「中年の星」杉浦貴選手を訪ねてプロレスリング・ノアへ!
プロレス界において「エメラルドグリーンのマット」といえば紛れもなくプロレスリング・ノア。かつて三沢光晴さんが、その志を体現すべく立ち上げたプロレス団体です。
そしてプロレスリング・ノア最初の新人レスラーとして30歳でプロレスデビューしたのが杉浦貴選手。
元自衛隊、レスリングでのオリンピック出場を志した20代。30歳という年齢からプロレスラーとして駆け上がった杉浦選手を、人は「中年の星」と称します。
そんな杉浦選手の生い立ちからプロレスデビューに至るまでのお話、そして20代の頃の「ぶっちゃけ話」まで、ミドルエッジ編集部(ミド編)がインタビューしてまいりました!
プロレスリング・ノア杉浦貴選手
少年時代はご多分に漏れず?野球、サッカー!
-現在47歳でいらっしゃる杉浦選手の少年時代、1970年代後半から80年代はどんなことに興味を抱かれていましたか?例えばプロレスへの興味は当時からお持ちだったでしょうか?
-実は私も名古屋育ちなんです!少年時代は中日ドラゴンズファンでしたが…(笑
-中学校に入ってからの部活は何をなさいましたか?
-丁度その頃ですと草野球派と草サッカー派で勢力争い!なんていうこともありましたよね(笑)
少年時代を語る杉浦選手
-話がちょっと脱線しますが、当時の中学校って荒れていませんでしたか?(笑
レスリングでオリンピックを志した自衛隊時代
-中京高校(現・中京大学付属中京高等学校)を卒業後、自衛隊に入隊されました。
-1999年まで、オリンピックを目指して体育学校に在籍してレスリングに取り組まれました。当時(90年代)のプロレス業界についてはどのようにご覧になっていましたか?
-それを伺うと、杉浦選手が格闘技に出られた時の姿勢とリンクします。
これまでに4度、総合格闘技のマットで戦った杉浦選手
-そんな杉浦選手ですが、全日本プロレスの最後からプロレスリング・ノア(以下「ノア」)へ…という動きをとられますが、ノア入団の時は練習生として?
プロレスリング・ノア最初の新人レスラーとしてデビュー
-私たちプロレスファンもそんな風にブラウン管を通して見ていた記憶があります。2000年にノアが立ち上がっていった中、杉浦選手は緑のマットのド真ん中目掛けてキャリアを重ねていかれます。
全日本プロレスから移り、1990年代から2000年代、2010年代と時代とともにリングの中で表現するモノ・求められるモノが変化したということはございますか?
一方、キャバクラ好きの杉浦選手だからこその企画も?
-あの、ファンとして憶えていることがありまして、杉浦選手のGHC(キャバクラ)というのがあったと思うのですが、GHC(キャバクラ)は自ら立案なさったのですか?
-話題性を高めたかったという狙いもあったのでしょうか?
緑のマットを駆け上がり、団体を牽引する立場へ
-2010年代になると、団体の看板選手としてノアを引っ張っていくようになりました。キャバクラ企画をされていた頃から5~6年ほどの間で団体を背負うほどに立ち位置の変化がありました。この変化はどうお感じになっていましたか?
遅咲きのプロレスデビューとご家族の支え
-ちょっとデビューの頃にお話を戻しますが、ご家族もいらして生活もある中で自衛官からプロレスラーになる決断をされたと思います。当時ご家族からは反対や心配などあったのでしょうか?
-プロレス団体からお声がかかっていた、とか?
【閑話休題】20代の頃は…??
-杉浦選手が20代の頃というと世間ではバブル時期…ジュリアナとかディスコ、クラブが流行っておりましたが。
-いや、失礼しました!キャバクラのイメージがどうしても頭に残っておりまして(汗
-ホントにお好きなんですね!
-20代で一通り嗜まれたのですね!