1950年代後半~の外遊びも状況によって多様化していた!!
1950年代の町並み
住宅地の光景
Япония 1950-х годов на цветных слайдах - История и современность
路地裏の光景
朝鮮戦争時の日本のカラー写真を見たら、80年代の中国とそっくりだった=中国メディア-サーチナ
まずは、シンプルに基本中の基本「鬼ごっこ」から!!
「鬼ごっこ」の光景
「鬼ごっこ」は狭義的に言うと、メンバーからオニ(親)を一人決め、それ以外のメンバー(子)は決められた時間内に逃げ、オニが子に触ればオニが交代し、遊びが続くという形式のものを指すが、世の中には色々なバリエーションが存在する。
例えば、
1.鬼に触られるとその人も鬼の仲間になり、他を追いかけるようになったり(ゾンビが増殖するようなもので、人数が多い場合などには時間短縮になる)
2.鬼の入れない領域やハンデを課してその力を制限するもの(地表より高い構造物などの上など)
3.子のうちの小数が鬼に対抗できる力を持つもの
4.鬼の力を奪い取るものや鬼と子の力が互角のもの
このようなバリエーションを考えるのも仲間と遊ぶ時の面白さの一つだった。
「鬼ごっこ」の発展形である「かくれんぼ」!!
「かくれんぼ」の光景
かくれんぼにも明確なルールは存在しないが、一般的なルールだと、次のようなものになる。
かくれんぼは2人以上によって行われ、1人の鬼(親ともいう)と残りの子に分かれる(人数が多い時は鬼を複数人にすることもある)。最初の鬼はじゃんけんなどによって決めることが多い。
鬼は壁や柱といった、もたれかかることができる場所に顔を向け、腕で目をふさぎ、あらかじめ決められていただけの数を大声で数える。この声が聞こえている間に子は鬼に見つからないような場所を見つけ、潜む。子が潜むことができる範囲ははっきり決まっていないことが多いが、一般には鬼が数を数える声が聞こえる範囲、というのが不文律的に定められている。
私たちも昔はだいぶ遊んだが、中には隠れている間に仲間をどうしても見つけられなくて、果ては誘拐かもしれないとみんなあせったが、その仲間の家に行くとひょっこり出てきたことがあった。
勿論、その仲間は親御さんからこっぴどく叱られたそうです!!。
これまた「鬼ごっこ」の発展形の一つ「ケイドロ・ドロケイ」!!
「ケイドロ・ドロケイ」をするなら公園
「ケイドロ」の基本ルールは下記のようなものであり、地域によってもかなり差異がある。
1.遊び仲間を「警察組」「泥棒組」に分け、警察組の者が泥棒組の者を”全員逮捕”しなければならない。警察組は一定の場所に逮捕した泥棒組の者たちを”留置”する「牢屋」を定める。
2.警察組の者は、泥棒組の者をタッチする(触る)ことで「捕まえた」ことになる(牢屋まで連行しないと捕まったことにならないルールもある)。
3.泥棒組は”逮捕”された仲間をタッチすれば、逮捕は無効になる。牢屋にいたとしてもタッチすれば開放される。(脱獄も簡単!!)
言わば、鬼ごっこの団体戦であり、子供心にも絶えず良い作戦を練ることも重要であった。
「ケイドロ・ドロケイ」をもう1ランクアップさせた「水雷艦長」!!
「艦コレ」って「水雷艦長」が基ですかね?!
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水雷艦長(すいらいかんちょう)または駆逐戦艦(くちくせんかん)は、軍艦の艦種ごとの特性をじゃんけんのような三すくみで応用した、鬼ごっこと戦争ごっこを併せた日本の子供の屋外遊びの一種である。第二次世界大戦前から昭和40年(1965年)代に入った頃まで男の子の間で盛んに遊ばれた。
二組に分かれ、それぞれの組で(a)戦艦、(b)駆逐艦、(c)潜水艦、各若干名の3種類の役を割り振り、戦艦は敵の駆逐艦を、駆逐艦は敵の潜水艦を、潜水艦は敵の戦艦を撃沈することができ、戦艦が全員撃沈された(戦艦役が捕らえられた)組が負けとなる。追いかけて触れば撃沈=沈没で捕えたことになる。また、同じ艦艇同士の場合は、その場でじゃんけんをして勝てば相手を撃沈したことになるルールも存在した。「沈没」ではその場にしゃがみこみ、「基地」(陣地)を設けた場合には沈没ではなく抑留となり、戦艦が他の艦艇を救出できる。
野球帽や体操帽子などで各々がどの艦船を担当するのか区別させていた記憶がある。これも戦略を練ることが重要になっていた。
禁じられた遊びになってしまった「長馬跳び」!!
めずらしい女の子だけの「長馬跳び」の光景
ルールはごく、簡単!!
まず、二人ずつジャンケンをし、勝ち(=馬跳び)チームと負け(=馬)チームに分ける。各々4、5人づつが一番良い(馬が長くなると跳ぶ側はそれだけ勢いよく跳ばなければならないし、馬側はその衝撃に耐えなければならないから)。
そして広場の傍らに、寄りかかれるような太い木か柱か壁のあるところを探す。馬側の1人がそれを背にして広場に向って立つ。ちょうど馬の首にあたるポジションだ(ここにその組の一番弱そうな仲間を立てるのが良い戦略)。
一番目の馬になる子が、その立ってる子の股に首を突っ込んで下を向いて踏ん張り、馬になるわけで、立ってる子の足を両手でしっかり抱えると安定させる。二番目の馬の子は一番目の馬の子の尻の後ろから首を突っ込んで、同じく前の馬の足を抱えて踏ん張る。これの繰り返しである。
馬の首の子が馬の準備状況を見て、「いいぞう!」と宣言する。
そこで、馬跳びチーム側の子供は馬の最後尾側から小走りに走って、1回だけ馬の背に手をついて跳び箱の要領で馬の首に向かってポーンと跳ぶのであるが、できるだけ馬の首のそばまで跳んで、次に跳ぶ子のスペースを確保しなければならない。馬が長ければ長いほど、勢いをつけて跳ばなければならないのである。そして、跳び乗った後、わざと尻をグリグリさせて馬を痛めつける輩もいるが、この位は序の口である。ただ、馬に跨った尻が落ち着いたら、しつこくやってはならないのが暗黙のルールだった。
跳ぶ側が失敗して馬から落ちたら跳ぶ側の負け。跳び乗られて誰かがつぶれれば馬側の負けだ。
全員が順々に跳び乗って、馬側もつぶれたりしなければ、「馬の首の子」と「馬とび側の最後尾の子」がジャンケンをする。
勝った側が馬跳び側になり、この一連の行為が続くのである。
当然、馬はしっかり耐えてつぶれてはならないし、馬跳び側は思いっきり跳ぶのだが、目測をあやまたないよう加減して上手く跳び乗らなければならない。まさに体力と根性と正確な運動動作が要求されたのである。そしてうまくやればチームワークも湧いてきて何やら一体感も味わえたのだ。