始めに・・・
ブーム最盛期は原宿の代々木公園横のホコ天(歩行者天国)のみならず東京では吉祥寺や池袋。神戸、福岡、札幌、名古屋・等地方都市の公園などでも竹の子族が踊っていました。
ただ私が踊っていたのは原宿のホコ天(2チームに所属)だけなので他の地域の事情などは分からないので、あくまで原宿のホコ天限定の内容だとご理解ください。
竹の子族、名前の由来は?
ブティック・竹の子
かじっていた人(やってた方)はご存知だと思いますが、由来は『ブティック竹の子』からきています。オーナーの大竹竹則さんの出身地でもある、札幌、苫小牧の1号店店舗が東京に進出し全国に広まったとされています。
チームだけでも100近く
1984年10月14日原宿竹の子族集合写真
確か全盛期にはチームも100近くグループがあったと思います。
メンバーが2千人以上でギャラリーは10万人突破とか・・・
実際は手作り?
『ブティック竹の子』の衣装を着て踊りだした事から竹の子族と言われていますが、当時35年位前に1着2~3万する衣装は中高生にとって高額で、着ていたのは1部の金持ちの子だけで、実際には洋裁が出来る子に頼んで手作りの子が殆どでした。
衣装にも特許
何でもかんでも作って着ていいわけではありません。
決まりがありました。
一日一善 (いちにちいちぜん・ヒョウ柄の衣装を特許)
不恋達 (フレンズ・ラメサテンの衣装を特許)
他にも、リーダー・サブと、かぶっちゃダメとか色々決まりがありましたが、細かい事は忘れました💦
踊り方も・・・
チームごとに踊りは統一されてますが、よく見ると他のチームと同じ曲でもビミョーに違ったりします。
リーダーやサブが、たまにアレンジを加えて変えていくからです。
見てるメンバーは合わせるのに必死💦
活動をする目的?
ディスコライセンス
ワンプラスワン
ギャング
ニューヨークニューヨーク
ギャング
当時メディアではディスコに入場出来ない中高生が「非現実を味わう」場所を求めて原宿のホコ天に集まったとされてますが、
実際には当時、新宿歌舞伎町のディスコには中高生が溢れ、竹の子族のメンバーも土曜日はディスコで、そのまま、翌日の日曜日に原宿のホコ天に流れるパターンだったと思います。
特に竹の子ソングがよくかかるハロホリ(ハローホリデー)やワンプラ(ワンプラスワン)・カーニバルなどは色々なチームの竹の子族のメンバーが居て、仲良くなると名刺交換など始まりました。
名刺
華麗(サクセス)
ギャング
嫉妬心(ジェラシー)
ギャング
憂斗妃嗚(ユートピア)
ギャング
Elegance (エレガンス)
ギャング
踊るのもタダではない!
青空ホコ天でタダで踊っていたと思われますが(他のチームの金額までは分かりませんが)毎回、電池代(ラジカセ用の)名目で300円徴収されます。
月4で1200円中学生にはいい金額です。
余談ですが、アレ電池代と言うのは建前で当時、都内にいた、広域暴力団の4~5次団体の少年ヤクザ、流〇会や銀〇会などがカスリ(場所代)として徴収していました。
中高生でも毎月みかじ料を払っていたんですよね。
乾電池
後に恐喝で逮捕に
有名になるのも・・・
乱奈阿珠・ランナーズの沖田浩之さん
舞・舞・舞より
深津絵里写真集より
当時、竹の子族から芸能界デビューなんて話もよくありましたが、もしかしたら俺も?なんて期待したけど私の知る限りは3人だけでした。
有名な所で沖田浩之(乱奈阿珠・ランナーズ)さん。
清水宏次朗(竹宏治でデビュー)さん。
深津絵里さん。(年齢的に信憑性がありませんが、言われていました。)
ただ当時はスカウト目的で親が小学生の子供に衣装を着せ連れてきていた人もいたので、全くのウソとも言えませんが今では分かりません。
懐かしのフォト
私服のメンバーもニュートラカーデガンにタイトスカート、時代を感じます💦
ヤンチャな子ほど煙草をすうので体力が持ちません💦
時代は回ってると言いますが、いつの日にか、また竹の子族とか出てくるのでしょうか・・・
小規模ながら