「ヒデとロザンナ」夫亡き後、妻は日本に帰化した
1968年に出門英(1942年12月15日 - 1990年6月17日)が、イタリア出身のロザンナ・ザンボン(1950年7月3日 - )と「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー曲のB面だった『愛の奇跡』が大ヒットした。1970年発売『愛は傷つきやすく』が初のオリコンシングルチャート1位を獲得。同年暮れのNHK紅白歌合戦に初出場した。
さて、紅組=女性、白組=男性と分けられている歌合戦に男女のデュオの「ヒデとロザンナ」はどちらに出場したのか?
答えは、「ヒデとロザンナ」は、白組に出場した。

二人は1975年2月に結婚。二男一女に恵まれる。長男は音楽家・画家の士門(しもん)、次男はミュージシャン、バンドsmorgasメンバー(MC)の来門(らいもん)、長女はモデルの万梨音(まりおん)。
1990年6月17日、出門英が結腸がんにより47歳で死去する。ヒデの死後、ロザンナは一時母国のイタリアに帰国していたが、復帰、2017年3月30日にロザンナは日本国籍を取得した。
「ヒデとロザンナ」の思い出といえば「愛の奇跡」の曲の 間奏で「アモーレ、アモーレミオ」と叫ぶロザンナ。当時の日本では、まだ外国人は珍しく、実際に外人を見たことはなかった。テレビに映るロザンナの顔を見てるだけでドキドキしてるのに、いきなりイタリア語で「アモーレ~」ですよ!
ちょっと日本人離れしたハンサムなヒデといい、知らない異国の情緒漂うデュオだった。
愛の奇跡 ヒデとロザンナ - YouTube
「チェリッシュ」今も仲良く、夫婦で活動中
松崎好孝(1949年11月1日-)と松井悦子(1951年3月11日-)の夫婦デュオで知られる「チェリッシュ」。
1968年に松崎が結成したが4人組に松井が加わって5人のグループになり、1971年に第1回全国フォーク音楽祭全国大会出場。ビクターレコードにスカウトされ、同年5月に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューした。
松崎と松井のデュオとなったのは、1972年の「ひまわりの小径」から、1973年に代表作となる「てんとう虫のサンバ」を発売した。
1977年6月3日に2人は名古屋で結婚式を挙げた。1982年7月21日、長女の松崎光紗(まつざき みさ)が、1984年6月6日、長男の松崎良建(まつざき りょうけん)が誕生した。

「チェリッシュ」の二人がデビューした頃に感じたことは、悦ちゃん(松井)と松崎くんはビジュアル的にフォークグループなのに歌は、もろ歌謡曲、それも演歌っぽいムード歌謡。歌は素敵なのだが、イメージが違うよなぁ~。と思いながらも、「チェリッシュ」は、次々とヒットを飛ばしていた。
そして、1973年7月に発売した7枚目のシングル「てんとう虫のサンバ」で、二人のイメージと曲がバッチリ合い大ヒット。1973年末の『第24回NHK紅白歌合戦』へ初出場した。「チェリッシュ」のボーカルの松井悦子が女性なので紅組に選出された。
2019年に悦子ががんを患うが、手術を受け復帰。現在も夫婦仲良く活動を続けている。
73'「てんとう虫のサンバ」「白いギター」74'「恋の風車」75'「ペパーミント・キャンディー」77'「男と女のメルヘン」チェリッシュ - YouTube
ポップスデュオ「つなき&みどり」離婚して別の人と幸せになった
他のデュオとの違い、ラブラブ感がたっぷりだったポップスデュオの「つなき&みどり」。三原綱木(1945年11月3日 - )と田代みどり(1948年4月22日 - )は、結婚して夫婦になってから、デュオを組んでいる。
1970年1月18日にジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバー三原綱木と洋楽のカバー歌手の田代みどりは結婚。1972年12月1日「つなき&みどり」名でシングル『愛の挽歌』でデビューした。「愛の絆」「ふたり」がヒット。
1977年1月に7枚目のシングル『Jの5番』を発売した。
みどりは、丸顔でエクボが可愛かった。洋楽カバーは、すべて英語で歌っている。
![愛の挽歌[EPレコード 7inch]
つなき&みどり (アーティスト) 形式: LP Record](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
1977年年4月に三原綱木・田代みどり夫妻の別居が報じられた。そして、同年6月に離婚が成立。離婚により夫婦デュオ「つなき&みどり」は解散した。
2011年7月12日放送された『NHK歌謡コンサート』で、「つなき&みどり」は、単発で再結成したことがある。
現在は、それぞれ別の人と再婚して幸せに暮らしているようだ。
つなき&みどり 『 愛の挽歌 』 - YouTube
フォークデュオ「紙ふうせん」今も活動中
フォークグループ「紙ふうせん」の平山泰代(1947年3月28日 - )と後藤悦治郎(1946年4月29日 - )。1967に後藤悦治郎と平山泰代がデュエットを結成。1970年に5人グループになり「赤い鳥」名でデビュー。
1974年に「赤い鳥」解散後、平山泰代と後藤悦治郎が結婚、デュオの「紙ふうせん」が結成された。二人は兵庫県出身で高校時代同級生だったが、特に交流なく大学入学後に再会している。
1977年に発売したシングル「冬が来る前に」がヒット、ミリオンセラーになる。

