ジェロム・レ・バンナ
本名 ジェロム・レ・バンナ
生年月日 1972年12月26日(44歳)
国籍 フランス
階級 スーパーヘビー級(K-1)
スタイル キックボクシング(サウスポー)右利きだが構えはサウスポー
身長 190cm
体重 120kg
愛称

進化し続けるハイパー・バトルサイボーグ
無冠の帝王
ワンマッチ最強
K-1の番長
黄金の左
ジェロニモ
K-1参戦まで
元プロボクシング国内ヘビー級王者の父フィリップに憧れたバンナはボクシングかキックボクシングをやりたがっていたが、
母親の猛烈な反対に遭い18歳になるまで出来なかった。代わりに6歳から14歳まで柔道を学んだ。
18歳で念願叶ってキックボクシングを始め、早くから頭角を現し、20歳の時にISKAフルコンタクト・フランス王座を獲得。
さらに1994年4月16日にはアンディ・マヨにKO勝ちしてISKAヨーロッパ王座を、アンドレ・ブァン・ブァーレンにKO勝利してRCFA世界スーパーヘビー級王座を獲得。
そして南アフリカのケープタウンで行われたISKAインターコンチネンタル王座戦でマイク・ベルナルドと対戦し、激闘の末に判定勝利し同王座を獲得。
この試合をK-1主催者が高く評価したため、K-1に参戦することになった。
K-1参戦
1995年3月3日、「K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦」に出場。
タイのムエタイ戦士ノックウィー・デービーを3-0の判定勝ちで下し、決勝トーナメント進出を決める。
5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」では準々決勝で佐竹雅昭に左ストレートで3ラウンドKO勝ち。
準決勝でマイク・ベルナルドと再戦し、ベルナルドの膝蹴りを浴びて鼻を骨折しながらもローキックを効かせて2ラウンドKO勝ち。
決勝戦で前年度K-1 GP王者ピーター・アーツに1ラウンドKO負けし準優勝。
準決勝のベルナルド戦で負った鼻の骨折は現在でも完治しない古傷となっている。
千年に一度のKO劇
2000年4月23日、K-1 THE MILLENNIUMで当時の現役極真空手世界王者フランシスコ・フィリォと対戦。
試合前の記者会見では「(試合会場の)大阪ドームから一番近い病院のベッドをフィリォのために予約しておいてやってくれ!」と強気なKO勝利宣言を行い、注目を集めた。
左ストレート一撃でフィリォを失神させ1ラウンドKO勝利。
この試合は「千年に一度のKO劇」と呼ばれる伝説のKO劇となった。
全盛期のバンナ
バンナのパンチはメガトン級、多分、パンチの重さはキロではなく、1トンとかのレベルでは・・・
受けたら、軽自動車くらいに跳ねられる交通事故なみではないでしょうか。
究極の選択じゃないけど
バンナに1発だけ殴られるVS小学生に1日中殴られる
だったら、私なら間違いなく小学生を選びます。
バンナなら1発でも死ぬ恐れがあるけど、小学生なら死にはしないかと(笑)
顔面凶器だけど・・・
実は優しいバンナ。
道路を渡ろうとして、困っていたおばあちゃんをバンナが手を繋いで渡って
あげています。
余談ですが、私も電車などで、お年寄りに席を譲ったりしますが、必要以上にに感謝されます。(友人に話したら、顔が怖い人がやると普通の人以上にインパクトがあるからだそうです。)
ほっとけや💦
大の親日家
今の私があるのは日本のおかげだ。
2011年に東日本大震災が起こった時、周りの人たちは日本に行くのは危険だからやめた方がいいと止めたが、私は日本へ来てアントニオ猪木さんと福島へ行った。日本のためなら私は何でもする。
死んでも構わないと日本への愛を語ったそうです。
日本での引退試合を熱望
2015年にキックボクシングを引退することを表明。
俺は愛する日本のファンに恩返しがしたい。
それに 『決着をつけたい奴』もいるから、出来ればそいつと対戦したいと思っている。
俺がフランスではなく日本を最後の引退試合に選んで戦うことによって大会への注目が集まってくれれば、同じ大会に出る若手選手たちにもスポットが当たるようになれば日本のキックボクシング界の未来にも繋がると思う。
日本のファンに最後のKO勝ちを捧げたいと思ってるから待っていてくれ!」と、
因縁の相手との現役最後の引退試合を母国フランスではなく日本で行うことを熱望しました。
RIZIN FIGHTING FEDERATION
「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS」にて、
元大関把瑠都(バルト)と総合格闘技ルールで対戦する事が決定していたが、バンナのマネージャー(当時)が「当初はエメリヤーエンコ・ヒョードルとエキシビションマッチをする予定だったのがバルト戦に変更されたこと、
加えてバンナ自身も12月22日の練習中に左足を怪我したので出場しない。」とコメントして、バンナは試合を欠場しました。
謝罪
RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUNDに来日して、リング上で前年大晦日のバルト戦を欠場したことをファンに直接謝罪し、
「来年、ぜひRIZINの大舞台に戻って来たいです」と参戦の希望を表明した。
大会後に榊原RIZIN実行委員長は「昨年のドタキャンでこちらは訴える準備を進めていましたが、バンナから直筆でレターが届いてお詫びをしたいと言ってきました。
ヴァンダレイ・シウバの負傷欠場を受けて、ぜひグランプリに出たいと言ってきてくれましたが、渡航費も宿泊費もこちらは払わないから自分のお金で日本に来てお詫びをするのが筋だろうと言ったところ、
ちゃんとけじめを付けてくれました」、とバンナが欠場のけじめを付けるために自費で来日した経緯を説明して、バンナの謝罪を受け入れたことを明かしたそうです。
現在は
K-1を世界中に広めるべく、フランスだけでなくイタリアやベルギーなど世界各地に出向いて格闘技セミナーを開催しているそうです。
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
個人的ですが、厳つい顔だけど優しいバンナさんが大好きです。
これからも日本での活躍を期待しています。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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