Jリーグで活躍⇒海外リーグへ…というキャリアを開拓した人
「海外で活躍するサッカー選手」というと、あなたは誰を思い浮かべるでしょうか?本田圭佑、香川真司、長友佑都、中村俊輔、中田英寿など、さまざまな選手の名が挙げられるかと思います。
このように、これまで数多くの日本人選手がいわゆる「海外組」として活躍してきたわけですが、そのパイオニアが、70年代~80年代にドイツ1部リーグのケルン・ブレーメンなどでプレーした奥寺康彦であり、そして、1994年にヴェルディ川崎からイタリア・セリエAのジェノアへ移籍した“キング・カズ”こと三浦知良です。特にカズは、Jリーグで実績を出す⇒海外へ…という、今では当たり前となっているキャリアパスを最初に歩んだ先駆的存在として、サッカーファンの間で語り草となっています。

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15歳で単身ブラジルに渡り、名門サントスなどで活躍
カズがはじめて、海外に渡ったのは15歳の時。1982年12月、高校をわずか8ヶ月で中退し、単身でブラジルに渡ったのです。今の時代、高校卒業後にJリーグのビッグクラブからオファーがあっても、それを蹴ってアンパイに大学進学の道を選ぶ坊ちゃんサッカー選手さえいるというのに、何という覚悟でしょうか。
その後、CAジュベントス・キンゼ・デ・ジャウーのユース選手としてブラジルで研鑽をつみ、1986年にはペレや最近ではネイマールも所属していたサンパウロ州の名門クラブ・サントスに入団。プロトしてのキャリアをスタートさせ、そこから、パルメイラス⇒マツバラ⇒クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル⇒キンゼ・デ・ジャウーへ⇒コリチーバ⇒サントスへと渡り歩きます。その間に見せた、主だった活躍は以下の通り。
■1986年…サントスの一員として凱旋帰国し、キリンカップサッカーに登場。
■1988年…キンゼ・デ・ジャウーへ時代に、激戦区として知られるサンパウロ州リーグで名門コリンチャンスを相手にゴールを決める。その活躍もあって、ブラジルのサッカー専門誌の年間ポジション別ランキングで左ウイング部門の第3位に選出される
■1989年…コリチーバFCに移籍して、パラナ州選手権優勝に貢献。
■1990年…サントスと再契約し、ブラジル全国選手権1部リーグで11試合出場3得点を挙げる。
18歳から23歳まで、計4年間を過ごしたブラジル時代に決めたゴール数は、トータルで10得点ほど。当時のカズのポジションはウイングなので、単純にゴール数だけでは評価できませんが、最近、ガンバ大阪からオランダ1部リーグ・FCフローニンゲンに移籍し、今季だけで10ゴールをたたき出している19歳のMF・堂安律などと比べると、明らかに見劣りする結果。しかし、日本人プレイヤーの海外挑戦で当たり前ではない時代に、これだけのインパクトを残したのはさすがです。
1994年にイタリア・ジェノアへレンタル移籍。アジア人初のセリエAプレイヤーに
1993年にヴェエルディ川崎でJリーグMVPを獲得したカズは、1994年にレンタル1年契約でイタリア・セリエAのジェノアへ入団。アジア人初のセリエAプレイヤーとなります。しかしこの移籍は、ジェノアがカズを純粋な戦力として見ていたわけではなく、スポンサー絡みのジャパンマネー欲しさで実現させたビジネスとしての側面が強かったと言われています。

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移籍1年目の成績は21試合に出場し、第12節・サンプドリアとのジェノバダービーで決めた1得点のみ。結局、契約更新はされずに、1年で日本へ帰国することになるのでした。
1999年にクロアチアリーグのザグレブへ
今や伝説となっているフランスW杯直前での代表落ち、さらに、ヴェエルディ川崎の親会社である読売新聞社とよみうりランドの経営撤退に伴う事業規模縮小により「年俸ゼロ円提示」がされるなど、1998年はカズにとって何かと受難の年になりました。
そんな折に舞い込んだクロアチアのクラブチーム「GNKディナモ・ザグレブ」へのオファーに、カズは乗ります。通常であれば大きく報道されるはずの日本人サッカー選手の海外移籍ですが、当時は前年にセリエAに移籍した中田英寿や、1999年に同じくセリエAのヴェネチアに入団した名波浩のニュースばかりが先行して、カズに関する報道はごくわずか。結局、アシストこそ記録したものの、12試合出場でノーゴール。シーズン終了後に戦力外通告を受けてしまいます。
ちなみに、ザグレブはカズが移籍したシーズンにリーグ優勝を果たし、チャンピオンズリーグ出場を決めています。もし仮にあともう1シーズンだけでもチームに帯同できていたら、日本人初のチャンピオンズリーグ出場をカズが果たしていたかも知れません。
(こじへい)