伊東 浩司 100m10秒00 アジアで初めて9秒台をノックした男。

伊東 浩司 100m10秒00 アジアで初めて9秒台をノックした男。

伊東浩司は、100m10秒00のアジア新記録を出した。 この記録は、日本では2017年に桐生祥秀が9秒98を出すまで19年間、破られなかった その間、大きな壁となり多くのスプリンターをはじき返した。


伊東浩司

1970年1月29日~
兵庫県神戸市出身
180cm
75kg
100m 10秒00
200m 20秒16
400m 46秒11

中3年でジュニア五輪400m優勝
高1、3年の国体の400mで優勝。
1992年、22歳の伊東浩司はバルセロナオリンピックの最終選考会である日本選手権の400mでまさかの5位。
4×400mのメンバーに選ばれたものの、オリンピックでは補欠となり走ることはできなかった。
この屈辱がバネになった。
1994年、広島アジア大会200mで銀メダル。
4×100mリレーのアンカーとして金メダルも獲得。
1996年のアトランタオリンピックでは200mで2次予選突破し、日本人で初めて同種目の準決勝進出を果たす。
準備はバルセロナ五輪後から6年かけて進めた。
鳥取県にあるトレーニングジムワールドウイングスで初動負荷トレーニングを導入。
トラックでの練習は1日30~60分に抑え5~6時間をトレーニングに費やした。
臀部周りが88㎝から102㎝に、大腿周りも54㎝から62㎝になった。
そして28歳の伊東浩司は、タイのバンコク大会の100mで10秒00を出した。
この記録は2017年に桐生祥秀が9秒98を出すまで19年間、壁となって日本人スプリンターを弾き返してきた。

天才少年

1985年8月のユニバーシアード神戸大会開催にあわせて建設された日本有数の総合競技場。
陸上400mトラック9レーンを持つ 陸連1種公認の競技場。

住所:〒654-0163 兵庫県神戸市須磨区緑台
電話番号:078-793-6150
最寄り駅:総合運動公園駅から徒歩約6分

神戸総合運動公園ユニバー記念競技場

伊東浩司の実家は神戸市北区のひよどり台にあった。
同じ日本代表の朝原宣治も神戸市北区出身で、年齢は3つ下である。
小学では週刊少年ジャンプで「キャプテン翼」を読み、サッカーに没頭した。
中学入学時の身長は155㎝。
サッカー部がなかったので陸上部に入った。
200mトラックを何週か走ってウォーミングアップ。
準備体操。
150mの流しを5本。
鉄棒に1分間ぶら下がる
斜め懸垂20回。
往復走80m×4。
腿上げ80m×5本。
100mテンポ走×5.
ハードルを何台か跳ぶ。
スタートダッシュの練習。
1000m走でクールダウン。
この頃の伊東浩司は
「歯を食いしばれば速く走れる」
と信じていた。
(力みを入れるのは決してよいことではない)
初めての試合は神戸市の大会だった。
100mで7位。
記録は13秒4だった。
これは学校だよりに掲載された。
2回目の大会で12秒台を出し神戸新聞に名が載った。
中学1年の秋には12秒1まで記録を伸ばした。
しかし体操や鉄棒が苦手で、逆上がりができたのは高校3年生だった。
中学2年で2年100mのクラスで全国中学選手権出場。
初国立競技場は、とにかくそのデカさと設備の良さにビックリした。
試合は予選を11秒64で2着で通過。
しかし準決勝は11秒71で4着となり決勝進出はならなかった。
宿泊先に帰ってからテレビで決勝をみて、
「来年は必ずNHKに映る」
と心に決めた。
中学3年の全日本選手権は、名倉雅弥が100mと200mで大会新を出した。
200mで名倉雅弥は22秒8。
伊東浩司は22秒57で3位だった。
100mは名倉雅弥が10秒94。
伊東浩司は転倒しながら11秒20でゴールし5位だった。
しかし秋に行われたジュニアオリンピックではBクラス(13~15歳未満)の400mで圧勝した。
中学3年生の夏休み明けの2学期の始業式では、神戸市大会、県大会、近畿大会、全日本大会と延々と何十枚も表彰状を授与された。

