来日し、そのバンドの専属歌手としてプロの道に。1968年に後に夫となる東京都出身の出門英と「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー曲の『愛の奇跡』が大ヒットして一躍売れっ子歌手の仲間入りを果たす。以降も『愛は傷つきやすく』などヒット曲を連発した。
これは後日談だが、初めてロザンナが出門英に会った際にすでに”この人は私の旦那様になる方だ!!”と思ったそうだ。

1975年2月に相棒の出門英と結婚、二男一女に恵まれる。ロザンナが相当強力にプッシュしたらしい(昔流に言えば”押し掛け女房”の典型?!)。しかし、1990年6月17日、夫の出門英が結腸癌で47歳の若さで逝去した。当時、結構話題になったんですが覚えているかな??。

60歳を過ぎたころから終活について考えるようになり、「夫と同じ墓に入りたい」、「遺産相続問題で子供たちに迷惑をかけたくない」つまり、イタリア人のロザンナが死亡した場合、日本とイタリア間での複雑な相続手続きや手間を子供たちにかけたくないとの思いから、帰化を決意し、2016年1月に帰化申請をし、2017年3月30日付で日本に帰化することができた。

ロザンナは料理が得意だそうで、イタリアのお母さん仕込のレシピ本などを何冊か出している。現在のパスタ人気の一翼を担ったと言えるだろう。

娘に伝える ロザンナのトマトソースでつくる とってもおいしいイタリアン

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