出演陣や製作スタッフの超~豪華さにぶっ飛んだ映画「西部開拓史(How the West Was Won)」は私の映画概念を完全崩壊させた

出演陣や製作スタッフの超~豪華さにぶっ飛んだ映画「西部開拓史(How the West Was Won)」は私の映画概念を完全崩壊させた

読者の皆様は、「西部開拓史(How the West Was Won)」という映画はご存知でしょうか?日本では東京オリンピックが開催された年の2年前、1962年に公開されたアメリカの西部劇なんですが、そん所そこらの西部劇とは訳が違がっていました。製作スタッフを初めとし、出演陣に至るまで、当時のアメリカ映画で主役を貼るような”ビッグ・スター”がこれでもかというくらいに出ていたのだ。そしてストーリーもアメリカ版大河ドラマを彷彿させるものであった。勿論、上映時間も途中休憩を含むと有に3時間を越える大作中の大作であった。


映画「西部開拓史(How the West Was Won)」とは??

彼は10人兄弟の長男として生まれ、家計を支える為にピアノの演奏活動を始め、やがてブロードウェイの音楽監督として活躍するようになった。1930年にハリウッドに移り、映画音楽を手掛けるようになった。最も有名なのは20世紀フォックスのスタジオ・ロゴ用ファンファーレ。同社の製作部長でもあった大プロデューサーのダリル・F・ザナックの依頼で作曲したものである。ニューマン自身、20世紀フォックスの音楽部長として長年活躍していた。
アカデミー賞の常連で、2006年にジョン・ウィリアムズが45個目のアカデミー賞候補になるまで、最多候補記録を保持していたほどの持ち主であった。

アルフレッド・ニューマン

『西部開拓史』(せいぶかいたくし、How the West Was Won)は、1962年のアメリカ映画であり、アメリカ西部開拓時代の1839年から1889年までの50年間を、ある開拓一家三代の視点から描いた叙事詩映画である。小ストーリーが全部で5話あるが、それぞれが密接に絡み合いながら進行して行く形式になっている。
親・子・孫三代に渡る西部での生涯を描いた西部劇映画の集大成的存在でもあり、西部劇の面白さが各々の小ストーリーに散りばめられて、見る側を決して飽きさせない。また、これまで様々な西部劇映画に出演したスター級の豪華俳優陣が端役に至るまで数多くキャスティングされているのも魅力の一つである。

この映画の一つの特徴は「 シネラマ方式( 湾曲した特製大スクリーンに、3本の35mmフィルムを横に並べて3台の映写機で同時に映写する方式 ) 」を採用している代表的な商用映画であった。

総勢24名ものスター級の俳優・女優が集められ、 その出演料だけで当時のお金で220万ドルにものぼった。 61年の3月から撮影は開始され、開拓時代の雄大な自然が残るケンタッキー、サウスダコダ、コロラド、オレゴンなどで屋外ロケを敢行。 この映画のために77のセットが組まれ、5,000着もの衣装を用意されたが、 機械で縫製された衣装ではアップ撮影の際に縫い目が見えてしまいリアルさが損なわれたので、全て手作業で作り直された。 インディアンが汽車を襲撃するシーンでは2,000頭ものバッファローを駆り出して迫力あるシーンを披露。 使用された汽車はMGMが30年代後半に買い取ったもので、撮影のためにハリウッドからロケ地のサウスダコダに運び込まれた。 この映画に使われた動物は馬630頭、牛550頭、羊200頭、ロバ160頭にものぼり、動物たちの飼育係として203人の人間が雇われ、エキストラは12,617人にものぼった。 一本あたりの制作費が300万ドルの時代に1,500万ドルもの巨費をかけて映画は完成し、 スタジオ製作の映画では『風と共に去りぬ』(39)、『ベン・ハー』(59)に次ぐ3番目の記録を樹立。 映画が公開されると批評家からも観客からも絶賛され、2年間ものロングランを記録。4,500万ドルもの収益を上げて63年度のNo.1ヒット作となった。 第36回アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされ、オリジナル脚本賞、編集賞、録音賞の3部門を獲得した。

西部開拓史

シネラマ方式を解りやすく説明すると・・・

湾曲した特製大スクリーンに、3本の35mmフィルムを横に並べて3台の映写機で同時に映写する方式。アスペクト比は、なんと「1×2.88」!1952年に登場した『これがシネラマだ』を第1作として、約10年間使われた。仕掛けが大きすぎたため製作本数は少なく短命に終わった。

 3個のレンズで3本の35mmフィルムへ広い景観を三分して記録する専用カメラで撮影するとともに、場面内の音声を指向性の強いマイクロフォンで5つに分けて同時に収録するほか場面外の音響も別にとらえ、上映には1組3本の画面プリントを3箇所の映写室にある3台の映写機で半円形の特殊大形スクリーンへ同時に交差映写して観客を包み込むように巨大な画面を現出するのと同期して、音専用の35mm磁気フィルムにある7本以上のサウンド・トラックにより、スクリーン背後の中央と両端部と中間部の5箇所及び客席の後ろと両横に配置したスピーカ群で情景に合った位置から音声を再生する。各フィルムの画像1コマがスタンダードサイズより6割も大きいの画面も鮮明、遠近や移動の効果を伴う立体音とともに観客は、さながら場面の中にいるような実感を受ける。

