かつて錚々たるプロレスラーが活躍したプロレス団体「全日本女子プロレス」。
古くはマッハ文朱、ビューティ・ペア、ジャガー横田にクラッシュ・ギャルズ。
ブル中野に北斗晶、アジャ・コングと、数え上げればキリがないその歴史において、2005年の団体解散時まで在籍し、同団体最強の象徴だった「赤いベルト(WWWA世界ヘビー級王座)」最後の王者だった高橋奈七永選手。
全女の団体解散後も女子プロレス道を一心に突き進んでプロレスを表現し続ける高橋選手は、現在プロレス団体「SEAdLINNNG」社長を務めながらもトップレスラーとして活躍。
さらには”地上最も過激な格闘技”と呼ばれる「ラウェイ」に闘いの場を求めるなど、そのバトルフィールドは広がるばかり。
ミドルエッジ編集部(ミド編)は、そんな高橋奈七永選手に取材の機会を頂戴しました。
幼き頃のプロレスとの出会いからプロレス団体の社長になるまで。高橋選手の半生をどうぞご覧下さい。
プロレスとの出会いは「2回」
ミド編)1978年生まれの高橋選手ですが、プロレスとの出会いはいつ頃だったでしょう。
やはり80年代、女子プロレスの激闘をテレビなどでご覧になっていらっしゃいましたか?
幼いころはまったくプロレスに興味がなかったと話す高橋選手
子供時代は母子家庭に育ち、一人で過ごす時間が多かったという高橋選手。
「”カギっ子”だったんです」と明るく話す彼女が小学生時代に打ち込んだものは…「勉強」!
勉強を頑張って私立中学に進学した高橋選手。
中学校では全国区の強豪だったバレー部にマネージャーとして入部し、中学生活は部活一色だったそうです。
小学生の頃は勉強、中学生になってからは部活と、忙しくも厳しい環境に身を置くのが好きな性分だったのかも、とご自身を振り返ります。
プロレスとの最初の出会いは「髪切りマッチ」!?
90年代はバラエティ番組「ラスタとんねるず'94」に豊田真奈美選手や井上貴子選手らが登場していたのも懐かしい思い出ですよね。
ただ、高橋選手とプロレスの1回目の出会いは「髪切りマッチ」だったのです。
そして2回目の出会いは…中学3年生の12月26日に舞い降りてきた!!
プロレスファンになってから1年を経て「舞い降りてくる」経験をした高橋選手。
この日を境に「プロレスラーになる」スイッチが入ったんです!
奇しくもこの時のきっかけになったのは、やはり山田敏代選手と豊田真奈美選手でした。
いざプロレスラーへ!
ミド編)お母様の全面的なサポート、とても有り難い環境だったんですね。
しかしいきなりの浜口ジム!まさに駆け抜けるようにしてプロレスラーへの道を突き進んでいかれます。
ミド編)「え!?辞めたんですか??」
勉強、部活、そしてプロレス。
どの道もご自身で選び、強い意志で向き合ってきた高橋選手。
そんな強い気持ちで勝ち取った「プロテスト合格」でしたが、まさかの…。
一時期は「引きこもっていた」と話す高橋選手