昭和の香りただよう叙情的な曲「冬が来る前に」。ただただ…懐かしい。
サビの「♪冬が来る前に~もう一度~」の歌声が美しく、「♪めぐりあいたい~」の独自のハーモニーが心に響く。
2015年に3月7日、東京・よみうり大手町ホール「40周年記念コンサート-なつかしい未来」を開催。現在も、夫婦デュオとしてコンサート活動を続けている。
紙ふうせん・・冬が来る前に - YouTube
紙ふうせん Official Web Site
フォークデュオ「ダ・カーポ」娘も加入して活動中
フォークデュオ「ダ・カーポ」の久保田広子(1950年12月22日-)と榊原まさとし(1949年2月27日-)は、1973年8月に「夏の日の忘れもの」でデビュー、1974年6月1日発売のシングル『結婚するって本当ですか』がヒット。
1980年に久保田と榊原は結婚し、以降は夫婦デュオとして活動。
結婚を機に、ダ・カーポとしての活動を一時中止して、夫のまさとしがソロデビューした。TBSテレビドラマ『2年B組仙八先生』の挿入歌『不良少女白書』がヒットする。
広子は娘の麻理子を出産、1983年に夫婦デュオの活動を再開した。
1996年1月、広子が変形性股関節症を患い、ダ・カーポとしての活動を半年間休止。
入院と両足股関節の手術、リハビリの体験を書いた、夫婦の闘病記『歩けるって幸せ!~変形性股関節症の克服もデュエットで~』をダ・カーポ名義で出版した。

2008年から娘の麻理子が、ダ・カーポのメンバーとしてフルート、ヴォーカルを務める。
2017年6月、45周年記念アルバム「日本のうたファンタジー」を発売。
現在は、夫婦デュオ+娘の家族トリオ?として活動している。
ダ・カーポ「結婚するって本当ですか」デビュー当時 - YouTube
DA CAPO OFFICIAL SITE お知らせ
壮絶な離婚劇となった夫婦デュオ「ル・クプル」
1983年頃にル・クプル」の藤田隆二(1963年11月7日) - )は、当時新宿にあったライブハウス「ウィッシュボン」の専属バンドでベーシストとして活動していた。そこで徳永恵美(1963年5月15日 - )と知り合い1990年に結婚する。
一時は音楽活動を休止していたが、3年後に夫婦デュオとして再開。ライブハウスに出演中にスカウトされ、1994年にモコ・ビーバー・オリーブのカバー曲「海の底でうたう唄」でデビューした。
1997年に発売した5枚目のシングル「ひだまりの詩」は、テレビドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌になり、180万枚の大ヒットとなる。年末には第48回NHK紅白歌合戦に紅組から出演した。
2005年活動休止。2007年2月に正式に離婚、夫婦デュオは解散した。

『Le Couple』とは、フランス語でカップルを意味する。はじめはおしどり夫婦としてヒットを出した二人だったが、その後セールスが低迷したことで夫婦仲がギクシャクしていき壮絶な離婚劇となったようだ。
2015年9月11日に元夫婦は「爆報!THE フライデー」に出演、10年ぶりに「ひだまりの詩」を歌唱披露した。
ひだまりの詩/Le Couple (OFFICIAL MUSIC VIDEO) - YouTube