 しかし、3本のフィルムに分かれている3画像の投影を横に並べるので2箇所につなぎ目が現れ、像の食い違いや色のにじみなどが出る弱点があり、また、向かい合っている人物を近距離で撮影した画面を映写すると、どの人も前を向いているような結果になるので、1961年に作られた最初の劇映画『西部開拓史』では、1本の65mm大型フィルムで撮影して3本式のプリントに直す方法をとり“スーパー・シネラマ方式”と名付けた。

下記にトリミング版TVサイズと劇場公開サイズを示す。

シネラマ方式

トリミング版TVサイズ

劇場公開サイズ

日本にはテアトル東京、中日シネラマ(名古屋)、シネラマ名古屋、OS劇場(大阪)という4カ所のシネラマ専用の映画館が存在していた。

日本で初めてシネラマで映画を上映したのは、皇居前の帝国劇場だそうです。初めはスタンダードサイズの画面を3台の映写機で同時に映写して大画面にしていた様ですが、後にスーパーパナビジョン70というフィルムに圧縮させ上映時に1台の映写機で左右を伸長させる方式に変更された様です。

東京では他に、松竹セントラル(築地=1999年閉館)、渋谷パンテオン(2003年閉館、現在シネコンに建替え中)、新宿ミラノ座(現新宿ミラノ1)が暫定的にシネラマ上映を行っていた時期があるそうです。また新宿プラザ劇場(2008年閉館)がD-150方式という、やはり湾曲した巨大スクリーンを装備していた映画館でした。

「西部開拓史(How the West Was Won)」は1962年11月29日に初公開されましたが、あいにく私は小学校低学年程度で、まだ映画はテレビで見る程度だったため、映画館には行けなかった。しかし、私が中学2,3年の時に、もう一度上映された際に、初めて新宿まで友達と見に行ったことを鮮明に覚えている。(後で解ったのですが、その時見た物は、スクリーンはかなり大きかったが、正確にはシネラマ方式ではなかったそうです。泣!!)

そろそろ映画の解説をしますか!!(ネタバレを含むのでご容赦下さい)

この映画の脚本が第36回アカデミー賞で脚本賞を受賞!!

この映画の脚本は、ライフ誌に連載された絵物語にヒントを得たジェームズ・R・ウェッブが195冊の歴史書をもとに脚本を書いた。彼が書き下ろした映画作品の脚本を見ると、戦記物、西部劇などが多く存在し、また好評を得ていたようだ。
ちなみに、この「西部開拓史(How the West Was Won)」で1963年の第36回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。

監督が3人もいる??

製作者であるバーナード・スミスは、この映画の製作に2年近くかかると考え、効率よく撮影を進めるため当時、ハリウッドの第一線で活躍する3人の監督を起用。 第1話「The Rivers (川)」、第2話「The Plains (平原)」、第5話「The Outlaws (無法者たち)」の3エピソードを『アラスカ魂』(60)のヘンリー・ハサウェイが担当。西部劇の神様ジョン・フォードが第3話「The Civil War (南北戦争)」のエピソードを担当し、第4話 「The Railroad (鉄道)」のエピソードは『砂塵』(39)のジョージ・マーシャルが担当した。

小ストーリー第1話 The Rivers(河、1830年代末)

1830年代の終わり頃、アメリカ東部の人々は、オハイオ川流域の肥沃な土地の開拓に乗り出そうとしていた。ニューイングランドの農民ゼブロン・プレスコット(カール・マルデン)も妻レベッカ(アグネス・ムーアヘッド)、長女イーブ(キャロル・ベイカー)、次女リリス(デビー・レイノルズ)、それに2人の息子の一家を連れてイリー運河を通過し、オハイオ川にいかだを組んで未開の荒野に踏みこんだ。一家が川岸にキャンプを張ったある夜、鹿皮服を着た毛皮売りのライナス(ジェームズ・スチュアート)がカヌーで近づき、プレスコット一家と夕食を供にして西部の事情を話した。野性的で親しみやすい彼をイーブは一目で恋した。翌朝ライナスが既に立ち去ったのを知っても彼女の心は変わらなかった。一家が下流に向かう間、ライナスは上流に行き、川岸の天幕の店を見つけたが、ホーキンズ大佐と名のる主人は実は河賊で、ライナスも欺されて荷物をとられ、ナイフで刺された。しかし丸太にまたがって川を下ったライナスは、プレスコット家を襲おうとしていた河賊たちを、開拓民と力を合わせてやっつけた。一家がいかだで急流を下る時、激流は両親を呑んだ。両親の亡くなった土地に農園を建てようというイーブに、ライナスは開拓生活を誓った。しかし、蒸気船の汽笛は、リリスを新しい町セントルイスに誘った。

まさにシネラマ画面で見た時の興奮が蘇ります!!

