ゼロ・クラウンは一日にしてならず

ゼロ・クラウンは一日にしてならず

2003年に発売された12代目トヨタ・クラウンは、「ZERO CROWN」のキャッチコピーとともに登場し、大ヒットをしました。しかし、ここに至るまで、トヨタは入念な準備を行っていました。今回は、9代目から始まった改革の経緯を見ていきましょう。


車体構造も独特だったクラウン

日本の乗用車で最も長い歴史を持つ名前は、トヨタ自動車のクラウンです。誕生は1955年。日本の国産乗用車の黎明期に登場し、以来、トヨタのトップブランドとして君臨し続けています。

当時の乗用車でも、現在の車と同様に車体とシャシーを一体で構成するモノコック構造の技術もありましたが、敗戦からわずか10年の日本の道路事情は悪く、乗り心地と丈夫さを両立させるため、多くの乗用車ではフレームにボディを載せた、いわばトラックのようなボディ構造をしていました。

初代クラウンでは、従来の国産車のようなトラックと共用のシャシーではなく、専用のシャシーを開発し、車高の低床化を図りました。1967年発売の3代目では、ペリメーター型フレームを採用し、2代目までの梯子型フレームよりも、さらに車高を低くしました。日産では1960年発売の初代セドリックですでにモノコック構造を採用していましたが、クラウンではペリメーター型フレームを使い続け、フレームがもたらす「重厚な乗り心地こそがクラウンらしさ」とされてきました。

5ナンバーボディが基準の時代なので車内は狭かったが、バブル経済の盛り上がりで大ヒットした。マイナーチェンジで、写真のV8エンジン搭載車が設定された。

クラウンらしいデザインの集大成ともいえた、1987年登場の8代目クラウン

Toyota Crown Royal Saloon G 4.0 Hardtop (UZS131) 1990–91 wallpapers

二方面作戦でモノコックボディを試用

1980年代前半には、国産乗用車のほとんどはモノコック構造を採用していました。ペリメーター型フレームを使い続けることは、燃費や安全性などで不利な面が多いことは、開発陣にも分かっていました。不安なのは、フレームをなくすと長年の顧客が離れてしまうのではないか、ということです。

そこで、1991年発売の9代目(140系)では、新たな戦略に出ました。8代目(130系)のマイナーチェンジで投入した、セルシオと同じV型8気筒4000㏄エンジン搭載車を、新たに「マジェスタ」として独立させ、車体をモノコック構造としました。一方、従来のシリーズは「ロイヤルシリーズ」として展開し、引き続きペリメーター型フレームを採用するという、二方面作戦に出たのです。

すなわち、売れ筋のロイヤルシリーズは、安全パイとしてペリメーター型フレームで残し、上級モデルをモノコック構造とすることで、クラウンの一番重要な客層がどちらを選ぶかを判断できるわけです。

一見、ムダなようですが、当時は日産セドリック・グロリアの派生モデルとして上級のシーマが大ヒットしていましたので、市場ではマジェスタの誕生は当然の流れに見えました。

時代はバブル経済の絶頂期。セルシオのハードトップ版ともいえるクラウン・マジェスタは大いに売れ、特に従来の上級モデルを購入していた富裕層はこぞってマジェスタに買い換えました。これにより、クラウンはモノコック構造でも受け入れられることが証明されました。

なお、この9代目は、クラウン初の3ナンバー専用ボディ(過去にはクラウンエイトというイレギュラーなモデルも存在)となり、デザイン面でも新たなことにチャレンジしよう、としていました。

そこで、ロイヤルシリーズでは、丸味のあるボディ形状でリアに向けてトランクが高くなる、当時のトヨタの潮流に乗ったデザインが採用されました。しかし、ボディ構造よりもこのデザインが長年のユーザーに受け入れられず、販売面で苦戦。1993年にビッグマイナーチェンジが行われ、トランクは従来のテイストを色濃く残した形状に変更されました。後期型の販売途中にバブル経済がしぼみ始め、ややスポーティなロイヤルツーリングの格安グレードを充実させました。

クラウン初の、完全な3ナンバー専用ボディとなった。

ペリメーター型フレームを使用した最後のクラウンとなった9代目。

Toyota Crown (S140) 1991–93 wallpapers

保守的なデザインからの脱皮を試みた。

マーク2やコロナなどと同じく、フロントからリアにかけて高くなるデザインを採用。

Photos of Toyota Crown (S140) 1991–93

プラットホームは初代アリストと共用された。

上級モデルとして誕生したクラウン・マジェスタ

Images of Toyota Crown Majesta (S140) 1991–95

後部ドア以降を完全に作り替える大規模なマイナーチェンジで、保守的なリアデザインになった

1993年にマイナーチェンジを受けた、ロイヤルシリーズ

Images of Toyota Crown (S140) 1993–95

保守的なデザインながらもモノコック構造に

マジェスタの成功により、モノコック構造がユーザーに受け入れられることが証明されたクラウンは、1995年にフルモデルチェンジした10代目(150系)ではロイヤルシリーズもモノコック構造に変更されました。ただし外観は、9代目の失敗をうけて角ばった保守的なデザインとなりました。

