これからジャズを聴こうと思っている方へ
ジャズの人気がないといってもブルーノートの認知度はそれなりに高いのではないかと思います。あ、ブルーノートと言っても、ジャズ・クラブではありません。ブルーノート・レコードの方です。
そうです。ジャズのレーベルと言えばブルーノートですよね。ジャズを聴かなくとも音楽に興味がある方であれば一度や二度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?!逆に、それ以外のジャズのレーベル名がスラスラと出てくることはジャズファンでない限り、まずないといっていいでしょう。いえ、それで大丈夫です。1人でも多くの方にジャズを聴いてもらいたい!であれば、とっかかりはブルーノートで問題ありません。
では、ジャズ・ミュージシャンは誰かご存じでしょうか?マイルス・デイヴィス。そうですね、伝説の人です。しかしマイルス・デイヴィスもブルーノートと同じく名前は聞いたことがあるけれど曲は知らないという方が多いように思います。
いや、実に多いし、それは非常にもったいないことです。ということで、これからジャズを聴こうと思っている方にブルーノートとマイルス・デイヴィスのちょっといい関係をご紹介します。

ブルーノートのことなどを
ブルーノート・レコード(以下ブルーノート)は、1939年にミード・ルクスとアルバート・アモンズという二人のピアニストを録音したことから始まり、以降数多くの優れたレコードをリリースしたジャズの名門レーベルです。
創設したのは、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンとマックス・マーグリスです。そこにアルフレッド・ライオンの古い友人のフランシス・ウルフが1940年に合流し、ブルーノートの中心人物であるライオンと狼が揃うことになります。
歴史はここから始まったと言っていいでしょう。

アルフレッド・ライオン
ブルーノートにおけるアルフレッド・ライオンの役割は、簡単に言ってしまえばプロデューサーです。但し、レコードのプロデュースに留まらず、ブルーノート自体のプロデューサーでもあります。
アルフレッド・ライオンの現役時代にブルーノートのレコードには、プロデューサー・アルフレッド・ライオンの表記がありません。アルフレッド・ライオン曰く「私自身がブルーノート・レコードそのものだから」。
アルフレッド・ライオンの相棒のフランシス・ウルフは、ブルーノートの経営面を担当していました。と同時にカメラマンとしても活躍し、彼の写真はブルーノートの多くのアルバム・ジャケットを飾っています。

フランシス・ウルフ
1953年になると3人目のブルーノートの伝説、ルディ・ヴァン・ゲルダーが参加します。ルディ・ヴァン・ゲルダーはサックス奏者のギル・メレの紹介でブルーノートに参加することになったエンジニアです。以降、ブルーノートの録音のほとんどはルディ・ヴァン・ゲルダーの家の居間を改装して作られたスタジオで行われることになります。

ルディ・ヴァン・ゲルダー
そして、1956年にはついに4人目の伝説の男、リード・マイルスが参加することになります。当時のブルーノートは予算がなかったため、アルバム・ジャケットをカラーで印刷することが出来なかったそうです。しかし、色数を減らして印刷せざるを得ない状況が結果的にブルーノートの個性になっています。
それにしても素晴らしいリード・マイルスのデザイン!代表的なものをいくつかご紹介します。

クール・ストラッティン

サイドワインダー

アス・スリー
アルフレッド・ライオンと共にブルーノートを起こしたマックス・マーグリスは、バップというジャズの新しい流れに進むことに異を唱え所有していた権利をアルフレッド・ライオンに譲渡しブルーノートを去っています。
逆にブルーノートはバップの時代を迎え、大きく躍進することになります。
マイルス・デイヴィスのことなど
さて、音楽は聴いたことはないけれど名前だけは知っているというジャズのミュージシャンの筆頭といえばマイルス・デイヴィス(おそらく!)でしょう。
ジャズの帝王などと呼ばれることのあるこのトランぺッターのことを一言で言い表すことは非常に困難です。クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンからヒップホップまで生涯にわたり様々な音楽的要素を取り入れ独自の音楽を作り上げています。