激流がいかだを呑み込もうとする場面

この映画でニューイングランドの農民ゼブロン・プレスコットを演じたカール・マルデンは、映画『欲望という名の電車』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したほどのスター級俳優だ。

カールは鉄工所の職員と教師を経て、シカゴの演劇学校に入学。1937年に舞台デビューし、1940年代に映画『ゼイ・ニュー・ホワット・ゼイ・ワンテッド』(原題)でブレイクした。1951年に舞台でも演じてきた『欲望という名の電車』のミッチ役でオスカーを獲得。映画『波止場』でもアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたほか、映画『ベビイドール』ではイギリスアカデミー賞男優賞にノミネートされた。テレビ映画「疑惑」ではエミー賞も受賞し、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに星を持つベテラン俳優だ。

1965年時のカール・マルデン

この映画でゼブロン・プレスコットの妻レベッカ役で出演したアグネス・ムーアヘッド。
父親はウィスコンシンの長老教会の牧師であった。宇宙飛行士ジョン・グレンを輩出したオハイオのマスキンガム大学に通い、ウィスコンシン大学で大学院の課程をとった。
ニューヨークの演劇学校に入った時には、Rosalind Russellと一緒に学ぶ。高い教育を受けた彼女は、高校でスピーチと演劇を数年間教えていた。彼女が指導したスピーチのチームは、数々のコンテストで優勝したという。
1930年代にラジオドラマの仕事を始め、1938年までオーソン・ウェルズの劇団“マーキュリー・シアター”に参加。後に彼の誘いでハリウッドへ進出し、「市民ケーン」で主人公の母親を演じた。
ハリウッド史上に残る映画に出演し、アカデミー賞に4回ノミネートされたスター級女優だ。

実は彼女を超有名にさせたもう一つのテレビドラマがある。それが「奥さまは魔女」だ。彼女はニューヨークのデパートで偶然にも「奥さまは魔女」の主人公であるリズ・モンゴメリーと会い、「奥さまは魔女」のエンドラ役の打診を受けたそうだ。その時の返答のしかたがまさしくエンドラにぴったりだ、とモンゴメリーは思ったとか・・・。
しかしムーアヘッド自身はそう思わず、出演を決めた後も、この番組が成功するとは思っていたなかったそうである。

彼女が出演した映画"The Conquerer"は1954年にネバダ砂漠で撮影されたが、彼女を含め多くの出演者がガンで亡くなっており、それは撮影した場所が政府が核実験を行った場所と近かった為ではないかと言われているそうな!!。

アグネス・ムーアヘッド

『奥様は魔女』の”サマンサ”は私が考える《妻の理想形》だった!! - Middle Edge(ミドルエッジ)

この映画でゼブロン・プレスコットの長女イーブ役を演じたキャロル・ベイカーは、映画界にはジェームズ・ディーンの遺作となった『ジャイアンツ』に大抜擢され初出演を果たし、『ベビイドール』で主演し、妖しい魅力を撒き散らす女性を演じ話題になった。
また『偉大な生涯の物語』などの名作&大作に次々と出演し、ハリウッドでの地位を得た彼女ではあったが、活動の場をイタリアに移し『デボラの甘い肉体』などのセクシー系にも出演し始め、
その後もヒットを飛ばしイタリア ジャーロ作品には欠かせぬ女優となった。
レイモンド・ラヴロックが新婚なのにアッチが役立たずな旦那を演じたイタエロ・コメディー『ああ新婚』でも、新妻の母役でラヴロックを元気にしちゃう役で出演した。
ハリウッドからイタリアへ、『ジャイアンツ』から『ああ新婚』へ、かなり凄い転身だ。考えてみれば・・・。

キャロル・ベーカー

この映画でゼブロン・プレスコットの次女リリス役を演じたデビー・レイノルズは、16歳のとき、当時住んでいたカリフォルニア州バーバンクでミス・バーバンクに選ばれ、ワーナー・ブラザースと契約。
ワーナー・ブラザースの映画2本で端役を演じた後、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約。1950年にフレッド・アステアの映画に出演。その2年後、ジーン・ケリーのミュージカル『雨に唄えば』に抜擢され、一躍スターとなった。1957年、『タミーと独身者』の中で歌った主題歌「タミー」が全米5週連続1位の大ヒットとなり、アカデミー音楽賞にノミネートされる。
その後も『年頃ですモノ!』『恋に税金はかからない』『ママは二挺拳銃』などのヒット映画に多く出演し、タイタニック号の生存者で実在のモリー・ブラウンを演じた1964年の『不沈のモリー・ブラウン』ではアカデミー主演女優賞にノミネートされた。
また1960年代マネー・メーキング・スターの5位に2度選出されるなど、人気女優の一人として長い期間活躍した。

ちなみに去年、スターウォーズ4~6にレイア姫役で出演した故キャリー・フィッシャーがデビー・レイノルズの娘だったのですが、キャリーが死去した翌日にデビーも死去したそうで、運命の悪戯を感じざるをえないですね!!。

デビー・レイノルズ

この映画では、ロッキー山脈の麓で猟師をしながら生計を立てて、新しく開墾しようと入ってくる開拓者などに獲った毛皮などを売るライナスという役でプレスコット一家と係わり合い、遂には長女のイーブと恋に落ち、家庭を持つこととなる。