400m46秒52、高校新記録

報徳学園は兵庫県西宮市にある私立の男子校で、伊東浩司が入ったときは全国高校駅伝史上初の3連覇を狙っていた。
6時ごろに神戸市北区の家を出てバスと電車を2本乗り継ぎ、学校に着くのが7時40分。
家に帰るのは22時を過ぎることもあった。
陸上部監督の鴨谷邦弘は、日体大を卒業してから母校の報徳学園に戻って以来、熱心な指導を行った。
東京オリンピックで金メダルを獲り、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーの大松博文監督の超スパルタやレスリングの八田一郎会長が選手を動物園に連れていきライオンとにらみ合いをさせたエピソードに感銘を受け、選手をビシビシとしごいた。
しかし部員は反発し、次々にやめていった。
ムチだけではダメだと気づいた鴨谷邦弘は、手を変え品を変え独自の指導を開発していった。
試合はプロセスをしっかりしていれば勝っても負けても怒らなかった。
高校2年生の伊東浩司がインターハイの400mで1つ下の山本厚に負けたとき
「年下に負けて悔しい」
というと、鴨谷邦弘は、
「陸上に年齢は関係ない。
そんないい方は山本君に失礼だろう」
と怒った。
常に礼儀正しさと笑顔でいることを求め、正月は寒中水泳、夏はプールで10mの高飛び込みを行った。
歌を歌いながら走ったり、合宿では電気をつけたまま寝たり、朝5時からミーティングを行ったりした。
早く起きてミーティングの集合場所に行くとスポーツ用品が置いてあったりした。
それは早起きした者へのご褒美だった。
合宿では食べる量がすごかった。
ご飯やみそ汁はどんぶりで、大皿におかずとフルーツが山盛りになっていた。

長距離走が主力の報徳学園陸上部の中で短距離組は人数も少なく肩身も狭かった。
鴨谷邦弘は、
「オレは短距離はわからんぞ」
といい練習メニューは先輩がつくった。
そしてよく奈良の添上高や福岡の八女工高、京都の洛南高、愛知の中京高などへ合宿に行った。
高校1年と2年のインターハイを準決勝で落ちた伊東浩司は、独自のトレーニングを開始した。
まず駅から学校までの約2㎞を走り始めた。
「月刊陸上競技」に載っていた、奈良の添上高ではみんな競争するように駅から学校まで走っていく記事のマネだった。
朝練もずっと長距離組と一緒のメニューだったが、短距離走らしいサーキットトレーニングを取り入れた。
ウエイトトレーニングも本と器具を購入しやり始めた。
また神戸市立平野中学の池野憲一に練習を教わりにいった。
池野憲一は兵庫県の社高校出身で、その当時の社高校の陸上部の顧問は渡辺公二だった。
渡辺公二は、後に西脇工高の陸上部で鴨谷邦弘率いる報徳学園のライバルとなる。
マック式ドリル20m+ジョグ20m+マック式ドリル20m+ジョグ20m+マック式ドリル20m。
キックアップ20m+マック式ドリル20m+流し60m×6。
スピードバウンディング30m+加速走70m×6。
ショートインターバル走(10m加速、90m80%)×5+30mMax×7。
200m全力走×1。
基本動作60m×3種目×3。
チューブダッシュ30m+ダッシュ70m×5。
快調走300m+100m×3。
上体強化のために球技60分。
原付のタイヤを引きながら100m走+ジョグ、100m+流し100m×12 300m×1。
砂丘走200m×15。
スタートダッシュ(90m×1、60m×2、30m×3)×3。
400m(100mごとに60%、70%、80%、Maxと変化させる)。
・・・・
報徳学園の短距離組は、池野憲一が立てたハードな練習スケジュールを必死にこなしていった。
伊東浩司自身、競技人生の中で1番練習をやったというのがこの時期だった。

サイド・アウィータ


高校2年生の最後に51秒1だった400mが、3年生の最初のレースでは48秒4になった。
6月には47秒3の近畿高校新記録。
しかしこの年は、山本厚(添上高)の47秒16、苅部俊二(横浜南高)の47秒32と次々に記録が出て、400mは史上空前の激闘といわれた。
そして北海道で行われたインターハイで伊藤浩司は8位。
1位は山本厚(添上高)の47秒61だった。
鴨谷邦弘は、世界で初めて5000mで12分台をマークした世界記録保持者のサイド・アウィータが400mのベストが46秒8であることを指摘し
「5000m走者でも46秒で走れるのに、なんでお前はそれぐらいで行けんのか」
とハッパをかけた。
伊藤浩司は、疲労骨折するほど練習に身を入れた。
そして10月の沖縄で行われた国体で、400mを46秒52で駆け抜け、高校新記録をマークした。

試練の東海大学時代

伊東浩司は短距離界のホープとして東海大学へ進学した。
東海大学の体育学部教授で陸上競技部副部長、そしてソウルオリンピックで短距離チームを率いた宮川千秋は、入学してきた伊東浩司と初めて会った。
「がんばりなさい」
といって差し出した手を
「よろしくお願いします」
といって握り返してきた伊東浩司の手の感触は、400mの高校記録保持者とは思えぬほど女性的な優しい感触だった。
実際に、右手の握力は37.5㎏だった。
また東海大学には高野進がいた。
1982年に46秒51を記録して以来、13回も400mの日本記録を更新し、1991年に出した44秒78は現在も日本記録である。
1992年のバルセロナオリンピック400mで60年ぶりのファイナリスト(決勝進出)となり45秒18で8位入賞した。
このときの姿を中学生の伊東浩司はみた。
そして伊東浩司が東海大学に入ったとき、高野進は大学院を修了し指導者としてのキャリアをスタートさせた。

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