Grunge
90年代初頭に、グランジ と呼ばれる音楽が世界的に大ブームとなったのを憶えていますか?
MTVなどに登場していた何かと飾り立てたミュージシャン達とは違い、普段着といった気取りのないファッションが先ず目を引きました。
そもそもグランジとは、「薄汚い」といった意味の「grungy」が名詞となったのが語源です。その名のとおりグランジと呼ばれるミュージシャンは着古した服を身にまとっており、みんな確かに薄薄汚かったですね。
そして肝心の音楽はといえば、爆音といってよいような強烈なもので、それはそれは驚かされました!その代表といえば、やはりニルヴァーナでしょう。
ニルヴァーナ
ニルヴァーナはグランジの象徴といってもよいかと思います。
他にグランジと呼ばれるバンドには、サウンドガーデン、マッドハニー、アリス・イン・チェインズ 、パール・ジャム、グリーン・リヴァー、ホール、ストーン・テンプル・パイロッツ などなど数え上げるときりがありません。
オルタナティヴ・ロックのひとつとされるグランジは、アメリカのワシントン州シアトルを中心にして始まっています。
そこにはグランジをささえ続けた「サブ・ポップ」の存在がありました。
Subterranean Pop
シアトルといえば、最近ではスペシャルティコーヒーのスターバックスやタリーズコーヒーで有名ですね。または、野球のイチロー選手が所属していたマリナーズもシアトルにありますし、マイクロソフトやアマゾンの誕生の地でもあります。
しかし、そういったものよりもグランジのファンにとってシアトルとは特別の意味があるんです。
グランジのイメージとは違い、シアトルはとても穏やかで生活のしやすいところですが、ここにグランジ・ブームの立役者であるインディペンデント・レコード・レーベル「サブ・ポップ」が1986年に誕生します。
ブルース・パビット
サブ・ポップの歴史は、ブルース・パビットが1979年にワシントン州オリンピアでファンジン「Subterranean Pop」を発行したことから始まります。
「Subterranean Pop」は2刊目から「SUB POP」と名称を変更し、1981年から複数のバンドの音源を収録したコンピレーションテープを付けることになります。
そして、1986年にブルース・パビットとジョナサン・ポーンマンがシアトルに引っ越し、ついにレーベルがスタートします。
ジョナサン・ポーンマン
サブ・ポップは、ニルヴァーナ、サウンドガーデン、マッドハニーといったグランジを代表するバンドが最初に契約したレーベルということで有名ですが、記念すべき第一弾はコンピレーションアルバム「サブ・ポップ 100 」で、ソニック・ユースや日本のバンドである少年ナイフなどが収録されています。
Sub Pop 100
Soundgarden
パール・ジャム、マッドハニーというグランジの中心的な2つのバンドの母体となるグリーン・リヴァーのEP「DRY AS A BONE」をサブ・ポップは、「サブ・ポップ 100 」と同じく1986年にリリースします。
そして翌年にはサウンドガーデンのEP「スクリーミング・ライフ」がリリースされます。
スクリーミング・ライフ/フォップ
1988年8月にはEP「フォップ 」をリリースした後、サウンドガーデンはサブ・ポップを離れます。
さすがにこの時期のサウンドガーデンは後期のように洗練されてはいませんが、カオス的なヘヴィなサウンドに切れ味抜群のギター、鬼気迫るヴォーカルは今聴いても魅力的です。
現在はサブ・ポップ時代のこの2枚のEP音源をまとめた作品が入手可能です。
1988年には、サブ・ポップからもう1枚重要なアルバムがリリースされています。
サウンドガーデン以外にもニルヴァーナ、マッドハニー、グリーン・リヴァーといった20組のサブ・ポップ所属のミュージシャンによるコンピレーションアルバム「サブ・ポップ 200」がそれです。
Sub Pop 200
Mudhoney
やがて、サブ・ポップは会費を払って会員になると所属しているミュージシャンのシングルが毎月1枚送られてくるという会員制の通販組織「シングルズ・クラブ」を始めます。これによってサブ・ポップの名は全米に広まりました。 「シングルズ・クラブ」から最初に送られたシングルは、ニルヴァーナの「ラヴ・バズ / ビッグ・チーズ」で1988年11月のことです。
そして1989年には、マッドハニーのデビュー・アルバムがリリースされます。