彼は、アイビーリーグの名門プリンストン大学で建築学と都市工学を学ぶが、大学を卒業しても不況のために仕事に就く事が出来ず、大学時代の友人で後に映画監督になるジョシュア・ローガンと知り合い、彼が所属する学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加して俳優を志す。この劇団にはヘンリー・フォンダやマーガレット・サラヴァンも参加しており、スチュワートはローガンとフォンダらと共にニューヨークに移って共同生活をしながら、ブロードウェイでの成功を夢見て『Carry Nation』などの舞台に立つが、不況のためにほとんど仕事がなく、一時は舞台を諦めて父親が経営する金物屋を手伝おうと考えていた。35年舞台で共演した女優でコラムニストのヘッダ・ホッパーの推薦でM-G-Mのスクリーン・テストを受けて『舗道の殺人』で映画デビューを飾る。翌年『結婚設計図』でサラヴァンの相手役を務め、同年の『超スピード時代』で早くも主役の座につく。38年コロンビア社に貸し出されて『我が家の楽園』に出演、フランク・キャプラ監督に気に入られて、続く『スミス都へ行く』(39)にも続投して純真な青年政治家を好演、映画は大ヒットを記録してアカデミー主演男優賞に初ノミネートされ、スチュワートのトレードマークとなる正義感溢れる好青年のイメージを確立する。翌年、ブロードウェイのヒット劇を映画化した『フィラデルフィア物語』(40)では、共演のキャサリン・ヘプバーンとケーリー・グラントを相手に素晴らしい演技を披露してアカデミー主演男優賞を獲得する。第二次世界大戦が勃発すると空軍に入隊、エース・パイロットとして活躍して、ハリウッドの俳優としては最高位の大佐にまで昇進する。 ハリウッドに復帰したスチュワートは、強い性格の役を好んで演じるようになり、46年にはキャプラ監督と再び組んだ『素晴らしき哉、人生!』に出演。 初公開時の評価と興行成績は芳しくなかったものの、現在では二人の代表作として高い人気を獲得している。 47年には古巣のブロードウェイに戻って舞台『ハーヴェイ』に出演、舞台は大きな成功を収めてエルウッド役は彼の当り役となる。50年には出演料に加えて、俳優として始めて興行成績に応じた歩合を受け取る契約を結び、『ウィンチェスター銃`73』(50)では兄弟の葛藤に苦悩するガンマン、映画版『ハーヴェィ』(50)では再びエルウッド役をコミカルに好演して幅の広い演技を披露する。48年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』に出演、これ以後ヒッチコック映画には欠かせない男優として『裏窓』(54)、『知りすぎていた男』(56)、『めまい』(58)で主役を務める。それ以外にも全編ピエロのメイクをして出演した『地上最大のショウ』(52)、タイトル・ロールをそっくりに演じた伝記映画『グレン・ミラー物語』(54)、マン監督と再び組んだ西部劇『ララミーから来た男』(55) 、再びアカデミー賞にノミネートされた手に汗握る法廷劇『或る殺人』(59)等様々なジャンルの映画に出演して50年代のハリウッドのトップ・マネー・メイキング・スターの一人として活躍する。60年代入ると『馬上の二人』(61)と『リバティ・バランスを射った男』(62)など3本のジョン・フォード監督の西部劇に出演するが、それ以降は『飛べ!フェニックス』(66)やヘンリー・フォンダと共演した『ファイヤークリークの決斗』(68)など興行的に地味な作品が目立つようになる。『テキサス魂』(70)ではフォンダと再共演を果たすが、映画の撮影中に海兵隊としてベトナムに従軍していた長男のロナルドが戦死する。70年代に入ると『陽気なハワード一家』(71~72)と『Hawkins』(72~73)の2本のテレビ・シリーズに出演。映画への出演は減ったものの『ラスト・シューティスト』(76)や『エアポート'77』(77)などでは印象的な演技を披露した。84年には映画界への功績を称えてアカデミー名誉賞が授与され、91年のアニメーション映画『アメリカ物語2』での声の出演を最後に映画界から離れる。 
実生活でも、誠実で正義感が強く家族を思いやる映画の役柄そのままの好人物として知られ、「アメリカの良心」とまで呼ばれたスチュワートが演じた数々のキャラクターたちは良きアメリカ人の象徴として、今でも多くの映画ファンに愛されて続けている。

ジェームズ・スチュアート

どの西部劇にも出てきそうな風貌ですが、この映画では上流の川岸で水商売(ショットバーみたいなもの)を経営する元軍属で元大佐だったジェブ・ホーキンス役で出演している。
実はこの店は昏睡強盗団のアジトだったのだ。まんまと彼の店に立ち寄ったライナスが色仕掛けと酒で騙され、穴の中に突き落とされ、積荷を奪われてしまう。負傷した体で穴から脱出し、プレスコット一家を襲おうとするホーキンスを、一家と協力して倒すというのが大体のストーリーで、ウォルター・ブレナンは悪役であった。

