「秋山準&大森隆男」独占インタビュー①(秋山準編)

(右)秋山準選手と(左)大森隆男選手の固い握手
92年、全日本プロレスで颯爽とデビューし、四天王とも互角の戦いを繰り広げ、現在は全日本プロレスの社長として活躍する秋山準選手。
今年はプロレスラー生活25周年。
その25周年を記念する10.21横浜文化体育館大会では、同期であり同志である大森隆男選手と組み、世界タッグ選手権にも挑戦することが決まっている。
「社長業とレスラー」二足の草鞋を履きながらの25周年を迎えることとなった秋山選手に、これまでとこれからの全日本プロレスを語って頂いた。

**-デビュー25周年にあたり、デビュー当時のお話をお聞かせください。**
大学時代に馬場さんからスカウトされて全日本プロレスに入りました。
同じ大学の先輩には既に新日本プロレスに入った方、中西さんや永田さんとかが先輩でいて、そこまで成績がよくなかった僕は馬場さんに拾っていただいた意識が強かったです。
拾ってもらった馬場さんに報いるためにも先輩たちには絶対に負けられないという思いが強かったですね。
**-スカウトされるきっかけとなったレスリングに取り組み始めたのは?**
レスリングは高校から始めたのですが、就職に有利になるから体を使う部活をやろうと思って友達何人かと柔道部に入ったのがきっかけです。
当時柔道部の隣にレスリング部があって、重量級が足りなかったときにレスリング部に駆り出されるような形でたまたま大会に出たんですよ。
それが大阪の府大会決勝まで行って、そんな経験がきっかけで本格的にレスリングをやるようになったんです、高校二年生からですね。
**-小学生や中学生の頃から、プロレスへの憧れはございましたか?**
実は小学校から中学くらいまでは水泳やってたんですよ。
プロレスへの憧れは…お祖父ちゃんが好きだったんでプロレスの会場に連れて行ってもらった記憶はあるですけど、プロレスラーになりたいという意識は無かったですね。
そこは大森選手とは大分違うと思うけど(笑
**-上京は大学進学と同時期でいらっしゃいました。**
そうなんです。実は大学入学時に僕の高校からはもう一人入っていて、大学側としてはそいつのおまけみたいな感じだったらしいんですよね。
それを聞いたら悔しくてレスリングに熱が入るようになったし、大学の先輩方が強い人ばかり(新日本プロレスの中西学選手など)だったんで、おかげで普通に強くなりましたね。

往時を回想する秋山選手
**-大学からスカウトで全日本プロレスに入団なさいました。ファン目線からするとまさにプロレスエリート街道に見えます。**
よくそう言われるんですけどね。でもその分、周囲の僕を見る目が他選手と違うってのは感じてましたよ。
スカウトで入ってきたのが僕以前では天龍さんとか鶴田さんだったんで、そこと同じ目線で比べられてたのはプレッシャーとして感じてましたね。
当時の全日本プロレスはなかなか目上の人にモノを言える体制ではなかったですね。四天王が絶対的な存在として君臨していたし、そこを突き破らないといけないなと常々思ってましたね。
よく「プロレス頭がある」なんて評されてきましたが自分ではよく分からなくて、ただただお客様がウケてくれるようなものを常に考えていかないとって感じでしたね。
**-今年は選手生活25周年。その一方で現在は団体社長としてのお立場もあります。そのことについては率直にどのようなお気持ちですか?**
全日本プロレスに生まれプロレスリング・ノアで育ち、あと何年かで引退だなと考えたときに、当時は武藤さん率いる全日本で馬場さんの頃とは違ったんですけど、それでも"全日本"と名前の付いた団体で終わりたいなと思って帰ってきたんですよね。そしたら、終わるつもりが色んなことがあって(笑
レスリング始める高校の頃から僕は全部周りの人に導かれてきたと思っていて、今の社長業も周囲に促されてここに至ったと思ってるんですね。
そもそもレスリングがそうですから。就職に有利と思って柔道部に入ったら、ひょんなことでレスリングに。そしてレスリングで大学に行けることになった。
大学卒業したら就職しようと思って内定までもらってみたけど、そこで馬場さんにスカウトしてもらって自分の可能性を試してみようと全日本プロレスに入団した。縁があったといえばそれまでですが、全部自分から動いた道ではないような気がしているんですよね。もちろん、行った先では全力でやるってのは昔から変わらないんですが。
自分の実力というよりは周りの人に支えられて上手く導かれてここまでこれた25年。それで今、全日本プロレスの社長をやらせていただいているってのが率直なところですね。
**-実際のところ、社長業とプロレスラーの兼務というのはいかがですか?**
選手だけやってる方が楽ですね。
社長と言う肩書があると言いたいことも言えないし、やりたいことも出来ないですからね。
それでも社長としてのやりがいも感じてるんで、それが自分の結果であれば、社長業に全力を尽くすだけですね。
**-ファンの視点からすると、25年前のプロレスと現在のプロレスは変わったような気もしますが変わった点、変わらなかった点伺ってもよろしいですか?**
自分自身でプロレスに対して「大切な柱」は変わらずありますが、そのうえである程度は今のプロレスにあわせないとダメかなと思ってますね。
ただ「ここはダメだよ」とか失っちゃいけないと考えるものはリング上でも言いますね。
今の若い選手全般に言えるのですがリング上で本気にならないんですよ。闘いじゃなくなっているというか。僕自身プロレスが好きでプロレスの世界に入ったわけではないので、常に全力の闘いなんですよね。やるかやられるかに近い。
「もっと腹立てろ」とか「本気で行け」とか若い選手には言ってるんですけど。
闘いじゃなくてプロレスが魅せるだけのものになっている気がしていますね。お客様が喜んでくれるなら良いのかもと思うけど。
とはいえ自分自身の闘い方でも、僕がいくら「こうだ」と思ってもお客様がひいちゃったらやっぱりプロとして駄目だと思うんで。お客様に受け入れられるものを常に考えて、時代とともに変化させていかないといけないとは思ってますね。
**-大森選手とは同期として、全日本プロレスを支える役員同士としてご一緒されています。団体の方向性について語り合うことなどもあるのでしょうか?**

