ジダン【元サッカー選手】のプロフィール

ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン(一般的にはジダンの名で親しまれる)
生年月日:1972年6月23日
出身地 :フランス マルセイユ
身長 :185cm
利き足 :右足(ただし左足でのプレイも多い)
ポジション:MF(攻撃的ミッドフィルダー、現代サッカーではトップ下とも呼ばれる)
1989年~2006年まで長期に渡り攻撃的ミッドフィルダーで活躍。
愛称はジズーで、そのプレイは多くのファンだけでなく一流選手たちも一目置いていた伝説的プレイヤー。
ジダンの現役時代をまとめて振りかえる
ジダンは1988年にフランスリーグ(リーグ・アン)のASカンヌでプロデビューを果たしています。
最終的には2006年に着たフランス代表のユニフォームを最後に、現役を引退しましたが
・フランスリーグ(リーグ・アン)
・イタリアリーグ(セリエA)
・スペインリーグ(プリメーラ・ディビジョン)
・フランス代表(W杯)
このように、長い現役生活の中でヨーロッパの一流リーグを股にかけて活躍した選手です。
各時代ごとの成績や評価・エピソードなどを簡単に振り返ってみましょう。
ジダン現役時代~ユースからフランスリーグ時代~
ジダンが初めて所属したサッカークラブは、地元マルセイユのASフォレスタというチームでした。
その後隣町にあるUSサン・タンリへ、翌年11歳の時にはSOセプテーム・レ・ヴァロンへと在籍します。
その後、遠征演習をしていた時にASカンヌのスカウトによってユースへの誘いを受けて、14歳で家族と離れ単身カンヌでユースチームに所属する事になりました。
1988年にASカンヌのトップチームとプロ契約、ここからプロとしての人生を歩み出します。
●ASカンヌ時代(1988-1992)
16歳という若さでプロとなったジダンですが、出場機会にはあまり恵まれないプロ生活を3年ほど経験しています。
1990年頃から活躍の場を与えられるようになり頭角を現し始め、ジダンという選手の名がフランス国内で少しずつ認知されていくようになります。
フランスのサッカー紙で「最も才能に恵まれた選手」と評されるなど、徐々に天才がその資質を開花し始めたのがASカンヌ時代だったと言えます。
●ボルドー時代(1992-1996)
ASカンヌからボルドーへと移籍したジダンは、守備的MFとして移籍後初シーズンからチームの躍進に貢献。
移籍2年目となる1944年にはフランスリーグの最優秀若手選手にも選ばれています。
ボルドー在籍中に、優勝などの大きな成績は残せなかったものの、その輝きは強豪チームの目に留まることになります。
ジダン現役時代~セリエA時代~

ミシェル・プラティニ
ユヴェントスFC - Wikipedia
1966年にイタリアリーグの古豪「ユヴェントス」へと移籍。
ボルドー時代の活躍が目に留まり、1992年に惜しまれながらも引退したミシェル・プラティニの後継者候補としてジダンの獲得へと踏み切りました。
一流クラブチームへと移籍を果たしたジダンですが、移籍後しばらくは期待に応える事が出来ずチームも低迷してしまいます。
サポーターや専門誌から痛烈な批判を浴び、監督の起用についても疑問視する声が多く挙がりますが、当時ユヴェントスを率いていたマルチェロ氏はジダンを使い続けチームとの融合を図ります。
結果が出始めたのは、ジダンを攻撃的MFに起用した頃から。
これ以降ジダンのポジションは定着する事になっていきます。
移籍当初は、ジダンが加入した年にUEFA連覇を逃した事から不吉の象徴と揶揄される事もありましたが

ファンタジスタと称されるエースストライカー「デル・ピエロ」と

「点取り屋」のインザーギという2トップと共に機能するようになり、在籍中にユヴェントスを2度のリーグ優勝へと導くなどチームの主軸として活躍するようになっていきます。
ジダン現役時代~スペインリーグ時代~