1927年に31歳で映画デビュー。特に1930年代は、ブレナンの俳優生活の中で最も多くの映画に出た年でもあったが、名も無い役やクレジットにも表示されないような端役が多く、そのような状態が10年ほど続いた。
そんな苦節時代の1932年に後々のブレナンにとっての転機ともいうべき事故に遭遇する。ある西部劇の撮影中、馬に顔面を蹴られるという事故に遭い、歯のほとんどを失ってしまう。しかし、その歯の無い独特の喋り方や顔立ちがコミカルに感じられ、これがブレイクへのきっかけにもなっている。
多くの作品で端役を演じているが、時には名バイプレイヤーとしても活躍。役柄は、好人物から悪役まで非常に幅広い。1936年の『大自然の凱歌』で初のアカデミー助演男優賞を受賞。その後は貴重な脇役として生涯に230本に及ぶ作品に出演した。また、Kentucky、『西部の男』で同じ助演男優賞を2度も受賞するなどの国際的なスターになった。なお、アカデミー助演男優賞を3回受賞した俳優は現在ブレナンしかいない。1974年、肺気腫のため死去。80歳没。

ウォルター・ブレナン

小ストーリー第2話 The Plains( 平原、1850年代 )

10年後、プレスコット家の次女リリスはセントルイスのキャバレーの歌手として働いていた。常連の中に賭博師ベイレン( グレゴリー・ペック )がいた。ある日、リリスはパトロンの金鉱相続人になったことを知らされ、盗み聞いたベイレンは金鉱を自分のものにしようと計画した。彼女の乗った幌馬車隊が西へ出発して間もなくベイレンが馬で現れた。途中シャイアン族(インディアン)の急襲でベイレンが傷ついた時、リリスは我を忘れて彼を介抱した。ところが金鉱がすっかり掘り尽くされて何の価値もなくなったのを知ったベイレンは、彼女を捨てて元の賭博生活に入ろうとした。しかし川蒸気船のサロンで、キャンプショウの歌手になっていたリリスの声を聞いたベイレンは、勝っていたカードを捨てて彼女に近づき、改めて2人は新しい都市サンフランシスコで運を試してみようと決心するのであった。

第2話は この映画の中で、下記の画像のような、いわゆる西部劇らしいシーンがあります。

西部劇の18番、幌馬車隊がインディアンに襲撃される場面!!
画面がやけに広かったので醍醐味がありました!!!

第2話の一場面

この映画ではプレスコット家の次女リリスがセントルイスのキャバレー歌手として働いている時の常連客で賭博師のベイレンという役で出演し、第2話の最後にはリリスと結ばれる。

彼は6歳の時に両親が離婚し、薬剤師だった父と祖母に育てられた。カリフォルニア大学バークリー校で医者を目指して医学部で学んでおり、在学中はボート部で活躍したが、脊髄を痛めて選手を引退。代わって演劇に興味を持ち始め、卒業後俳優を志しニューヨークで舞台に立つようになった。その姿を見初められ、43年の「栄光の日々」でフォックスの大型新人として映画デビューを果たした。大学時代のボート部で脊髄を負傷し兵役免除となったことから、当時人材難だったハリウッドで「背が高く、高貴で美男な」ニュースターとして各社から注目を集め、5年間で12本の映画に主演するという超売れっ子になった。
「子鹿物語」の優しい父、「頭上の敵機」のパイロット、「紳士協定」の偏見に相対するジャーナリストなど、彼の好演も光るが、それらのほとんどの映画が高水準だったことも注目に値する。「頭上の敵機」ではニューヨーク批評家協会の主演男優賞を獲得する。45年から49年にかけて、「王国の鍵」「子鹿物語」「紳士協定」「頭上の敵機」と4度もアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが惜しくも受賞はならなかった。破竹の勢いの活躍は50年代に入っても続く。海洋アクション「艦長ホレーショ」「世界を彼の腕に」でアクションを披露したかと思えば、ヘミングウェイの名作「キリマンジャロの雪」での作家役、そして「ローマの休日」の新聞記者役。誰もが認めるハリウッドトップスターだった。その後自らのプロダクションを立ち上げ「大いなる西部」「白鯨」を撮る。映画の質は評価されたのだが、興行的にはあまりパッとしなかった。しかし、すぐに「ナバロンの要塞」でまたまた大ヒットを記録。続いて62年の「アラバマ物語」ではアカデミー主演男優賞を獲得した。清潔でリベラルな人間性あふれる弁護士役はまさしくペック自身を投影したかのような役で評価が高い。その後も「マッケンナの黄金」「アラベスク」「宇宙からの脱出」「オーメン」「マッカーサー」「ブラジルから来た少年」など、代表作は数知れない。
その温厚な人柄からハリウッドスターの中でも大変に人望が高く、第17回アカデミー協会長、ハリウッド俳優組合の会長を務め、俳優救済基金を設立した。
2003年6月12日、長年連れ添った妻ヴェロニクに看取られてこの世を去った。享年87歳。
ルックス、スター性、さらに人望にも恵まれたハリウッド黄金期を飾った紛れもない大スターの1人だった。

グレゴリー・ペック

小ストーリー第3話 The Civil War( 南北戦争、1861年-1865年)

