ガロ
70年代前半に人気を誇った3人組といえば、MARK(堀内護)、TOMMY(日高富明)、VOCAL(大野真澄) からなるガロですね。
同時期に活躍した3人グループのかぐや姫と間違える方もいるようですが、ガロの方がロック寄りな感じです。
ガロ
結成は1970年11月。この当時グループ名を英文字にしていることから既にロックな意識があったと思われます。
現在、GAROといえば、特撮ヒーロー物のドラマ「牙狼(GARO)」を連想される方が多いのでしょうね。
牙狼_GARO
まったく違います。ガロというグループ名は、当時3人の世話役をしていた中井國二が自分の子供の名前にと考えていた「我朗」から取られたそうです。我朗と牙狼。でも、まぁ、似てますね。
似てると言えば、ガロはMark, Tommy & Vocalと呼ばれていたことがあるほど、Crosby, Stills, Nash & Youngに影響を受けていたそうです。3人だからCrosby, Stills&Nashですかね。
そのCrosby, Stills&Nashの代表曲「青い目のジュディ」ですが、ガロもコピーしています。
上手い!上手いし美しい!この洗練されたコーラスこそがガロ。かぐや姫とも牙狼とも違うところです。
1971年
ガロのデビュー曲は1971年10月10日発売の「たんぽぽ」でした。
たんぽぽ
カップリング曲の「一人で行くさ」ともども、いかにも70年代を感じさせるタイトルですね。
ファースト・アルバムは一か月後の1971年11月25日に発売された「GARO」です。
GARO
ヒットこそしませんでしたが、この瑞々しさは尋常ではありません。
かぐや姫は参考にしたそうですし、デビュー当時のTHE ALFEE(当時はAlfie)は、ガロのライヴでスタッフを務めており、影響を存分に受けていたとのことです。
1972年
転機は72年にやってきます。
2枚目となるシングル「地球はメリーゴーランド(カップリング:水色の世界 」を72年2月10日に発売したガロ。
地球はメリーゴーランド
これもまたヒットとはならなかったのですが、それでもガロは所属していたマッシュルームレコードの中では一番売り上げが良かったといいます。
経営が思わしくなかったレコード会社がそこに目を付け、外部作家の作品を歌わせてシングル・ヒットを狙うことになります。
選ばれた作家は、作詩:山上路夫、作曲:すぎやまこういち、編曲:大野克夫といった当時第一線のプロたちでした。
「学生街の喫茶店」の誕生です。
学生街の喫茶店
しかし、そう簡単には成功はやってきません。先ず72年6月25日に2枚目のアルバム「GARO 2」が発売されます。
GARO 2
「学生街の喫茶店」 もアルバムと同時期にシングルカットされるのですが、「美しすぎて(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)」のB面扱いだったのです。
そしてアルバムもシングルもヒットすることはありませんでした。
外部の作家が作った曲を歌うことは不本意だったのでしょう。72年10月10日発売の4枚目のシングルは、マークが作詞・作曲した「涙はいらない」でした。マークが意地を見せた渾身の曲です。
涙はいらない
カップリングの「明日になれば」もトミーが作詩・作曲を手掛けた意欲作でしたが、ヒットには至りませんでした。
同年12月、3枚目のアルバム「GARO 3」が発売されます。
GARO 3
ここにきてようやくラジオや有線放送から火が付き、B面だった「学生街の喫茶店」にヒットの兆しが見え始めるのでした。神は見捨てません!
1973
「学生街の喫茶店」は1973年2月19日付けのオリコンのシングルチャートから、4月2日付けのチャートまで7週連続で1位を記録しました!
因みに「学生街の喫茶店」のスタジオバージョンで、印象的なベースを弾いているのは細野晴臣です。
このヒットで1973年はガロにとってもっとも華やかな年になります。
5月10日に発売された「君の誕生日」がこれまた大ヒット!
君の誕生日
しかし、オリコンで1位になったとはいえ、「君の誕生日」も作詞:山上路夫、作曲:すぎやまこういち の作品ですので、オリジナル曲で勝負したいという欲求は高まったことでしょう。
好調を維持して8月25日に発売した6枚目のシングル「ロマンス」もオリコン3位とこれまたヒット!
作曲をマークが担当したことで、ガロ本来のサウンドに回帰してきています。
マークの意地という感じですね。
73年には12月にもう1枚「一枚の楽譜」を発売して狂乱の1年が終わります。
一枚の楽譜
1974年~1976年
73年はまさにアイドルといった活躍をしたガロ。テレビや雑誌に出っ放しでした。しかし、急激な人気は覚めるのも早く、翌年にはチャートから遠ざかっていきます。
アルバムは、74年5月に「CIRCUS(サーカス)」、編集盤を挟み75年6月に「吟遊詩人」、12月に「三叉路」を発売し、年明け早々の1976年3月に神田共立講堂で解散コンサートを行い、その歴史に終止符を打ちました。
ラストシングルは、アルバム「三叉路」」からのカットで76年1月に発売された「さいごの手紙」でした。
さいごの手紙
当時はフォークグループという認識でしたが、フォークロックなんですよね、ガロは。美しいハーモニーを持ったロック!それがガロです。
現在ではオリジナルアルバムが入手困難となっているのがとても残念です。