高野寛、最大のヒット曲『虹の都へ』
バブル期のスキーソングとして有名な高野寛『虹の都へ』。
それまで無名だった高野寛を一躍脚光を浴びる存在を導いたのは、あの超人気バラエティ番組だった。

『虹の都へ』高野寛
ただのCMソングのつもりが…
YMO高橋幸宏に見いだされ、高橋幸宏のプロデュースで1988年にシングル「See You Again」でデビューした高野寛。
3枚のシングルを出すもいずれもオリコン圏外。
しかし、軽やかで爽やかな歌声と楽曲制作能力を評価され、CMソング制作の依頼が舞い込んだ。
そのCMとは、スポーツ用品メーカー・ミズノのスキーウェア『ケルビンサーモ』。
ケルビンサーモは、太陽の熱を吸収しやすくして暖かくするという特徴をもった商品であるため、「太陽」という言葉を入れるというのが要望であった。
CMの長さに合わせ、サビの15秒だけを作ってみたところメロディがー良いと評価され、1つの曲として完成させることになった。
そんな流れで生まれた曲であったため、高野寛自身は「名曲を作ろう」とか「ヒットさせてやろう」という気持ちは全くなかったと語っている。
『ねるとん紅鯨団』の影響で大ヒット
この頃、ミズノはバラエティ番組『ねるとん紅鯨団』のスポンサーであった。
『ねるとん紅鯨団』は、素人参加型の集団お見合い企画がウケて、土曜深夜帯の放送でありながらも最高視聴率24.7%を獲得した超人気番組。
この番組を見たことのない若者はいないと言われるほどの絶大な人気を誇った『ねるとん紅鯨団』のCM枠に高野寛がCMソングを歌う『ケルビンサーモ』が流れると、「あの歌は何て曲?高野寛って誰?」と話題になり、半年後にCDがリリースされるといきなり大ブレイク。
発売週からオリコン週間チャートで2位を記録した。
キャッチーでポップなメロディと爽やかな歌声は、スキーのイメージにピッタリとゲレンデでも流され続けて、『虹の都へ』はロングヒットを記録し、スキーシーズンの代表曲になった。
動画で振り返る『虹の都へ』高野寛
1986年に「究極のバンド」を作ろうというオーディションでギタリストとして選出されたのがデビューのきっかけになった高野寛。
そのギターテクニックは多くのミュージシャンから高く評価されており、自身のライブでもギターを弾きながら歌うことが多かった。
なお、この「究極のバンド」企画でボーカルに選ばれていたのが後に『Bomb A Head!』などをヒットさせたm.c.A・Tである。
途中で立ち消えになった「究極のバンド」だが、もし実現していればかなり魅力的なバンドになっていたのではないか。
実はSFの世界がモチーフだった『虹の都へ』
『虹の都へ』で描かれている舞台は、地球の中側は空洞になっておりそこには別世界が存在しているというSFの地球空洞説がモチーフであり、「地球の中の太陽が当たらない街」っていう設定をヒントにしていた高野寛自身が自ら明かしている。
なお、洋楽の影響を感じさせるポップなメロディでありつつ、『虹の都へ』もカップリング曲『やがてふる』も歌詞に英語など横文字を一切使っていない。
これは、当時の流行ソングとしては非常に珍しいことであり、「安易に英語を使うまい」という高野寛ならではのこだわりを感じさせる。
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『虹の都へ』が想定外の大ヒットで戸惑う
『虹の都へ』がヒットすると、それまで無名だった高野寛は一躍注目のミュージシャンに。
テレビ番組からのオファーもどんどん来るようになり、生活は一気に変わっていった。
ヒットを狙ったいたわけでもなく、元々目立ちたがり屋でもない高野寛は周囲の変化に戸惑いを感じた。
楽しんでいる余裕もなく、緊張ばかりだったという。
『虹の都へ』ヒットの感謝が生んだ『ベステンダンク』
突然の環境変化に戸惑いながらも、高野寛は感謝の気持ちを感じていた。
その気持ちを基に作った楽曲が次のシングルとなった『ベステンダンク』。
『ベステンダンク』とはドイツ語で「ありがとう」を意味する言葉。
日本語で「ありがとう」や英語で「サンキュー」では単純すぎるし、1990年はベルリンの壁が崩れドイツが東西統一した年ということもあって、ドイツ語でありがとうを意味する「ベステンダンク」にしたという。
この『ベステンダンク』もミズノのスキーウェア「ケルビンサーモ2」のCMソングに起用され、『ねるとん紅鯨団』CM枠で放送された。
『ベステンダンク』もオリコン最高3位のヒットとなり、「スキーソング=高野寛」のポジションを確立した。
様々な分野で現在も音楽的才能を発揮し続けている高野寛
『虹の都へ』『ベステンダンク』の連続ヒットで知名度を高めた高野寛は、その甘いマスクで人気を獲得し、ドラマ出演やトーク番組の司会など活動分野を広げていく。
音楽活動においては、小泉今日子・沢田研二・永井真理子・本木雅弘などに楽曲を提供。
ソロでの活動の他、坂本龍一・宮沢和史・テイトウワ ・中村一義など多くのアーティストとコラボも行っており、田島貴男とのコラボ曲『Winter's Tale 〜冬物語〜』(1992年)はスマッシュヒットを記録した。
音楽活動を続けながら、2013年からは京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の特任教員として後進の育成にも注力している。