マイルス・デイヴィス
おそらく、おそらくですが、初めてジャズに接する方にとってマイルス・デイヴィスを聴いてもなんだかさっぱり分からないというのが率直な感想になるかと思います。
いくらマイルス・デイヴィスがスゴイと言ったところでそれは変わらないでしょう。なので、マイルス・デイヴィスの主要なバンド・メンバーを羅列してみます。
ジョン・コルトレーン(サックス)、、ポール・チェンバース(ベース)、キャノンボール・アダレイ(サックス)、ビル・エヴァンス(ピアノ)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、ウェイン・ショーター(サックス)、チック・コリア(キーボード)、キース・ジャレット(キーボード)、ジョン・マクラフリン(ギター)などなどとても書ききれませんが、少しでもジャズに興味を持っている方なら聞いたことのある名前がいくつかあるのではないでしょうか?
いずれもジャズ界の巨匠ですが、こうしたミュージシャンをまだ新人、もしくは無名のうちに見つけ出し自分のバンドメンバーに引き入れていたこと自体スゴイことです。
メンバーと言えば面白いところでは、現在ローリング・ストーンズでベースを担当しているダリル・ジョーンズも80年代中ごろ一時期メンバーだったことがあるんですよ。
1500番台のはじまり
ブルーノートがリリースしたレコードには番号が振られていて、初期の12インチSPレコードは「BN-1]から始まる通し番号が付けられていました。時は流れSPレコードからLPレコードとなり、やがて現在でも人気のシリーズ1500番台がスタートします。
一方、マイルス・デイヴィスはブルーノートからは10インチSPレコードでわずかに3枚しか発表していません。しかも、なんと、この当時マイルス・デイヴィスは重度のドラッグ中毒に陥っていたのです。
ドラッグ中毒のためライブもレコーディングも出来なくなっていたマイルス・デイヴィスに手を差し伸べたのは他でもないアルフレッド・ライオンでした。彼は「年に一度」のレコーディングを約束したのです。
1952年から約束は施行され、53年、54年と3枚の10インチSPレコードをリリースしたところでマイルス・デイヴィスはプレスティッジというレコード会社と契約が決まり、ブルーノートからのリリースは途切れます。
LPレコードの時代となりブルーノートの1500番台のシリーズが始まった際に、先の10インチSPレコードを2枚にまとめ1501番、1502番の番号が振られることになります。
そうです。栄光のブルーノートの1500番台はマイルス・デイヴィスの2枚のアルバムから始まるのです。

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.1

マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.2
その後大手レコード会社(コロンビア)に移ったマイルス・デイヴィスはスター街道を爆進していくのですが、アルフレッド・ライオンへの恩義を忘れてはいませんでした。恩返しをするわけですが、契約上ブルーノートからマイルス・デイヴィスのアルバムをリリースすることはできません。
そこでマイルス・デイヴィスは、サックス奏者であるキャノンボール・アダレイのアルバムに参加する形でアルバムをリリースします。

サムシン・エルス
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こうして出来上がった「サムシン・エルス」ですが、まずアルバム・ジャケットの素晴らしさに目を奪われます!文字だけだというのになんとカッコイイことでしょう。そして中身ですが、これがもう名盤そのものです。ジャズは難しい、分かりにくいという意見がありますが、このアルバムの一曲目をまず聴いてみてください。スタンダードナンバーであるあの「枯葉」です。ムードたっぷりで、難しいことは何もありません。
キャノンボール・アダレイ名義のアルバムであるにも関わらず、マイルス・デイヴィス目立っています。吹きまくっています。そして、4曲目の「ワン・フォー・ダディ・オー」の最後には「こんなもんでいいかい?アルフレッド(ライオン)」という声を残してマイルス・デイヴィス退場。キャノンボール・アダレイに花を持たせるかのように最後の曲にはマイルス・デイヴィスは参加していません。
録音終了後、ルディ・ヴァン・ゲルダーがテープを箱にしまいます。アルフレッド・ライオンはその箱に「リーダー:マイルス・デイヴィスと書き記したのだそうです。