また、足回りを強化したモデルとしてロイヤルツーリングが引き続き設定されましたが、外観上の違いはわずかでした。

8代目のような保守的なデザインに戻った、10代目のロイヤルサルーン

Toyota Crown (S150) 1995–97 photos

ロイヤルツーリングでは、ヘッドライトまわりやアルミホイールに、ロイヤルサルーンとの違いが見られる。

Toyota Crown (S150) 1995–99 pictures

スポーティグレードを独立設定

1999年発売の11代目(170系)では、4ドアハードトップが廃止され、すべてセダンボディとなりました。これまで、個人向け(オーナー自身が運転する)はハードトップ、法人向け(運転士が運転する)はセダンという棲み分けがされていましたが、ハードトップでは側面からの衝突安全性を確保するのに限界があるため、すべてセダンボディとなったのです。

こうして11代目ではセダン一本となり、従来の上級セダン需要もこちらで吸収。一方で、法人の安価なセダン需要に応えるため、10代目セダンも引き続き生産されました。

11代目では、スポーティグレードとして「アスリート」が設定されました。かつて、8代目に設定があったグレード名ですが、9・10代目では「ロイヤルツーリング」と命名されて消滅してしまいました。従来はいずれも多数あるグレードのうちの一つでしたが、11代目では「ロイヤルシリーズ」と対をなすスポーティなシリーズとして複数のグレードが設定され、カタログも別途用意されました。

こういったグレードの設定には、ユーザー層の高齢化がありました。若返りをしないとクラウンがユーザーとともに消滅してしまう……。トヨタにはそんな危機感がずっとありました。

日産では、1987年発売のY31型セドリック・グロリアからブロアムシリーズとグランツーリスモシリーズの2本立てで展開し、ユーザー層の引き下げに成功していました。クラウンもこれに倣った格好です。

ハードトップからセダンになったことで、濃色だと運転士付きのクルマのように見えてしまった。

全車セダンボディとなった、11代目クラウンのロイヤルサルーン

Toyota Crown Royal Saloon (S170) 1999–2003 photos

従来のロイヤルツーリングよりも差別化が図られ、久々にターボエンジン搭載車も設定された。

11代目の目玉となった、クラウン・アスリート

Pictures of Toyota Crown Athlete (S170) 1999–2003

ついにゼロ・クラウンとして結実

車体のモノコック構造化、ボディのセダン一本化、スポーティグレードの追加と改革を行ってきたクラウンは、2003年、ついに12代目(180系)にフルモデルチェンジします。

新規開発のプラットフォームを採用し、エンジンは直列6気筒を廃止してV型6気筒に統一。若々しいデザインを採用し、「ZERO CROWN」のキャッチコピーですべてが一新されたことをPRしました。

12代目の登場は、確かに衝撃的でした。特に流麗なフォルムはクラウンらしくなく、ユーザー層の引き下げも実現しました。しかし、ここに至るまでの道のりは9代目からじわじわと行われてきたのでした。台数も多く売れ、利益率も高いクルマだけに、トヨタが非常に慎重に変更を重ねていったのが伺えます。

オーナーサルーンとして違和感のない、流麗なフォルムになった。

「ゼロ・クラウン」と呼ばれて今も人気が高い、12代目クラウン

Photos of Toyota Crown Concept 2003

ユーザー層の若返りにも成功した。

12代目クラウンの看板となったアスリート

Photos of Toyota Crown Athlete (S180) 2003–05

toyota crown ad 4 ~30sec version~ - YouTube

伝統ブランドの刷新は難しい

ここまで、ゼロ・クラウン誕生までのいきさつを見てきましたが、伝統あるブランドの刷新は難しいと改めて感じました。特にクラウンはトヨタの看板車種のひとつであり、利益率も大きいので、失敗すると経営に大きく影響します。

しかし、それでも刷新に迫られた背景には、1990年代半ばに出てきた、エコロジーと安全性の向上があります。これは世界中のメーカーに突き付けられた課題で、側面衝突性能の向上と、前後方向に小さなV型エンジンを搭載することで、クラッシャブルゾーンを確保する、という方策がメルセデスベンツやBMWといった高級FRセダンを製造するメーカーで採られるようになりました。さらにガソリンタンクの造形がしやすくなったことで、車のパッケージングも変わってきました。

そういった技術革新の潮流に日本のメーカーは遅れがちでしたが、1990年代後半になると開発に着手するようになってきました。その結果として誕生したのが、トヨタはゼロ・クラウンであり、日産はV35型スカイラインなのです。

スカイラインの場合、R34型から一気にV35型に変わったので戸惑いと反発を招きましたが、ここで紹介したように、クラウンは徐々に変わっていったのです。もっともクラウンの場合、ペリメーター型フレームやハードトップボディ、ユーザー層の高齢化といった、越えなければならない課題がさらにあったのですが……。

しかし、ゼロ・クラウンの成功があったからこそ、現行14代目のような大胆なフロントグリルやピンク色のボディカラーなども可能になったのは間違いないでしょう。

登場時は衝撃的だった現行モデルのフロントグリルも、見慣れたせいか、すっかり定着している。

Pictures of Toyota Crown Hybrid Athlete (S210) 2012

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