阿川泰子
80年代にジャズ・ボーカルブームを巻き起こした阿川泰子。独特な歌声は「シュガー・ボイス」と称され、その美貌とも相まって「オジサマ族のアイドル」などと呼ばれました。

阿川 泰子
1978年のデビューアルバムから1982年の6枚目のアルバムまでの累計が90万枚を超えたのだそうです。この数字はジャズ・ボーカリストとしては驚異的なものとなっています。
日本のジャズ・ボーカル史を塗り替えた阿川泰子の初期6枚のアルバムをご紹介します。
Yasuko“Love-Bird” ~ FLYIN’OVER ~ SWEET MENU
女優としてデビューした阿川泰子がジャズと出会ったのは1973年。翌年には「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーとなっています。
その後ソロ・シンガーに転身し、1978年にファースト・アルバム「ヤスコ/ラブバード」を発表します。

Yasuko“Love-Bird”
大人っぽく見えますが、阿川泰子この時24歳。初々しさはありますが、歌い方は既に確立されています。見事なデビュー・アルバムというほかはありませんが、ジャケットがいかんわな。
女豹を思わせるこの写真は、メイクといい表情と言い当時の化粧品会社の広告そのまんまです。流行を意識したということでしょうが、阿川泰子にこのイメージは合わないですね。
同年にはセカンド・アルバム「Flyin' Over」も発表しています。

FLYIN’OVER
ファーストアルバムでデザイナーも反省したのかグッと落ち着いた感じのジャケットになっていますね。しかし、これは、落ち着いたというよりも暗い。
キュートでチャーミングな歌声がこのジャケットからは想像しづらいですが、これは良いアルバムですよ。サラリーマンの方々はきっと癒されます。
そして翌年の1980年に出たのが3枚目のアルバム「SWEET MENU」です。

SWEET MENU
まだごく初期の初々しさが残っており、今あらためて聴くと新鮮ですらあります。優しく包み込む様な歌声に魅了され続けております。
https://www.amazon.co.jp/Sweet-KOREA-MINIATURE-BEATBALL-MUSIC/dp/B00GM776R0/ref=pd_sbs_15_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=ZFAFS16H4WQWSTHAM10WAmazon | Sweet Menu (KOREA EDITION / LP MINIATURE) [OBI] [BEATBALL MUSIC KOREA 2009] [Import, CD] | Agawa Yasuko | ミュージック | 音楽
ジャケット如何ですか?いいですよね。明るく、モダンでポップです。そして阿川 泰子の表情は色っぽい!
JOURNEY
最初の3枚のアルバムはどれも悪くありません。いえ、むしろ良いです!今聴くと歌声が新鮮で聞き飽きることがありません。
が、阿川泰子がブレイクしたのは1980年に発売された4枚目のアルバム「JOURNEY」であり、一般的に言ってこれが彼女の初期の代表作でしょう。

JOURNEY
本作はナント9万枚も売り上げたそうです。当時のジャズボーカルものは最高で5万枚、平均で1万5000枚程度だったといいますから驚きですね。
彼女は、オリジナル曲を歌うのではなく、ほとんどが現代的にアレンジされたスタンダード曲だったというところに受け入れられた要因があるかと思います。
このアルバムも同様で、「スター・ダスト」、「ムーンライト・セレナーデ」、「センチメンタルジャニー」といった耳馴染みのある曲がセンス良く(聴きやすく)収められています。
SUNGLOW
個人的な好みではありますが、1981年に発売されたアルバム「SUNGLOW」こそが初期の代表作ではないかと思っています。
先ず、なんと言ってもジャケットが最高ですね。

SUNGLOW
内容的にも、いすゞ自動車 ピアッツァのCMとして使われた「She~Senior dreams」をはじめとして心地よい曲が多数収録されています。
ジャケガイのすすめとは、まさにこのアルバムのことですね。
そして、「She~Senior dreams」と並んで阿川泰子の代表曲である「Skindo-le-le」は聴きどころですね。和モノ・ブラジリアンの最高峰との呼び声が高い曲でもあります。
SOFT WINGS
初期の黄金時代の最後を飾るのは1982年の「SOFT WINGS」です。ジャケットからは想像できませんが、ライブ・アルバムです。

SOFT WINGS
このタイミングでのライブ・アルバムは、一区切りつけたかったのかもしれませんね。
「Skindo-le-le」こそ収録されていますが、気負うことなく、奇をてらうことなく心地よくスタンダードナンバーを歌っています。
その後、1987年からは古舘伊知郎と共に7年半も司会を務めたテレビのトーク番組「オシャレ30・30」によって阿川泰子はお茶の間にも浸透していくことになります。