南北戦争が始まった。ライナスとの間に息子2人をもうけたプレスコット家の長女イーブの一家にも戦火は及び、ライナスは最初の志願兵として戦場にあった。長男ゼブ(ジョージ・ペパード)も母親の反対を押し切って志願し、銃火の中で父の死を知った。気を落とした彼は戦争の意味を行き会った南軍の脱走兵と話し合い、自分も逃走しようと考えた。2人の傍にシャーマン将軍(ジョン・ウェイン)とグラント将軍(ハリー・モーガン)がいるのに気づいた南軍兵は引き金を引こうとしたが、ゼブはとっさに銃剣で南軍兵を刺殺した。悲劇的な戦争は終わった。父の後を追うように母も死んだ。ゼブは農場を弟に譲り、自分は騎兵隊に留まる決心をした。

ユリシーズ ・ グラント少将 麾下の合衆国政府軍と南部同盟軍が繰り広げた シャイロー会戦 がハイライト ・ モチーフになっています。合衆国軍随一の闘将である ウィリアム ・ シャーマン を ジョン ・ ウェイン が演じています。

シャーマン将軍(ジョン・ウェイン)とグラント将軍(ハリー・モーガン)

この映画では、北軍随一の闘将である ウィリアム ・ シャーマン将軍をを演じており、第3話にちょこっと出演しているが、やはりその存在感はたいしたものである。
 
彼の本名はMarion Michael Morrison。高校時代にいつも連れていた犬の名前から“デューク”のニックネームが付く。南カリフォルニア大学に入学後、フォックス撮影所でアルバイトをしている時にジョン・フォード監督と知り合う。30年、「ビッグ・トレイル」の主役に抜擢され、芸名をデューク・モリソンからジョン・ウェインに改名。39年、フォード監督の「駅馬車」に出演して人気を確立。以降、西部劇の人気スターとして活躍する傍ら、「拳銃の町」など製作者としても活動。マネー・メイキング・スターの常連として名を連ねるようになる。60年代に入ってからはガンに侵された体と戦いながらも出演を続け、69年「勇気ある追跡」にて念願のアカデミー主演男優賞を受賞。その後も活躍を重ね、76年の「ラスト・シューティスト」で自らを封印して事実上の引退。結婚は3回。長男のマイケルは映画プロデューサーとして父の作品にも関わり、パトリック、ジョン・イーサンの二人は俳優になった。度重なる手術後まもなく、周囲の反対をよそにアカデミー作品賞のプレゼンターとして授賞式に参加し、その二ヶ月後の6月11日に永眠した。墓標には“彼は醜く、強く、誇り高い男だった”と刻まれている。

ジョン・ウェイン

この映画では、ライナスとプレスコット家の長女イーブの間に生まれた長男ゼブとして出演して、第3話以降の主人公を演じることになる。

彼は17歳で海兵隊に入り、除隊後パーディー大学などに学ぶ。卒業後、フェンシングの教官やタクシーの運転手などさまざまな職に就いたが、やがて俳優を志すようになり、ピッツバーグのプレイハウスを経てアクタース・スタジオで学びながらDJをして生計を立てていた。ブロードウェイを経て57年に映画デビュー。59年の「勝利なき戦い」あたりからはアクション作品でそのタフな個性を発揮。その後61年の「ティファニーで朝食を」でオードリーと共演して一躍スターとなった。以降の作品では人気が伴わずに低迷期を送っていたが、83年スタートのTVシリーズ「特攻野郎Aチーム」でAチームのリーダー、ハンニバル・スミスに扮してお茶の間で再び親しまれた。エリザベス・アシュレイやシェリー・ボーチャーなど5度の結婚歴がある。94年、肺炎で死亡した。

ジョージ・ペパード

小ストーリー第4話 The Railroad( 鉄道、1868年ごろ)

1860年代の終り頃、ユニオン・パシフィック鉄道の大陸横断工事をインディアンの襲撃から守る騎兵隊を指揮するのは、中尉になったゼブであった。建設所長のマイク( リチャード・ウィドマーク )は新しいタイプの鉄道第一主義者で長年インディアンと生活を共にした野牛狩りの男ジェスロ( ヘンリー・フォンダ )に反対して最短距離をとるために、インディアンの食糧供給路を通るのを主張した。ゼブは間に入って一時的な条約を結んだがマイクは鉄道で狩人を送りこみインディアンの食料を乱獲したので遂にインディアンは怒り、野牛の大群を放った。ここで野牛が走るシーンはまさに迫力があった。結局インディアンらを欺すのに一役買ったことに気づいたゼブは嫌気が差し、退役して更に西へと向かうこととなった。

鉄道が西部に持ち込んだ問題は、白人とインディアンの対立、ユニオンパシフィック鉄道の社員(リチャード・ウィドマーク)とインディアンとの調整役セブの対立、鉄道vs.野牛の構図として描かれる。

鉄道建設所長のマイクを演じるリチャード・ウィドマーク

この映画では鉄道建設所長のマイク役を演じていて、鉄道第一主義者で鉄道のためなら他を犠牲にしても良いという哲学を持ち、行動するため、他人と揉め事を起こしやすい、ちょっといやな役を演じた。

彼はアメリカ・ミネソタ州生まれ。大学時代に演劇に熱中するようになり、卒業後しばらく母校の講師を務めていたが、38年にNYへ赴き、本格的な俳優活動を開始。ラジオや舞台の仕事を経て、47年「死の接吻」殺し屋役のオーディションに合格し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。当初は冷酷な悪役が多かったが、やがてそのイメージを払拭し、善悪両方を演じられる演技派スターとして評価を得る。特に西部劇には欠かせない存在であった。

