6回戦、八巻建志は格闘マシン:黒澤浩樹に体重判定により負けた。
悔しい気持ちはなく、やっと終わったという気持ちだった。
優勝したのは道場の先輩、緑健児だった。
男の責任
世界大会の1週間後、なんとか彼女と電話がつながり会うことができた。
しかし互いに会話がつながらなかった。
事故は2人に大きな溝をつくった。
「すまない」
ただ頭を下げ続けるしかなかった。
年が明け1992年1月、空手への気持ちは完全に冷えた。
これ以上続けても仕方ないと判断し、それを廣重師範に伝えるために道場へ行った。
すると廣重師範はまるでそれを予知したかのようにいった。
「八巻、そろそろ道場を持ってみないか?」
「はあ・・」
「どうも最近気持ちが乗っていないようだし、自分の道場を持てばまた空手の面白さもわかるんじゃないかと思ってな」
「押忍」
機先を制された形でそのまま道場の新設する準備に入った。
もちろん常設道場は無理だから幼稚園の空き時間を道場として借りることになった。
自分でポスターをつくり電柱に張っていった。
入門者が徐々に集まって、一から手作りの道場が始まった。
その後も彼女とは月1回程度会っていたが以前のような楽しい時間は戻らなかった。
数か月後のある夜、人気のない喫茶店で彼女がいった。
「もうこれ以上苦しみたくないの」
「俺が一生守り通す。
信じてくれ」
「八巻さん、あなたとはもう会えないの」
この一言ですべてが終わった。
喫茶店を出て2人押し黙ったまま駅まで歩いた。
彼女は何のためらいもなく電車に乗り込んだ。
サヨナラの一言もなかった。
彼女と別れて初めて廣重師範に事故から経緯を話した。
廣重師範はことの一部始終を聞き、そしてこういった
「彼女が今度、結婚などして新しい道が見つけるまでお前は見守ってやらなくてはいけない。
もし彼女の気持ちが変わって帰ってきたときはいつでも受け入れれるようにしておくべきだ。
八巻、辛いだろうが、それが今お前にできる唯一のことなんだぞ。
男が責任を取るとはそういうことなんだ」
どうして7位のお前が2位の数見より遅く来るんだ。
大ケガを負わせた彼女とは心が通じぬまま別れ、その上追い討ちをかけるように父親が役員を務めていた会社が倒産の危機に直面した。
父の報酬、家の貯金は会社につぎ込まれ、その上借金を重ねた。
家庭内にも暗雲が立ち込めた。
まさに心身ズタズタ、救いようのない四面楚歌の状態で第24回全日本を迎えることになった。
自分の道場を持ち自分の生徒が見に来た初めての大会は7位。
優勝は田村悦宏。
準優勝は後輩の数見肇だった。
「八巻は終わった」
「あんなに強かったのに・・」
そんな声が聞こえた。
ある先輩はこういった。
「(優勝した)21回大会はクスリでも使ってたんじゃないか?
誰にもいわないから本当のことをいえよ。
あの強さは尋常じゃなかったもの。
クスリの助けを借りたとしか思えないよ」
完全に過去の人になていた。
気持ちはますます腐り稽古にも身が入らなかった。
ある日、朝練に遅刻した。
廣重師範が怒鳴った。
「どうして7位のお前が2位の数見より遅く来るんだ。
この何分かの遅れで数見との差はますます開くんだぞ!」
(俺はいったい何をやっているんだろう)
苦悩する毎日が続いた。
八巻さんもあきらめないで 世界一になってください
1993年2月、1本の電話がかかってきた。
「八巻・・さん?」
彼女だった。
「私ね。
結婚することになりました」
「幸せになってください」
「八巻さんもあきらめないで。
世界一になってください」
もう迷っていられない。
世界一になるまで歩き続けるしかない。
朝6時に起きて走り始めた。
毎日10km。
心身のこびりつきを落としていった。
クラウチングスタイル
再生を誓い肉体改造に着手している最中、ある人物に出会った。
「是非コーチを買って出たい。
八巻君の才能をこのまま埋没させるには忍びない。
一緒に世界一になろう」
ボクシング経験者のその人はいった。
とにかく熱い人だった。
気分は明日のジョーと丹下段平だった。
練習初日、彼の第一声は、
「ボクサーは毎日練習するんだ。
1日も休まない。
空手家も同じようにやれるはずだ」
メニューは、
ロードワーク
ダッシュ
縄跳び
シャドー
・・
ボクサーのトレーニングそのままだった。
ウエイトトレーニングは
「スピードが鈍る」
と理由で一切禁止された。
このトレーニングと道場稽古を平行して行った。
13年間廣重師範の指導だけでやってきた。
それから1歩離れ自分なりの方法でニュー八巻を生み出そうと考えた。
とりあえず目標は6月の第10回ウエイト制大会だった。