2001年、ジダンは新天地スペインリーグへと移籍を果たします。
移籍先はスペインリーグで最も人気があると言っても過言ではない、レアル・マドリードで当時史上最高金額の移籍金(9000万ユーロ)で大きな話題となりました。
ロベルト。カルロス、フィーゴらを擁するレアルにジダンが加入したレアルは当時
「銀河系軍団」
「スーパースター軍団」
などと呼ばれ、余りにもスーパースターを集めすぎる事から批判的な意見が飛び交う程でした。
ジダンの加入は、こうした意見を加速させ【勝って当たり前】という世間のイメージは、大きなプレッシャーとしてジダンを襲います。
移籍当初、ジダンは周囲に「引退したい」と漏らすほど常勝軍団での期待に苦しんでいたようです。
しかし、チームへと徐々に馴染み新しい生活にも慣れてくるとその才能を如何なく発揮していきます。
2002年から2003年にかけて
・リーガエスパニョーラ
・UEFAスーパーカップ
・インターコンチネンタル杯
を総なめにする3冠達成に貢献。
他にもUEFAチャンピオンズリーグ制覇や自身の最優秀選手賞の受賞など、輝かしいレアル黄金期を支えました。
ジダン引退試合~衝撃のアノ事件の真相~
フランス・イタリア・スペインと、サッカーの有名リーグで活躍を果たしてきたジダンですが、ユニフォームを脱いだ最後の試合はW杯でフランス代表選手としてでした。
2006年にドイツで開催されたW杯の決勝戦。
それが、ジダン現役最後となる試合で記憶に残っている方も多い「頭突き事件」が起きてしまった試合でもあります。
W杯出場をかけた予選でも苦しんだフランスが、紆余曲折を経てやっとの思いでたどり着いた決勝の舞台。
ジダン自身もこの大会を最後に引退を宣言して臨んだにも関わらず、対戦相手スペインのDFマテラッツィへ頭突きをして一発退場という大失態を犯してしまいます。
この事件は当時大きな話題となり、様々な憶測が飛び交いました。
時を経て、本人たちがこの事件を振り返り語っている言葉などから真相をお届けします。
ジダンの性格について
まず、そもそもの話としてジダンという選手がこのような事件を起こす人物だったのか?という部分から解説していきます。
結論から言えば、ジダンは「気性の荒さ」で有名な選手で知られています。
実は、ジダンが相手選手に頭突きをしたのはこれが初めてではありません。
ユヴェントス在籍時代の2000年、UEFAチャンピオンズリーグという大舞台でも相手選手の反則行為に激昂し、報復として頭突きをして退場になったことがあります。(その後試合は敗北。痛烈に批判されています)
動画内でも、フランス人実況者が
「懸念していたことが起こってしまった!」
と、発言しているのもこうしたジダンの悪癖が過去にもあったからに他なりません。
ジダンはなぜ頭突きをしてしまったのか
ジダンが一度目に頭突きをしてしまった原因は、相手選手の反則という明確な理由があります。
プロスポーツ選手にとって、怪我は最も恐れる事態の一つ。
プレー中に、怪我に繋がるようなプレーをされて激昂してもおかしくはない部分もあります。(頭突きはダメですが)
しかし、引退試合となったW杯での頭突きはプレー外で小競り合いの後で突然起こりました。
サポーターも主審も、一瞬「何が起こったのか?」と自体が飲み込めず、頭突きをするに至った経緯は明らかにされず様々な憶測が飛び交ってしまったのです。
●プレー中の口論
問題の頭突き事件が起こる少し前、プレー中に言葉を交わすジダンとマテラッツィの姿がカメラに写されていました。
後に当事者である二人の口から事件の経緯が語られるまで
・ジダンの出自(移民であること)を罵ったのではないか
・親や兄妹を馬鹿にされたのではないか
・下品な悪口を言ったのではないか
など、何かしらの挑発か罵りがあったのではないかと言われました。
●執拗なマークとジダンの挑発
問題の起きたW杯決勝戦フランス×イタリア戦は接戦で、延長戦へともつれこむ試合展開でした。
ジダンは前半にPKで得点を挙げてはいるものの、マテラッツィの厳しいマークを受けて思うようにプレーが出来ないフラストレーションを抱えていました。
サッカーで厳しいチェックをしていると、ユニフォームを引っ張るようなプレーもしばしば起こるのですが、延長戦でジダンがシャツを掴まれた際にジダンは以下の様に発言したそうです(本人が後に事実を認めている)
「私のユニフォームが欲しいなら、試合後に交換してあげようか」
このジダンの皮肉めいた挑発に対してマテラッツィが言ってはいけない事を口にします。
●家族への侮蔑
後に、ジダン本人から語られた(公的には代理人による発表)マテラッツィの言動に関するコメントは
「私にとって非常に深刻な発言」
また、後日のインタビューで何を言われたかを問われた際も
「私の大切な女性、母や姉に対する侮蔑」
こうした言葉を試合中に数度に渡り投げかけられたと語っています。
一方、頭突きをされたマテラッツィも2020年に自身のインスタライブで
「ユニフォームよりお前の姉が欲しい」
という旨の言葉を発したと語っています。
頭突き問題のその後と波紋
世界中で不名誉な一件で有名になってしまったW杯決勝での「ジダン頭突き事件」ですが、当事者である二人にはFIFAから以下のペナルティが課せられました。
ジダン
・向こう※3試合の出場停止処分
・罰金7,500スイスフラン(日本円で約71万円)
マテラッツィ
・向こう2試合の出場停止処分
・罰金5,000スイスフラン(日本円で約47万円)
※ジダンは現役引退を表明していた事もあり本人の申し出で3日間の社会奉仕活動を行っています。
この一連の流れにより、サッカー界にはびこる「人種差別」を深刻に考えて多くの議論が設けられるきっかけにもなりました。
このW杯決勝でフランスはPK戦までもつれこむも勝利を逃しています。
しかし、同大会でジダンは大会MVPに選ばれ有終の美を飾る形で現役生活を引退しています。
もし、頭突きを決勝以前に行っていたらこのMVPは無かったと言われており(MVPの選出が決勝前に行われていた)彼の行為はMVPにふさわしくないという声も多く挙がり、後味の悪い引退でもあったと言えます。
まとめ
若い世代やサッカーに詳しくない方にとっては、ジダン=頭突きの人という印象が強いかもしれません。
しかし、その素晴らしいプレーに魅了されたファンも多く現役のプロ選手からも憧れられる存在だったことも事実です。
スポーツ界ではよく「名選手が名将とは限らない」と言われますが、ジダンは現役引退後も監督としてその才能を発揮させて活躍しています。
現在も古巣であるレアル・マドリードの監督を務めているジダン。
選手を束ねる監督として頭突きは無しで目一杯その溢れる闘志を活かして活躍してほしいものです。
以上、名選手ジダンの栄光と頭突き事件の真相についてお届けしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。