リチャード・ウィドマーク

この映画では、鉄道建設現場の近くで長年インディアンと生活を共にした野牛狩りの男ジェスロを好演した。外見が毛むくじゃらで最初は誰が演じているのか気が付かなかったほど、変身していたのを憶えています。

彼は印刷工場を営むイタリア系移民の長男として生まれ、幼い頃から絵や文学の才能に恵まれ、12歳の時にはニュース映画で映画デビューを果たす。新聞記者を目指して大学でジャーナリズムを専攻するが2年目に中退。 20歳の時、マーロン・ブランドの母親ドロシー・ブランドの薦めでアマチュア劇団「オマハ・コミュニティ・プレイハウス」に参加し、25年に初舞台を踏む。 舞台のシーズンが終了すると、小売信用会社の事務員として働き始めるが、演劇の魅力に魅せられたフォンダは、仕事を辞めて俳優になることを選び、28年にはジョシュア・ローガン、ジェームズ・スチュワート、マーガレット・サリヴァンらが参加する「ユニバーシティ・プレイヤーズ・グループ」に入団。フォンダはサリヴァンと恋に落ち31年に結婚するが、長くは続かず2年後に離婚する。 離婚後はローガンやスチュワートらと共にニューヨークに移り、アパートを借りて共同生活をしながら、地方の舞台への出演や舞台装置家として働いていた。34年のレビュー『ロウ・アンド・ビホールド』でのパフォーマンスが高い評価を獲得し、翌年には『運河のそよ風』の主役に抜擢される。 この舞台の成功によってハリウッドに招かれ、同作の映画版でハリウッド・デビューを果たし、誠実な好青年のイメージが好評を博して続く『東への道』(35)や『丘の一本松』(36)でも似たようなキャラクターを演じる。 しかし、タイプキャストを嫌うフォンダはフリッツ・ラング監督のスリラー『暗黒街の銃弾』(37)や、ウィリアム・ワイラー監督のコスチューム・ドラマ『黒蘭の女』(38)などで固定したイメージに囚われずに様々な役をこなしてゆく。 36年にはニューヨーク社交界の大物シーモア家の娘フランシスと再婚。2人の間にはジェーンとピーターが生まれた。 39年には青年時代のリンカーンを演じた『若き日のリンカーン』と、南北戦争を舞台にした恋愛ドラマ『モホークの太鼓』の2本のジョン・フォード監督作に相次いで出演。 20世紀フォックス社と7年の専属契約を結び、40年には再びフォードと組んでジョン・スタインベックの小説の映画化『怒りの葡萄』に出演。当り役となった主人公トム・ジョードを熱演して初のアカデミー主演男優賞にノミネートされた。 41年にはパラマウント社に貸し出されてスクリューボール・コメディ『レディ・イヴ』に出演し、シリアスな顔でドタバタ演技を披露して観客を大いに笑わせる。 第二次世界大戦中は海軍に入隊。武功を上げて青銅星章と大統領感状が与えられる。 除隊後は再びフォード監督と組んで、OK牧場の決闘を詩情豊かに描いた『荒野の決闘』(46)でワイアット・アープを好演。 翌年の『逃亡者』(47)と48年の『アパッチ砦』でもフォードと組んで、フォード映画には欠かせない俳優の一人となる。 47年にはフォックスとの専属契約を破棄して、親友ジョシュア・ローガンの舞台劇『ミスタア・ロバーツ』に出演。軍隊での経験を生かした彼の演技は舞台と共に絶賛されてトニー賞の主演男優賞を獲得し、7年もの間ロバーツ役を演じつづけた。 55年の映画版『ミスタア・ロバーツ』でもロバーツを演じたが、フォンダは演出を担当したフォードのやり方に満足できずに、二人は激しく対立してしまい、これがフォードと組んだ最後の映画となってしまう。 好調な俳優活動とは反対に、フランシスとの夫婦関係は悪化し、50年にフランシスは家庭を顧みずに浮気を繰り返す夫を苦に自殺。フォンダは子供達を動揺させないために母親は心臓発作で死んだと教えた。 50年代は『シーソーの二人』や『ケイン号の叛乱』などの舞台や、テレビ・シリーズ『胸に輝く銀の星』など映画以外のメディアでも幅広く活躍。 映画ではアルフレッド・ヒッチコック監督のセミ・ドキュメンタリー・サスペンス『間違えられた男』(56)や、自ら製作を務めた骨太の法廷ドラマ『十二人の怒れる男』(57)などの興行成績を度外視した質の高い作品に出演して名演技を披露する。 60年代に入ると『ベスト・マン』(64)や『未知への飛行』(64)で手堅い演技を見せ、68年にはセルジオ・レオーネ監督の『ウェスタン』では冷酷非常な殺し屋を演じて新境地を開拓。 70年代以降は主演作は減り『ミッドウェイ』(76)、『テンタクルズ』(77)、『スウォーム』(78)、『メテオ』(79)などのオールスター映画にゲスト出演する。 フランシスとの間に生まれたジェーンとピーターは父親の後を追って俳優になるが、母親の死の真相を知った二人と父親の関係は次第に悪化し、ジェーンとピーター共に俳優として成功した後も、過激な振る舞いでマスコミを賑わせてフォンダを悩ませた。 やがて、二人は父親と和解し、ピーターは自分の監督作『ワンダ・ネヴァダ』(77)に父親をカメオ出演させ、ジェーンは年老いた父親のために『黄昏』(81)を企画。 娘と初共演した今作で、フォンダはキャサリン・ヘプバーンを共演者に迎えて年老いた頑固な老夫婦を熱演。フォンダは念願のアカデミー主演男優賞を獲得し、これが遺作となって授賞式の5ヵ月後にこの世を去った。