アジアタッグ初防衛時の記念テレカ
2人だけで話をするってのはあまり無いかもしれませんね。役員会は毎月やってるけど(笑
まあ僕の意見と大森の意見も違うと思うんですよね。若い選手への接し方も違うと思うし。僕はどっちかというと厳しい方だと思うし。2人で話をするとしたら、若い選手について意見交換する時くらい。
大森がいてくれて助かってますよ。大森取締役の定例会見も面白いし。僕がガーっと行く方なんでバランスとれてていいんじゃないですかね。
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**-三沢光晴選手、小橋建太選手と非常に近いポジションでプロレスキャリアを歩んでこられました。両選手から影響を受けた部分はございましたか?**
三沢さんからは、トップ選手たるもの姿勢を教えてもらいました。「トップ選手はこうあるべきだ」というのを三沢さんの背中をみて教わったというか。
小橋さんからはトップ選手として教わったことも多いですが、どちらかというと兄貴って感じですかね。全日本プロレスに入団した時から、特に変わらず接してくれたのは小橋さんだけでしたからね。
**-レスラー生活25周年を迎え、これからの全日本プロレスはどのように進んでいくのでしょうか?**
まずレスラーとしては25周年は通過点、とは言え結構来てしまった通過点ですけど。次は30周年を目指してやっていきたいですね。
選手としても30周年が大きな区切りと考えているので、そこまではいい状態で続けることが出来るように。
全日本プロレスとしては、なるべく若い世代にバトンタッチ出来るように考えたいですね。
大会告知のポスター作るときに必ず言ってるんですけど、僕と大森はポスターの下部でいいから左右で配置してくれと。僕らは皆を支える土台となって、活躍する人間をセンターにしてほしいと頼んでますね。
全日本プロレスとしては20代や30代のバリバリ動ける人間がトップを張ってくれる形が望ましいかな。
かつて僕が見てた全日本プロレスはまだまだこんなもんじゃないんで、僕が見ていた全日本プロレスに近づけるように40周年、50周年と頑張っていきたいですね。

自らは団体を支える土台と語る秋山選手
25周年の10.21横浜文化体育館大会、そしてこれからの全日本プロレス!
レスラーとして社長として、秋山選手の今後の活躍から目が離せません!!
**秋山準 プロフィール**
1969年10月9日生まれ、大阪府和泉市出身。
全日本プロレス・オールジャパンプロレスリング(株)代表取締役社長 兼 レスラー。
ジャイアント馬場のスカウトにより、92年に全日本プロレスに入団。その後、三冠ヘビー、世界タッグ、GHCヘビー、GHCタッグなど多くのタイトルを戴冠。
14年7月より「オールジャパン・プロレスリング(株)」の代表取締役社長に就任し、全日本プロレスの舵取りを担う。

旗揚げ記念シリーズ 最終戦 ~秋山準&大森隆男デビュー25周年記念大会~
横浜文化体育館大会にて4大タイトルマッチ開催!
世界タッグ選手権試合(60分1本勝負)は見逃せません!
【第77代王者組】
関本大介
岡林裕二
VS
【挑戦者組】
秋山準
大森隆男
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