ヘンリー・フォンダ

小ストーリー第5話 The Outlaws(無法者、1880年代末)

1880年代の終わり頃、未亡人となったリリスは借金のため豪華なサンフランシスコの屋敷を売ってアリゾナ州に移住し、牧場を営むことにした。また、西部の町で保安官となっていたゼブとその家族は、リリスおばさんからアリゾナでの牧場経営の誘いを受け入れ再会を果たす。甥のゼブや妻ジュリー(キャロリン・ジョーンズ)たちとの再会を喜ぶ間もなく、旅の途中でゼブは、ギャングのガント(イーライ・ウォラック)が金塊輸送列車を襲う企てを知る。ゼブは保安官ルーとともに一味と列車で激しい銃撃戦をまじえ、一味を絶滅させる。正義は勝った。法律と秩序が西部にもたらされ、ついに西部は勝ち取られたのである。ラスト、リリスとゼブ一家は新生活への希望に胸をふくらませ、アリゾナに向かう馬車の中で声を合せて「牧場の家」を歌うのでした。ドラマが終わり、ナレーションに続く映画のエンディングでテーマソングが歌われる。題名は映画の原題と同じ How the West Was Won (西部はいかに勝ち取られたか)です。

最終章になって、やっと西部劇の定番”ドンパチ”がこれでもか!というくらい見れます。

モニュメント・バレーは西部の象徴です。

モニュメント・バレーを行くリリスとゼブ一家が乗った馬車

この映画では、ゼブの妻ジュリーの役で出演しました。役どころとしてはインディアンとのハーフで髪も黒のロングにしていました。私はこの女優の他の映画についてはあまり思い出がありません。

彼女は日本では、それほどポピュラーな存在ではないかもしれないが、彼女のミステリアスな目を一度でも見れば必ずや忘れられないこと請合いだ。いわば女優版ロバート・ミッチャムというような雰囲気を持ち(但し、ミッチャムの場合にはただ眠そうなだけだが・・・)、どこか曖昧でどんよりした印象を与える。また、米国では映画よりもTVシリーズ「アダムス・ファミリー」のモーティシア役で広く知られている。「アダムス・ファミリー」シリーズは、個人的には見た記憶があまりないが、手元にある同番組からのフォトを見ると、彼女の摩訶不思議な眼差しは、ネクロフィリア的な嗜好性の濃厚なこの番組にピタリとマッチしているように見える。ある解説には、「肉の蝋人形」(1953)で蝋人形にされた彼女が最も印象的だったなどと実に不埒なことが書かれているようだが、それでは余んまりだろう。蝋人形にされても印象的であったと言い替えるべきではないのか?マリリン・モンローが主演した「七年目の浮気」(1955)には、トム・イーウェル演じる主人公を誘惑する看護婦の役でわずかに顔を見せている。「北海の果て」(1960)では、リチャード・バートンとロバート・ライアンの間で揺れ動く(というよりも逆に彼らを揺れ動かす)女性を、何かを語りたげであると同時に何かを隠しているように見える彼女特有のアンビバレンスな眼差しで好演していた。そのような印象を活かした作品にもう少し多く出演していれば(実際は、西部劇やコメディが多いようです)、もう少し知名度が上がっていたかもしれません。残念ながら、1983年に癌で亡くなっています。

キャロリン・ジョーンズ

最後に!!

この映画はいつ見ても凄い!の一言につきる。ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダ、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、グレゴリー・ペック、等、豪華な顔ぶれで、今このような映画を作れと言っても絶対無理!!!な話しだ。また、豪華キャストのみならず、ちゃんとしたドラマも描かれているところがよい。欲を言えば、リリスがどんな過程を辿ってキャバレーの歌手になったのか?とか、ゼブがどうして保安官をするようになったのか?とか、人間くさいドラマも見たい気もするるが・・・
私は船の上でのデビー・レイノルズと、グレゴリー・ペックの愛のシーンが一番感動的で好きだ。バックに流れるA Home in The Meadowの曲が何とも良い。あと、ゼブの母親のイーヴの悲しさなども、何とも言えずよく描かれていた。また、この映画の音楽が、力強さ、夢と希望、優しさ、悲しみなど、場面場面で表現をよりいっそうに高めていた。この映画は、60年代の西部劇の中でも、最も優れている作品の一つだと思っている。

また、この映画でアメリカの歴史を垣間見ることができる。例を言えば、米国人が何で銃を捨てることができないのかも理解することができる。

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